ノート:加藤桃子/過去ログ1

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コメントアウトについて

私が本日のPooh456さんの編集をコメントアウトした理由は、確かに女流王座戦やマイナビ女子オープンの公式ブログの記事に掲載された写真はチェック柄の服を着たものばかりで記載に間違いはないのですが、実際に記載する必要があるのかよく分からなかったからです。橋本七段みたいにこだわりを持ったファッションがよく知られている人なら特筆性は十分だと思いますが、彼女の服装については私が検索エンジンで調べた限りスレッドやブログ記事では少し取り上げられているものの、出版物では発見できませんでした。もし彼女についての(将棋世界等の)特集やインタビュー記事の中に記載があったり、これから載ることがあれば別でしょうが、現状では微妙だと思います。一方で、このようなときに一気に除去すべきかどうか確信がもてなかったので、一旦コメントアウトして様子を見ることにしたわけです。ちなみに私としては今のところ除去したほうが望ましいと思います。--Swdyk11 2011年12月17日 (土) 12:42 (UTC)

当該部分を加筆した者です。「加藤桃子が、マイナビ女子オープン・女流王座戦・関連する記者会見などで、常にチェック柄のワンピースを着用している」「常にその服装をしているのかと思えば、そうではないと判断できる公開された情報がある」と考え、加藤桃子の人柄を想像する材料になると考えたので加筆しました。この加筆を「除去する必要」についてのSwdyk11さん、あるいは他の方のご意見をお聞かせ下さい。--Pooh456 2011年12月17日 (土) 14:20 (UTC)
コメント執筆者Pooh456氏の記述は単なる独自研究で、削除が妥当です。--Wikied 2011年12月17日 (土) 14:41 (UTC)
Pooh456の編集がどのように「単なる独自研究」なのか具体的に示して下さい。--Pooh456 2011年12月17日 (土) 14:58 (UTC)
コメントこれも「具体的に」ですか。呆れますね。
出典に基づかずに、ブログの画像を見て執筆者が書いているもの(執筆者による統計=一次資料)だからです。出典を求められたら「見ればわかる」としか言えないでしょう。不毛な要求は自重されたらいかがですか。--Wikied 2011年12月17日 (土) 15:19 (UTC)
「不毛な」という表現もWikipedia:個人攻撃はしないに触れますよ。改めて申し入れますが個人攻撃は直ちにお止め下さい。
私の加筆は、
マイナビ女子オープン専用サイト
リコー杯女流王座戦中継サイト
ブログ「日本将棋連盟ツイッター支部」第45回 東急東横店将棋まつりpart5・二日目
>ブログ「日本将棋連盟ツイッター支部」第45回 東急東横店将棋まつりpart9<完>・三日目
で検証可能な「事実」の記載であり、Wikipedia:検証可能性を問題なく満たすと考えます。なお、Wikipedia:検証可能性には「文字によらない情報は、検証可能性を満たさない」などという記載はありません。
根拠のない発言は自重されたらいかがですか。--Pooh456 2011年12月17日 (土) 15:33 (UTC)
コメント個人攻撃の意図はありません。お詫びします。
Pooh456氏の主張が正しいのだとすれば、「上記リンク先を見たPooh456によれば」という記述になりますね。これが独自研究でないというPooh456氏以外の意見があるなら見せていただきたいです。--Wikied 2011年12月17日 (土) 15:43 (UTC)

コメント現状では独自研究です。特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当するかと。「Aで着ている、Bで着ている、Cで着ている、だから常に着ている」ではダメです。「○○で着ている」という検証可能な「事実」の例をいくら積み重ねてもダメなものはダメで、「常に着ている」という情報が、その記事の主題に関連する形で、信頼できる情報源によって既に発表されている必要があります。新聞雑誌等で「チェックを愛用している」と紹介されていたり、インタビューで「チェックが好きなんです」と本人が答えていたりするなら記述可能でしょう。中尾彬の「彬巻き」「ねじねじ」のように自他共に認めるトレードマークとなるほどなら、いずれ何らかの信頼できる情報源で言及されるはずですから、それまで待ちませんか。(中尾彬の記事には全然出典がありませんが。困ったものです)

Pooh456さんへ。「具体的に示して下さい」ではなく、まずは指摘されたWikipedia:独自研究は載せないを全部読んでください。読んだけれど記述可能だと判断したなら、そのように書いてください。それはそれで方針の解釈を巡る別の問題となります。

Wikiedさんへ。既に謝罪されたようですが、「呆れますね」「不毛な要求は自重されたらいかがですか」はわたしも必要ないと思いました。

ご両人の履歴を見たところ別所で対立があるようですが、他の記事へ波及させないでください。どちらかの会話ページでするか、コメント依頼の利用をお願いします。--202.174.205.56 2011年12月17日 (土) 15:55 (UTC)


インデントを戻します。Swdyk11さんがコメントアウトなさった部分を、若干書き換えて出典を分りやすくするとすれば、下記のようになるでしょうか。脚注を可視化します。
(書換試案 開始)
  • 女流棋戦への参加時の服装
  1. 2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、常に、チェック柄のワンピースを着用している。[1][2]
  2. なお、2011年8月の「第45回 東急東横店将棋まつり」では、奨励会員として会場整理業務に当たっている際は「黒系のスーツにブラウス、ネームプレート着用」[3]、将棋ファンとしてプライベートに会場を訪れた際はカジュアルな服装(チェック柄のワンピースではない)であった[4]
== 脚注 ==
  1. ^ マイナビ女子オープン専用サイト
  2. ^ リコー杯女流王座戦中継サイト
  3. ^ ブログ「日本将棋連盟ツイッター支部」第45回 東急東横店将棋まつりpart5・二日目
  4. ^ ブログ「日本将棋連盟ツイッター支部」第45回 東急東横店将棋まつりpart9<完>・三日目
(書換試案 終了)
「上記リンク先を見たPooh456によれば」に類する文言は不要と解します。


