ヨーロッパの解放
『ヨーロッパの解放』(ヨーロッパのかいほう、ロシア語:Освобождение)とは、ソビエト連邦製作の独ソ戦を描いた戦争映画シリーズである。監督はユーリー・オーゼロフ。
概要
[編集]1968年から1972年にかけて複数の国による共同制作として撮影され、脚本はユーリー・ボンダレフとオスカル・クルガノフが担当した。この作品には、50人を超える歴史上の人物が登場する[1]。総上映時間は合計で7時間48分[2]。
5部構成で、1943年のクルスクの戦いから1945年のベルリンの戦いまでが、無名のソ連軍兵士、セルゲイ・ツヴェターエフを主人公として描かれている。
構成とあらすじ
[編集]- 第一部 「クルスク大戦車戦」
- 第二部 「ドニエプル渡河大作戦」
- 第三部 「大包囲撃滅作戦」
- 第四部 「ベルリンの戦い」
- 第五部 「最後の突撃」
第一部 — 「クルスク大戦車戦」(Огненная дуга、1968年)
[編集]情報機関の報告によれば、1943年夏、ドイツ軍はクルスク突出部周辺で攻勢作戦を実施することを計画していた。これに対し、労農赤軍は防御戦闘によって敵を消耗させ、その後に反攻へ転じることを計画する。
7月6日、中央方面軍の防衛正面に対する攻撃によって、ドイツ軍のツィタデレ作戦が始まる。カトゥコフ麾下の第1戦車軍に所属するワシリエフ中尉と戦車兵たちも戦闘に参加する。
プロホロフカ付近の戦いでは、両軍合わせて1,000両を超える戦車が激突する。7月12日には、ブリャンスク方面軍と西部方面軍の攻撃によってソ連軍の反攻が開始され、最終的にドイツ国防軍の部隊は撃破される。完全に壊滅した第19戦車師団の指揮官シュミットは、自ら命を絶つ。
スターリンは、ザクセンハウゼンで捕虜となっているヤーコフ・ジュガシヴィリを、捕虜となったパウルス将軍と交換することを拒否する。
一方、チトー指揮下のユーゴスラビア・パルチザンは包囲網から脱出する。
第二部 — 「ドニエプル渡河大作戦」(Прорыв、1969年)
[編集]オリョールとベルゴロドの解放が進み、ドイツ軍はハリコフから撤退する。次に待ち受けるのは、ドニエプル川の渡河である。
ここでは、ドニエプル川右岸に陽動用の橋頭保を設け、そこへドイツ軍の大兵力を引きつけたという実際の出来事が描かれる。橋頭堡は完全に包囲され、その守備隊の大部分が戦死した。包囲を突破し、ソ連軍の主渡河地点までたどり着くことができた者は、ごくわずかだった。作者たちは、この生還者の中に作品の登場人物である砲兵大尉ツヴェターエフとオルロフ少佐も加えている。
同じ頃、ベニート・ムッソリーニは、ピエトロ・バドリオ元帥による政変のさなかに逮捕される。アドルフ・ヒトラーの命令により、「ドゥーチェ」ことムッソリーニはオットー・スコルツェニー率いる特殊部隊によって救出される。その後、ナチス・ドイツ軍がイタリアへ侵攻する。
映画はテヘラン会談をもって終わる。
第3部 — 「大包囲撃滅作戦」(Направление главного удара、1970年)
[編集]1943年12月15日、ドイツ情報機関の工作員「キケロ」は、アンカラのイギリス大使館からテヘラン会談に関する資料を盗み出す。その資料には、将来、ノルマンディーにおいて第二戦線が開かれることが記されていた。しかしヒトラーは、この文書の内容が真実であるとは信じず、チャーチルがこのような形で第二戦線を開くことに同意するはずがないと考える。
1944年2月29日、包囲から脱出しようとしていると思われたドイツ兵たちと遭遇した際、第1ウクライナ方面軍司令官ニコライ・ヴァトゥーチンが致命傷を負う。(実際には、ヴァトゥーチンの負傷は、彼の司令部一行がウクライナ民族主義者の部隊と遭遇し、交戦したことによるものであった。)
赤軍はその後も、ウクライナ右岸地域および白ロシアで攻勢を続ける。
1944年春、スタフカは、その年の夏に予定されている大規模攻勢について、主攻撃をどの方面で実施するか検討する。そのため、ゲオルギー・ジューコフが白ロシアへ赴く。協議の末、ソ連軍司令部は攻勢作戦「バグラチオン」の計画を策定する。
