ノート:死刑執行/過去ログ1

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記事名について[編集]

面白いんだけど、また意味のある記述だとは思うのだけど、記事名とあってませんね。「死刑執行」では一般的すぎるでしょう。またこの内容だけですと「死刑執行」がなぜ報道と関係を密にしているのか分かりません。

死刑という刑がどの様に進化して来たのかも、すっぽり抜けてますし、各国の死刑執行状況も書いてない。抽出された情報を並べると、まるで死刑反対論者のプロパガンダの様にも見えます。何故なら公正さに疑問があるからです。死刑執行されている国と、死刑執行されてない国との、社会状況の違いなどが明記されていません。死刑の効果も書いてません。民主主義との関連性も書かれてない。官僚との関わりだけしか書かれてない。何よりも時事的すぎます。

この内容でしたら項目名は「日本での死刑の取り扱い」の方が適しているでしょう。220.148.76.49 2006年12月29日 (金) 13:29 (UTC)

ご意見ありがとうございます。ただなにぶん今の段階ではスタブで、肉付けはこれからですし、ご指摘の内容の大部分は「関連項目」で参照できるのではないでしょうか。--fotosintesi 2006年12月29日 (金) 13:47 (UTC)

上の方がいみじくも指摘されています通り、この記事は死刑日本における死刑死刑存廃問題行刑密行主義との明確な重複記事(劣化コピー的記事)なため、それらとの統合を随時行っていくべきだと考えております。作成者に作業の中止を求めたのですが対話拒否に等しい態度をとっているため、賛同者を求めます。--Plisoner 2006年12月29日 (金) 13:50 (UTC)

なお、具体的な死刑執行方法については、既に刑罰の一覧が存在します。この項目に使い道があるとしたら、『死刑執行』というタイトルの作品の解説記事ぐらいでしょうね。現状では不要です。--Plisoner 2006年12月29日 (金) 13:52 (UTC)

fotosintesiさんが何を書きたいのかは何となく分かりますよ。おそらく法政、政治、報道、社会などを論評する観点から論じたいのでしょう。たぶん法令のスタブを付けるのは間違っています。法令の外にある、司法行政の権力と、それを取り巻く社会状況との、政治的な意味に置いての死刑について、書こうとしてるのでしょう。
死刑と執行には、権力の観点から見ますと違いがあります。「死刑制度」は立法であり、「死刑判決」は司法の管轄とも言えます。ですが「死刑執行」になりますと行政権力に移ります。もし「執行」ついて重点を置きたいのでしたら、関連項目が間違っているでしょう。警察権検察執行猶予起訴猶予裁量権公安超法規恩赦おめこぼし、など、法令の外側にある政治的事情と官僚行政権力をポイントにするのが適切ですね。
広い意味で類似のケースとしては、ライブドア、村上ファンドにおいての検察の動きが、それに当たるかも知れません。厳密な法規はなくとも、秩序の為には裁量権力を行使すると言う事です。あるいは、アメリカ合衆国で、アーノルド・シュワルツェネッガーが知事のカリフォルニア州での動きが、事例として相応しいかもしれません。死刑囚に対して恩赦請求が出され、市民的な運動も起きました。時に法令を超える動きを見せると言うのは観点としてはアリでしょう。その意味で報道の沈黙は、社会状況を表す重要な材料にはなります。
しかし、いくつか気になる点もあります。記事名と定義とカテゴリが、これで相応しいのか疑義があります。それと記者クラブによる、報道カルテルが敷かれている事を明記しないままですと、なぜ新聞の社説が取り扱わない事が要点となり得るのかが、予備知識のない方にはわかりません。基本的にこの記事はNPOVを探すのが難しい作業となると思われます。もしかしたら法社会学の分野かも知れませんね。220.148.76.49 2006年12月29日 (金) 15:28 (UTC)
論点を絞りましょう。今議論すべきは、ただでさえ死刑関係の項目が多すぎる傾向がある中で、なぜ「死刑執行」と言う項目を新設する必要があるのかどうかと言う点でしょう。fotosintesiさんは、その辺の理由を、他のユーザーも納得できるよう、説明するべきでしょう。今のところ既存の死刑関係記事との内容重複もあり、「死刑執行」という独立した項目を置いておく必要があるとは思えません。--Kogane 2006年12月31日 (日) 00:38 (UTC)
多すぎる事は問題ないと思いますけど、死刑と言うのはそれだけでも山の様に話題があります。そもそもKoganeさんのは論点になってません。「記事が多いなー」と「fotosintesiさんに説明して欲しい」という、感想と要求をしてるだけで、論点にする様なものではない。理由については私ので十分だと思いますけど、何か足りない点がありますか?
とは、言っても、この記事の内容だけでしたら「日本における死刑」に吸収しても大差ない気もします。ですが、フィリピンと韓国の事例が書いてあるので、単独の項目として残していいとする見方もできます。正直そこの所で悩んだんですが。220.148.91.14 2006年12月31日 (日) 07:32 (UTC)
ですから、その悩んでしまう部分を、ページを立ち上げた方に、説明してほしいんです。既存の死刑関連のページに吸収しても大差ないと思われる内容の項目を、どうしてわざわざ独立させる必要があるのかという点を。それと、死刑に関する「山の様な話題」を反映して、死刑関連の項目が多数あるならかまわないが、しかし現状は、Plisonerさんが指摘しているように、各項目の内容が重複して、なぜ別々の項目に分ける必要があるのか、理解できないような状態になっている。その点が問題なんです。--Kogane 2006年12月31日 (日) 08:59 (UTC)

ですから、それを立ち上げた人に要求する理由がありません。理由が汲み取れられれば、その時点で、目的は達成できたのではないですか?私には立ち上げた人に説明されないと理解できない、と言うのが理解できません。

簡潔に言えば「死刑と政治との関連性」です。これに類似した記事はない様ですよ。フセインが死刑になった事は延々と各社のメディアは報道したのに、12月25日に4人の死刑を執り行なった事は僅かしか報道しない。なのに海外のメディアは日本の4人の死刑執行をこぞって報道している。この状態と言うのはそれ自体が一つの事件とみても差し支えないでしょう。220.148.79.44 2007年1月4日 (木) 00:47 (UTC)

しかしあなた自身が、「(死刑執行を)「日本における死刑」に吸収しても大差ない気もします。(中略)フィリピンと韓国の事例が書いてあるので、単独の項目として残していいとする見方もでき正直そこの所で悩んだ」と述べ、二つの項目が、なぜ別々でなければならないのか、必ずしもわからないと、言っているではないですか。私も、類似した項目がありながら、さらに同じような項目を新設する理由がわからないから、ページを新設した本人にその理由を聞きたい。これは、正当かつ明確な理由でしょう。そもそも、死刑という共通のキーワードを巡って、似たような項目を乱立するよりも、1つの項目内に、死刑に関する各テーマ毎に相互の関連付けをし、章や節で分けてまとめたほうが、読者には利用しやすいと思いますが。--Kogane 2007年1月4日 (木) 13:02 (UTC)
記述内容の一部重複というのはWikipediaでもその他の百科事典でもしばしばみられることで、切り口が違えば、そういうことは問題になりません。例えば、ひとつの殺人事件に関しても、犯罪心理学的切り口、刑法学的切り口、ジャーナリズム論的切り口、社会心理学的切り口、法社会学的切り口、いくらでも切り口はあるわけです。これらをひとつの殺人事件で串刺しにする、それぞれの切り口でその殺人事件を含む多くの事件を串刺しにする、あるいはその両方をするといったことで、単一執筆者ではなく、多くの執筆者によって書かれた百科事典の複眼的本領が発揮されるわけです。
例えば、死刑をひとつにとっても、カテゴリー死刑には、もはや29の項目があり、それなりに広がりのある項目だということがわかります。関連書籍もさまざまな領域から出版されています。これを統一すれば、むしろ記述のごった煮状態になることを避けられないでしょう。WEB百科事典なのでリンクをクリックするだけで関連項目を参照することもできますので、付箋を挟んだりや指でページを押さえておく必要もありません。
表題タイトルをもう少し限定的なものにして、話題を絞るか、現状維持して話題を拡げるか、それは今後の編集の進行状況を見守ってからでも遅くはないと思うのですが。--fotosintesi 2007年1月4日 (木) 14:37 (UTC)
演説ご苦労様ですが、単にご自身の立てた質の悪い劣化コピー記事の延命・既成事実化を図る意図しか感じられませんね。このまま具体的な説明や改善案を出せないのならば、やはり近日中にそれぞれの項目への統合措置を実施することになりそうです。--Plisoner 2007年1月4日 (木) 14:50 (UTC)
fotosintesiさんが言うように、1つの事柄について(ここでは死刑に関する事ですが)、様々な視点(切り口)により、項目が分かれる可能性は、一般論としてはわかります。でも、それならば、そのような記事(項目)の性格付けは、記事を新設する最初の段階で明確になっていなければ、おかしいでしょう。当然、既存の死刑関連の他の記事との関連付けなども、その最初の段階ではっきりしていなくてはならない。ここの項目のように、そういった基本的な事が不明確なままで出発して、今後の編集の進行によって、それが次第に明確化するなど、あまり期待できないように思えるのですが。--Kogane 2007年1月5日 (金) 03:36 (UTC)

その点では、Koganeさんと同意です。この項目がどういった観点から執筆しようとしているのかは、何となく分かります。fotosintesiさんも、直感的にその観点に気付き、ビューポイントをを探ろうとしたのだと思います。ですが記事としては、何を言いたいのかが分かりづらくなってるのも事実です。その分かりづらさの本質を煮詰めて行き、分かりやすい記事にして行くことは、作業として大切ですが、それを他人に任せている感が否めないです。

多くの人が執筆することで、記事の質が向上して行くことを目指すと言うのも一理ありますが、それでしたら定義文をしっかりと規定して、基盤を固めておき、後の執筆者が困惑しない状態を築いておくべきでしょう。それがないと後続の人たちも困惑します。実際に私自身も「死刑と政治の関連性」に対して、確信を持って擁護してる訳ではありません。外国の例があったり、日本の報道事情が書いてあるから、そう思っただけです。しかし反面{Law}のテンプレートが貼られていたりしており、よく分からない記事になっています。

ただ、情報としては、やっぱり価値があると思うんですよね。このまま捨ててしまうには、あまりにも惜しい。何とか百科事典としての体裁を整える事が出来れば、よい情報になると思うのですが。もしかしたら百科事典に向いてないのかも知れません。これはニュースや報道向けの情報ではないでしょうか? ウィキニュースの方が相性が良かったかもしれません。220.148.77.189 2007年1月5日 (金) 05:15 (UTC)