202.174.205.56さんからご指摘の件ですが、
  1. Wikipedia:独自研究は載せないは全て読んでおり、その上で記述可能と判断しております。
  2. 「Aで着ている、Bで着ている、Cで着ている、だから常に着ている」ではダメです。ですが、本文で「2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、常に、チェック柄のワンピースを着用している。」と記載しております。この「2011年現在、女流棋戦の対局・・・常に着ている」事実については、マイナビ女子オープン専用サイトリコー杯女流王座戦中継サイトを閲覧して、誰でも検証可能です。なお、加藤桃子は、2011年現在で、この2つの「全過程が、中継ブログで記録・公開される」女流棋戦にしか出場しておりません。
  3. 例えば「加藤桃子が、奨励会例会への出席時にどのような服装をしているのか」は、Wikipedia:検証可能性を満たす情報がないので記述しておりません。
  4. 新聞雑誌等で「チェックを愛用している」と紹介されていたり、インタビューで「チェックが好きなんです」と本人が答えていたりするなら記述可能でしょう。中尾彬の「彬巻き」「ねじねじ」のように自他共に認めるトレードマークとなるほどなら、いずれ何らかの信頼できる情報源で言及されるはずですから、それまで待ちませんか。 そうしても良いとは思いますが、現時点で「対局時に必ずチェックのワンピースを着る」というポリシーらしきものが興味深く、「検証可能で独自研究に当たらない」と判断したので記述しました。現時点では「Wikipediaのルール上、記述不可」だということが明らかになれば、お勧めに従って取り下げます。
  5. ご両人の履歴を見たところ別所で対立があるようですが、他の記事へ波及させないでください。 そうですね。私も、まさか、全く別ジャンルの「加藤桃子」の記事に波及してくるとは思いませんでしたので驚きました。以後、Wikiedさんが自重なさって下さればと思います。--Pooh456 2011年12月17日 (土) 16:23 (UTC)

コメント指摘に対するお返事をいただき、書換試案の提示もありましたが、やはり独自研究に該当するというわたしの考えは変わりません。「常に、チェック柄のワンピースを着用している」という「事実」は否定しません。「信頼できる情報源による言及が存在しない」点が問題なのです。個々の「着ている」件については検証可能であり、現時点で例外がないとしても、「常に」の部分については検証可能な信頼できる情報源による言及がない、要するに「常に、チェック柄のワンピースを着用している」などと言及された出典がない、ということです。例外がないのだから、「常に」で問題ない、自明のことだ、という考えは方針上受け入れられません。出典が必要なのです!提示された書換試案でも、特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当してしまいます。

「中尾彬は常にねじったマフラーを着用している」という「事実」でさえ、出典がなければ「Wikipediaのルール上、記述不可」なのです。現状で出典が提示されていないことから、中尾彬の記事にあるねじねじ関連の記述は全部削除されても仕方がないわけです。もちろん、探せば出典がいくらでもあるでしょうから、削除しようとは思いませんが。

Pooh456さんはこの件が、「加藤桃子」について述べるとき、必ず触れなければならないほど重要な事実だとお考えかもしれません。他の人々(ウィキペディア内外を問いません)がPooh456さんと同様に考えていたり、本人が「対局時に必ずチェックのワンピースを着る」というポリシーを持っているなら、いずれ何らかの信頼できる情報源で言及されることになるはずです。繰り返しますが、それまで待ちませんか。--202.174.205.56 2011年12月17日 (土) 17:06 (UTC)修正--202.174.205.56 2011年12月17日 (土) 17:26 (UTC)

確かに、彼女の服装についての記述がその人柄を想像する材料になりうることは否定できません。また、「情報源に基づいた調査」(WP:PSTS)による記述は認められています。一方で、この記事が存命人物の伝記(WP:LIVE)であることも考慮する必要があると思います。「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」には”ウィキペディアは芸能レポーターでも、スクープ記事でもありません。”また、公人・著名人に関しては”もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。もし信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください。”とあります(WP:WELLKNOWN)。彼女の服装については公式ブログの写真では確認できても、文書化はされていない状態です。202.174.205.56さんのおっしゃるように、この記事が必要とする重要な事実であれば、何らかの信頼できる情報源の言及があるはずなのでそれを待つべきだと思います。
ちなみに、同方針中の「信頼できる情報源」(WP:BLPSOURCES)には”自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません”(個人的にはやや厳しいと思いますが)ということが書かれているようです。--Swdyk11 2011年12月18日 (日) 01:35 (UTC)


202.174.205.56さんとSwdyk11さんのご意見を拝見しました。
まず、
  1. 同方針中の「信頼できる情報源」(WP:BLPSOURCES)には”自主公表された本や新聞、ウェブサイトやブログによる情報は、伝記本人のものでない限り、決して使うべきではありません”(個人的にはやや厳しいと思いますが)ということが書かれているようです。は、ガイドラインの指示に従わねばなりませんね。今回の加筆部分については、ブログ「日本将棋連盟ツイッター支部」は、「自主公表されたウェブサイトによる情報」として、排除されるべきでしょう。Swdyk11さん同様、私も、個人的にはやや厳しいと思いますが、Wikipediaのルールですのでやむを得ません。
  2. 一方、マイナビ女子オープン専用サイトリコー杯女流王座戦中継サイトは、前者は株式会社マイナビが公式に運営するウェブサイト、後者は、株式会社リコー日本将棋連盟が公式に運営するウェブサイトであり、Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用に照らして、排除される理由のない「信頼できる情報源」と評価できると考えます。
  3. 202.174.205.56さんの「常に、チェック柄のワンピースを着用している」という「事実」は否定しません。「信頼できる情報源による言及が存在しない」点が問題なのです。個々の「着ている」件については検証可能であり、現時点で例外がないとしても、「常に」の部分については検証可能な信頼できる情報源による言及がない、要するに「常に、チェック柄のワンピースを着用している」などと言及された出典がない、ということです。例外がないのだから、「常に」で問題ない、自明のことだ、という考えは方針上受け入れられません。出典が必要なのです!というご指摘ですが、率直に言って「言葉遊び」になっていませんか?マイナビ女子オープンと女流王座戦で全ての過程が公開されて静止画または動画で参照可能であり、加藤桃子が公の前に姿を現した時に常にチェック柄のワンピースを着用している、という事実を、過不足なく記述することが、特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当する、という論理展開には無理があるように思います。ガイドライン特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成は、そこまでを求めていないように思います。
そこで、書換試案を改めて提示します。

(書換試案2 開始)

  • 女流棋戦への参加時の服装
  1. 2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、チェック柄のワンピースを着用している。[1][2]

==脚注==

(書換試案2 終了)

