ロクールの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ロクールの戦い
Battle of Roucoux painting.jpg
ロクールの戦い、18世紀の作品。
戦争オーストリア継承戦争
年月日1746年10月11日
場所神聖ローマ帝国リエージュ司教領ロクール英語版
結果:フランスの勝利
交戦勢力
ハプスブルク帝国 ハプスブルク帝国
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国
ハノーファー州 ハノーファー選帝侯領
ネーデルラント連邦共和国の旗 ネーデルラント連邦共和国
フランス王国の旗 フランス王国
指導者・指揮官
ハプスブルク帝国 カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン
グレートブリテン王国の旗 ジョン・リゴンアー英語版
ネーデルラント連邦共和国の旗 ヴァルデック侯爵英語版
フランス王国の旗 モーリス・ド・サックス
戦力
80,000-97,000[1][2] 120,000[2]
損害
戦死4,000-5,000[3]
捕虜3,000[2]
大砲30門を失う[4]
3,500[5]
モーリス・ド・サックス

ロクールの戦い(ロクールのたたかい、フランス語: Bataille de Rocourt)は、オーストリア継承戦争中の1746年10月11日フランス王国軍がリエージュ近くのロクール英語版オーストリアイギリスハノーファーオランダの連合軍に勝利した戦闘。フランスの勝利ではあったが、フランスのモーリス・ド・サックスが期待したほどの決定的な勝利にはならなかった[6]

戦前の動き[編集]

モーリス・ド・サックス率いるフランス軍はフランドル地方の侵攻をほぼ終わらせ、次にネーデルラントを脅かしていた。国事詔書を支持する同盟軍はカール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲンを司令官とし、サー・ジョン・リゴンアー英語版はイギリス軍を率いた。同盟軍はリエージュ近くに布陣し、ヴァルデック侯率いるオランダ軍がリエージュからロクールまでの左翼に、イギリスとハノーファー軍が中央に、オーストリア軍が右翼に位置した。

戦闘[編集]

ロクールの戦いの地図

フランス軍は同盟軍左翼、リエージュとロクールの間にいるオランダ軍に集中して攻撃し、数で大幅に上回ることもあり3度目の突撃で撃破した[7]。オランダ軍はイギリス軍とハノーファー軍の後ろへと撤退した。フランス軍がだんだんと前進するにつれ、同盟軍が後退した。同盟軍右翼のオーストリア軍はフランス軍から攻撃されることなく、自ら前進してフランス軍左翼を攻撃することもなかった。リゴンアーの騎兵とイギリス、ハノーファー、オランダ歩兵の一部は後衛として、撤退する同盟軍をフランス軍の追撃から守った。フランス軍は勝利したが、同盟軍も撤退に成功した。フランス軍はリエージュを占領した。

結果[編集]

ロクールの戦いは、サックスの3つの大勝のうち2つ目となった[8]。フランス軍は勝利した直後にリエージュを占領し、戦争の終わりまでにオーストリア領ネーデルラントにおけるオーストリア支配を瓦解した。

脚注[編集]

  1. ^ Skrine, Francis Henry. Fontenoy and Great Britain's Share in the War of the Austrian Succession 1741-48. London, Edinburgh, 1906, p.311: "24,000 British, Hanoverians and Hessians...49,000 Austrians. The left wing, of 24,00 Dutch troops..."
  2. ^ a b c R. McNally, Marshal of France: The Life and Times of Maurice de Saxe, p. 192
  3. ^ Gentleman's Magazine Vol. XVI 1746 page 542, Copy of a Letter sent from Sir John Ligonier to the Earl of Sandwich at Breda, relating to the Action on the 11th Inst. Dated from the Camp of Losser, Oct. 12
  4. ^ Smollett, Thomas. The History of England from the Revolution to the Death of George II. London, 1848, Vol. II, p. 509
  5. ^ Skrine, Francis Henry. Fontenoy and Great Britain's Share in the War of the Austrian Succession 1741-48. London, Edinburgh, 1906, p.313.
  6. ^ Reed, p. 285
  7. ^ Gentleman's Magazine Vol. XVI, 1746, page 542. Extract of a Letter from a Dutch Officer, Relating to the Action near Liege. "The affair that we had yesterday with the French begun in the evening. The fire which the enemy made upon us from their mask'd batteries, and otherwise, was one of the most terrible ever seen, and it look'd as if hell had opened her mouth to swallow us up. As I was of the rear-guard, and among the hindmost of my troop, in retiring from the field of battle, 'tis a miracle I escaped. As the stragglers come in, we hope to make some abatement in the number said to be lost.",
  8. ^ 1つ目はフォントノワの戦い、3つ目はラウフフェルトの戦い

参考文献[編集]

  • Browning, Reed. The War of the Austrian Succession, St. Martin's Press, New York, (1993): ISBN 0-312-12561-5
  • Chandler, David. The Art of Warfare in the Age of Marlborough. Spellmount Limited, (1990): ISBN 0-946771-42-1
  • Skrine, Francis Henry. Fontenoy and Great Britain's Share in the War of the Austrian Succession 1741-48. London, Edinburgh, 1906.

座標: 北緯50度40分33秒 東経5度32分46秒 / 北緯50.67583度 東経5.54611度 / 50.67583; 5.54611