個人ブログ上での時事問題を扱った投稿としてならそれなりの価値はあるかもしれませんが、百科事典的ではありませんね。「2006年末の日本における死刑執行をめぐる報道状況」などが、すぐ鮮度が落ちる情報ですから。報道姿勢一般の問題を論じたいなら犯罪報道に一セクションを設ければいいだけのことです。何れにせよ本記事は不要といえます。--Plisoner 2007年1月7日 (日) 00:51 (UTC)
その程度の価値ではありませんよ。死刑というのは、それ自体が大変、政治的な意味を持ちます。歴史的な意味も持つので簡単には鮮度は落ちないはずです。また報道姿勢については、犯罪報道とは真逆に位置するテーマです。犯罪報道というのは、報道を基軸に添えた内容であり、主に人権に焦点を当てています。対して死刑は、政治的な問題であり、主に国家に焦点を当てています。「それなり」レベルの価値ではありません。Plisonerさんは、記事の価値を見誤ってると言えます。
Category:死刑の中にエヴァンス事件があるのなら、日本で起きたこの事件が百科事典の中にあっても不自然ではありません。
この記事の要諦が分かりにくいのは、問題の規模が大きすぎるので予備知識がないと本質を把握しづらい点と、この記事が多分に政治的な意味合いが強いので、観点を社会の外側に置くのが難しいからです。記事自体が一種のプロパガンダになってる感があるのです。また一次情報であるため百科事典としては相応しくありません。
行刑密行主義により、政府が死刑執行を隠したがるのは当然、とも言えますのでおこり得る話です。しかし、翌日の全国紙がどこも社説で扱わないと言うのは、明らかに特殊な状態です。本来、マスコミが避ける理由はまったく無いからです(日本では避ける理由があるから特殊なのですが)。海外の死刑事情は適度に扱うのに、肝心の国内事情については、さっぱり扱わないと言うのはさらに異常さが際立ちます。220.148.68.246 2007年1月13日 (土) 06:23 (UTC)
どうもかみあってないようですが、報道姿勢についても十分犯罪報道に包摂しうるテーマですよ。「犯罪報道は主に人権に焦点をあててる」とはちょっと独自の見解に過ぎると思われます。エヴァンス事件と匹敵するだけの歴史的意味は現時点では残念ながら見出せないでしょうね(失われた生命の数的な価値は等価であっても、歴史的意味に差異が生じるのは常識です。)。「日本で起きたこの事件」なんて大げさもいいところです。この記事の要諦がわかりにくいのは、残念ながら主筆者の方に現在の日本の時事的な事象以外についての予備知識が圧倒的に不足しており、非常に狭い、バランスの欠いた記述内容になっているからでしょう。「記事自体が一種のプロパガンダ」、「百科事典としては相応しく」ないことは同感です。死刑執行についての扱いが小さいのは、よく言われる日本の犯罪報道の問題点そのものですので、犯罪報道に記述すべきでしょうね。--Plisoner 2007年1月13日 (土) 06:52 (UTC)

だから、それが大間違い。この記事は犯罪報道を扱ってる訳ではないんです。申し訳ないですがPlisonerさんは犯罪報道についての知識を持っている様に見えません。犯罪報道は人権問題である、というのは標準的な解釈です。決して特殊な観点ではありません。またメディアの反応についての記述も大袈裟でもありません。等身大だと思います。日本のメディア状況を表してます(だからプロパガンダになっちゃってる訳なんですが)。また、Plisonerさんは死刑を他の刑罰と同次元に扱ってる気配が伺えますが、死刑は他の刑罰とちがい政治性が大変強いのです。極端にすれば全ての死刑執行は歴史的だと言えます。

問題は、ウィキペディアの内部で、この種の議論をしてる現在の状況がおかしいと言う事です。本来はウィキペディアの外で論考した後に持って来るべき情報でしょう。220.148.72.113 2007年1月13日 (土) 11:04 (UTC)

すみませんが「お前は馬鹿だ、だから俺の言うことを聞け」的なことを連呼されても困ります。犯罪報道は人権問題であると同時に社会問題でもあります。「標準的な解釈」とかいわれても困ります。「大袈裟」と「等身大」も意味不明です。プロパガンダだと分かった以上この記事が削除対象であることは争いがなさそうですね。主筆者からの反応もないことですし、削除依頼を今晩にでも提出しようと思います。なお、死刑を他の刑罰と同次元に扱ってるなんてとんでもないですよ(死刑刑罰を統合せよなんて言ってるわけではないんですからね)。ご自分でも極論だと分かっている以上、こちらから何も申し上げることはなさそうですが。--Plisoner 2007年1月14日 (日) 05:02 (UTC)
そもそも、なんで「犯罪報道」の説明を、私がこの場でしなくてはいけないのですか? 知っているのではないですか? 知らないのに「これは犯罪報道の問題点」と言ってるのですか?「意味不明」を自信たっぷり言わないで下さい。それに極論も論ですよ。否定もされうるが肯定もされうる論です。もし同次元だと思ってないと言うのなら、どう言った違いがあると認識しているのか、言わなければ分かりません。
犯罪報道はプライバシー権に接触がするのです。だから「人権」の領域なのです。例えば新聞赤旗などでは、加害者の情報は伏せています。また過熱報道についても、本質的にはメディアの談合体質にあります。ここ50年間以上、新規参入が一度も起きてない業界なのです。それが集団過熱報道と犯罪報道にも関わっています。事実海外ではこの様な現象は起こっていません。
対して死刑の執行については、誰が死刑になったのかは伏せたままでも、歴史になり得ます。死刑は国家の動きが分かれば事件だと判断できるからです。
これで良いですか? 足りないと言うなら、一体、どこから説明すれば良いのですか?まさか、一番である「人権」や「国家論」の説明からやらせようって訳じゃないでしょうね?今度は「なんで国家論が出てくるのか意味不明」とか寝ぼけた事言わないで下さいよ。死刑はステートが行うものなのですから。
少々混乱されているようですが、落ち着いてくださいとしか申し上げられませんね。犯罪報道が人権の領域ではない、なんてことは私はもうしあげてはいませんよ。「であると同時に」ときちんと書いてますしね。すみませんが、「「お前は馬鹿だ、だから俺の言うことを聞け」的なことを連呼されても困ります。」と再び述べざるをえません。--Plisoner 2007年1月15日 (月) 14:31 (UTC)

Plisoner氏について[編集]

私が不満なのは、百科事典に載せるか否かの問題ではなく、情報としての価値がないと判断するPlisonerさんの意見です。見る人が見れば、その重要性に即座に飛びつくニュースであり、これだけ重要な論点を紙切れの様にしか思ってないPlisonerさんは、価値判断が出来てないとしか思えません。価値判断ができない人が、どうして参加してるのか分からない。プロパガンダになり得ると言うのは、それだけの価値があるからです。

申し訳ないですけど、Plisonerさんは、漠然と雰囲気で動いませんか?他の記事にも出没してますけど、まともな論考が出来てる様子は伺えません。「寄稿者、寄稿者」と寄稿者に意見を要求する態度も分かりません。判断するために知識はお持ちではないのですか?ここは教育の場ではないのですから読解するだけの力はあるべきでしょう。「記者クラブ問題」はご存じですか?最低でもこれくらいは知らないと話になりません。

Koganeさんは歴史をかじってるだけあって、謙虚さを伺えますがPlisonerさんは、一体どういった知識に基づいて発言なさってるのか、議論を煮詰める為にも出来れば教えていただきたいです。Plisonerさんと論議していても、相手の発言を返すだけで、なんら新しい角度からの考察をしてる気配が見えません。「俺の言う事を聞け」の何が間違ってるかも分かりません。今度は「俺の言う事を聞け」をPlisonerさんがやれば良いのではないですか?。それが議論と言うものです。「馬鹿だから」と言うのは、それこそ意味不明です。馬鹿だろうと利口だろうと、議論では相手の話は聞くべきです。220.148.91.119 2007年1月15日 (月) 09:13 (UTC)

PS/コメント依頼を出しました。Wikipedia:コメント依頼/Plisoner220.148.91.119 2007年1月15日 (月) 09:13 (UTC)

すみませんが個人攻撃のようなご質問にはお答えしかねます。相手の人物像が見えない不満もあるとは思いますが、それはお互い様ですので仕方ないでしょう。余談ですが「気配が見えません」といわれましても「漠然と雰囲気で動いませんか」とこちらが逆にお尋ねせざるをえません。コメント依頼を提出なされるのはそれはそれでご結構なことだとは思います。がんばってください。なお、節を新設されるときは一番下に新規に作成するのがマナーだったと思いますのでご留意を。--Plisoner 2007年1月15日 (月) 14:31 (UTC)

Plisoner は、厳罰化死刑執行において、なんの前触れもなく全削除とリダイレクト行為を行いました。「ノートでの議論を経ない独断行為は不当で、繰り返せば、投稿ブロック依頼をする」と警告したところ、今度は該当項目にリンクしていた下記の記事のリンクをすべて変更しました。氏は、別項目でも死刑存続論や厳罰化論には有利ではない情報を消して回る作業(政治的行動)に没頭されているようで(どのような思想を持つのも自由ですが)正常なwikipediaの編集作業からは逸脱された行動が見受けられます。ノートへの記述内容をみても議論が成り立つ状況ではないと判断しましたので、投稿ブロック依頼を出しました。--fotosintesi 2007年1月16日 (火) 08:53 (UTC)

みのもんたの朝ズバッ!厳罰三振法少年犯罪愛知主婦殺人事件報道におけるタブー治安モラル・パニック犯罪報道無期刑割れ窓理論危険運転致死傷罪少年法神戸連続児童殺傷事件みのもんたサッコ・バンゼッティ事件
わざわざ転記しなくても、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Plisonerとリンクした方がすっきりすると思いますよ。以前も投稿ブロック依頼を出したことがあるらしいですが、この機会に覚えておくといいと思います。他の点については、後日あなたの言動や投稿姿勢に対するコメント依頼を提出する予定なので、その機会に意見するかもしれません。--Plisoner 2007年1月16日 (火) 09:52 (UTC)

(インデント戻し)なんですか?言語学でもやってるのですか? そんな細かい点を指摘するなら、私は「主に」と書きましたよ。しかしPlisonerさんは「独自の見解に過ぎる」とハッキリ書いてます。まさか今度は「ちょっと」「思われます」と書いた。なんて言うつもりじゃないでしょうね? 本来なら「ちょっと」「思われます」は論文でも記事でも、無闇に使ってはイケナイ言葉ですよ。次は「ここは、ノートだ」とでも言うつもりですか?