如何でしょうか。--Pooh456 2011年12月18日 (日) 08:42 (UTC)/書式を修正--Pooh456 2011年12月23日 (金) 06:30 (UTC)

コメント結論から申し上げますと、書換試案2であれば、記述に反対しません。検証可能な事実が述べられているだけで、わたしが反対の理由としていた独自研究には該当しなくなった、と思われるからです。

しかし、書換試案2には別の問題がおきています。加藤桃子の項目を読んだ利用者は、書換試案2に対し「それがどうした?なぜこんなことが書いてある?」という感想を持つかもしれません。「常に着ている」のであれば、ポリシーや験担ぎなどだろう、と利用者も納得すると思うのですが、「常に」がなくなり、着ている理由も不明となれば、その重要性が大幅に低下してしまうわけです。 とはいえ、項目の作成者であり内容の充実に貢献してきたPooh456さんが、「重要だ」と判断し記述しようとするなら、これ以上反対する気にはなれません。当初の反対理由が消滅した後、別の理由を持ち出して反対を継続するのはあまり好ましくない議論態度ですし、「重要だ」「重要ではない」という議論は個人の主観が大きく影響するので水掛け論になりがちですから。

記述に反対はしませんが、個人的にはやはり何らかの信頼できる情報源で言及されるまで待ったほうがいいと思います。今後も本人がチェック姿を続けるなら、いずれ誰かが言及するでしょう(チェックでない対局姿が公開される可能性もあります)。言及される際には、現時点で不明なチェックを着ている理由についても明らかになると期待できます。勝負服なのか、偶然が続いただけなのか、あるいは服に限らずチェックを愛用しているのか、わたしも知りたいと思いましたから。--202.174.205.56 2011年12月19日 (月) 12:13 (UTC)

202.174.205.56さん、ご意見有難うございました。書換試案2であれば、記述に反対しませんというご了解を頂き安堵しております。202.174.205.56さんのご発言から1週間経ちましたが、Swdyk11さん他の方から特にご発言がありませんので、議論終了と看做し、書換試案2に書き換えた状態でコメントアウトを外すことで、本件を終了させたいと思います。--Pooh456 2011年12月26日 (月) 01:22 (UTC)
多忙のため議論に参加できず申し訳ありません。私としては特筆性が微妙だという見解は変わりませんが、この記述が事実に基づいた投稿であることは(文書ではないものの)出典によって確認できるため、ことさら反対する気にはなりません。この記事の主執筆者であるPooh456さんの意思は尊重したいと思います。一方で、何らかのメディアでこの件について報じられたときは、それを出典に加えた方がよりいいと思います。--Swdyk11 2011年12月26日 (月) 08:43 (UTC)

「エピソード」の箇条書きについて

差分のJbgさんの編集について、利用者‐会話:Jbg#「加藤桃子」の編集についてとご連絡をしたのですが、Jpgさんから「なお、記事についてのご意見は記事のノートに、それへのお誘いのメッセージのみ利用者会話ページに、ということでお願いできれば幸いです」とのご返答を頂きましたので、こちらに場所を移します。

問題になっている部分を示します。便宜上、現在はコメントアウトされて ノート:加藤桃子#コメントアウトについて で議論中の部分も、議論の内容を反映して、同様に編集して可視化します。


(Jpgさんの編集後の状態 開始)

= エピソード =

  • 以下、初代女流王座を獲得した2011年12月12日の記者会見より[1]
    • 「第4局が大逆転負けだったので、(第5局の)終盤は震えながら指していた。」
    • 「母が携帯中継を見ていたので、終局後に『おめでとう』のメールが来た。」
    • 「この一年は人生でいちばん将棋が好きになった。」
    • 「今年度中( = 2012年3月末まで)に奨励会初段を目指したい。」
    • (「ストレス発散のための趣味などを教えていただけますか?」との質問に対して)「趣味は将棋なので…好きなことは、食べること歌うこと寝ることです。」
  • 女流棋戦への参加時の服装
    • 2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、チェック柄のワンピースを着用している。[2][3]


= 脚注 =

(Jpgさんの編集後の状態 終了)


さて、ガイドライン Help:箇条書き#推奨される例Help:箇条書き#長い説明 を参照しますと、本項目について「推奨される例」に従うとすれば、下記のようになるのではと考えます。


(書換試案 開始)

= エピソード =

以下、初代女流王座を獲得した2011年12月12日の記者会見より[1]
「第4局が大逆転負けだったので、(第5局の)終盤は震えながら指していた。」
「母が携帯中継を見ていたので、終局後に『おめでとう』のメールが来た。」
「この一年は人生でいちばん将棋が好きになった。」
「今年度中( = 2012年3月末まで)に奨励会初段を目指したい。」
(「ストレス発散のための趣味などを教えていただけますか?」との質問に対して)「趣味は将棋なので…好きなことは、食べること歌うこと寝ることです。」
女流棋戦への参加時の服装
2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、チェック柄のワンピースを着用している。[2][3]


= 脚注 =

(書換試案 終了)


利用者‐会話:Jbg#「加藤桃子」の編集についてでPooh456が述べたことと異なっている点はご容赦下さい。結果として、見やすくなっていると思われます。

ご意見をよろしくお願いします。--Pooh456 2011年12月23日 (金) 05:36 (UTC)/修正 --Pooh456 2011年12月23日 (金) 07:54 (UTC)

あ。私が出かけている間に頭の片隅で考えていたアイデアと全く同じです。異存ないです。私が直前の編集で「」をつけたときに、すでにそうすべきでした。--以上の署名のないコメントは、Jbg会話投稿記録)さんが 2011年12月23日 (金) 13:02 (UTC) に投稿したものです(Pooh456による付記)。
早々に、ご賛同並びに記事の更新を行って頂き、誠に有難うございました。この節の議論は終了ということでよろしくお願いします。--Pooh456 2011年12月24日 (土) 01:14 (UTC)

瑣末な記述の削除について

親からメールが来たとかチェックの服を着ているから何だというのでしょうか。Wikipediaは無差別に情報を載せる場所ではありません。したがって、これらの瑣末な記述は削除します。--Wikied 2011年12月26日 (月) 10:30 (UTC)

