パキスタン人民党
パキスタン人民党 پاکستان پیپلز پارٹی Pakistan Peoples Party | |
---|---|
![]() 党旗 | |
共同総裁 | アースィフ・アリー・ザルダーリー |
成立年月日 | 1967年11月30日 |
国民議会議席数 |
55 / 342 (16%) |
元老院議席数 |
21 / 100 (21%) |
政治的思想・立場 |
社会主義[1] 民主主義[2] |
シンボル |
![]() |
国際組織 | 社会主義インターナショナル |
公式サイト | Home - Pakistan Peoples Party |
党首は現在ビラーワル・ブットー・ザルダーリーとの共同総裁 |
パキスタン人民党(パキスタンじんみんとう、(ウルドゥー語: پاکستان پیپلز پارٹی、英語: Pakistan Peoples Party、略称:PPP[1])は、パキスタンの中道左派・社会民主主義政党。
概要[編集]
産業の国有化などの社会主義(イスラム教社会主義)政策、労働者や農民の生活向上、国民の国防参加、インドとの対抗上から親中・親米政策を掲げている。現在はこれに加えてイスラム主義勢力への対抗から、民主政治、世俗主義を強調している。
沿革[編集]
1967年、ズルフィカール・アリー・ブットー(後に大統領・首相)を中心として創設された。彼がクーデターで打倒された後にムハンマド・ジア=ウル=ハクの手で処刑されてからはイスラーム圏初の女性首相を経験したベーナズィール・ブットーを党首として、ハク大統領の飛行機事故死後にパキスタンの民主化を進めた。
2007年からパキスタンで民主化運動が活発化し、パルヴェーズ・ムシャラフ大統領に抵抗する一大運動に発展すると、ベーナズィール・ブットーの暗殺を経て、その夫であるアースィフ・アリー・ザルダーリー大統領と長男のビラーワル・ブットー・ザルダーリーを共同総裁としている。このように、ブットー家の党という一面もある[3]。主な地盤は南部のシンド州だが、他の地域にもそれなりの勢力を持つ。
2008年のパキスタン下院総選挙で第1党となり、党指導者のひとりユースフ・ラザー・ギーラーニーが率いる連立政権を統一民族運動(MQM)などと成立させた。しかしMQMは後に政権から離脱している。
2013年のパキスタン下院総選挙では党の汚職体質や経済無策を批判され、さらにイスラーム過激派のパキスタン・ターリバーン運動からもテロ攻撃の対象とされるなか惨敗した[4]。
脚注・出典[編集]
- ^ a b “パキスタン人民党 パキスタンじんみんとう Pakistan People's Party”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2019年10月26日閲覧。
- ^ M・イリヤス・カーン (2018年7月24日). “パキスタン総選挙 「忍び寄るクーデター」の懸念”. BBCニュース (英国放送協会) 2019年10月26日閲覧。
- ^ 萬宮健策「パキスタンにおける政党の位置づけ―パキスタン人民党を事例として―」[1]5.パキスタン人民党の政治活動 (3)パキスタン人民党の活動概観
- ^ パキスタン総選挙、野党第1党に 米との関係焦点(日本経済新聞 2013/5/12)
外部リンク[編集]
- 公式サイト (英語)