また、私も再度繰り返しますが「馬鹿だろうと利口だろうと、議論相手の話は聞くべき」です。では、あなたは「俺は利口だから、相手の話を聞かなくていい」とでも言うつもりですか? そしたら今度は「そうは言ってない「お前は馬鹿だ、だから俺の言うことを聞け」な事と言った。」と返事するつもりですか? そしてここも封じ込められたら、どこかに荒がないかと探しはじめるんですか? すみませんけどね、そういう本筋とは関係のない、観念論や一般論はいい加減にしてほしいのです。

それに混乱してるのも、Plisonerさんです。書き込みの順序を見てください。「であると同時に」を書いたのは、私がハッキリと「それが大間違い」と書いた後でしょ? それ以前は「独自の見解に過ぎる」に、「ちょっと」と「思われます」をつけて誤魔化してるだけです。

とにかく私は『「犯罪報道は主に人権に焦点をあててる」とはちょっと独自の見解に過ぎると思われます。』を見た瞬間、かなり驚きました。これは「人権について知りません」と自白してるも同然です。それでも、Plisonerさんが通りすがりなら、それで済むのですが死刑のカテゴリに常駐してるのだから、気になるのも仕方が無いでしょう。この爆弾発言については説明するべきです。出来ないのなら、一度出直してくるべきです。「個人攻撃のような質問」ではなく「Plisoner氏のコンピタンス」を言及してるのです。

Plisonerさんはスノビズムでは? せっせとコメントを返して頂いてますが、正直なところ中身がないのでありがたくないです。別に無理してコメントしなくてもいいですよ。力量も大体わかりました。受動態で反応してるから空転するのです。220.148.88.18 2007年2月7日 (水) 09:44 (UTC)
ご自分の書いた文章にご自分で返信を書かれているようですが、大丈夫ですか?--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:26 (UTC)

個別の書き込みではなく節に当てて書きました。説明しないと分かりませんか?それでは説明します。上記の書き込みは節に当てて書いたのです。分かりましたか?私はPlisonerさんの認知こそ大丈夫かと心配です。節に書いたのか、個別の書き込みに当てたのか、理解できないのでしょうか?。もし理解した上で意図して書いたのならば、挑発にしかなりません。行動を改めるべきでしょう。一度たしなめられたにも関わらず続ける様でしたら問題があります。220.148.73.131 2007年2月20日 (火) 10:36 (UTC)

ちょっと苦しい言い訳ですね。説明されても全然分かりません。それが正常な反応だと思いますよ。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 13:49 (UTC)

犯罪報道と人権[編集]

また「人権問題であると同時に社会問題」ではトートロジーです。具体的にどう社会問題なのか書かなければ何も言ってないのと同じです。私は報道業界の問題と書きました。もしかして司法についてですか? 確かにプライバシー権を考慮して出版差し止めなんて判決もありましたね。もしくは犯罪の手口を社会に流布してしまう事ですか?確かにそれも報道の影響力を考える必要があります。それらとは別にしても犯罪報道が人権に関わる事に変わりません。なおかつ、人権は犯罪報道において、とても重要な位置を占め、標準装備と言っても大袈裟ではありません。報道する上で人権はとても気を使うからです。

話を戻しますが、「刑罰」は「人権」よりも「国家」のチェックになります。報道機関は被疑者の人権が侵されてないかをチェックする役目を担っているからです。しかし「刑罰」ではなく「死刑」になると話は別です。チェックしてもぶっ殺されるのに変わりはないですからね。この場合は制度だけではなく政治問題に移るのです。220.148.74.238 2007年1月16日 (火) 10:53 (UTC)

コメント依頼を設定された方と同じ方ですか?それでしたらそちらでどうぞ。なお、途中に節をはさまれるのでしたら、節の上にある発言の方にも署名を付された方がみやすくなると思います。以前に書いたことを繰り返すのは省略しますね。--Plisoner 2007年1月16日 (火) 10:57 (UTC)
まあ犯罪報道には書きたくないというなら、報道に書くのでもいいですし、報道におけるタブーに書くのでもいいかもしれません。仮に削除問題が解消したとしても、統合問題が後に控えていることをお忘れなく。親切なIPさんは少なくとも記事名の変更には賛成だったはずですからね。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 13:49 (UTC)

テレビニュースについて[編集]

多少読みやすくなりましたね。Wikipedia:表の作り方も参考にすると、もっと読みやすくなると思います。

番組名放送局放送時刻扱い秒数備考
NHKニュースNHK総合テレビジョン13:00~×
リアルタイム日本テレビ17:50~172秒トップニュース扱い

タイトルは適当ですが、たとえばこんな感じではいかがでしょうか?--ぽえこ 2006年12月30日 (土) 00:42 (UTC)

とくに反応はありませんが、ぐちゃぐちゃに見えるのでコメントアウトしました。--ぽえこ 2007年1月16日 (火) 14:55 (UTC)
「ぐちゃぐちゃに見える」ならどうぞ編集作業に参加してください。「見え方」は「修正」の対象にはなりますが「削除」の対象にはなりません。また私は、それほど「ぐちゃぐちゃ」だとは思っていません。それと表のテンプレートを使うと、多くの編集者にとって後の編集作業が難しくなるという難点もあります。ガイドラインには次の文章があります。<表がふさわしくないのはどんなときか=リストが非常に長かったり、比較的シンプルな場合には、ウィキペディアの標準的なリスト書式を使って下さい。長いリストは、表の中に書かれると保守が大変になりますし、シンプルなリストは、行・列を使って書く必要もないでしょう。>--fotosintesi 2007年1月17日 (水) 04:36 (UTC)
気にならないといわれると、私も、気にならない気がしてきました(思い込みって不思議ですね)。でも、せっかくなので、半角の数字と全角の数字の混在は修正しておきました。--ぽえこ 2007年1月17日 (水) 16:26 (UTC)

初版が外部ブログのコメント欄で投稿済のテキストである点について[編集]

主筆者の方のHNで検索をかけてみたところ、[1]のブログのコメント欄に文面がほぼ一致する文が初版記事において投稿されていることが分かりましたので、著作権侵害かどうかは微妙ですが、念のため削除依頼を提出し、他の方の判断を聞いてみる予定です。投稿者の方の弁明があるなら以下にどうぞ。--Plisoner 2007年1月13日 (土) 06:52 (UTC)(訂正Plisoner 2007年1月13日 (土) 07:30 (UTC)

本人の投稿です--fotosintesi 2007年1月16日 (火) 08:55 (UTC)
本人の投稿かどうか立証する責任は寄稿者にありますし、第三者のブログのコメント欄へ寄稿した文章の著作権の所在が厳密にどこにあるのか、専門家ではない私には判断ができませんので、念のため削除依頼を出す意思に変わりはありません。方針等の文書を熟読した上で、しかるべき手続きを踏む用意をしておいた方がよろしいでしょうね。--Plisoner 2007年1月16日 (火) 09:52 (UTC)
削除依頼はもう少し先延ばしする予定だったのですが、やんごとなき事情により保護依頼を提出することになってしまったため、削除依頼も同時に提出させていただきました。ご了承ください。法的な疑義は予め解消しておいた方があなたにとってもいいと思いますしね。--Plisoner 2007年1月17日 (水) 04:40 (UTC)
私に個人的な嫌疑を公の場でかけた以上、責任をもって「方針等の文書を熟読した上で」、最終的な報告をお願いいたします。これ以外には私に対する個人的な中傷や誹謗もあるので、場合によってそれらを抽出して「完全追放」の手続きをとるかもしれません。--fotosintesi 2007年1月17日 (水) 04:51 (UTC)
Wikipediaを法的なリスクに晒すわけにはいけませんから、問題のある記述を投稿してしまった以上辛抱していただくほかないですね。--Plisoner 2007年1月17日 (水) 04:58 (UTC)
wikipediaの削除ガイドラインにも「著作者本人が GFDL での配布に同意している場合や、GFDL の条件下で再利用可能なもの(パブリック・ドメインのものなど)等は除きます。」とあります。そもそも「問題のある記述」ではないのです。あなたが「寄稿した文章の著作権の所在が厳密にどこにあるのか、専門家ではない私には判断ができません」と書きながら、公の場で、裏のとれてない嫌疑で個人の名誉を毀損することは論外です。私は法的にあなたを訴えることもできます。「Wikipediaを法的なリスクに晒すわけにはいけませんから」といいいながら、法的な知識も裏付けもないまま個人の名誉を毀損してよいという理由には全くなりません。--fotosintesi 2007年1月17日 (水) 05:03 (UTC)
弁明は削除依頼のページでどうぞ。なお、はっきり著作権侵害であると断定できなくても、Wikipediaにとって法的リスクの可能性があると判断されたものは削除対象となるようですよ。削除依頼においては「疑わしきはWikipediaの利益に」が原則です。急がれたほうがいいですよ。--Plisoner 2007年1月17日 (水) 05:07 (UTC)

「法的リスクの可能性があると判断された」と、どなたが「判断」したのですか?ストーカーまがいのことをして、最初の版で、あたかも私が盗作をしたかのような書き方をしたあと、執筆者名をみて慌てて、「著作権侵害かどうかは微妙ですが」と書き直し、あげくのはてに「法的リスクの可能性があると判断された」と三人称ですか?まず、ろくに調査もせずに名誉の毀損をした謝罪をするべきではありませんか?それ相応の教養を備えた人となら、意見が違っても議論は望むところですが、無知蒙昧で妨害が目的化したひとに時間を奪われるのは大変な苦痛です。それにしてもなりふり構わない執筆妨害行為や挑発行為はなんとも卑怯で卑劣で下品で厚顔無恥な方法ですね。その執拗さや執念をもう少し別のことに振り向けることをおすすめしますよ。--fotosintesi 2007年1月17日 (水) 12:04 (UTC)

弁明は削除依頼のサブページで行った方がいいと思いますよ、と再度申し上げます。「ストーカーまがい」とのことですが、Wikipediaに来てまた日が浅いのにずいぶん強気な編集をする方だなと思ったので、出自について調査したまでのことです。「執筆者名をみて慌てて」なんてことはないですよ、執筆者名で検索してそのブログの投稿文を見つけたのですからね。「名誉の毀損」に至っては勘違いもいいところですね。私はあなたがどこの誰かなんて知らないんですからね。「議論は望むところ」でしたら、私やKoganeさんの質問に早期の返信をお願いします。親切なIPさんに孤軍奮闘させるのはどうかと思いますよ。「執筆妨害行為」とのことですが、執筆でご自分の記事の価値を証明できないのはあなたの方だと思います(interwikiの水増しとか、小細工には熱心なご様子ですが)。ご自分でも「スタブ」と申されてるわけですしね。--Plisoner 2007年1月18日 (木) 04:17 (UTC)

ノートの構成の復帰[編集]

Fotosintesi様が(どういう意図があったのかはわかりませんが)ノート発言順をめちゃめちゃにしてしまったので、復帰させておきました。2007年1月17日 (水) 04:40の版(発言順の改変前の版)を参照して確認してください。わたしが整理した版に戻すのが一番よいのですが、どうも信用されていないようなので止めておきます。--Plisoner 2007年1月18日 (木) 05:39 (UTC)

Plisonerfotosintesiは何をしたいの?[編集]

fotosintesiさんは何となく分かった。Plisonerさんは何をしたいの?ログを見ても分からないんだけど。

fotosintesiさんが、wikipediaに表れたのは、2006年10月27日 (金) 02:08。ブログは2006年12月26日。これ以上調べてどうするのですか?

