ノート:政教分離の歴史/過去ログ4

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分割提案その2[編集]

2017年3月1日 (水) 07:27 (UTC) に「政教分離における歴史学的視座」節が加筆されました。例えば、この節を本記事の核にして、本記事をあくまで政教分離史の概略にとどめる、というのはどうでしょう。上述のふたつの政教分離のそれぞれについては本記事においては概略にとどめ、二つの記事に分割するというものです。--Susuka会話) 2017年3月2日 (木) 07:39 (UTC)

仲介の労をとってくださっているSusukaさんにまず感謝を。さて、基本的には分割という形での解決は望みません。というよりすでにしてその必要はなくなったように思われます。こちらの記事は歴史学的な政教分離の歴史を扱っており、政教分離原則の歴史ではないという立場を明確にし、「政教分離における歴史学的視座」節の信頼できる文献からの加筆によってそれを明確化しました。政教分離原則自体に関わる歴史については政教分離原則記事の歴史節があり、すでにそれぞれの概念はウィキペディア上で併存両立可能となっております。こちらを歴史学的内容でブラッシュアップした以上、内容の一貫性と独自研究の疑惑についても問題が解決されたと思われます。むしろ分割するならば、歴史学的政教分離論の立場での問題提起が求められますが、現状で歴史学的政教分離論の出典や文献を挙げての議論は一切なされていません。現状の政教分離原則視点の分割提案自体はそもそもの根拠がなくなっているように思われます。そして政教分離原則との混淆著しい議論がさらなるブラッシュアップを不可能にしていることがありますが、その原因は「政教分離の歴史」という記事名の「政教分離」の部分にあることは明らかなので、「聖俗分離の歴史」あるいは「歴史学における政教分離」、「政教関係の歴史」に変えるなど現状内容に即した適切な改名処理などは必要とは思われます。政教分離の考え方とその制度には多くの学問分野が関わっているために、政教分離という言葉に引きずられて本来の国家と宗教の機構的分離という歴史動態的意味に集中することが困難だからです。現在において政教分離というワードに言及する文献の大多数は政教分離原則をその直接の対象としているという当然の事実からも今後もそうした議論の混乱が起こることは予想されます。さて、分割という点に関しては以前詳しく述べたように歴史学的な関心の広がりを考えますと、詳しい各論の記述は読者の便にも必要と思われます。それは歴史学が個別研究の総体として全体的な概説を構成するという学問的な性質によっても細部にこだわるものだからです。またこの政教分離の過程は10世紀近くにわたる動態像として提示されているもので、さらに先行する政教一致的事象動態も含めるとキリスト教成立以来現代までの2000年史を包含することになります。法思想史、政治思想史、政治神学的研究と歴史学のこの分野の交流は広くかつ濃密で、用語上の統一性など分かちがたく、そうした各論的広がりをおぼろげながらでも提示するのがこの記事の趣旨のように思われます。もちろん分量的な問題などは観点としてまた別ですが。--2001:268:C068:E414:42D:8F80:D852:D29D 2017年3月2日 (木) 10:05 (UTC)
  • コメント では分割ではなく、『政教分離原則』および『政教分離の歴史』の両記事の更に上位記事として『政教分離』(仮称)などという記事が必要ですね。「【政教分離】という言葉には、歴史学的なものと、現在のいわゆる【政教分離原則】の二つの意味がある。現在【政教分離】が意味するのは後者であるが、本項では【政教分離】が二つの意味を持つことを概説する」などという記事はいかがでしょう。--Susuka会話) 2017年3月2日 (木) 10:32 (UTC)
ここでの議論の混乱ぶりを踏まえますと、新たに『政教分離』という記事を作るのはまた大変そうで、また混乱が生じそうなので、現在ある『政教分離原則』の「歴史」節付近に「国家とキリスト教会の歴史的な機構分離については『政教分離の歴史』を参照とのこと」という形での案内を加えるのがよいかなと思っております。で、『政教分離の歴史』は政教分離原則そのものを意識させない記事名にして混乱を防ぐのが読者の益になるという観点です。--2001:268:C068:E414:42D:8F80:D852:D29D 2017年3月2日 (木) 10:42 (UTC)
  • コメント では、最初に記事の解明を行うのがよろしいですね。記事名については、2001:268:C068:E414:42D:8F80:D852:D29Dさんに提示していただきたいです。--Susuka会話) 2017年3月4日 (土) 11:02 (UTC)
