ヴィクトル・ズプコフ

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ヴィクトル・ズプコフ
Виктор Зубков
Viktor Zoebkov.jpg
ヴィクトル・ズプコフ(2011年)
生年月日 (1941-09-14) 1941年9月14日(77歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
Flag of the Russian Soviet Federative Socialist Republic (1937–1954).svg ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国スヴェルドロフスク州
出身校 レニングラード農業大学経済学部
所属政党 無所属

在任期間 2007年9月14日 - 2008年5月7日
元首 ウラジーミル・プーチン
在任期間 2012年5月7日 - 2012年5月8日(代行)
元首 ウラジーミル・プーチン

在任期間 2008年5月12日 - 2012年5月21日
元首 ドミートリー・メドヴェージェフ
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ヴィクトル・アレクセーエヴィチ・ズプコフロシア語: Виктор Алексеевич Зубков、ラテン文字表記の例:Viktor Alekseevich Zubkov1941年9月15日- )は、ロシア官僚政治家。同国首相(第8代)、第一副首相を歴任。ガスプロム取締役会議長(会長)。元金融監督庁長官。娘は、ロシア第5代国防大臣であるアナトーリー・セルジュコフと結婚した[1]

2006年に行われた政治を専門とした調査で、ズプコフはロシアで影響力を持つ政治家として84番目に位置付けられた[2]

経歴[編集]

ソビエト連邦時代のスヴェルドロフスク州に生まれる。1965年にレニングラード農業大学経済学部を卒業する。1966年徴兵されて兵役に就いたのち、1967年から1985年までレニングラード州コルホーズ(集団農場)で働く。この間にソ連共産党に入党し、1985年にはレニングラード州の共産党機関で勤務し、いくつかの指導的なポストに就いた。1989年、レニングラード州共産党執行委員会第一副議長に選出されるが、1991年ソ連8月クーデターにより共産党は活動を停止させられた。

1992年1月から1993年11月にかけて、サンクトペテルブルク市対外関係委員会第一副議長を務めた。同委員会議長はウラジーミル・プーチンであった。1993年11月3日から1998年11月30日まで、サンクトペテルブルク国税検査部部長と同時にサンクトペテルブルク国税監査委員会副議長を兼務した。1998年12月、エフゲニー・プリマコフ内閣で国税庁が税務省に再編され、ズプコフのポストは廃止されたが、間もなく税務省サンクトペテルブルク税務部長に任命された。1999年7月23日北西連邦管区担当税務次官に就任、さらに幾日も経たずサンクトペテルブルク及びレニングラード州税務部長となった。

その後、レニングラード州知事選挙に出馬し、1999年8月12日に候補者として登録された。選挙戦では与党「統一」のボリス・グルイズロフ党首(後に内相下院議長、統一ロシア党首)の支持を得たが、9月19日、対立候補のヴァレリー・セルジュコフValery Serdyukov)に敗北した。

2001年11月5日に税務省の職責を解任されると、今度は財務第一次官兼金融監督委員会議長に任命され、マネー・ロンダリング対策に当たった。2004年3月16日に首相のミハイル・カシヤノフが解任されると、金融監督委員会は財務省の組織に格下げされ、連邦金融監督庁に再編されたが、ズプコフは次のミハイル・フラトコフ内閣にて、2007年9月12日まで金融監督庁長官に留まった。同日、ウラジーミル・プーチンは全閣僚を解任し、ズプコフはプーチンによってフラトコフの後任の首相に指名された[3][4]。ズプコフの首相への任命は、2007年9月14日の下院議会(ドゥーマ)にて、賛成多数で承認された[5]

2008年5月7日のプーチンの大統領退任に伴い、内閣は総辞職したが、5月12日に新たに首相となったプーチンによって第一副首相に任命された。2008年6月27日にはロシア国営エネルギー専売公社であるガスプロムの会長に指名され、第一副首相と兼任する。2012年5月7日にプーチン首相が大統領に再就任し首相職が空席となったことに伴い、後任のドミートリー・メドヴェージェフの首相就任が議会に承認されるまでの短期間、首相代行を務めた。

脚注[編集]

外部リンク[編集]

先代:
ミハイル・フラトコフ
ロシア連邦首相
2007年 - 2008年
次代:
ウラジーミル・プーチン