Plisonerさんに、共通してるのは「削除したい」という事だけですよね。理由はコロコロ変わってる。私は一貫してます。「情報としての価値はあるが、百科事典に相応しくない」。220.148.89.233 2007年1月18日 (木) 11:56 (UTC)

いや、最初は統合ですませるつもりでしたよ。会話ページ見れば一目瞭然なので説明は省略しますが、むしろfotosintesiさんの理由付けの方がコロコロ変わっていますよ(「自分の文章をそのままで残したい」という事は共通してますけどね)。コメント依頼の方はいらなくなったでしょうからもう撤去しときますね。--Plisoner 2007年1月30日 (火) 04:32 (UTC)

『殺害』という表現について[編集]

  • MYA氏の<冒頭「死刑判決を受けた者」「殺害」に疑問があるため 過去の記述を一部復活」><死刑執行(しけいしっこう)とは、死刑判決を受けた者を、国家またはが実際に殺害すること。日本においては絞首刑が採用されている。←「殺害」という言葉は微妙に語弊があるため。また歴史的・世界的に見れば「判決」無しの死刑宣告もあるはずでは?>について
  • 「殺害」という言葉は、司法において頻繁に用いられる言葉です。被告人の行為を殺害と表現し、国家による行為を「殺害」と表現しないのはむしろ言葉による欺瞞でしょう。誤解のないようにわたしは政治的な意味を込めてこう言っているのではありません。定義文は平文で率直に書くべきで、妙にオブラートに包んり回りくどかったりする書き方をした方がむしろ政治的な記述となってしまうような気がします。さらに「判決無しの死刑執行」ということをおっしゃりたいのでしょうが、現在あの北朝鮮の公開処刑でさえ、一応判決文を読み上げていますし、ここでの議論は近現代の死刑執行に的を絞った叙述なので、元文で問題ないと思いますがいかがでしょうか?--fotosintesi 2007年1月29日 (月) 06:03 (UTC)
相変わらずいろいろつっこみどころが満載ですね。とりあえず記事名が「死刑執行」なのに近現代の死刑執行に的を絞った定義を書くところが「大間違い」なのですが、削除対象の記事の記述について話し合うのも時間の無駄ですのでお好きにどうぞ。--Plisoner 2007年1月30日 (火) 04:26 (UTC)
Plisonerさんは冗談をやってるんですか?悪ふざけはよして下さい。死刑執行は近現代史です。東洋でも西洋でも中世では仇討ちが基本です。過去の言動からして「近現代の死刑執行」の意味を本気で勘違いしてると見て間違いないですね。「死刑執行の制度が形成されたのは近現代」の意味を「近現代に限定した死刑執行の話」だと本気で思ってます。
「近現代史」ではなく「近現代」なのがポイントです。他の時代の死刑は現代のそれとは、大分趣きが違います。死刑はありましたが執行と呼ぶには大分違うのです。時代や地域によっては「執行」ではなく「虐殺」や「処刑」の方が似合ってるほど酷い場合もあります。私はその様な誤解を解くためにも、ノートページの初期に「死刑という刑がどの様に進化して来たのか抜けてます」と指摘したのです。220.148.88.18 2007年2月7日 (水) 09:44 (UTC)
なんか、「殺害」って書かれていると、死刑が犯罪行為であるかのような印象を受けるのですが如何でしょうか?「国家またはが、死刑判決を受けた者を実際に殺す事」ではいかんのでしょうか?
私は死刑執行についての知識が人に物申すほど無いので、「死刑執行」が「近現代史」であり、「中世」以前では「死刑執行」はあり得ないことの証明・出典を明記していただけるとありがたいです。--218.251.125.114 2007年2月9日 (金) 05:41 (UTC)

要するに定義の問題です。『死刑執行』を「死刑の執行されて来た歴史」とするならば、簡単に反証できます。イエス・キリストの磔や、国王の処刑などは中世以前からありました。刑罰の種類も数多くあります。

それとは別に「国家機構」としての『死刑執行』があります。この場合は「死刑制度(立法)」「死刑判決(司法)」「死刑執行(行政)」「死刑報道(マスコミ)」の四権の、一つとしての『死刑執行』の意味です。こういった合理化のことを近代化と言いますので(これは辞書にも載ってます)、中世以前では権力の分散が厳密には行われてない。さらに言えば、役割が分担されてない時代を中世とも言えます。fotosintesiさんの書こうとしてる内容は、おそらくこちら側だと思われます。

記事名がおかしいと言うのもあります。現在の内容は「死刑執行」だけでなく「死刑報道」にも言及されてます。また、この名称は誤解を与えやすい。内容はそのままにして「近代の死刑システム」など記事名を変更するのが良いかもしれません。

「殺害」にしても「生命を奪う」「殺す事」であっても意味は同じです。しかし言葉によって与える印象が大分違います。言葉選びは大事になってくるでしょう。220.148.78.35 2007年2月12日 (月) 21:35 (UTC)


(2007年2月7日 (水) 09:44 (UTC)の発言へのコメント)「死刑執行」を「殺害」と定義したんですから、「虐殺」や「処刑」と酷さのレベルはかわらんでしょうな。IPさんもヒギさんと同様、海外生活が長い方なのでしょうか?あまり正常な日本語の使い方とは思えません。あと「死刑執行」でググったら、「古代ローマの死刑執行人が・・」みたいなページが出てきたんですが、古代には死刑執行人はいても死刑執行はなかったのでしょうかね?「悪ふざけはよして下さい」とこちらが言いたいですね。無理に背伸びして難しいことしゃべろうとしないでもいいですよ。もっと冷静になってください。また私はしばらく消えますから。--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:49 (UTC)
(2007年2月12日 (月) 21:35 (UTC)の発言へのコメント)「演説ご苦労様」とか書くとまた怒られそうですが、そうとしか形容できないご発言ですね。コミュニケーションの基本ができてない人とは議論のしようがありません。--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:49 (UTC)
無知の露呈は程々にして欲しいので、しばらくどころかずっと消えて退いて下さって結構でしょう。説明すれば拒み、説明を求めても避ける。コミュニケーションが出来てないのは、Plisonerさんではないですか?しかも検索エンジンで調べたにすぎない質問でしょう。説明をしてもあなたは拒みますよね?そもそも説明するのがおかしいですよね?知識が無いのなら参加すべきではありませんよね?
議論には「定義」を決める必要があります。それから議論をします。定義が食い違っていれば議論が上手くできないのは当然であり、定義の確認を取るのは極めて当然であり、議論の基本です。この様な初歩的なこともPlisonerさんはご存じが無いのですか?あなたのおっしゃる「コミュニケーションの基本」と言うのは何を言ってるでしょうか?それこそ定義をお願いしたいです。
私には、この一連の流れにおいて、歴史的な意味の『死刑執行』が何処から出て来たのかが気になります。いきなり臆面もなく『ローマ時代』が出て来て、218.251.0.0さんは『罪を償う』という観念論です。どちらも『国家機構(state)』から外れてます。しかも二人ともその事に気付いてもおりません。ですから「冗談をやってるんですか?」と問うたのです。本当に、私はなにかの冗談かと思いましたからね。
Plisonerさんは高等教育は修了なさったのですか?それとも意図して話を逸らしてるのですか?社会科で習いませんでした?司法が判決を下し、行政が執り行う、ジャーナリズムがチェックをする。こう言った一連の機構を学びましたよね?218.251.0.0さんの質問も不自然なのです。選挙権のある方ならば、この様な質問は出てこないでしょう。もしかして同じ人ではないですか?Plisonerさんと218.251.0.0さん、だけ話題がズレてるんですよ。
『歴史』の方面で執筆したいのでしたら、それはそれで書けばよいですが、それは別のテーマです。その際には「フェーデ」も出てくるでしょう。それとも歴史と機構の両方を一つの項目に纏めたいのでしょうか?220.148.73.131 2007年2月20日 (火) 10:36 (UTC)
いろいろと脱線してるようですが、最後の部分だけ返信しますけど、死刑執行という題名の記事には本来歴史と機構の両方を書くことが必要ですし、仮に執筆者に片方しか執筆する意図がなかったにせよ、冒頭の定義は両方を対象にしたものであることが必要です。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 13:49 (UTC)

削除後の後始末について[編集]

親切な人が死刑へのリダイレクトにしてくださったようですね。ありがとうございます。なお、例の記事をもう一度投稿したいのでしたら、文面をよく練った上で、百科事典的かつ既に発表済のテキストと類似した表現にならないよう配慮し、内容とあった名称のページを熟慮して選んでから、その他ウィキペディアの基本的なルールを守ってから投稿してくださいね(不適切な重複項目ならまた統合措置をとりますが)。少なくともこれまでの議論で、死刑執行のページに載せるにはあの内容では不適当だということは分かったと思いますから、同様の内容の記事を死刑執行の新規記事として投稿することは自粛してください。死刑執行へのインターリンクは、他の適切なページへのリンクに改めておきます。 --Plisoner 2007年1月31日 (水) 12:27 (UTC)

fotosintesiさんは、政治やジャーナリズムに関しては詳しい大切な寄稿者さまであり、ウィキペディアに取っては大切な財産です。無下な対応をしないで下さい。何も知識がなく書くことができず、持ってる知識はウィキペディア内部のルールだけの人が唯一できるのは、Fotosintesiさんの様な才能ある方を丁重におもてなしする事だけです。220.148.88.18 2007年2月7日 (水) 09:44 (UTC)
そのような発言は、かえってヒギさんを困った立場に追い込むことになると思いますよ。--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:26 (UTC)

記事復活とノート保護依頼テンプレート解除について[編集]

