ピーター・ヒッチェンズ

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ピーター・ヒッチェンズ
ピーター・ヒッチェンズ
誕生 1951年10月28日 (70歳)
イギリス領マルタ
(現マルタ共和国)
職業 ジャーナリスト 作家
国籍 イギリス
最終学歴 ヨーク大学 
文学活動 伝統保守主義
代表作 The Abolition of Britain
The Rage Against God
親族 クリストファー・ヒッチェンズ (兄)
公式サイト hitchensblog.mailonsunday.co.uk
ウィキポータル 文学
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ピーター・ヒッチェンズ1951年10月28日 - )は、イギリス作家評論家ジャーナリストモスクワワシントン特派員を過去に務め、現在は主に The Mail on Sundayコラムを担当している。 クリストファー・ヒッチェンズの弟。

自らバーク派保守主義[1]を公言しており、現代のイギリスの社会、政治、外交を批判し、道徳観と自由の損失に警鐘をならす。

経歴[編集]

幼少期[編集]

ピーター・ヒッチェンズは1951年に海軍士官の父が当時駐在していた英国領マルタ英語版で生まれる[2]。転勤族の父の都合のため、デヴォンチチェスターケンブリッジオックスフォードにある様々な学校に通った[3]。典型的なイギリス紳士に育てたかった両親の意向に反して、思春期の彼は壮絶な反抗期に突入することになった。不良になりきり、社会と両親の束縛を断ち切ろうと、彼は車椅子に乗っている同級生に罵声を浴びせるなど過激な言動を始め、高齢者への冒涜や、法までも破ってしまう。麻薬保持、傷害未遂、暴動などの罪で警察に度々連行された。[4]

”思春期真っ只中の青少年を本当に気の毒に思う。なりたい理想の自分とは程遠く、その理想に近づくこともできなく、何もかも理解できず、思春期が終わるまで理解できる技量がない。 また、もっとも悲惨な事は抑制すべき欲求を自由気ままに求めえることだ。だから現代の青少年は昔の青少年よりもっと惨めだ。誰も“止めろ”とはもう言わない。”[5]

問題児でありながら、ヒッチェンズはオックスフォード大学付属の高校を卒業して、ヨーク大学に入学する。専攻科目は哲学政治学であった。 大学時代に極左思想に染り、1969年から1975年までトロツキストの国際組織の会員だった。1973年に卒業。

1977年にイギリス労働党に入党したが、Daily Express で政治記者に就任した事と左翼運動に嫌気が差した事をきっかけに1983年に脱党した[6] 。心変わりして1997年に保守党に入党したが、党が自身の保守思想からかけ離れている事に失望して、2003年にまた脱党した。

ジャーナリズム[編集]

ヒッチェンズは1977年から2000年までDaily Expressで働いた[6] 。最初は教育、産業、労働問題に特化した記者であったが、後に政治記者、最終的に政治部門の編集者に成り上がった。1990年代初頭から世界各国に国際ジャーナリストとして向かい、左翼政府と神無き国を取材するにつれて自らの保守思想を固めた。共産主義の衰退と崩壊を報道するために崩壊間近のソビエト連邦に駐在し、社会主義の悲惨な現実を目の当たりした。さらに南アフリカアパルトヘイトの終末、ソマリアの内戦などに取材した[7]

2000年に政治理念の違いと新聞社の売却を理由にDaily Expressを退任[8] 。 間もなくThe mail on Sundayに入社して、週刊のコラムウェブログを任され、国際事情をさらに活発に取材をするようになった。ロシア連邦、ウクライナ、ガザ地区イラク戦争、イラン、中国、北朝鮮等の現実を取材。他にThe SpectatorThe GuardianProspectThe New Statesmanで記事を書いたことがある。

他の活動[編集]

本を10冊出版。著名作はイギリスでの宗教の衰退を書いたThe Abolition of Britain と自身のキリスト教の再発見と無神論への批判のThe Rage Against God などがある。さらに BBCQuestion Timeにコメンテーターとしてテレビ出演、大学や集会で講演、ディベートに参加などを時折している。

 評価 [編集]

  • 2010年に政治部門でオーウェル賞英語版を受賞した[9]
  • エコノミスト紙に”力強さ、固い信念、弁舌性と勇気を具えたジャーナリスト”、と絶賛された。
  • テレグラフ紙のウェスト記者に、”優しく愛深い預言者を彷彿させる男だが、今の社会から認められることはないだろう”と評された。
  • 保守党のベルクウ議員にブログが”捻くれた、性差別と同性愛差別の巣窟”、と酷評された[10]
  • コメディアンラッセル・ブランドに現状の批判をするが、提案を全くしないことを指摘された。[11]