ボブルイスク作戦およびミンスク作戦をはじめとする大規模な戦闘の結果、ドイツ軍の中央軍集団は撃破され、白ロシア、バルト地方の一部、そしてポーランドの一部が解放される。
戦闘を前に、ツヴェターエフは大隊衛生指導員ゾーヤに愛を告白する。
6月6日、連合軍がノルマンディーに上陸する。これを背景として、ドイツ軍将官の間ではヒトラーに対する不満がますます高まっていき、7月20日、彼らは権力を掌握し、西側連合国との単独講和を結ぶことを目的として、ヒトラー暗殺を企てる。しかしヒトラーは生き延びる。ヒトラーに忠誠を誓う部隊は反乱を鎮圧し、陰謀の指導者たちは銃殺される。
第4部 — 「ベルリンの戦い」(Битва за Берлин、1971年)
[編集]1945年初頭、赤軍はポーランドを解放し、ドイツ国境へ到達する。第1白ロシア方面軍の部隊は、ポメラニアにおけるナチス・ドイツ軍の反撃を撃退する。
スターリンはジューコフとコーネフをモスクワへ呼び寄せ、連合国軍に先んじて、可能な限り短期間でドイツの首都を占領するという任務を与える。
ベルリンへの進撃路上における最大の戦闘は、ゼーロウ高地への攻撃である。
ヤルタ会談では、戦勝国の首脳たちが戦後世界の秩序について構想を練る。
ヒトラーの指示を受けた親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは、SS本部長であるSS上級大将カール・ヴォルフをベルンへ派遣し、アレン・ダレスとの交渉に当たらせる。
ワシリエフ中尉の戦車兵たちはベルリン郊外へ突破し、とある家屋で宿営する。
第5部 — 「最後の突撃」(Последний штурм、1971年)
[編集]ツヴェターエフの砲兵部隊とヤルツェフの歩兵部隊は、敵を追撃しながら地下鉄へ突入する。
ヒトラーは、自らの地下壕で人生最後の日々を過ごしている。敵が迫っていることを知った総統は、地下鉄のトンネルを水没させるよう命令する。ヒトラーは自殺する前に、エヴァ・ブラウンと結婚する。
ベルリン地下鉄が浸水するなかで行われた住民救出作戦の最中、ツヴェターエフ少佐が死亡する。
第150師団の歩兵はライヒスタークを攻撃する。ワシリエフの戦車兵たちは砲火によってこの攻撃を支援する。
戦闘のさなか、砲手ドロージキン軍曹が戦死する。
エゴロフ軍曹とカンタリア軍曹は、ライヒスタークのドームに勝利の旗を掲げる。
ソ連軍司令部はドイツの降伏を受諾する。
歓喜に沸くソ連兵たちは、勝利を祝う。
スタッフ
[編集]- 監督: ユーリー・オーゼロフ
- 脚本: ユーリー・オーゼロフ、ユーリー・ボンダリョフ、オスカル・クルガーノフ
- 撮影: イーゴリ・スラブネヴィッチ
- 日本語字幕:清水俊二
キャスト
[編集]※括弧内は日本語吹替(テレビ版)
- ニコライ・オリャーリン: セルゲイ・ツヴェターエフ(納谷六朗)
- ラリーサ・ガルブキナ: ゾーヤ(芝田清子)
- ボリス・ザイデンベルク: オルロフ少佐
- ミハイル・ウリヤーノフ: ゲオルギー・ジューコフ(川久保潔)
- ウラドレン・ダビーダフ: コンスタンチン・ロコソフスキー
- エブゲーニー・ブーレンコフ: アレクサンドル・ヴァシレフスキー
- イワン・ペルベルゼフ: ワシーリー・チュイコフ
- ブフチン・ザカリアジェ: ヨシフ・スターリン(神田隆)
- ユーリー・レフコフ: イワン・コーネフ
- フリッツ・ディーツ: アドルフ・ヒトラー
- エルフ・チーデ: ハインリヒ・ヒムラー
- スタニスラフ・ヤスケーヴィッチ: フランクリン・ルーズベルト
- ユーリー・ドゥロフ: ウィンストン・チャーチル
制作の歴史
[編集]この映画の監督にはユーリー・オーゼロフが任命された。準備にあたり、彼はアメリカ映画『史上最大の作戦』(1963年)と『バルジ大作戦』(1965年)を鑑賞したが、これらの作品ではファシズムに対する勝利におけるソ連軍の役割が一度も言及されていなかった[3]。
