ヤユク・バスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤユク・バスキ
Yayuk Basuki
基本情報
愛称 ナニー (Nany)
国籍 インドネシアの旗 インドネシア
出身地 同・ジョグジャカルタ
生年月日 (1970-11-30) 1970年11月30日(53歳)
身長 164cm
体重 56kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1990年
引退年 2004年
(2008年-2012年復帰)
ツアー通算 15勝
シングルス 6勝
ダブルス 9勝
生涯通算成績 616勝377敗
シングルス 238勝171敗
ダブルス 378勝206敗
生涯獲得賞金 $1,665,152
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(1998)
全仏 3回戦(1996)
全英 ベスト8(1997)
全米 2回戦(1991・97)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1996・99)
全仏 ベスト8(1997)
全英 ベスト8(1996)
全米 ベスト4(1993)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 19位(1997年10月16日)
ダブルス 9位(1998年7月6日)

ヤユク・バスキYayuk Basuki, 1970年11月30日 - )は、インドネシアジョグジャカルタ出身の元女子プロテニス選手。芝生コートを最も得意とし、1997年ウィンブルドンでベスト8に進出した。WTAツアーでシングルス6勝、ダブルス9勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス19位、ダブルス9位。身長164cm、体重56kg、右利き。

来歴[編集]

7歳からテニスを始め、1990年10月にプロ入り。1991年タイパタヤ市の「ボルボ女子オープン」決勝戦にて、日本の沢松奈生子を 6-2, 6-2 で破ってツアー初優勝を果たし、インドネシアのテニス選手として史上初のプロツアー優勝を飾った。同年の全仏オープン4大大会にデビューし、全仏では1回戦で敗退したが、ウィンブルドン3回戦で第1シードのシュテフィ・グラフに挑戦した。

1992年4月、マレーシアクアラルンプールの大会でツアー2勝目を達成。この年のバスキは国際舞台でも好成績が多く、全豪オープン3回戦でモニカ・セレシュに挑戦し、ウィンブルドンでは前年を上回る4回戦でマルチナ・ナブラチロワと対戦した。同年のバルセロナ五輪でも活躍し、女子シングルス2回戦でフランス代表のマリー・ピエルスを 0-6, 6-3, 10-8 で破った後、3回戦で当時16歳のジェニファー・カプリアティに 3-6, 4-6 で敗れている。1992年から1995年まで、バスキはウィンブルドン選手権で「4年連続」4回戦に進出した。バスキはダブルスでも宮城ナナとペアを組むことが多く、この組み合わせで1993年全米オープン女子ダブルスベスト4に入った。

1994年にバスキは自身のコーチであるハリー・スハルヤディインドネシア語版と結婚した。

1997年、バスキはついに最も得意なウィンブルドンで自己最高のベスト8進出を果たす。この大会では1回戦で杉山愛、3回戦で雉子牟田直子に勝ち、2人の日本人選手を破って勝ち進んだ。初めての準々決勝で、バスキはヤナ・ノボトナに 3-6, 3-6 で敗れた。1998年全豪オープンでは、バスキは4回戦でマルチナ・ヒンギスから1ゲームも奪えずに 0-6, 0-6 で敗れている。1999年全豪オープンで1回戦敗退に終わった後、バスキは出産のため1年余り試合から遠ざかる。9月23日の出産後、バスキは2000年3月にツアーへ復帰し、この年もウィンブルドンで3回戦に進出した。2001年以後はシングルスから遠ざかり、ダブルスに出場試合を絞ったが、2004年1月にインドハイデラバード・オープンの女子ダブルス出場を最後に33歳で現役を引退した。

その後バスキは2008年にダブルスで現役復帰した。2010年全豪オープンでは同じ年のクルム伊達公子とペアを組み主催者推薦で女子ダブルスに出場した。1回戦でサニア・ミルザ&ビルヒニア・ルアノ・パスクアル組に 4-6, 2-6 で敗れている。2012年3月まで下部ツアーであるサーキット大会を中心に出場した。

WTAツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 8回 (6勝2敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–2)
ティア IV & V (6–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1991年4月21日 タイ王国の旗 パタヤ ハード 日本の旗 沢松奈生子 6-2, 6-2
優勝 2. 1992年4月26日 マレーシアの旗 クアラルンプール ハード チェコスロバキアの旗 アンドレア・ストルナドバ 6-3, 6-0
優勝 3. 1993年4月18日 タイ王国の旗 パタヤ ハード アメリカ合衆国の旗 マリアン・ワーデル 6-3, 6-1
優勝 4. 1993年5月2日 インドネシアの旗 ジャカルタ ハード アメリカ合衆国の旗 アン・グロスマン 6-4, 6-4
優勝 5. 1994年2月20日 中華人民共和国の旗 北京 ハード (室内) 日本の旗 長塚京子 6-4, 6-2
優勝 6. 1994年5月1日 インドネシアの旗 ジャカルタ ハード アルゼンチンの旗 フロレンシア・ラバト 6-4, 3-6, 7-6
準優勝 1. 1996年4月14日 インドネシアの旗 ジャカルタ ハード アメリカ合衆国の旗 リンダ・ワイルド 不戦敗
準優勝 2. 1997年6月16日 イギリスの旗 バーミンガム フランスの旗 ナタリー・トージア 6-2, 2-6, 2-6