Wikied 氏の編集について

Wikied氏が「瑣末な記述の削除等(WP:NOTに則る)」なる不明確な理由で、記述を削除しましたので、差し戻しを行いました。

なお、Wikied氏は、私Pooh456と他の記事牟田口廉也でトラブルを起こしており、Pooh456に対する個人攻撃 差分を行っており、警告 差分を受けております。

Wikied氏は、下記のような書き込みをノート:加藤桃子で行い

コメント執筆者Pooh456氏の記述は単なる独自研究で、削除が妥当です。--Wikied 2011年12月17日 (土) 14:41 (UTC)

コメントこれも「具体的に」ですか。呆れますね。出典に基づかずに、ブログの画像を見て執筆者が書いているもの(執筆者による統計=一次資料)だからです。出典を求められたら「見ればわかる」としか言えないでしょう。不毛な要求は自重されたらいかがですか。--Wikied 2011年12月17日 (土) 15:19 (UTC)

下記のような警告を受けています。

(1) Pooh456から「個人攻撃を止めるように」という警告を受けています。差分

(2) 202.174.205.56氏から「Wikiedさんへ。既に謝罪されたようですが、「呆れますね」「不毛な要求は自重されたらいかがですか」はわたしも必要ないと思いました。ご両人の履歴を見たところ別所で対立があるようですが、他の記事へ波及させないでください。どちらかの会話ページでするか、コメント依頼の利用をお願いします。」という警告を受けています。差分

Wikied氏の行為は、Pooh456に対する私怨によるものと考えざるを得ません。--Pooh456 2011年12月26日 (月) 10:31 (UTC)

当事者以外の方にも私怨とみえるのであれば不徳の致すところです。当方としては、端的に編集方針に基づいた行動をとっているに過ぎない点を明言しておきます。--Wikied 2011年12月26日 (月) 10:39 (UTC)

コメントIPが変わっているようですが、202.174.205.56です。あまり偉そうなことを言える立場でも、言いたくもないのですが、いちおう。

Wikiedさんへ。「親からメールが来たとかチェックの服を着ているから何だというのでしょうか。Wikipediaは無差別に情報を載せる場所ではありません」というご意見には、基本的に同意するところです(ですので、Pooh456さんがチェックに関する記述を復活させたことは、個人的に残念です。何度か婉曲的に止めたのですが)。しかし、その他のWikiedさんの行動にはまったく同意できません。 まず、いきなりの削除がダメです。編集合戦の契機にしかなりません。出典のない記述、独自研究の疑いが濃厚な記述、存命人物に対する悪意ある記述などであれば、「ひとまず削除」→「異論があるならノートで議論」でも構いませんが、今回はそうではありません。先にノートで削除の提案を行ない、異論がないか確認してからにすべきだったと考えます。最近編集のない寂れた項目ならともかく、つい最近ノートで議論が行なわれたばかりで、他の利用者からの意見が期待できますから。 次に、別所での対立をこの項目に持ち込んでいるように見えることです。私怨なのか当事者以外には分かりませんが、わたしには一種の「つきまとい」や「江戸の仇(敵)を長崎で討つ」行為に見えます。Wikiedさんにとっては「端的に編集方針に基づいた行動をとっているに過ぎない」のでしょうが、客観的にどう見えるのか、自身の履歴を振り返っていただきたいと思います。

Pooh456さんへ。履歴をざっと見たところ(別所の議論内容は関知しません)、Wikiedさんとの対立はPooh456さん側にも問題がある、と感じました。Wikiedさんの編集に対し、3RR違反にならない回数までは差し戻し、相手が3RRに違反したら管理者伝言板に報告、という行動をとるのでは、対立が深まるばかりで、今後も編集合戦は避けられないでしょう。すでに「複数項目で編集合戦を継続、クールダウン及び方針熟読」という理由で両者短期ブロックとなっていても、おかしくありません。ノートや会話ページでの合意が難しいなら、コメント依頼の利用をおすすめします。

問題の「チェックの服を着ている」などの記述がこの項目に必要か、という点ですが、これまでノートに書かれた意見を簡単にまとめてみます。特筆性がある、とのご意見がPooh456さん。特筆性がない、とのご意見がWikiedさん。微妙だけど主執筆者の意見を尊重、とのご意見がSwdyk11さん、そしてIPのわたし。なんとも微妙なところです。Jbgさんのご意見も聞いてみたいですが、きっちり結論を出したいのなら、コメント依頼で広く意見を募る方法もありますね。--202.174.207.197 2011年12月28日 (水) 09:43 (UTC)

「つきまとい」云々に関してお答えします。当方の履歴をご覧いただくとわかると思いますが、今回に限らず、同一ユーザーの編集に手を入れることがあります。問題執筆・編集歴のあるユーザーには、往々にして同じ問題の傾向(三大方針を理解していない等)があるからです。誰かの編集が気に入らないといった感情的な理由ではなく、Wikipediaの編集方針に反するという基準によります。
Pooh456氏に関しては、別の記事で特筆性の観点から疑義が複数出ており、今回も同様に「だからどうした」と思われても仕方のない(特筆性に欠ける、瑣末な)記述の掲載を行いました。この瑣末さについては、IP氏もすでに触れておられます。特段、議論するまでもない瑣末な案件として削除しました。別記事での対立をもちこんだ、という見解があり静観していましたが、Pooh456氏の傾向を確信したところです。
先にIP氏は「婉曲的に止めた」とのことですが、理解に苦しみます。別の問題があるなら、それを指摘することに何の問題があるのでしょう。結果としてIP氏は、貢献しているAの編集には反対せず、貢献していないBの編集には反対する、という類の不公正な譲歩をしたように見えます。
当方に対して自重云々と反応するPooh456氏にとってみれば、IP氏やSwdyk11氏からの異論の方が受けとめやすいかも知れません。ご協力いただければ幸いです。
なお、現段階でPooh456氏は当方の問いかけに無反応で、それこそ私怨と思しき不当な編集(12)を繰り返している旨はお伝えしておきます。--Wikied 2011年12月28日 (水) 14:55 (UTC)

コメント毎度のIPです。先に結論ですが、ご両人で納得いくまで議論を続けるとよろしいかと思います。仲裁はわたしでは無理です。力不足かつ身の程知らずでした、申し訳ありません。下のほうで思いきり匙を投げています。

