ミハイル・フラトコフ
ミハイル・フラトコフ Михаил Фрадков | |
---|---|
![]() | |
生年月日 | 1950年9月1日(68歳) |
出生地 |
![]() ![]() |
出身校 | モスクワ工作機械大学 |
所属政党 | 無所属 |
配偶者 | エレーナ・フラトコワ |
![]() | |
在任期間 | 2007年10月6日 - 2016年10月5日 |
元首 |
ウラジーミル・プーチン ドミートリー・メドヴェージェフ |
![]() | |
在任期間 | 2004年3月5日 - 2007年9月14日 |
元首 | ウラジーミル・プーチン |
ミハイール・エフィーモヴィチ・フラトコーフ(ロシア語: Михаи́л Ефи́мович Фрадко́в、ラテン文字転写の例:Mikhaíl (Y)efímovich Fradkóv、1950年9月1日 - )は、ロシアの政治家。第7代ロシア連邦首相。予備役大佐。ロシア対外情報庁長官。
経歴[編集]
クイビシェフ州クルーモチ村(Krúmoč)にて、ユダヤ系の父エフィム・フラトコフ(ロシア語: Ефи́м Бори́сович Фрадко́в, 1921, スモレンスク県ポリェーチイェ (ベラルーシ語: Парэ́чча, ポーランド語: Porzecze); ベン=イェフダの生地ルシュキの隣村 – 1990))と、ロシア人の母の間に生まれる[1][2]。
1972年にモスクワ工作機械大学を卒業後、1973年に対外経済関係省に入省。インドのソビエト連邦大使館の経済部門で勤務し、1981年には対外貿易アカデミーを修了した。1975年から1984年にかけて、ソ連国家経済関係委員会の対外貿易公団「チャジュプロムエクスポルト」に勤務。続いて1984年、国家経済関係委員会納入総局副総局長に就任。その後1988年、ソ連対外経済関係省対外経済取引調整・規制総局第一副総局長に就任した。1991年にはジュネーヴに派遣され、GATTのロシア代表となった。ソ連崩壊後の1992年10月、対外経済関係次官に昇進し、1年後の1993年10月には第一次官に任命された。
1997年に大統領のボリス・エリツィン(当時)によって対外経済関係・通商相に任命され、1年後の内閣総辞職まで閣僚を務めた。1999年には再び通商相に起用される。2000年5月に第2代ロシア大統領となったウラジーミル・プーチンの元で安全保障会議第一副書記に就任し、その後、連邦税務警察庁(FSNP)長官に任命された。2003年にはロシアの欧州連合担当特使に派遣される。
2004年3月5日、プーチンによって首相に任命され、第1次・第2次フラトコフ内閣を組閣。元経済官僚のフラトコフは対外貿易問題を専門とし、フラトコフ内閣のもとではロシア経済の好調維持と国際経済への参加推進が期待された。一方、プーチン政権を支える旧KGB人脈の外にあり、政治的にも比較的無名なフラトコフが大統領選挙を2週間前に控えた時期に首相に抜擢されたことは驚きをもって受け取られ、彼がソ連時代にKGBと繋がりがあったとする説も流れた。
2007年2月27日から28日にかけて、産業エネルギー大臣ヴィクトル・フリステンコら閣僚、企業家などを伴って日本を訪問。第2回日露投資フォーラムに出席したほか、安倍晋三、麻生太郎、尾身幸次、甘利明らと会談した。領土問題解決の重要性やサハリン沖の海底油田開発プロジェクトの円滑な実施を確認した。
同年9月12日、フラトコフはプーチンに辞意を表明。プーチンはフラトコフの後任としてヴィクトル・ズプコフを容認した[3]。プーチンはフラトコフに賞を授与し、下院議会(ドゥーマ)にて、後任が確定するまではフラトコフに首相のままでいるよう伝えた[4]。9月14日、ズブコフが承認された[5]。
同年10月6日、プーチンはフラトコフをロシア対外情報庁(SVR)の長官に指名する[6][7]。
2016年9月22日、プーチン大統領は対外情報庁長官をフラトコフからセルゲイ・ナルイシキン下院議長に交代させ、フラトコフにはロシア鉄道取締役会議長(会長)に就任させるつもりであったが、このことは実行されないまま、2016年10月5日対外情報庁長官と安全保障会議メンバーを解任された[8][9]。2016年11月2日付のロシア大統領令により、2017年1月4日から連邦国家科学予算機関「ロシア戦略研究研究所」所長に就任した[10]。また、フラトコフは、ロシア対空防衛システム製造企業「アルマズ=アンテイ」社の代表取締役を打診された[11]。
私生活[編集]
英語とスペイン語を話す。妻エレーナとの間に2人の子供がいる。
脚注[編集]
- ^ ru:Фрадков, Ефим Борисович#Семья, Фрадко́вを参照
- ^ C. Lev Krichevsky, "Russian Jew named prime minister brings out Jewish pride — and anxiety" Archived 2007年2月16日, at the Wayback Machine., JTA, March 2, 2004.
- ^ Nabi Abdullaev, "Fradkov Quits, Replacement a Surprise", The Moscow Times, Issue 3742, September 13, 2007, Page 1.
- ^ C. J. Chivers, "Putin Shuffles Government, Posing Mystery", The New York Times, September 13, 2007.
- ^ Michael Binyon, "Viktor Zubkov confirmed as Russian PM", The Times (UK), September 14, 2007.
- ^ "Russian Foreign Intelligence"
- ^ フラトコフの対外情報庁長官任命は事実上の左遷という見方と、外交官の佐藤優のように、かつてフラトコフをポスト・プーチンの一番手だという説を唱えていたことがあり、左遷ではなく栄転であると観測する二つの見方がある。
- ^ http://www.kremlin.ru/events/president/news/52949
- ^ Официальное опубликование правовых актов в электронном виде
- ^ http://www.kremlin.ru/events/president/news/53190
- ^ Фрадков возглавит совет директоров «Алмаз-Антей» и РИСИ — Российская газета
|
|
|