出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ミリアム・オレマンス Miriam Oremans |
 |
|
---|
 ミリアム・オレマンス |
基本情報 |
---|
国籍 |
オランダ |
---|
出身地 |
同・北ブラバント州 |
---|
生年月日 |
(1972-09-09) 1972年9月9日(52歳) |
---|
身長 |
169cm |
---|
体重 |
65kg |
---|
利き手 |
右 |
---|
バックハンド |
片手打ち |
---|
ツアー経歴 |
---|
デビュー年 |
1989年 |
---|
引退年 |
2002年 |
---|
ツアー通算 |
3勝 |
---|
シングルス |
0勝 |
---|
ダブルス |
3勝 |
---|
生涯通算成績 |
481勝451敗 |
---|
シングルス |
289勝256敗 |
---|
ダブルス |
192勝195敗 |
---|
生涯獲得賞金 |
$1,648,499 |
---|
4大大会最高成績・シングルス |
---|
全豪 |
3回戦(1993・2000) |
---|
全仏 |
3回戦(1994・96) |
---|
全英 |
4回戦(1993・98) |
---|
全米 |
3回戦(1997) |
---|
4大大会最高成績・ダブルス |
---|
全豪 |
3回戦(1998・99・2001・02) |
---|
全仏 |
2回戦(1992-94・98・2002) |
---|
全英 |
ベスト4(1997) |
---|
全米 |
2回戦(1992-94・96・2002) |
---|
4大大会最高成績・混合ダブルス |
---|
全豪 |
ベスト8(1999) |
---|
全仏 |
ベスト8(1997) |
---|
全英 |
準優勝(1992) |
---|
全米 |
2回戦(1995) |
---|
キャリア自己最高ランキング |
---|
シングルス |
25位(1993年7月26日) |
---|
ダブルス |
19位(1997年7月7日) |
---|
獲得メダル |
---|
|
|
ミリアム・オレマンス(Miriam Oremans, 1972年9月9日 - )は、オランダ・北ブラバント州出身の元女子プロテニス選手。シドニー五輪の女子ダブルスで銀メダルを獲得した選手である。1992年のウィンブルドン混合ダブルス部門で、同じオランダのヤッコ・エルティンとペアを組んだ準優勝もある。キャリアを通じてウィンブルドン選手権を最も得意にした。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで3勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス25位、ダブルス19位。
1989年にプロ入り。1990年の全米オープンで予選3試合を勝ち上がり、本戦デビューを果たす。1992年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのオランダ代表選手となり、現役引退する2003年までフェド杯代表の座を維持した。この年、オレマンスはウィンブルドンの混合ダブルスで活躍した。オランダの先輩選手ヤッコ・エルティンとペアを組んだオレマンスは、決勝でシリル・スーク(チェコ)&ラリサ・ネーランド(ラトビア)組に 6-7, 2-6 で敗れて準優勝になった。ウィンブルドンの女子ダブルスでも、1997年にサビーネ・アペルマンス(ベルギー)と組んで準決勝に進出している。
オレマンスは4大大会のシングルスでも、ウィンブルドンで好成績を出し、1993年と1998年の2度4回戦に進出した。1993年の4回戦では、この大会の準優勝者になったヤナ・ノボトナに 5-7, 6-4, 4-6 のフルセットで惜敗している。1994年は全仏オープン1回戦で、この年限りでのシングルス引退を表明していた37歳のマルチナ・ナブラチロワを破る活躍があった。1998年ウィンブルドンでは、オレマンスは5年ぶり2度目の4回戦でナターシャ・ズベレワに敗れている。ウィンブルドン以外の4大大会では、いずれも3回戦進出が自己最高成績であった。