Wikiedさんはご自分の何が問題なのか、理解していないようなので、いちおう指摘はしておきましょう。現時点まで、この項目におけるWikiedさんの行動は、トラブルを起こすだけで何の成果もありません。編集方針に従った正当な行動であろうがなかろうが、迷惑なだけです。まず最初の発言[1]。説明もなしに独自研究と決め付け、削除が妥当だと主張する。こんな乱暴な主張を受け入れ、「そうですね、じゃあ削除しましょう」などと削除に応じる相手がいるでしょうか?Pooh456さんが、具体的に指摘して欲しいと返すのは当然の反応で、議論の最初から感情的な対立が始まっています。言うまでもなく、Wikiedさん、あなたのミスです。

続いての発言[2]。具体的に指摘したのはよいですが、余計な挑発がついています。Pooh456さんが、個人攻撃はやめてくださいと返すのはこれまた当然の反応で、議論を横道に逸れさせ、対立を深める結果を招いています。言うまでもなく、Wikiedさん、あなたのミスです。

この後、Pooh456さん・Swdyk11さん・わたしの間で議論が進み、独自研究にならないような記述にまとまりました(特筆性の問題は残りましたが)。この間、Wikiedさんは意見を表明せず、放置していたわけです。しかし、結論が出てPooh456さんが記事を編集した途端、削除[3]。挑発的というか礼儀がなっていないというか、Pooh456さんのみならず、議論に参加していたSwdyk11さんやわたしに対しても喧嘩を売った編集と言えます。で、当然のように差し戻し、差し戻しの編集合戦。これもまた言うまでもなく、Wikiedさん、あなたのミスです。

このように履歴を振り返れば、いくら編集方針を掲げて正当化を図っても、Pooh456さんにつきまとい、喧嘩をしに来ているようにしか見えないことが分かります。じゃあどうすればいいのかと言えば、最初からただ淡々と、独自研究(あるいは特筆性なし)に該当する理由を説明し、削除を主張すればよかったのです。しつこいようですが、Wikiedさん、これは全部あなたのミスです。根本的に議論姿勢を見直すことをおすすめします。

一方のPooh456さんは、あっさりWikiedさんの挑発に乗って、予想通りの反応をしています。個人攻撃に対し警告で返し、強行削除に対し差し戻しで返し。当然の反応とも言えますが、そこには相手との対立を解消しようとしたり編集合戦を避けようとしたりする意思がみられません。これでは両者が共に悪いと看做されてしまっても仕方がないでしょう。余計なお世話ですが、もう少し受け流すことを覚えるか、徹底的に対立することを選ぶなら「相手の隙を見逃さない」よりも「自分が隙を見せない」ことを重視して行動した方がよい結果になると思います。

以下完全に余談。「先にIP氏は「婉曲的に止めた」とのことですが、理解に苦しみます。別の問題があるなら、それを指摘することに何の問題があるのでしょう。結果としてIP氏は、貢献しているAの編集には反対せず、貢献していないBの編集には反対する、という類の不公正な譲歩をしたように見えます」ちょっとこのWikiedさんの指摘に関しては思うところがあるので、ものすごい蛇足ですがだらだらと述べてみます。不公正な譲歩をしたように見えますとのことですが、実際その通りです。記事を書く人が大事。これはわたしの基本姿勢です(記事の所有権がどうのという話ではない)。書いてない人の意見がよほど明白に正しいのであれば別ですが、そうでないなら記事を書く人の支持に回ります。不公正?そりゃそうです。実績を残している人の意見が支持されるのは、現実社会では当然のことですからね。他の項目での実績は知りませんが、この項目に限ればPooh456さんが主執筆者。わたしやWikiedさんはいきなり乱入してきてケチをつけているだけの役立たずです。独自研究が解消されたなら、害はなさそうだし残しておいてもいいだろ、という「不公正な譲歩」はそこから来ています。理解してもらえるとは思いませんが。さらにだらだら続けます。この「不公正な譲歩」に関してPooh456さんには失望しました。互いに譲歩し歩み寄るというか互いに相手の意思を尊重するというか古き良き日本人的な美学というかそんなものを期待していたのですがね。「試案2なら反対はしません、でもまだやめた方がいいですよ?」→「試案2を理解していただき、ありがとうございます。全面的な支持が得られるよう、情報収集を続け、記述の復活はしばらく様子を見てからにしたいと思います」なーんて奥ゆかしい回答を期待していたら、「反対じゃないんですね、それじゃさっそく復活させます!」ですからね。うわあ、そう来たか、と。ひでーな。ああ、美しくない。次にこんな場面に遭遇したら、強行に手を変え品を変え反対を継続するしかないのかな。嫌ですねえ、ホントに。いつまでも納得しない議論のための議論って最悪だと思うんだけどな。なんというか価値観が違うんでしょうね。Pooh456さんとも、Wikiedさんとも、分かり合える気がしません。この文章を読んでも「何言ってんだこいつ」程度の反応しかないでしょうしね。親近感を感じるのはSwdyk11さんですね。独自研究に対しいきなり削除ではなくコメントアウトを選ぶところとか、譲歩の仕方とか。一番正しいのはJbgさんかな。深入りしない。厄介な利用者にはできるだけ関わろうとしない。トラブルを避けるのは大事なことです。ん?わたしは何を書いているんだ。ああ、まあもういいです。この項目に関わったのが失敗でした。ちょうど年末ですし、ここへのコメントはこれで最後。今年はいろいろと形容の仕様がないほどひどい1年だったので、来年はいいことが続くように祈っています。それでは皆様よいお年を。--202.174.216.192 2011年12月29日 (木) 03:27 (UTC)

Pooh456の見解を、利用者‐会話:Wikied#Pooh456からお伝えします。に記述しました。--Pooh456 2011年12月29日 (木) 07:11 (UTC)

議論が落ち着いているところに恐縮ですが、私は服装についての記述は不要だと思います。服装が特に注目されたということが確認できない限りは。--白駒 2012年1月4日 (水) 12:16 (UTC)

瑣末な記述

下記の記述が記載に値するのか否か、ご意見くださいますようお願いいたします。

  • 「母が携帯中継を見ていたので、終局後に『おめでとう』のメールが来た。」
  • 2011年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭などでは、チェック柄のワンピースを着用している。

服装についてはすでに多くの不要論が出ていますが、執筆者が1月4日の意見に対しても反応していないため改めて広く意見を募ります。 当方は、二つとも取るに足らない内容で、削除が妥当と考えています。--Wikied 2012年1月18日 (水) 08:26 (UTC)