  • 問題になっておりましたブログページの管理者と相談した結果、当該ブログでのわたしのコメントを削除してもらいました。なぜならもし今度、わたしがこれをWIKIPEDIAに執筆した場合、こんどは該当ブログのコメントの執筆者とWIKIPEDEIAの執筆者が同一の人物であるという証明をできなくなってしまうからです。ということで、断時的なブログのコメントよりは、継時的なウィキペヂアに記述を残す方を選択いたしました。つきましては、懸案だった削除理由も喪失したため、このノートの保護依頼テンプレートも無用と考え、取り除かせていただきます(実際、今日に至るまで保護はされず、その議論もまったくないので)。あらためて、編集合戦や、無意味な駆け引きはやめましょう。また様々な依頼テンプレートを貼るときは、独断ではなく、このノートでの議論の後にお願いいたします。発展的な議論ならばこのノートで望むところです。それでは今後もよろしくお願いいたします。--fotosintesi 2007年2月5日 (月) 09:05 (UTC)
    • 本当に貴方はwikipediaの編集方針等を読まれましたか?中身を精査できていませんが、以前投稿された内容そのままでの投稿かと思われます。あちらのブログを削除していようが居まいが、そこまでしてこの内容が必要なのですか?絶対に安全な内容でつくりなおす気はないのでしょうか?残念ですがまだ貴方の編集態度はwikipediaに相応しいものと思えません。再度編集方針の熟読を期待します--シャルル 2007年2月6日 (火) 05:14 (UTC)
    • 著作権侵害についてまだ疑問が残ります。該当ブログのコメントが削除されたからといって、転載の許可を得ていない以上は記載しない方がいいと思いますが。削除理由が喪失したという判断には賛成致しかねます。--kira727 2007年2月6日 (火) 06:39 (UTC)
  • 私は、そこまで著作権に固執する姿勢の方が解せません。著作権法は元々グレーゾーンがあります、今回はそのケースでしょう。そもそも裁判など起こす気があるんですか? 無いなら問題ないでしょう。問題にする方が問題だ。調査も裁判も起こす気がない者が、著作権を訴えるのは、「イチャモン」にしかなり得ません。著作権は当事者が行使するものです。外部の人間が気にしていたらキリがない。ここら辺で辞めた方がいいと思いますよ。220.148.88.18 2007年2月7日 (水) 09:44 (UTC)
当事者が「この件については著作の権利を行使しません」という意思表示でもされているのでしょうか? その確認が取れていない以上、危険性が残ることは当然ですよね。それ故に、転載の許可を得るようにということなんですが。Wikipediaにおいて、「当事者が訴訟を起こさないだろう」という一方的な希望的観測に基づいた行動を許可すれば、どういう結果をもたらすかは自ずと予測しうるでしょう。--kira727 2007年2月7日 (水) 12:21 (UTC)
著作権を気にしない人間にwikipediaを編集する資格はありません。自分でホームページを立ち上げて責任をとるのであれば別ですがwikipediaの場を借りているわけですから。--シャルル 2007年2月7日 (水) 13:49 (UTC)
  • 私は、該当部分の内容自体には異議を申し立ててはおりません。その部分の著作権についてのみ疑義があるという事です。グレーゾーンであろう事はおそらく間違いないでしょう。そうであるならば神保氏による該当コメントの削除ではなく「fotosintesi氏のコメント部分については著作権を行使しない」という意思表示が必要であろうということです。この点さえ明確になれば「削除理由が喪失した」として、Wikipediaへの投稿も全く問題ないでしょう。--kira727 2007年2月7日 (水) 14:10 (UTC)
    • fotosintesi氏の議論参加は無いのでしょうか。死刑執行の2007年2月7日(水)13:46の版で編集されているようですが、ノートで意見がある以上、対話は必要だと思います。--kira727 2007年2月7日 (水) 17:27 (UTC)
  • ここで私信を公開するつもりはありませんが、当該ブログの管理者である神保氏とはメールを通じて話がついています。そのコメントがブログから削除された時点で、この記述のすべてあるいは一部は、このwikipedia以外では公開していません。それでもまだ著作権に異議のある方は、専門家や管理者に問い合わせてください。法的な問題をいつまでも素人談義していてもらちがあきません。--fotosintesi 2007年2月10日 (土) 10:02 (UTC)
では、著作権に関して了解を得たという事実は我々利用者には検証できないままという事ですね。仮にメールで確認したとしてもその内容は現在公開されていない=著作権放棄もしくは転載を許可した事の検証可能性を満たしていない、という事になりますね。削除依頼で出されている「記事投稿者とコメント投稿者が同一であるという証明が得られない状況」に何ら変わりは無いでしょう。貴方が神保氏とやり取りして削除してもらったのならば、その旨を神保氏に証明してもらってください。それと、初めに専門家や管理者に問い合わせるのは、記述しようとする貴方の方ではないのですか?--kira727 2007年2月10日 (土) 12:34 (UTC)
  • シャルルさん、kira727さんの、二人が、何を訴えて、何をしたいのか私には理解できません。問題点を具体的に明示し、解決策も掲示し、その解決策が「削除」である場合においてのみ通用する訴えでしょう。
  • 帰属の表示ならば、ブログもWPでも「fotosintesi」となっております。財産権ですか?それも非現実的だと思います。100歩譲って訴えたとしましょう。では誰が損害を訴えるのですか?執筆者が執筆者を訴えるのですか?奇妙な話です。
  • あるいは、WPの「fotosintesi」と、ブログが「fotosintesi」が別人だと言うのでしょうか?ほぼ同じタイミングでWPとブログに寄稿されました。そしてWPの方で著作権が話題になった時、理由も分からず因果関係もなく、偶然に唐突にブログの書き込みが消されたとするなら奇跡に近いです。
  • それでも、万が一、(あり得ませんが)別人であり、無断で転載された事を訴えたとしましょう。ならば訴えた時点でWPから削除すれば済みます。万が一の万が一、損害を訴えたとするならば、ブログもWPも登録制なので誰が書き込んだのか調査可能です。当事者間で話し合ってもらえば済むでしょう。
  • 常識的に考えて、専門家を通すのは訴えている側です。訴えてない側が何を目的として専門家に依頼をするのか分かりません。またそんなに気になるなら直接ブログの管理者に質問すれば済みます。当事者どころか執筆者本人です。「原著作者が原著作者であると言っても、原著作者である事は証明できないのだから、削除すべき」と言いたいのでしょうか?そもそも削除要請が、どこからも来てないのに、なぜ消すのでしょうか?220.148.78.35 2007年2月12日 (月) 21:38 (UTC)
問題点については、既に表明しているつもりでしたが改めて指摘します。「記事投稿者とコメント投稿者が同一であるという証明が得られない状況」「記事投稿者とコメント削除依頼者が同一であるという証明が得られない状況」この二点です。前者については、既にWikipedia:削除依頼/死刑執行において判断がなされておりますが、この際に指摘された問題点がクリアされていないまま投稿された、という問題点が引き続き後者となっている、ということです。
解決策も既に表明しておりますが、「該当ブログの管理者=神保氏」によって著作物の転載を認める意思表示が行われ、かつ他の利用者によって検証可能なことです。Wikipedia:自著作物の持ち込み#著作権を侵害していないことの証明方法を満たすことが必要になります。この場合、具体的には「神保氏だけが書き込み可能な場所」にその旨を記載することになります。
ブログのコメントについては、ブログサービス提供元によって対応が異なります。例としてgooブログでは、利用規約第7条(著作権)において、著作者人格権を事実上放棄しなければなりません。また、著作権を第三者に譲渡する場合は第三者もこれを承諾しなければなりません。しかし、神保氏のブログにおける本サイト運営上のルールにはそこまで規定する内容は無く、同時にコメントに対する著作権を放棄しているとの表記もありません。IP氏の主張では「帰属の表示はfotosintesiである」とのことですが、神保氏がそれを明言していない以上、その主張を受け入れることはできません。また、「ほぼ同じタイミング」であるからという主張も、上記の理由により同様です。
「当事者間で話し合ってもらえば済む」という話でもありません。Wikipedia:著作権を読んで頂ければご理解頂けると思いますが、執筆者個人ではなくWikipedia自体に影響が及ぶ話です。個人でWebページを作成した場合であれば当事者間での話し合いで解決しますが、Wikipediaはそうではありません。
「削除要請がどこからも来ていない」というのは、あくまで現時点に限定されるものであり、将来においても削除要請が来ないことを担保するものではありません。「なぜ消すのでしょうか?」と聞かれれば、公式な方針であるWikipedia:著作権に照らして、投稿に問題があるとお答えするしかありません。
繰り返しになりますが、Wikipediaにおける著作権の扱いについてのご理解をお願い致します。なお、この問題については具体的な解決策を提示しておりますし、それさえクリアされれば文面を削除せずとも神保氏の意思表明が得られれば良いと既に表明しております。利用者が十分理解を得られるような形で(必要な手続きをして)投稿を行えば、前回の削除依頼のような問題が起こることを事前に防止することができます。IP氏がfotosintesi氏の執筆記事を大事に思うのであれば、より安全で問題の起こらない状況へ持っていくことが必要ではないかと思います。--kira727 2007年2月13日 (火) 02:27 (UTC)--この署名付書き込みは利用者:fotosintesiによって削除されたため、ノート:死刑執行の2007年2月13日(火)02:27の版から私の発言部分をコピー&ペーストしたものです。なお、このような行為を行ったfotosintesi氏に対しては「他者の発言の改竄」として謝罪と経緯の説明を求めます。--kira727 2007年2月13日 (火) 06:06 (UTC)
  • 申し訳ありません。

単純なわたしの編集ミスです。MYAさんの質問に答えようと思って、(2007-02-13T09:12:00の版 )をコピーし、それにコメントした際(2007-02-13T13:56:09の版 )、その間に新しい書き込みがあった(2007-02-13T11:27:53の版)ことに気付かず、上書きしてしまったようです。百パーセントわたしのミスです。申し訳ありませんでした。--fotosintesi 2007年2月13日 (火) 09:33 (UTC)