 思想 [編集]

宗教[編集]

イギリス国教会の信者。兄のクリストファーと同じく思春期から無神論に傾いていたが、30歳代にキリスト教回心した。回心に至った理由は敵意を感じていた教会が閑やかに見えるようになり、キリスト教徒の穏やかな性格に感銘を受けたこと、そして最後の審判 (ファン・デル・ウェイデンの絵画)を肉眼で見て退廃的な自分の人生を振り返り、神の裁きを恐れたためだった[12]

                                                                   主張[13] 
  • 1960年代から続く進歩主義によってキリスト教によって保たれていた共通の道徳観がなくなった。故に治安が年々悪くなっている。
  • 神がいると信じたほうが、社会と個人にとっても健康的である。神が空の上から全てを見ているので、罪を犯したら地獄に行き、善行を行ったら天国にいく。だが、神がいないとしたら欲求を抑えることも、親切さも不必要な冷たい社会になる。さらに、抑制が利かなくなり、国家と個人のエゴで戦争が押し通ってしまう。
  • キリスト教の伝統的な家族形成が社会的、経済的に望ましい。

政治[編集]

自分の政治思想について、”宗教と結びつきが少なからずある保守主義。宗教は保守主義に必要なわけではないが、無神論で保守になることは難しそうだし、なぜ保守になりたがるのか分からない。”理想の政治体制は立憲君主制であり、抑制のない民主主義は腐敗と暴虐に転じる傾向があると言った。

イギリス保守党を保守主義を気取る詐欺組織、と批難し、解体を呼びかけている[14]。根拠としては”進歩主義、平等教育と性解放”をモットーにしたNew Labourマニフェストを導入したこと、と常に保守思想に反する行動と言動を党が行うことなどを挙げている。[15]                                                                                       主張 

  • イギリスの政治家は常に国民に嘘をつき、国家を裏切ることしかしらない。民意を切り捨て、自らのエリート集団の利益のみ追及する偽善的なブルジョワジーである。
  • 今の保守党と労働党に実質の違いは無い。高校を始め大学も大体同じ(オックスブリッジ)エリート議員で占められており、両方とも同性愛婚リベラリズムを推し進 める急進派である。
  • 移民政策は権力者しか得をしない国民への背信行為だ。低賃金を提供する移民に職が大量に奪われ、夜に一人で歩けないほど治安が悪くなり、イギリス人のアイデンティティが失われている。
  • イギリス人と国家主権を守るためにヨーロッパ連合を脱退すべきである、
  • サッチャー政権の自由化政策が貧困と混乱を引き起こした。
  • "投票が義務だと思い込んでいるならイギリス独立党に投票したほうがいい。なぜなら、この党のみ国を生き返らす可能性があるからだ。"[16]

 社会[編集]

理性と法に治められた社会が自由の一番の保障に成りうる、と考えている。そのために死刑執行を認める強い司法機関[17]と麻薬への強い取り締まりを求める[18]。さらに、度が過ぎた監視国家にイギリスがなりつつある、と危惧している。

 世界情勢[編集]

国の主権が第一と考え、それを踏みにじろうとする国と組織を攻撃的と批判する。また、西側諸国の大義ない戦争や軍事行動に異議を唱える。                                                       主張

 クリストファー・ヒッチェンズ[編集]

ピーターの兄は著名作家で無神論者のクリストファー・ヒッチェンズであった。クリストファーによると、二人の主な違いは神の存在の有無だった[19] 。ピーターによると、”私達は別の人間であり、別の人生を生き、別の趣味嗜好を持ち、別の大陸に住んでいる。もし兄弟じゃなかったら知り合うことはなかっただろう。”[20] 幼少期から二人の仲はあまり良くなく、父親に平和条約も結ばされた。クリストファーがケンブリッジ寮制学校に通ってクリスマス休暇に家に帰ってきたときに、精神的にも距離的にもピーターは彼を”見失った”という。複雑な関係の一方、ピーターは”私に最も近い血縁で、私以上にクリストファーを知っている者はいないだろう”と語った。

2007年クリストファーが出版したGod is Not Greatに対して2009年にThe Rage Against Godを出版した。宗教と無神論の社会への影響を議論したことで、二作とも高い評価を得た。 2007年にBBCのQuestion Time、に兄弟揃ってパネル討論に出演。2008年にアメリカでイラク戦争と神の存在をディベート。そして2010年に文明における神の影響を議論した。