(1) 2011年12月29日 (木) 07:08(UTC)に、Wikied氏に 利用者‐会話:Wikied#Pooh456からお伝えします。 として直接伝えており、Wikied氏が2012年1月11日 (水) 11:24(UTC)に提起したWikipedia:コメント依頼/Pooh456#Pooh456氏のコメントの「具体例2 について。」で、2012年1月12日 (木) 02:27 (UTC)に改めて述べていますが、Wikied氏が本記事が Wikipedia:過剰な内容の整理 による対処を必要とする状態に陥っているとお考えでしたら、前記のガイドラインに沿って対処なさって下さい。
また、記事 加藤桃子 について新たな議論を提起し、コメント依頼 までする余力があるのなら、
(2) ノート:鬼束ちひろ#Wikied氏の編集についてで、利用者:Sishusengen氏から「既に別件でPooh456氏からコメント依頼(Wikipedia:コメント依頼/Wikied 20120111)を受けているにもかかわらず無視している方の発言とは思えません」と批判されているのに対し、Wikied氏は「依頼者の意見について被依頼者がコメントすることは、コメント依頼参加者の負担を増すこともあるので、裁量は認められるものです」と反論していますが (差分) 、Wikied氏の負担は問題ないようですので、Wikipedia:コメント依頼/Wikied 20120111に、被依頼者として速やかにコメントすることを勧めます。
(3) ノート:鬼束ちひろ#Wikied氏の編集について で、Pooh456の指摘 (差分) に対し、Wikied氏は「先にも述べているとおり、頑なな反対があるなら、広く意見を募って是非を問うまでのことです。--Wikied 2012年1月15日 (日) 05:49 (UTC) 」と述べていますが、先に宣言したことから実行することを勧めます。--Pooh456 2012年1月18日 (水) 09:26 (UTC)
コメント恐れ入りますが、表題と無関係な記述はご遠慮ください。--Wikied 2012年1月18日 (水) 10:11 (UTC)
「『瑣末な記述(Wikied氏の私見による)』を除去するためのガイドラインとして Wikipedia:過剰な内容の整理 が規定されているので、それに沿って対処なさって下さい」
「Wikied氏には、この議論を提起する前に、すべきことがあるのではないですか?」
と述べているのですが、何故「標題と無関係な記述」になるのですか?
また、利用者‐会話:Pooh456 で、Wikied氏からPooh456に対する挑発的な発言があったことを付記します。(差分)--Pooh456 2012年1月18日 (水) 11:02 (UTC)
コメント「『瑣末な記述(Wikied氏の私見による)』を除去するためのガイドラインとして Wikipedia:過剰な内容の整理 が規定されている」というのは、賛同を得ていない一ユーザーの私見にすぎません。
記述不要という多数の意見が出ている中で「Wikied氏の私見による」と判断する御仁と合意形成する自信がないので、意見を募っています。ご理解いただけるとありがたいです。--Wikied 2012年1月18日 (水) 11:13 (UTC)
ガイドラインを無視し、コメント依頼を無視し、他のWikipedianを「御仁」と呼び、会話で挑発的な発言をするWikipedianとの合意形成は確かに難しそうです。--Pooh456 2012年1月18日 (水) 11:29 (UTC)
コメント コメント依頼より参りました。記者会見については特記に値するのは「趣味は将棋」のくだりくらいではありませんか。ありがちな記事構成でしたら、「エピソード」ではなく「人物」の方が合いますかね・・・。チェックのワンピースについては、もし公の事実としてトレードマークだと言うのであれば、特記性があります。明確な出典を確保した上で、記述するのはおもしろいと思います。たまたま何度か着ていただけなら、記述するに値しないでしょう。上座・下座は将棋界隈では時々ネタになる話であり、伝統を重視する将棋界では大事なことらしいです。私は残しておきたいと思います。--Hman 2012年1月27日 (金) 11:41 (UTC)
コメント Wikied氏が瑣末な記述として挙げている「チェック柄のワンピース」についてですが、将棋界においてどのような服装でタイトル戦に臨んだかと言うのは、大切な事柄(一例をあげると島朗九段が竜王戦の際にスーツを着用した事などは今でも語り草になっています)であると思われるので削除の必要は無いと私(Saishusengen)は考えます。特にそれが女性の場合なら尚更、こういったハレの舞台でどんな服を着ていたかと言うのは特記性があるのではないかと。一方で、「『おめでとう』のメールが来た。」と言う記述は特記性が感じられず確かに不要かな、と思います。--Saishusengen 2012年2月10日 (金) 9:52 (UTC)
コメント それほど重要であったのなら、または何らかの意図が有っての服装なのであり特記性が存在するのであれば、それこそ島朗氏のスーツの様に、多くの二次資料で言及されるはずです。もしくは今後、されるはずです。っていうか島朗氏のネタが特別なだけじゃないですか・・・。他には(タイトル戦・・・決勝と言う訳ではありませんが)橋本崇載氏の「髪型」や、先崎学氏の「ポロシャツ」などが著名ですね。と言った次第で、現時点で何枚かの「写真」を典拠に記述するのは厳しいでしょう。なんでもいいので、手続きとして、「チェック柄のワンピース」についてあえて言及した文献が必要です。本人が「トレードマークです」だの「勝負服です」だのと語っていたのであれば、それで十分とは思いますし、逆に先走ったインタビューに「たまたまです。別に好きではないです」と答えているなら、それはそれで良いのかもしれません。まあ、本当に意図的に着用しているなら今後文献が発見されるか、発生するはずです。その時を待ちましょう。--Hman 2012年2月10日 (金) 12:34 (UTC)
Hman氏に伺いますが「現時点で何枚かの『写真』を典拠に記述するのは厳しいでしょう。なんでもいいので、手続きとして、『チェック柄のワンピース』についてあえて言及した文献が必要です」というコメントは、どのようなWikipediaのルールが根拠でしょう?--Pooh456 2012年2月10日 (金) 13:12 (UTC)
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんです。要は特記性が必要と言うことで、それの証明ですね。残念ですが正直、きりがないですから・・・。--Hman 2012年2月10日 (金) 13:18 (UTC)

お示しのWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんでは、「ウィキペディアの記事は以下のようなものであってはなりません」と記載され、6つの例示があるのみです。「特記性」なる概念については、Wikipediaのどこにも言及がないようです。失礼ですが、Hman氏が「要は特記性が必要と言うことで、それの証明ですね」とおっしゃる根拠が見えませんが?