ダブルス: 17回 (9勝8敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1991年11月10日 アメリカ合衆国の旗 ナッシュビル ハード
(室内)
オランダの旗 カロリネ・ビス アメリカ合衆国の旗 サンディ・コリンズ
南アフリカの旗 エルナ・ライナッハ
7-5, 4-6, 6-7
準優勝 2. 1992年9月27日 日本の旗 東京 ハード 日本の旗 宮城ナナ アメリカ合衆国の旗 メアリー・ジョー・フェルナンデス
アメリカ合衆国の旗 ロビン・ホワイト
4-6, 4-6
優勝 1. 1993年10月3日 日本の旗 札幌 カーペット (室内) 日本の旗 宮城ナナ 日本の旗 神尾米
日本の旗 雉子牟田直子
6-4, 6-2
優勝 2. 1993年10月10日 チャイニーズタイペイの旗 台北 ハード 日本の旗 宮城ナナ オーストラリアの旗 ジョー=アン・ファウル
オーストラリアの旗 クリスティン・カンス
6-4, 6-2
準優勝 3. 1994年4月10日 日本の旗 東京 ハード 日本の旗 宮城ナナ 日本の旗 道城まみ
日本の旗 杉山愛
4-6, 1-6
準優勝 4. 1994年4月17日 タイ王国の旗 パタヤ ハード 日本の旗 宮城ナナ アメリカ合衆国の旗 パティ・フェンディック
アメリカ合衆国の旗 メレディス・マグラス
6-7, 6-3, 3-6
優勝 3. 1994年11月13日 インドネシアの旗 スラバヤ ハード インドネシアの旗 ロマーナ・テジャクスマ 日本の旗 長塚京子
日本の旗 杉山愛
不戦勝
優勝 4. 1996年1月14日 オーストラリアの旗 ホバート ハード 日本の旗 長塚京子 オーストラリアの旗 ケリー=アン・グース
大韓民国の旗 朴晟希
7-6, 6-3
優勝 5. 1996年5月25日 フランスの旗 ストラスブール クレー オーストラリアの旗 ニコル・プロビス アメリカ合衆国の旗 マリアン・ワーデル=ウィットマイヤー
アメリカ合衆国の旗 タミー・ウィットリンガー=ジョーンズ
5-7, 6-4, 6-4
優勝 6. 1997年8月10日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード オランダの旗 カロリネ・ビス ラトビアの旗 ラリサ・ネーランド
チェコの旗 ヘレナ・スコバ
7-6, 6-3
優勝 7. 1997年8月17日 カナダの旗 トロント ハード オランダの旗 カロリネ・ビス アメリカ合衆国の旗 ニコル・アレント
オランダの旗 マノン・ボーラグラフ
3-6, 7-5, 6-4
準優勝 5. 1997年9月28日 ドイツの旗 ライプツィヒ カーペット (室内) チェコの旗 ヘレナ・スコバ スイスの旗 マルチナ・ヒンギス
チェコの旗 ヤナ・ノボトナ
2-6, 2-6
準優勝 6. 1997年11月2日 ロシアの旗 モスクワ カーペット (室内) オランダの旗 カロリネ・ビス スペインの旗 アランチャ・サンチェス・ビカリオ
ベラルーシの旗 ナターシャ・ズベレワ
3-5, 途中棄権
準優勝 7. 1998年5月24日 フランスの旗 ストラスブール クレー オランダの旗 カロリネ・ビス フランスの旗 アレクサンドラ・フセ
フランスの旗 ナタリー・トージア
4-6, 3-6
準優勝 8. 1998年8月23日 カナダの旗 モントリオール ハード オランダの旗 カロリネ・ビス スイスの旗 マルチナ・ヒンギス
チェコの旗 ヤナ・ノボトナ
3-6, 4-6
優勝 8. 2000年11月19日 タイ王国の旗 パタヤ ハード オランダの旗 カロリネ・ビス スロベニアの旗 ティナ・クリザン
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
6-3, 6-3
優勝 9. 2001年2月24日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード オランダの旗 カロリネ・ビス スウェーデンの旗 アサ・カールソン
スロバキアの旗 カリナ・ハブスドバ
6-0, 4-6, 6-2

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 通算成績
全豪オープン A A 3R 1R 2R 3R 1R 2R 4R 1R A 9-8
全仏オープン LQ 1R A 2R A 1R 3R 2R 1R A A 4-6
ウィンブルドン LQ 3R 4R 4R 4R 4R 1R QF 3R A 3R 22-9
全米オープン A 2R 1R 1R 1R 1R 1R 2R 1R A A 2-8

外部リンク[編集]