  • コメント 「政教分離における歴史学的視座」節は、ますます独自研究の分量が増えただけのことですよね。初めのほうは、エルンスト=ヴォルフガング・ベッケンフェルデの主張をもって、定説であるかのように記述されてますが、不適切でしょう。「政教分離」誕生以前は宗教改革の概念の一部に過ぎず、これを政教分離の歴史、と勝手に位置づけて自分の主張に合う学説だけを出典にされるなどは、Wikipediaで行うべきことではないでしょう。妥当な対処としては、大まかな分類でいうと、前半を宗教改革へ統合、後半を政教分離原則へ統合、関連する各学者の主張は主張として記述、となるでしょう。現状、重複記事になってるだけですね。--ぽてから会話) 2017年3月4日 (土) 16:08 (UTC)
政教分離の歴史を語る際に、494年まで遡る必要あるんですかね? 「政教分離の歴史」に関する文献で、494年から遡って述べてるものってあるんですか? ないなら、単なる独自研究であることが明らかになったと言えるでしょう。--ぽてから会話) 2017年3月4日 (土) 16:11 (UTC)
  • 【ぽてからさんへ】ぽてからさんのおっしゃっていることは近代的な政教分離原則と機構上および思想史上の国家と教会の分離過程としての政教分離を混同した議論で、そもそも前提が成り立っていません。ここの議論で延々と繰り返されてきた単なる誤解か常識論です。この記事が「政教分離の歴史」という記事名でなければそもそも成り立たない、そんな言葉遊びのような議論です。ですから今の議論の改名していくという流れであれば、もはや問題にならないと思われます。そして、ご批判の記事内容についてですが、ベッケンフェルデとそれを継承した山田欣吾の議論はいまや歴史学の概説書(たとえば『ヨーロッパの歴史と文化('09)』)においても言及される基本的な考え方で、すでに本議論の間に歴史学上の主要研究文献での言及とその継承が確認されているので、一学者の整理ではありますが、単なる一学者の説で無視され共有されていないとか評価未定で特筆するに当たらない、というものではありません。そもそもこうした議論はマックス・ヴェーバー以来の近代化論の系譜にもあり、ベッケンフェルデも彼自身が従来の常識を塗り替える新説を形成したわけでなく、ヘルマン・リュッペらの先行学説を整理して提示したというのが一般的な理解です。その点についてはすでに121.107.209.16さんが示した文献においても確認されています。そのうえで思想史上の問題にもなりますから、494年に遡る云々については実際上その種の議論は意味がないと思われます。いくつかの画期を設定することに反対するわけではなく、実際画期はありますが、こうした議論はいつから明確に国家と教会の分離は始まったということは事件としては示せても、その背景思想や社会状況を含めると、いつという部分は明確には定まりません(とはいえ、自然法論など一部分野を除いていまのところキリスト教誕生以前に遡らないことは確かです)。少なくとも歴史学的議論は政教分離に関連してすでにキリスト教迫害史(政教分離なしで信仰の自由に至った)や初期ビザンツ帝国の教会政策との比較国制史にまで踏み込んでいます。それは近代政治史における有名ななぜ国家的枠組みにおいては国民性が先行していたように思われる東欧ではなく、西欧で近代化が典型的に進展したのかという議論(飯田芳弘さん)に関わりますし、最近上梓された阿部俊大さんのスペインにおける国家形成を問う研究(『レコンキスタと国家形成 アラゴン連合王国における王権と教会』)などもあり、歴史学的には関係学問分野も巻き込んだメジャーな議論で一学者が独立して展開しているというものではありません。そもそもが政教分離という言葉が本来は国家(的な政治秩序)と教会(的な宗教道徳的秩序)の分離をいうのですが、近代国家の政治的装置として国家とあらゆる宗教組織を原則的に分けるべきとする政教分離原則のイメージが強く、現代社会においては両者の議論は一体なので区別されません。しかし歴史的には今日のような制度的政教分離が行われている社会は稀なので、その歴史過程は特殊ヨーロッパ史的に政治秩序と教会倫理の分離過程、国家機構と教会組織の分離過程として理解されています。あくまでベッケンフェルデ=山田欣吾的「教会国家論」は学界で現在最も定着しているのでそれを挙げているだけで(とはいってもほかの説を第一に挙げることは不適当と思われますが)、個別各論ではそれに修正を加えた五十嵐修さんの「キリスト教帝国」論や千葉敏之さんの伝道王権論などを取り上げていくというのがよいと思われます。個人的にはぽてからさんの「独自研究」に関する方針理解には些か問題があるように思われます。独自研究とはまだ信頼できる文献に発表されておらず検証可能性を満たしていないか、検証可能でも一般的に受け入れられてはいないと思われる一次研究のことで、文献的に十分な2次的3次的裏付けのある本記事の冒頭部分を指して使う物とはとても思えません。