了解致しました。ミスの原因についてひとつ気になったのですが、過去の版をコピーしてコメントされるのはお勧めできません(と、言うよりもやめたほうが無難です)。何らかの原因で、クリップボードにコピーした内容が破損する可能性もありますし、編集に必ずしも必要でない部分まで触れてしまいますので、意図しない編集になる危険性があります。また、今回は編集競合している旨の表示は無かったのでしょうか。間に何らかの編集が行われた場合は表示されますので、今後はご注意頂ければと存じます。--kira727 2007年2月13日 (火) 12:14 (UTC)
  • 発言をするのは自由ですが、専門家がいない状態で行動まで促すのは避けた方がよいでしょう。素人療法は危険だとも言います。Wikipedia:著作権に照らして問題があるとおっしゃってますが、読んでも分かりません。強いて言うならWikipedia:著作権#他人の著作物を使うときが近いかもしれませんが、今回は他人ではなく執筆者本人の書き込みです。
  • 前の時点では、「kira727さんの目的が見えない」と前置きした上で、ネットから抹消しようとする「なら」と書いてあります。抹消するのが目的ではないのなら問題ないのではないでしょうか。
  • 今回の書き込みを読むにあたっては、kira727さんの目的は、ブログの管理者である神保氏に転載の許可をもらえ。と言う事でしょうか?それは奇妙な事態になると思われます。仮に、神保氏が「転載は許可しない」と言ったとしましょう。するとなぜ執筆者であるはずの「fotosintesi」さんが、自由に使えないのか分かりません。逆に神保氏が「転載してもよい」と認めた場合、そもそもブログの管理者に転載を許可する権限があるのか?そんな契約はしてないのではないか?とする疑問が湧いてきます。
  • シャルルさんのおっしゃりたい事も、神保氏のブログを「GFDL契約にしろ」という事でしょうか?それは強引な主張だと思えます。逆にGFDL契約でないのなら「WPから削除せよ」と言うのでしょうか?それも執筆者本人が自由に著作物を利用できない事となり、無理があると思われる。
  • ブログは登録制の様なのでネームの同一性は高いと思われます。人格権を放棄してないとも解釈できます。人格権を放棄してない著作物の転載の「可否」の判断を、ブログの管理者が行っても良いのか疑問です。
  • 仮に「取り敢えずウィキペディアから削除しておけばいい」と判断するのならば、執筆者本人の書き込みを拒否するウィキペディアって一体なんなのだ?とする疑問が湧いてきます。
  • また、将来にわたる削除要請の保証と言うのなら、根本論として無理でしょう。どんな著作物も盗作の疑いなどで、訴えられる可能性が継続的にあります。訴えられない可能性を将来に渡り保証するのは原理的に不可能だと言えます。
  • 何をやっても、私は疑問が湧いてくる気がします。話し込めば疑問が膨らむばかりなので、やはり専門家に聞いた方がいいでしょう。202.53.13.151 2007年2月15日 (木) 11:13 (UTC)
まあ、既に回答済みの話を理解できないとおっしゃるのであれば、私からはもう説明のしようがありませんね。同じ事を繰り返して説明するだけですし、神保氏のブログに表示されているCopyrightの意味をどう解釈するかですから。あと、ブログの管理者が転載の可否を判断していいのか、執筆者がコメント投稿者と同じか、著作権はどうなっているのか、といった部分についての疑問を解消するために「確認して下さい」と言っている訳なのですから、「無理だと思われる」「同一性は高いと思われる」といった検証可能性を満たさない提示や、「解釈できます」「疑問が湧いて来る」と意見を出されたところで、何の解決案にもなっていないと思います。あと、以前に「訴えた時点でWPから削除すれば済みます」と発言されたIP氏と同一人物であると思いますので言っておきますが、Wikipediaでは初版記事において著作権侵害等が発見された場合はそれ以後の記事についても全削除になり、他の執筆者に対して多大な迷惑をかけることになります。それを理解されておりますでしょうか。--kira727 2007年2月15日 (木) 12:38 (UTC)
理解してますが、それがどう関係するのですか?初版において著作権侵害があった場合とするのは、あくまで仮定の話ですよね?しかも極めて可能性が低く、疑い出せばきりがない類いの物です。また私の書き込み内容を誤解して居られませんか?私は「確認をとる事で問題が起きるのではないか」と疑問があるのです。「同一性が高いと思われる」はブログの管理についてであり、「無理があると思われる」は執筆者が自由に扱えない不自然さです。どちらも確認をとる事で起きると予想される疑問です。自分でも言ってます通り、素人談義ですから私のはあくまで意見です。それほど気になさらなくても良いでしょう。「著作権の確認」の節でも書いてる通り、何らかのアクションを取る事には賛成してます。202.53.13.151 2007年2月15日 (木) 14:27 (UTC)
初版において~というのは確かに仮定の話ではありますが、前回の削除依頼においても問題とされておりますので、極めて可能性が低いとは言い切れません。既に一度削除されておりますし。
「確認を取ることで問題が起きる」ということもあるでしょうが、「確認を取らないことで問題が起きる」ということでもあります。執筆者が自由に扱えない不自然さについては、gooブログの利用規約における著作者人格権の事実上の放棄を了承させる規定等と同様の認識が管理者側に在るかどうか、そして投稿者がコメントを投稿した際にCopyrightの表記をどのように判断したのかが問題になります。後者に関しては、著作権について問題ないと執筆者が判断しておりますが、前者の判断は未だ不明なままです。一方の判断のみを採用して良いかどうかも不明なわけですから、片手落ちでは公平であるとは言いかねる、というのが私の主張です。--kira727 2007年2月15日 (木) 15:10 (UTC)
OKです。確認後、削除します。ところでIPアドレスの件はどうなんでしょうか。--kira727 2007年2月20日 (火) 12:06 (UTC)
はい、同一です。202.53.13.151 2007年2月23日 (金) 13:26 (UTC)

ブログの方の書き込みを復帰すべき[編集]

実質的に発生してる損害と言うと、折角ブログに寄稿された内容が削除された事ですね。今度はWPからも消すのですか? そうなるとネット上に情報が存在しない事になります。寄稿が消されてしまうのはWPにとっても損害です。またブログの書き込みも復帰すべきでしょう。原著作者が自分の著作物を制御できないのは不自然です。

シャルルさんと、kira727さんは、著作権法の運用に詳しいのですか?発言を伺っていると目的が見えてきません、書き込みをネット上から抹消しようとするのなら、法律の運用が間違ってると思えます。知らない物に対する不安感から来るものでしょう。改めて考えると奇妙な主張をなさってます。220.148.78.35 2007年2月12日 (月) 21:38 (UTC)

ブログのコメントが削除されたことと、Wikipediaからの削除は別個の事象です。ブログのコメントは神保氏によって行われたものであり、Wikipediaによって何ら制限を受けるものではありません。ネット上に情報が存在しなくなるのが損失だという考えにはある程度賛同しますが、Wikipediaにおいて記事を存続させる理由にはなりません。過去の情報を蓄積するのはInternetArchive等の仕事です。
著作物の運用について詳しいか否かで、発言の自由を制限される理由はありません。「IP氏は変動IPアドレスだから発言に説得力が無い」と言われて納得されるとは思えませんので、そういった発言は慎むようにお願い致します。
「書き込みをネット上から排除」とは発言しておりませんし、「知らない物に対する不安感から来るものでしょう。改めて考えると奇妙な主張をなさってます。」は貴方の主観によるものです。勝手に相手の意見を決め付ける行為(ラベリング)は議論の妨げになるばかりか、発言者自身の利益になりません。今後はご留意下さい。--kira727 2007年2月13日 (火) 02:27 (UTC)--この署名付書き込みは利用者:fotosintesiによって削除されたため、ノート:死刑執行の2007年2月13日(火)02:27の版から私の発言部分をコピー&ペーストしたものです。なお、このような行為を行ったfotosintesi氏に対しては「他者の発言の改竄」として謝罪と経緯の説明を求めます。--kira727 2007年2月13日 (火) 06:06 (UTC)
  • IPユーザーさんの主張が理解できません。ブログの方の書き込みの復帰はここで議論するものなのですかね?(私個人としてはブログは生かしておいて、wikipediaの記事を位置から新たに起こしなおすのが一番生産的な手法だと思いますが。)IPユーザーさんは特定できる固定しやすいIPからの投稿ですが大丈夫でしょうか。少々心配です。--シャルル 2007年2月13日 (火) 10:22 (UTC)
根本論をするなら、ここで著作権の話をするのが間違いです。閑話はどこまで行っても閑話にしか、なり得ないでしょう。それほど大きな差はないと思えるのですが。202.53.13.151 2007年2月15日 (木) 11:13 (UTC)
問題点の所在が分かっていないようですね。あなたこそ発言を控えるべきでしょう。ブログのコメント欄ってのは著作権においてかなりややこしい問題があるんですよ。ググって調べてみるといいでしょう。さすがにヒギさんの方は分かってきたようにも見えますが。--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:26 (UTC)
素人なのですから問題点を、明確に分からないのは当然です。検索エンジンで調べたくらいの知識なら私も持ってますよ。その程度の知識で分かったつもりになる事こそ危険でしょう。Plisonerさんこそ分かってないのではないですか?専門家ではない人が、適切な判断が出来るはずありません。ややこしいと言うのなら具体的に説明願います。複雑と言うだけの知識なら私も知ってますので。それが出来ないのでしたら「分かったつもり」にならない方が良いでしょう。220.148.73.131 2007年2月20日 (火) 10:36 (UTC)
以前も申し上げたはずですが、「疑わしきはウィキペディアの利益に」が原則です。この場合の「利益」とは、ウィキペディアにとってリスクがより少ないことを意味します。問題点を指摘する側は検索エンジンで調べた程度の知識でも特に問題はありません。この点がいつまでたっても分からないようですと、ウィキペディアで活動する限り、どこにいっても、誰が相手でも同じ問題が起きることになるでしょう。ヒギさんも、私が特別に悪質なユーザーであるというわけではないことにそろそろ気付いていただきたいのですが。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 13:49 (UTC)

節の追加[編集]

死刑執行#日本における死刑執行の概要の節に、モラトリアム期間に関する韓国・フィリピンの記述があるのは疑問。記述されるのであれば別に節を設けて頂きたい。--kira727 2007年2月5日 (月) 16:08 (UTC)

新しい節の追加を確認しました。ありがとうございます。--kira727 2007年2月7日 (水) 17:30 (UTC)

『殺害』という表現について(再)[編集]

「{{観点}}冒頭に「殺害」という言葉があるため(理由はノートに)」としてTemplate:観点を貼りました。

>*「殺害」という言葉は、司法において頻繁に用いられる言葉です。(fotosintesiさん)

とのことですが、「死刑執行」に関しても「殺害」という言葉が「司法」(法律?判決?)で用いられているということでしょうか。実例を挙げていただければ、納得できると思いますので、どうぞお願いします。日本の法規が「死刑」を「殺害」と定義付けているなら、ウィキペディアの定義にもそれを用いるのが妥当かもしれません。死刑そのものについて定めた法規を見つけられなかったので、ご提示いただければ幸いです。

法に関して素人の感覚なのですが、この記事の冒頭に「殺害」という言葉を見たとき「これではウィキペディアは死刑反対の立場に見えてしまう」と感じました。私自身は「死刑」について賛成派でも反対派でもありません。どう考えるべきか途方にくれている一般人、とお考えください。個人的には、「刑の執行」は「殺害」より「致死」に近いように感じます。そして「殺害」と「致死」は、法律でも別のものとして扱われているのではないでしょうか。

法規の定義で「殺害」という言葉が用いられていないならば、ウィキペディアでも用いるべきではないでしょう。なぜならば、「死刑」を「殺害」と捉えるのは「死刑反対」の立場の方に限られるように見えるからです。死刑推進派も「殺害」という言葉を用いているなら話は別ですが、一方の立場の人しか用いない表現を冒頭定義に採用するのはWikipedia:中立的な観点に反します。そのため、Template:観点を貼りました。 これをはがすには