ところで「残念ですが正直、きりがないですから・・・」とはどういう意味でしょう?--Pooh456 2012年2月10日 (金) 13:28 (UTC)

それはあくまで「例示」であり、全てのケースについて述べているわけではなく、そこに挙げられていなければ(明文化して禁止されていなければ)何でも載せて良い訳ではないと認識すべきかと思いますが?その他Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性などもありますが。きりがないと言うのは「些末な情報を収集していてはきりがない」ということです。最近ではWikipedia:井戸端/subj/特筆性の基準Wikipedia:井戸端/subj/特筆性を理由とした記載拒否についてで議論されていましたね。未読でしたら是非ともご一読ください。--Hman 2012年2月10日 (金) 13:35 (UTC)

Hman氏は私(Saishusengen)のコメントに対し「それほど重要であったのなら~」と述べていますが、私は上記で「重要」と言う単語は一切使用しておりません。勝手に誇張や拡大解釈をされないようお願い申し上げます。私はあくまで一般論として、女性は服装に対してとてもこだわるものであるし、それがタイトル戦という一世一代の大舞台であるのならば、どんな服装で臨んだかを掲載するのはwikipediaにとって有益なことではないかと思い(そういう事柄が何十何百とあるようならさすがに削除すべきでしょうけれど)コメントした次第です。島九段に関しては、タイトル戦における服装についての話題で最も有名であると思われたので一例として挙げただけです。--Saishusengen 2012年2月10日 (金) 13:51 (UTC)

ああ、私の考えすぎでしたか。それでしたら大変失礼致しました。まあ、実際に話題に上ってないのにウィキペディアでだけ話題にするわけにもいかないでしょうし。加藤桃子氏が今後ともご活躍を続けられれば、言及された文献も生じるかもしくは見つけやすくなるでしょうね。--Hman 2012年2月10日 (金) 13:57 (UTC)

途中で別な議論が入りましたが、『--Hman 2012年2月10日 (金) 13:35 (UTC)』に対するコメントです。

Hmanさんが示された二つの井戸端の議論はいずれも一応読んではおりました。前者はどちらかというと Wikipedia:特筆性 (書籍) について論じているもので、今回の件とはあまり関係ないかと思います。後者は、議論が拡散して、結論らしいものは出ていないようですね。

ところで、Hmanさんがおっしゃる『きりがないと言うのは「些末な情報を収集していてはきりがない」ということです』ですが、加藤桃子 という記事が膨大な情報量になり、重要な情報と、Hmanさんがおっしゃる「瑣末な情報=特記性を欠く情報」が入り乱れいる状況になっているならともかく、現状の 加藤桃子 は、どう見てもそのような状況ではありません。現在の情報量は「8,308バイト」に過ぎません。

本ノートの「コメントアウトについて」節での議論で合意が成立している記載を、「些末な情報を収集していてはきりがない」として問題視する理由がないと考えますが?--Pooh456 2012年2月10日 (金) 14:00 (UTC)

