ラーワルピンディー
| ラーワルピンディー راولپنڈی Rawalpindi | |
|---|---|
| 位置 | |
| 位置 | |
パキスタン内のラーワルピンディー県の位置 | |
![]() | |
| 座標 : 北緯33度36分12秒 東経73度3分1秒 / 北緯33.60333度 東経73.05028度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 州 | |
| 県 | ラーワルピンディー県 |
| 市 | ラーワルピンディー |
| City Nazim | Raja Javed Ikhlas |
| 地理 | |
| 面積 | |
| 市域 | 311 km2 |
| 標高 | 500 m (1,640 ft) |
| 人口 | |
| 人口 | (2025年現在) |
| 市域 | 2,486,560人 |
| 備考 | 推計[1] |
| その他 | |
| 等時帯 | パキスタン標準時 (UTC+5) |
| 市外局番 | 051 |
| 公式ウェブサイト : 公式サイト(アーカイブ) | |
ラーワルピンディー (ウルドゥー語: راولپنڈی、Rāwalpindī)は、パキスタン北部パンジャーブ州北端にある都市。ポトワール高原にあり、首都イスラマバードの南約10kmに位置する。人口は約248万人(2025年推計)で、国内第4位の都市である。地元では短くピンディとも呼ぶ。
イスラマバードと双子都市を形成している。人工的なイスラマバードと違い、ラーワルピンディは遺跡や文化財が豊富な歴史都市である[2]。パキスタン陸軍司令部や情報機関が置かれる軍都でもある。陸軍医科大学やファーティマ・ジンナー女子大学などの大学がある。カラチからイスラマバードへの遷都が完了するまで仮の首都が置かれていた。
歴史
[編集]ラーワルピンディーの北西35kmに世界遺産の仏教遺跡のタキシラがある。この地は5世紀にエフタルの進入を受け、その後は荒廃したままだった。10世紀にガズナ朝のマフムードがこの地に入るが脚光を浴びることは無かった。1765年、シク教徒がこの地を支配すると貿易商人らが住み着くようになる。19世紀初頭、シュジャー・シャーはラーワルピンディーで亡命生活を過ごした。
1849年、イギリスがこの地を占領し、マリー (Murree) が夏の首都になると、1851年にその駐屯地が設けられた。1860年にはマリー・ブルワリーが建設された。1886年にはノース・ウェスタン鉄道 (North Western Railway, NWR)[3] も開通、イギリス領インド帝国でも最大級の軍事施設になった。ペシャーワルに鉄道が延びるようになると商業の面でも発展した。
独立
[編集]現在のラーワルピンディーは、近郊の首都イスラマバードが整備された人工都市であるのに対し、生活感の溢れる都市である。目抜き通りの「ベーナズィール・ブットー通り」(かつてのマリー通り、Murree Road)は独立後の政治的な出来事の舞台となってきた。 1951年初めに独立後のパキスタンの初代首相・リヤーカト・アリー・ハーンのカシミール問題への対応が生ぬるいとして、アクバル・カーン陸軍少将を中心としてクーデターが企てられ、計画は中止になったが当局に発覚し、3月9日から合計13名が逮捕された(ラーワルピンディー陰謀事件)。この逮捕者の中に、ウルドゥー文学を代表する詩人ファイズ・アハマド・ファイズが含まれていた。 1951年10月16日、首相のリヤーカト・アリー・ハーンは市内のマリー通りにある公園での政治集会の最中に、胸に2発の銃弾を浴びて暗殺された。この地は彼の名を取って「リヤーカト公園」となっている。1979年、大統領だったズルフィカール・アリー・ブットーが絞首刑に処されたのはラーワルピンディーである。
21世紀
[編集]2003年12月14日、ラーワルピンディー郊外の橋がムシャラフ大統領の車列が通過した直後に爆破される暗殺未遂事件が発生したが、大統領らに被害はなかった。それから間もない12月25日には、またもムシャラフ大統領の車列めがけて爆弾を積載した車両が突入する自爆テロ事件が発生、やはり大統領らは被害を受けなかったが、市民14人が死亡する惨事となった。
また、2007年12月27日、「リヤーカト公園」でのパキスタン人民党支持者の選挙集会に参加しようとした元首相・ベーナズィール・ブットーは、直前に発生した自爆テロで集会が中止となり公園を車で立ち去ろうとした際に銃撃され暗殺された(ベーナズィール・ブットー暗殺事件)。直接の死因は銃撃によるものか、直後に犯人が自爆した爆発によるものかは今も不明である。
交通
[編集]鉄道
[編集]市内には、イギリス植民地様式の駅舎が特徴のラーワルピンディー駅があり、当駅を経由してペシャーワル - カラチ間を連絡する列車が運行されている。
空港
[編集]市内にはベナジル・ブット国際空港があったが、2018年5月に民間便はイスラマバード国際空港に移転した。
マリー醸造所
[編集]パキスタンは国民が酒を飲むことも買うことも禁じられている禁酒の国だが、同市には1860年創業の老舗でパキスタン国内では数少ない合法的なビール製造企業がある。イスラム教徒以外に向けた酒を提供し、政府が製造を特別に許可している。もとはイギリス統治下で駐留していたイギリス兵向けにビールを製造。敷地内には1876年に建造された建物の一部が残されている。ビールはヒマラヤ山脈の地下水を利用し大麦はオーストラリア産を使用。苦みが少なくフルーティーな味わい。政府は2025年に48年ぶりに海外への輸出を解禁した。国内で厳しい経済状況が続き輸出拡大で外貨獲得を進める狙いがある。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ↑ “World Population Review”. 2025年11月4日閲覧。
- ↑ “About Rawalpindi”. 2025年11月6日閲覧。
- ↑ パキスタンの鉄道史を参照。
- ↑ “洪水で死者170人、半数は子ども パキスタン”. CNN (2025年7月18日). 2025年7月20日閲覧。