  • 日本の法規が「死刑」を「殺害」と定義付けていることを例証
  • 死刑推進派もごく少数の例外でなく一般に「死刑」を「殺害」として捉えていることを例証
  • 「殺害」を「死に至らしめる」など、より中立的な言葉に置換

のどれかをお願いします。--miya 2007年2月13日 (火) 00:12 (UTC)

(コメント)確かに、殺害という言葉に、突き刺さるような違和感をお感じになるのは理解できます。しかし、殺害という言葉自体は左でも右でもなく中立的な言葉です。だが、非常に非日常的でドキッとする言葉です。でもそれは当然なのです。なぜなら人を殺すと言うことは非常に非日常的でドキッとすることなのですから。ですから事実を極めて忠実に変更することなく表現するには、「ぶっ殺す」でも惨殺」でもなければ、「致死」でも「死に至らしめる」でもないはずです。致死という言葉は英語に直すとわかりやすいのですが、
遺棄致死 abandonment resulting in death
強姦致死 rape resulting in death
傷害致死 injury resulting in death
といった表現になり、死は二次的なものだとわかります。しかし、死刑における死は二次的なものでしょうか?死こそが目的ですよね。統治機関が殺意を持って組織的計画的に死刑囚を殺害するのが死刑執行です。これは動かしようの無い事実であり、死刑に賛成とか反対とかそういった立場の入り込む余地の無い記述です。それをオブラートに包むことこそが欺瞞だと思います。死刑に賛成するにしてもしっかりとその事実を受け止めた上で堂々と賛成されればよいのです。
  • 日本の法規が「死刑」を「殺害」と定義付けていることを例証

これは「死刑」という法規ではなく「死刑執行」という行政行為をあつかっており、法規の中で人を殺すという行為を「殺害」と表現し、結果として死に至らしめることを「致死」と呼ぶことから、この場合は殺害がふさわしい。

  • 死刑推進派もごく少数の例外でなく一般に「死刑」を「殺害」として捉えていることを例証

これは上述の通り、「殺害」ということばは中立的で客観的な表現

  • 「殺害」を「死に至らしめる」など、より中立的な言葉に置換

固執するつもりはありませんが、put someone to death というのはあまりにも回りくどく、むしろ恣意性に満ちた言葉に思えますがいかがでしょうか?

以上--fotosintesi 2007年2月13日 (火) 04:56 (UTC)
法規に従うのが必ずしも適切な表現と言えるのか疑問もあるのですが、どうなんでしょう?例えばマスコミ的な表現や、子供向けニュースの表現など様々あります。様々ある中で、なぜ法規の表現を使うのか、そこに何らかの価値観が介入する可能性はないでしょうか?
また英訳についてですが、言語は文化の影響もうけますので、何が最適な翻訳に値するのか疑いが発生します。翻訳行為にも、ある種の価値観が介入する余地があります。
手続き論的な文体もあり得るでしょう。権利から言葉を選ぶなら「司法の判決に基づき、行政が生命権を奪う」もあります。わざわざ「政治的な領域」と記述するのもどうなんでしょう?たしかにその通りなんですが、それを直接的に書いてしまうのはメッセージ性が強すぎる気もします。
よく話題になりますが刑務官の内情もあります。この点からすれば「執行官に死刑囚を殺害させる」とも言えます。
反語的になりますが「オブラートに包む」の反対は「オブラートに包まない」という選択を意図して取ることになります。「死刑に賛成するにしてもしっかりとその事実を受け止めた上で堂々と賛成すればよい」という発言も、暗に主観的である事を示してます。つまり『殺害』という言葉には心理的に影響を与えるのを認めてます。そして言葉にポリティカルな力がある事を認めている事にもなります。かと言って、避けるのもまた人為的でありポリティカルな行為やもしれません。
全般的に記述がジャーナリスティックで、活動家的な印象を受けます。「よくぞここまで調べた」と言うことで感心するんですが、やはり百科辞典的ではない気がします。個人的なスクラップ集の印象を受けます。
正直な所、完全な客観性が存在するのか分かりません。何らかの主観が介入してしまうと思います。そもそも百科辞典的にはどう書くのが相応しいのでしょう?死刑制度そのものがなくなった国もある様ですし、一部の国では『死刑執行』が過去の歴史となってると言えます。フランスがそれに当たります。
もしかしたら、言葉遊びをやってるに過ぎず読み手のリテラシーに依存する度合いが高いのかもしれません。客観性も存在しないかもしれません。強いて言うなら「時代とのマッチ」です。時代とマッチしない言葉を選ぶと「ズレ」が生じますので、それが主観になるのでしょう。
なお、他の百科辞典を読んで来ましたが「殺害」という言葉は使われておりませんでした。202.53.13.151 2007年2月15日 (木) 11:13 (UTC)
死刑(というか刑罰)の目的は、犯罪者を罰する事であって、殺すことが主目的ではないと思いますが・・・?死刑は「罪を犯した者に死をもって償わせる」んですよね?「罪を犯した者を殺す」はちょっと刑罰の説明としていきすぎかなと思います。
あと、私は202~氏、220~氏とは別人です。218~は同一人物であると主張してみたりします。--218.251.125.114 2007年2月20日 (火) 03:30 (UTC)

fotosintesiさん、せっかくお返事いただいたのですけど、やはり釈然としませんでした。218.251.125.114のコメントのように「(刑罰の)目的は、犯罪者を罰する事であって、殺すことが主目的ではない」と感じているからかもしれません。

fotosintesiさんは「殺害」ということばは中立的で客観的な表現と書いておいでですが、死刑囚を「殺害」と聞くと、「死刑執行」されたのではなく、死刑囚が刑以外のプロセスで殺されたような印象を受けます。英語でも"execute(処刑する・執行する)" は "kill"とも"murder"とも異なります。死刑囚側の視点からみれば「殺害」でも、執行する側の視点から見れば、あくまでも「職務遂行」ではないか、と思うのです。--miya 2007年2月23日 (金) 01:15 (UTC)

  • executionには確かに執行するという意味もあるのですが、ほとんどの場合単体で「死刑執行」という意味になります。実際日本での死刑執行やサッダーム・フセインの死刑執行を英語メディアではexecutionという一語で表現しており、死刑をexecuteするという表現は使っていません。したがって、miyaさんの話の流れにそくすと、「死刑執行とは死刑を執行すること」となってしまいます。それは例えば「死刑という刑を実行する」といいかえても同じでしょう。しかもexecuteには

「死刑囚が刑以外のプロセスで殺されたような印象を受けます」というご意見には、それでは「法手続に則って殺害すること、殺すこと」というのではどうでしょう。お気持ちは察するのですが、正確に事実を記述しようとすると我々が違和感を感じるのは、まさにこれまで正確に事実を記述してこなかったことの証左ともいえないでしょうか?何か私がこだわっているように見えるでしょうが、正確な記述としての対案があるのでしたらわたしは持論にこだわるつもりはまったくありません。しかし、言葉を濁した書き方は百科事典ではないと考えています。ちょっと例を探してみようと思うのですが、英語で死刑にkillを使っても日本語ほど違和感は無いはずです。英語では交通事故で亡くなった場合もkillを使いますしね。ただほんとにこだわってるわけではないのです。なにかいい対案はないでしょうか?--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 02:19 (UTC)

「殺害という言葉自体は左でも右でもなく中立的な言葉」・・・障害という言葉自体も左でも右でもなく中立的な言葉ですよね?病気や怪我が、その当事者に害を及ぼしている状態であり、その当事者が社会に対して害的存在なわけではないのに、なんで「障がい」などとひらがなで書くのか、(やっぱり腹の中でそう思っているのをバレナイようにかなぁ・・・)私には理解できないのですが(笑)←あ、自分の無知を笑ってます。それと似た感じを受けました。名も無き一閲覧者として。(結局は国家の犯罪だと言いたいんだろ?)

現在は漢字表記の制約で「障害」と表記されていますが、本来は「障碍」が正しいのです。「碍」という文字が常用漢字表(当時は当用漢字表)に加えられなかったため、「同じ音をもつ代用文字」に置き換えられたのです。「害」と「碍」の意味の違いはご自身で漢和辞典等でお調べになってください。--Goki 2007年2月23日 (金) 02:38 (UTC)

「法手続に則って(受刑者を)殺すこと」でいいと思います。(固執していないと言いながら)何故そこまでして「殺害」という表現に固執しているのかが疑問です。

「wekipediaは記事の読者に対してあらゆる主義主張してはならない」と思います。 誰か一人でも、記事内の表現方法によって特定の主義主張をしていると感じるのであれば、記事は修正されるべきなんじゃないかと思います。 他の記事のことをここに書くべきでないと言うことは重々承知していますが、一言。

激増、及び急増という言葉は、fotosintesiさんのご指摘通り、「それまでなだらかな変化だったものが急激に増加する事」です。しかし、「どこ」から急激に増加しているのか?どのくらいが急激なのか?という点は、残念ながら、あくまで主観です。fotosintesiさんは、使用理由としてデータを見れば自明としているようですが、「データを見て『各々が判断すれば』、自明」というのが、本当のところではないでしょうか?だとすると、「『判断する』」という行為が混じる以上、激増、急増は主観的で執筆者の推論が混じってしまうんです。ただ、グラフであれば、増加していることは異論の余地はないわけですから、多くの執筆者は「増加」という言葉を使います。

~で、あと、wekipediaは事実のみ記載する処ではありますが、リアルタイムで記述する必要はないし、誰も速報を望んでいないと言うこと。(何故か急いでいる方も大勢いらっしゃいますが。)ぶっちゃけてしまうと、存命人物に対する記載は、その人が死んでから記載すればよいのです。 繰り返しますが、wekipediaの記事に主義主張があってはいけないので、意見が分かれている事例や、事例・個人に対するマイナスイメージと取られかねない記述に関しては、殊更慎重にならなくてはいけません。 完成を急いでいないからこそ、第3者が読んだ際、記事に特定の主義主張を感じないか、もう一度考えていただければ幸いです。--218.251.125.114 2007年2月23日 (金) 08:11 (UTC)

<<「法手続に則って(受刑者を)殺すこと」でいいと思います。 >>
私もそれで全く問題ないと思います。そもそも削除される前の初稿も「殺すこと」だったのです。これは言葉の感覚の問題でしょうが「殺す」より「殺害する」の方が私はより中立的に感じていたのです(笑)。ただ、「殺」という言葉を取り除いて、別の表現にかえようと言う意見の中で死に至らしめるとかは少し回りくどいのではないかという意見を述べていただけです。