脚本の執筆は、作家のオスカル・クルガノフとユーリー・ボンダレフに委ねられた。クルガノフは歴史上の出来事を描く場面を担当し、ボンダレフはツヴェターエフ大尉、オルロフ少佐、ルーキン中佐らをはじめとする登場人物たちが登場する、すべての「塹壕の中の」エピソード、すなわち前線の兵士たちを描く場面を執筆することになった。
ここでボンダレフは自身の作品、とりわけ中編小説『大隊は砲火を求める』(Батальоны просят огня)を利用した。セルゲイ・ニコネンコが演じるサーシカという人物も、この作品に由来する。
監督用脚本については、2人の作家がオゼロフと共同で作業した。オゼロフ自身もゲオルギー・ジューコフと面会しており、ジューコフは完成したばかりで、まだ出版されていなかった自身の回想録の第1部を監督に渡した[4]。
ジューコフの提案により、セルゲイ・シュテメンコが主任軍事顧問に任命された。当時のジューコフ自身は失脚状態にあったため、顧問を務めることができなかった。またジューコフは、自分自身の役を演じる俳優として、ヴァフタンゴフ劇場の舞台を通じて知っていたミハイル・ウリヤノフを推薦した[5]。
「将軍」と名付けられた人物として、かつてソ連軍中将であったアンドレイ・ウラソフが、ソ連映画のスクリーン上に初めて登場した。登場するのは一場面だけで、ザクセンハウゼン収容所において、スターリンの息子ヤーコフ・ジュガシヴィリと会話する場面である。
映画の撮影には、キエフ戦車学校およびハリコフ戦車学校、ならびにキエフ軍管区の保管基地にあったT-34-85が使用された[6]。また、リヴォフ戦車修理工場では、T-44Mがドイツ軍のティーガーに見えるよう改造された[7]。
シリーズ第1作『クルスク大戦車戦』は、1968年までに完成した。
作品は、グレチコ国防相とエピシェフ軍政治総局長に試写された。その結果、1年半の間に4回も作品を作り直さなければならなかった[5]。
ベルリン攻略の場面はベルリン現地で撮影された。1968年当時、ベルリンではフィッシャーインゼル島地区の再開発が始まっていた。動物園への攻撃の場面は、ベルリンのフリードリヒスフェルデ動物園で撮影された。ライヒスタークへの攻撃の場面は、複数の場所で撮影された。東ベルリンには半壊した大聖堂があり、そのドーム、正面外観、そして正面大階段がライヒスタークに似ていたため、撮影に利用された[8]。
ベルリン地下鉄の浸水を描いたエピソードは、実際の出来事に基づいている部分は一部にすぎず、むしろソ連のプロパガンダによって広められた解釈に大きく基づいたものであった[9][10]。
ムッソリーニが登場する場面は、実際にローマで撮影された。
個々の場面の撮影には、3,000人の兵士が参加した[5]。
映画史家ラルス・カールは、この企画の制作費を4,000万米ドルと見積もっている[11]。
その他
[編集]第一部「クルスク大戦車戦」では多数の戦車(実物のT-34やIS-2のほかT-44改造のティーガー戦車等)が登場し、戦車登場台数は全映画で最も多い。
作中ではソ連人はロシア語を、ドイツ人はドイツ語を、というようにそれぞれ個別の母国語を喋っており、アメリカの映画でよくあるように「アメリカ人もドイツ人も同じように英語を喋っている」というような作りにはなっていないが、本国公開版ではロシア語以外の台詞にはロシア語による同時通訳的な吹き替えが行われている。日本で市販されていたDVDでは、ドイツ語や英語などのロシア語以外のシーンでも、ロシア語の吹き替え音声がそのまま収録されている。
日本での初公開の際は第一部・第二部がまとめて上映された。
1979年の松竹映画『復讐するは我にあり』の劇中に、第三部「大包囲撃滅作戦」のオープニングが現れる。1973年の日活映画『戦争と人間 第3部・完結編』の劇中、ノモンハン事変のシーンには当作のフィルムが流用されており、第一部 「クルスク大戦車戦」他の戦闘シーンが使われている。