シドニー五輪が開かれた2000年、オレマンスは年頭の全豪オープンで7年ぶり2度目の3回戦に進出し、第4シードのマリー・ピエルスに敗れた。オリンピックでは、シングルスは2回戦でモニカ・セレシュに敗れたが、クリスティ・ボーグルトとペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出する。2人は準決勝でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を破ったが、決勝ではビーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹組に 1-6, 1-6 で完敗した。オレマンスとボーグルトはオリンピックのオランダ代表選手として、史上初めてのテニス銀メダルを獲得したことになる。
ミリアム・オレマンスは2002年のシーズンを最後に、女子テニスツアーから引退した。最後の年も、ウィンブルドンではエレニ・ダニリドゥ(ギリシャ)との3回戦まで勝ち進んでいる。2002年全米オープンが、オレマンスの最後のツアー出場になった。シングルスでは1回戦でペトラ・マンデュラ(ハンガリー)に敗れ、一緒に五輪銀メダルを獲得したクリスティ・ボーグルトとのダブルスでは2回戦で敗退した。フェドカップには2003年4月まで出場を続け、オランダのフェド杯代表選手として最長記録となる「12年連続出場」の偉業を残した。
大会グレード
|
グランドスラム (0–0)
|
ティア I (0–0)
|
ティア II (0–1)
|
ティア III (0–3)
|
ティア IV & V (0–1)
|
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
|
1992年2月16日
|
リンツ
|
カーペット (室内)
|
モニク・キエネ
|
クラウディア・ポーヴィック ラファエラ・レジ
|
6-4, 6-2
|
準優勝
|
1.
|
1995年5月28日
|
ストラスブール
|
クレー
|
サビーネ・アペルマンス
|
リンゼイ・ダベンポート メアリー・ジョー・フェルナンデス
|
2-6, 3-6
|
準優勝
|
2.
|
1996年5月25日
|
マドリード
|
クレー
|
サビーネ・アペルマンス
|
ヤナ・ノボトナ アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
6-7, 2-6
|
準優勝
|
3.
|
1996年10月6日
|
ライプツィヒ
|
カーペット (室内)
|
サビーネ・アペルマンス
|
クリスティ・ボーグルト ナタリー・トージア
|
4-6, 4-6
|
準優勝
|
4.
|
1997年3月29日
|
マイアミ
|
ハード
|
サビーネ・アペルマンス
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ ナターシャ・ズベレワ
|
2-6, 3-6
|
優勝
|
2.
|
1998年2月15日
|
パリ
|
カーペット (室内)
|
サビーネ・アペルマンス
|
アンナ・クルニコワ
ラリサ・ネーランド
|
1–6, 6–3, 7–6
|
優勝
|
3.
|
1998年6月21日
|
ロスマーレン
|
芝
|
サビーネ・アペルマンス
|
カタリナ・クリステア
エヴァ・メリチャロバ
|
6–7, 7–6, 7–6
|
準優勝
|
5.
|
2000年9月28日
|
シドニー五輪
|
ハード
|
クリスティ・ボーグルト
|
ビーナス・ウィリアムズ セリーナ・ウィリアムズ
|
1–6, 1–6
|
準優勝
|
6.
|
2001年2月18日
|
ドーハ
|
ハード
|
クリスティ・ボーグルト
|
サンドリーヌ・テスチュ ロベルタ・ビンチ
|
5–7, 6–7(4)
|
準優勝
|
7.
|
2001年5月20日
|
アントワープ
|
クレー
|
クリスティ・ボーグルト
|
エルス・カレンズ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
|
3–6, 6–3, 4–6
|
準優勝
|
8.
|
2001年6月18日
|
スヘルトーヘンボス
|
芝
|
キム・クライシュテルス
|
ルクサンドラ・ドラゴミル
ナディア・ペトロワ
|
6-7(5), 7-6(5), 4-6
|
準優勝
|
9.
|
2002年1月6日
|
ゴールドコースト
|
ハード
|
アサ・スベンソン
|
メガン・ショーネシー ジュスティーヌ・エナン
|
1-6, 6-7(6)
|
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.