クリストファーが2011年に食道がんで亡くなった時に、ブログで兄のことを”勇敢な男”と評して、告別式ではフィリピの信徒への手紙の一行を読んだ。[21]

 脚注[編集]

  1. ^ Five Minutes With Peter Hitchens”. UK: The BBC (2012年8月10日). 2015年2月11日閲覧。
  2. ^ Hitchens, Peter (2010年7月19日). “The House I Grew Up In”. BBC Radio 4. 2015年2月11日閲覧。
  3. ^ Toffs at the top”. Press Gazette (2006年6月16日). 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月11日閲覧。
  4. ^ Hitchens, Peter (2011年12月16日). “How I found God and peace with my atheist brother: PETER HITCHENS traces his journey back to Christianity”. UK: Daily Mail. 2015年2月9日閲覧。
  5. ^ Cook, Tom (2012年10月23日). “The other Hitchens boy”. UK: NewStatesman. 2015年2月9日閲覧。
  6. ^ a b Silver, James (2005年11月14日). “Look forward in anger”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/media/2005/nov/14/mailonsunday.mondaymediasection 2015年2月11日閲覧。 
  7. ^ Hitchens, Peter (2010年3月15日). “In the Soviet suburbs of Hell and the blasted avenues of Mogadishu, I saw what our society could become”. The Mail on Sunday. http://hitchensblog.mailonsunday.co.uk/2010/03/in-the-soviet-suburbs-of-hell-and-the-blasted-avenues-of-mogadishu-i-saw-what-our-society-could-beco.html 2015年2月14日閲覧。 
  8. ^ Hodgson, Jessica (2000年12月7日). “Hitchens quits Express”. UK: The Guardian. 2015年2月12日閲覧。
  9. ^ Trilling, Daniel (2010年5月20日). “Peter Hitchens wins the Orwell Prize”. New Statesman. http://www.newstatesman.com/blogs/cultural-capital/2010/05/orwell-prize-hitchens 2015年2月14日閲覧。 
  10. ^ Question Time”. UK: The BBC (2011年6月9日). 2015年2月13日閲覧。
  11. ^ https://www.youtube.com/watch?v=YbVNZUHeg6o
  12. ^ Hitchens, Peter (2011年12月16日). “How I found God and peace with my atheist brother: PETER HITCHENS traces his journey back to Christianity”. UK: Daily Mail. 2015年2月9日閲覧。
  13. ^ Hitchens, Peter (2006年7月30日). “Mothers in pinnies, a price worth paying to save society”. The Mail on Sunday. http://www.dailymail.co.uk/debate/columnists/article-398280/Mothers-pinnies-price-worth-paying-save-society.html 2015年2月11日閲覧。 
  14. ^ Hitchens, Peter (2010年1月14日). “Manifestos, and replacing the Tories”. The Mail on Sunday (UK). http://hitchensblog.mailonsunday.co.uk/2010/01/manifestos-and-replacing-the-tories.html 2015年2月16日閲覧。 
  15. ^ Hitchens, Peter (2007年10月16日). “The Tories are still useless, and if you really want to get Labour out, you should not vote Tory”. The Mail on Sunday (UK). http://hitchensblog.mailonsunday.co.uk/2007/10/the-tories-are-.html 2015年2月11日閲覧。 
  16. ^ Hitchens, Peter. "It was soft policing that killed this boy, not being too tough". The Mail on Sunday. 3 March 2013. Retrieved 11 February 2015.
  17. ^ Amnesty TV: Peter Hitchens and the death penalty”. UK: The Guardian (2011年10月5日). 2015年2月15日閲覧。
  18. ^ Jack Staples-Butler 27 June 2013 (2013年6月27日). “The Yorker Meets... Peter Hitchen”. Theyorker.co.uk. 2015年2月15日閲覧。
  19. ^ Katz, Ian (2015年2月15日). “When Christopher met Peter”. The Guardian. http://books.guardian.co.uk/hay2005/story/0,15880,1495897,00.html 
  20. ^ Pool, Hannah (2009年5月14日). “Question time: Peter Hitchens on the trouble with modern politics, his move from left to right, and the enduring rivalry with his brother Christopher”. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/may/14/peter-hitchens-interview 2015年2月15日閲覧。 
  21. ^ Christopher Hitchens remembered at memorial service in NYC”. The Washington Post (2012年4月20日). 2015年2月15日閲覧。