  • 【Susukaさんへ】ぽてからさんのような誤解が絶えないと思われますので、政教分離ではなく、「聖俗分離の歴史」への改名が適切と思われます。理由として聖俗という言葉は特殊キリスト教会的な用語であり、そのため西ヨーロッパ史に特殊に関わる歴史記事であることが明確になること、政教分離原則との混同が起きにくいこと、聖俗分離とすることで政教分離原則や制度的政教分離に纏わる世俗的イメージが薄らぎ、思想史上の政教分離と親和的になることが挙げられます。同時に聖俗分離という形で地域的限定を直接的に設けなければ、時代を超えて広がりつつ研究の現状を踏まえて当然衝突することが予想される時空的限界を緩和できると思われるからです。--2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26 2017年3月4日 (土) 17:35 (UTC)
  • コメント 上述の議論を見た限りでは、2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26さんとぽてからさんは、「現在の本記事の記事名と内容が一致していないので、現状を変更することが望ましい」という点では一致していますね。2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26さんは『聖俗分離の歴史』への変更、ぽてからさんは『宗教改革』との統合が望ましいと主張されています。--Susuka会話) 2017年3月4日 (土) 17:51 (UTC)
率直に言って、私にはぽてからさんの「『政教分離』誕生以前は宗教改革の概念の一部に過ぎず」というところは全く理解できません。そして本記事の内容は宗教改革については後半部で扱うだけですし、宗教改革がグレゴリウス改革まで遡る、あるいはそれと同質であるという理解はちょっとなじみがありません。むしろ従来その意義を強調されすぎた宗教改革に対して、グレゴリウス改革を含めた12世紀革命がむしろ強調されて提示されているというのが現在の学界の共通理解に近い(たとえば千葉敏之ら『ドイツ史研究入門』)ですし、はっきり言って文献的にしっかりとした根拠があるのか非常に怪しいです。気分で論じているような雰囲気を感じます。たとえば古典的な研究である野口洋二『グレゴリウス改革の研究』はまさに宗教改革に目がいきがちな歴史論を批判し、グレゴリウス改革にこそ独立した大きな意義を認めるべきという研究の流れを振り返っていますし、この視点は同じく邦文におけるグレゴリウス改革の中心的研究である井上雅夫『西洋中世盛期の皇帝権と法王権』ではすでにもはや当然のこととして、宗教改革など話にも出てきません。--2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26 2017年3月4日 (土) 18:09 (UTC)
  • 質問 12世紀革命が強調されつつあるというのは、「宗教改革」の重要度が相対的に弱くなった、ということですか?たとえば、「"宗教改革"の定義が(扱われる時代的に)変化(あるいは前倒し)されつつある」という側面はないのでしょうか。--Susuka会話) 2017年3月4日 (土) 18:37 (UTC)
宗教改革は宗教改革で別個の歴史事象です。はっきり言ってしまえば、宗教改革は活版印刷術の発明が前提とされており、歴史学的理解において、活版印刷術の発明なしで宗教改革に触れることは出来ません(アンドルー・ペティグリー『印刷という革命』)。この一点をもってしても基本的にグレゴリウス改革とは本質的に異なるものですし、その他の相違点はベッケンフェルデが論じているとおりです。--2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26 2017年3月4日 (土) 18:45 (UTC)
(補足)思想史においても、たとえば自然法と神法の区別などは宗教改革ではかなり常識となっていますが、グレゴリウス改革期のグラティアヌス教令集では自然法=神法と捉えられています。この相違には理由があり、間にスコラ哲学による自然法論の進展が挟まっております。宗教改革とグレゴリウス改革ではその思想的状況も社会状況も全く異なっており、どちらも教会の改革を目指しているというかなりおおざっぱな外面は似ていても、実際に争われた論点や目標、問題関心、歴史的進展は全く異なっていますから、これを同質あるいは一連のものとしてひとくくりにする議論には率直に言って相当の無理があります。宗教改革はすでに政治秩序と宗教倫理の分離が相当程度進んだ思想・社会状況と活版印刷術の発明という決定的な変革を前提にした歴史事象で、国家と教会の未分化という問題と直面していたグレゴリウス改革とは全く異質です。--110.132.106.234 2017年3月4日 (土) 19:34 (UTC)(IPが変わりました。以上の発言は2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26のものです--2001:268:C068:C188:7467:B2EF:201B:67F7 2017年3月4日 (土) 19:57 (UTC))