それから別記事の激増の件ですが、たとえば1,2,3,4,5,10,100,150,200のような変化の場合、「増加」ではどうしても欺瞞的表現になってしまいます。できるだけデータを添えて表記するべきだと思いますが、当該カ所では、無期刑に関してはデータを添えましたが、付随的な記述である死刑にまでは添えませんでした。そのへんは脚注などをつけて補足すればよいのでしょうが、どちらがより実態に近い表現かということで、「激増」や「急増」という言葉が与える「印象」もあれば「増加」という言葉が与える印象もあると思います。ある意味、言葉のチョイスからあらゆる主観を取り除くの不可能でしょう。したがってもっともその状態を他者に正確に伝える表現を選ぶという作業が出てくるのであって、「増加」という言葉は客観的で、「激増」と書くと主観的とは言い切れないのではないでしょうか? それから<< 存命人物に対する記載は、その人が死んでから記載すればよいのです。 >>というのは極めて保守的なご意見として承っておきますが、それではWIKIPEDIAは歴史書になってしまいませんか。コンテンポラリーな話題も含めるからこそ百科事典なのであって、数年間に1回しか改訂しないような辞典だって存命人物を扱わないことはないでしょう。存命人物に関する記述には一層の注意は必要ですが、書くなという意味ではないし、どの宇宙飛行士が月に行ったかなど、月に行った直後から(それが確定事実であれば)記載できるような点がWIKIPEDIAのよさではないでしょうか?まあ、ここで長々と話す内容では無いでしょうが…--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 08:55 (UTC)

「法的手続きに乗っ取り、裁判所の判決を受けて行政が生命権を剥奪する」と書くのがそれっぽい気もします。やはり「殺害」は言葉の刺激が強すぎますね。202.53.13.151 2007年2月23日 (金) 13:26 (UTC)


著作権の確認について[編集]

ここで議論を続けるよりも建設的だと思いましたので、検証可能性を満たすための表記を行って頂けるように該当事務所宛にメールで連絡を取り、経緯を説明し、要請を行っております。本来ならば公式な方針であるWikipedia:検証可能性に基づき、掲載を希望する側が行わなければならないのですが、敢えて行動を起こしました。どのような結果になるかはわかりませんが、取り急ぎご報告まで。--kira727 2007年2月14日 (水) 08:18 (UTC)

とりあえず、要請内容を。
  • 該当エントリー(2006.12.26、「クリスマスに4人の死刑執行」)内、管理者側だけが編集可能な部分に「fotosintesi氏のコメント部分について、同氏によるWikipediaへの転載を許可、または許可しない」旨の記載。
もし、これだけでは不足している等ありましたら急ぎご連絡下さい(私のノートで構いません)。--kira727 2007年2月14日 (水) 08:40 (UTC)
了解しました。修正して再度連絡しておきます。--kira727 2007年2月14日 (水) 14:51 (UTC)
      • すいませんが、wikipediaには全く無関係な神保氏に迷惑をかけるような行動はとらないでください。非常識にもほどがあります。もはや削除されてしまった第三者のコメントの著作権云々でブログ管理者に問いあわせることの無意味さがおわかりにならないのですか?いいですか、例のコメントはもう存在しないのですよ。そのような論理をあてはめてしまえば、wikipediaに記事を執筆する人間は、過去にその記事が一度もweb上にも存在していないことを証明してから記述しなくてはなりません。そもそも、あなたは本当にこの記述がわたしのものだと言うことを疑わしいと思っているのですか?wikipediaの精神「コピーレフト」もいったいどこから出てきたものか理解された方がいいですね。--fotosintesi 2007年2月14日 (水) 20:16 (UTC)
迷惑をかける原因を作ってしまったのは貴方なのですから、それについて対応するのは当然であり、かつその原因となる事象が解決されていないのですから問い合わせたりすることは当然でしょう。無意味と言われておりますが、前回の削除依頼で問題になったのは、神保氏のブログに投稿されていたコメントで、そのコメントがWikipediaにも投稿されていたことが問題となって記事の削除になったのですから、指摘されても仕方ないでしょう。あと、Web上にも存在しないことを証明しなくてはならないというのは、Wikipedia:著作権#他人の著作物を使うときに従わない形でWikipediaに寄稿してはならないという点で極めて当然のことだと思いますが違いますか? 出典を提示する際に利用していたWebページが消失してしまったことで、InternetArchive等で履歴をたどり、「信頼できる情報源が無い記述」にならないように努力されている方もいらっしゃる訳ですからね。過去にWeb上に公開した論文なり写真なりが、Web上から削除されたことを理由にして著作権の消滅とすることが出来るのかどうか、よくお考えになってください。削除=著作権を放棄することと同義ではありませんよ。あと、コピーレフトと申されているようですが、それはWikipediaにおけるものであって、神保氏のブログにも無条件に適用されると言う訳ではありません。神保氏が表明しているのはCopyrightであって、コピーレフトでは無いのですから。--kira727 2007年2月15日 (木) 01:43 (UTC)
  • 将来的にこの記事が優れたものに発展したとしても初版からの違反によってすべてが台無しになります。Fotosintesiさんのとられている行動が前回の削除議論を踏まえていなく何の解決にもつながっていないのは流石にもうおわかりになられていると思います。ここでは貴方の著作である云々が問題ではなく、神保氏がGFDLを認めてくれるか否かが問題なのです。もしFotosintesiさんが本当に神保氏に迷惑を懸けたくないと思われているのでしたら再度削除依頼に出してすっきりとこの記事を削除の上、著作権に引っかかる虞のないように推敲して記事を作成するのが一番いいんですよ。--シャルル 2007年2月15日 (木) 03:07 (UTC)

アクティブになるのは賛成です。行く末がどうなるかは分かりませんが興味もありますので、活動は支持します。202.53.13.151 2007年2月15日 (木) 11:13 (UTC)

削除依頼再提出予告[編集]

ちょっと寝たフリをして静観してましたが、前回の削除の原因となった問題点は解消されていないようなので、近日中に再度削除依頼を提出したいと思います。ほぼ同じ文章を投稿するのであれば、まず復帰依頼を出すのが筋でしょうし。また「挑発」とか「攻撃」とか誣告されるおそれがありますので、コメントは少なめにしておきます。--Plisoner 2007年2月17日 (土) 02:26 (UTC)

了解しました。一応問い合わせ中ではありますが、未だにメールの返信を頂けていない(2月14日送付)・該当ブログでの対応もまだ確認できていないので、先に依頼を出されても良いと思います。もし何らかの対応があればその時点で再検討すればいい話ですし。--kira727 2007年2月17日 (土) 05:48 (UTC)
削除から項目復活までが、あまりにも早すぎましたね。前回の削除依頼での議論を踏まえていないと言う点には同感です。--Kogane 2007年2月21日 (水) 01:40 (UTC)

<< Fotosintesiさんのとられている行動が前回の削除議論を踏まえていなく何の解決にもつながっていないのは流石にもうおわかりになられていると思います。 >>

わかりません。神保氏に著作権のないものにどうやって神保さんに許可を得るのですか?神保氏自身は、はなからwikipediaの記事に著作権云々する気はないと私信に書かいらっしゃいます。しかし神保氏が自信のコメントに関するいかなる権利関係においてもそれをブログで宣言することは、そこに神保氏に法的責任が発生してしまうことになります。そのようなリスクを神保氏に負わせることはでません。そこで権利関係をそのようなリスクなく明解にするため、私が削除をお願いし、神保氏がそれに応じて、削除して下さったのです。それでもまだ神保さんに著作権があると御主張されるならその論拠を示して下さい。議論進行中のため削除依頼再提出は不当と思われます。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 08:42 (UTC)
削除依頼のページでも議論はできますし、削除依頼されたページが必ず削除されるわけではありませんからご安心ください。とりあえず「私信に書かいらっしゃいます」程度じゃ難しいでしょうし、削除された版で当初のあなたの記事の定義部分に三権分立の視点を追加したのは私とMiya様の加筆部分だったはずですから、一度削除して以前の版を復帰させる合理的な理由はあると思いますよ。削除依頼の再提出はむしろ必然です。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 13:49 (UTC)
困った人ですね。著作権云々の話が出る以前にこの記事と厳罰化の白紙化を2度にわたって行い、別記事へのリダイレクトテンプレートを貼っただけで「統合」(笑)と称し、3RR逃れに今度はすべてのインターリンクを改ざんするというとんでもなく手間のかかる工作まで黙々と行ってきたあなたの動機が不純なものであることは火を見るよりも明らかです。何が必然だかわかりません、無駄ですよ。記事破壊者が記事参加者だったかのような詭弁をつかうのもねえ…--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 01:55 (UTC)
Plisonerさんの推測どおりの反応ですね。本来でしたら当初気づいた私が速やかに対処していれば良かったのでしょうが、その段階では話せば判ってくれるかも、という期待を抱いていた私の判断ミスです。Plisonerさんには不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。さて、著作権的に灰色であるので安全性を確保するために削除を依頼している訳です。fotosintesiさんが上記の様な対応をされている限り、協調性が無く、著作権を侵害しないよう記事を充実する能力が無く、他の人の意見を読解する能力が無いため、暫くはwikipediaでの編集行為は控えていただければと思います。貴方の能力を発揮する場所として相応しい場を自らの責任で立ち上げられるのが最適ではないでしょうか。--シャルル 2007年2月23日 (金) 04:24 (UTC)
個人攻撃や決めつけばかりで御持論の合理性を誰もが納得できる方法で全く説明されない(できない)方々の御主張は私怨か政治的下心との批判を免れないでしょう。とくにPlisonerには彼が以前私に根拠もなくぶつけた言葉を拝借すれば著作権云々の話題が出る以前にこの記事の2度にわたる白紙化の『前科』がもあるのですから、理性的な議論に参加する資格がそもそも無いはずです。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 08:27 (UTC)

<<本来でしたら当初気づいた私が速やかに対処していれば良かったのでしょうが、その段階では話せば判ってくれるかも、という期待を抱いていた私の判断ミスです。>> << 本当に貴方はwikipediaの編集方針等を読まれましたか?中身を精査できていませんが、以前投稿された内容そのままでの投稿かと思われます。あちらのブログを削除していようが居まいが、そこまでしてこの内容が必要なのですか?絶対に安全な内容でつくりなおす気はないのでしょうか?残念ですがまだ貴方の編集態度はwikipediaに相応しいものと思えません。再度編集方針の熟読を期待します--シャルル 2007年2月6日 (火) 05:14 (UTC) >>

あまり、「話せば判ってくれる」という「態度」のコメントではなかったように思います。「以前投稿された内容そのままでの投稿」でもありませんでした。あしからず。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 11:37 (UTC)