1977年6月5日、7月3日、8月7日に『日曜洋画劇場』で三部に分けてテレビ放送された。また、長らくセルソフトは絶版であったが、2014年にテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」とのコラボレーション企画として、HDリマスター版がリリースされた[12]。
脚注
[編集]- ↑ Букин Алексей (2005年6月). “Кинолетопись Великой войны”. Петровские Ведомости. 2012年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月19日閲覧。
- ↑ “水先案内人植草 信和がセレクト いま、最高の一本 1941 モスクワ攻防戦80年目の真実”. ぴあ. 2024年9月29日閲覧。
- ↑ Суменов Н. М., Сулькин О. М. Юрий Озеров. — М: Искусство, 1986. — С. 8—13, 26, 97. — 239 с.
- ↑ Альперина Сусанна (2022年5月5日). “Фильм «Освобождение: Последний штурм» выходит в 103 кинотеатрах РФ”. Российская газета. 2022年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月1日閲覧。
- 1 2 3 Матизен Виктор (2001年10月16日). “Человек, который дважды брал Европу”. Фильм.ру. 2012年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年7月1日閲覧。
- ↑ “Армия и киноэпопея «Освобождение»”. Warspot (2025年1月13日). 2025年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月12日閲覧。
- ↑ Template:Lj user. “Тигр-44”. Живой Журнал. 2026年7月1日閲覧。
- ↑ “Берлин. По следам киноэпопеи «Освобождение». Фильмы: «Битва за Берлин» и «Последний штурм»”. Direkt aus Berlin - Прямо из Берлина - Direct from Berlin (2012年11月1日). 2025年5月12日閲覧。
- ↑ Баженов Николай. Тайны Берлинской операцииロシア語. — М.: АСТ, 2010. — 832 с. — (Неизвестные войны). — 3,000 экз. — ISBN 978-5-17-057064-5. — ISBN 978-5-271-28769-5. — ISBN 978-5-4215-0995-0.
- ↑ Никифоров Николай. Штурмовые бригады Красной Армии в бою. — М.: Эксмо, 2008. — С. 65. — 416 с. — (Великая Отечественная: Цена Победы). — 6,100 экз. — ISBN 978-5-699-25628-0.
- ↑ “Die Schlacht um Berlin im sowjetischen Monumentalepos Befreiung”. Zeitgeschichte Online (2005年5月). 2011年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月25日閲覧。
- ↑ “ヨーロッパの解放×ガールズ&パンツァー コラボレーションHDリマスターDVDパック(5枚組)”. Amazon.co.jp. 2024年9月29日閲覧。