サイズが小さい内は些末な情報を掲載してもよい、とはなりませんでしょう。先の合意が無効であるか有効であるかについては、先日コメント依頼を見て参りましただけの私は関知していません。現にWikiedさんが異論を申し立て、コメント依頼に掲載され、それを拝見した私は私で「掲載すべきではない」とのコメントまたは意見を述べさせて頂いているだけです。別段特別なことはありません(コメントを依頼されていたのでコメントしているだけなのですから)。--Hman 2012年2月10日 (金) 14:12 (UTC)
「些末な情報を収集していてはきりがない」ということを、ごくサイズが小さい記事について問題視する実益はないのでは?ということを申し上げているのですが。
現に、Wikipediaのルールでは、Wikipedia:独自研究は載せない については「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです」として「この条件を満たせない記述は独自研究として排除する」と明示し、Wikipedia:検証可能性 では、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」として、Wikipedia:独自研究は載せない Wikipedia:検証可能性 も、はっきりと「定義」と「除去の基準」を示しています。
ですが、Hmanさんが言われる「特記性」については、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません で、ごく簡単に述べられているのみです。「定義」についての記述も簡単で、「除去の基準」は、ありません。
この辺は、Hmanさんが言及された Wikipedia:井戸端/subj/特筆性を理由とした記載拒否について の冒頭で「実際においてはこの「特筆性」を理由に記載そのものを実質的に拒否するような論陣が議論において度々みられ、相応の出典があるにも関わらず記載が妨げられるケースも散見されます。何等かの理由により記載を好ましくないと思う側からすれば、ほぼ、どのような状況にあっても「特筆性がない」という魔法の言葉によってWP:VやWP:NPOVをキャンセルし記載を拒否できてしまうということです」と言う発言にも関係するでしょう。
Hmanさんは「コメントを依頼されていたのでコメントしているだけなのですから」と言われますが、「掲載すべきではない」とコメントをするのであれば、その前提として「掲載すべきでない=除去すべきとする根拠」が必要ではないですか?
私の見る所では、
(1) 「除去すべき」とするWikipediaのルールはない。
(2) 加藤桃子 の情報量はごく僅かであるので、仮に「瑣末な情報」だとしても、除去する実益がない。
と思われます。
また、失礼ですが「先の合意が無効であるか有効であるかについては、先日コメント依頼を見て参りましただけの私は関知していません」という発言は、コメント者として無責任ではないでしょうか?コメントする前に、このノートを一読すれば、この記述を巡って既に「合意形成→合意無視→編集合戦→投稿ブロック」が発生し、全てに、コメント依頼者であるWikied氏が関与していることは、直ちに分かる筈ですが?--Pooh456 2012年2月10日 (金) 14:46 (UTC)
はあ、そう申されましても、私の見解(コメント)は以上の如し、なのです。依頼者がWikied氏であることはコトの本質に全く関係しません。(1).方針を素直に解釈すれば些末な情報は掲載すべきではありません。(2).手の施しようが無くなってから対処すると言うのはまずいでしょう。・・・と、私はそう考えます。なお、私はチェック柄について言及されている文献があるのであれば(例えそれが本人ブログでも)掲載に問題は無いと申しております。念のため。有りそうな気もするのですが。--Hman 2012年2月10日 (金) 14:58 (UTC)
「Hmanさんが、Wikipediaの方針を解釈しての私見として、規定はないが、瑣末な情報は除去すべきと考える」ということですね。そういうことが必要なら、「瑣末な情報の除去」についての規定がとっくに整備されている筈ではないですか?
「手の施しようがなくなってから対処するのはまずいでしょう・・・」ということですが、その場合の対処方法が、Wikipedia:過剰な内容の整理 として整備されておりますので、Hmanさんのご心配は杞憂です。
そもそも 加藤桃子 が「手の施しようがない状態」になる可能性は、現時点ではゼロでしょう。
なお、加藤の「本人ブログ」は公開のものは存在しません。--Pooh456 2012年2月10日 (金) 15:18 (UTC)
はあまあ、本人ブログはいずれそれが出来れば、何らかのかたちで語られることもあるかな、と、そういう話です。これについては別に本人発信情報でも構わないんじゃないかな、と。ご本人が意識成されていることで、特記するに値することであると、ある程度担保できるでしょう。と申しますか、現時点でご本人もマスコミも、一切チェックのワンピースには触れていらっしゃらないんですか?一つ二つも文献をご呈示頂ければ、どうやら言及するに足る様だ、となる様ですから、それで問題は解決です。でまあ、ウィキペディアの方針整備・・・というか明記ってなかなか進まないんですよ。「方針を素直に解釈すれば」ってのが多くて。私などは、もう少々明言しておくべきと思っているのですが(「常識で考えて」では話が進まない場合も本当に多いんです)、今度は私が「それは細かく書きすぎ」とか「むしろ書いてないコトは何をやっても良いと解釈される虞がある」って言われてるんですよね(苦笑)。・・・ってWikipedia‐ノート:独自研究は載せないのことなんですけど・・・。また、「掲載すべきでないもの」が掲載されていれば「除去の方向で考える」は当然なことと思いますが。他にどの様な選択肢があるのですか?--Hman 2012年2月10日 (金) 15:33 (UTC)
本件は今後議論を続けても、将棋棋士のタイトル戦における服装が「瑣末な情報」であるかどうかで意見が割れている以上、合意の達成は見込めないでしょうね。Hman氏が主張される通り文献がみつかるまで待つのが最善かと思います。それまでは該当部の削除やコメントアウトを行ったところで編集合戦が行われるか、争いの火種を増やすかの不毛な事が起きるだけと思われるので、本文に関しては現状維持するのが望ましいかと思います。--Saishusengen 2012年2月10日 (金) 15:42 (UTC)
そうですね、私も「これは実際現時点では載せられないでしょう」と口を挟ませては頂いておりますが、まあもの凄く乱暴に言えば、この節では記述派・不記述派は2対2(本当に乱暴ですね!)の状況であり、本日や今月ただちに動く気はありません(というか、あくまでコメントしているだけで編集には参加していません)。こんなんで動いたら私がブロックされかねません。むしろ、図書館に行った時に思い出せば、将棋雑誌を当たってみるかも、というくらい、ある意味頓着は無いんですよ。予測や憶測では動かないというだけで。でまあ、何年か後に文献で言及された事実を示して特記性が担保されればそのまま又は加筆でよし、何年か後にやっぱり文献が何もないとなれば特記性は無かったと見なして除去、とこういう感じでいくのかな、が現在の印象です。これについてはSaishusengenさんにもご同意頂けると思います。ただしコメント依頼はまだ続いていますし、ふらりと新たな編集者が現れることもあります。完全な結論を出すこともないとも思っています。--Hman 2012年2月10日 (金) 15:58 (UTC)
Saishusengenさんの
『Hman氏が主張される通り文献がみつかるまで待つのが最善かと思います。それまでは該当部の削除やコメントアウトを行ったところで編集合戦が行われるか、争いの火種を増やすかの不毛な事が起きるだけと思われるので、本文に関しては現状維持するのが望ましいかと思います』
というコメントが入り、Hmanさんから示された
『でまあ、何年か後に文献で言及された事実を示して特記性が担保されればそのまま又は加筆でよし、何年か後にやっぱり文献が何もないとなれば特記性は無かったと見なして除去、とこういう感じでいくのかな、が現在の印象です。これについてはSaishusengenさんにもご同意頂けると思います。』
は、私も同意させて頂きます。
2月9日(木)に行われた女流王座の就位式でも加藤が「チェックのワンピース」でしたので(第1期リコー杯女流王座就位式)、コメントが出るかと期待したのですが、ありませんでした。Wikipediaでは Wikipedia:信頼できる情報源 の基準を満たさないのでもとより出典に使えませんが、「[個人ブログ記事]」で、加藤が渡辺明竜王の就位式にやはりチェックのワンピースで出席したことが写真で掲載されていますが、「チェックのワンピース」への言及はありません。加藤が女流王座を獲得して各マスコミで取り上げられましたが、「チェックのワンピース」についての言及は皆無でした。私も「何故、誰も加藤に聞かないのか」「新聞記者は加藤の服装に関心を持たないのか」と不思議に感じております。時間の問題で、Hmanさんが言われる「文献」が出ると思われます。--Pooh456 2012年2月10日 (金) 16:16 (UTC)

(インデント戻し)ええ、そうなんです。私も何らかの意図が含まれている可能性は、決して低くはないと思っていますし、もしそうではなかったとしてもマスコミがツッコんだらそれはそれで(ラフに言えば)それなりの話題になっていることであるとの証明です。「加藤と言う棋士はどうもチェック柄がお好きな様である」とでも書いてあれば・・・。なんでもいいから言及されればそれでよいのです。ただし、現在では可能性または憶測でしかない(ほぼ確実とは言い切れない)のもやはり確かです。結局正確性と良い意味での野心的な編集のバランスと言えばそうなんですね。まあ当面維持、ではなく、逆に当面除去しておき文献を確保したら再掲載、でも良いのですが、これについては長期的に他の方のご意見を伺ってみましょう。先刻申し上げました通り、これからもこのノートに人はやってきます。いやむしろ是非ともやってきて頂きたいものです。取り敢えず今日はこれで良いとしても(?)新たな意見が付けばそれに対しては十分に耳を傾ける必要が有るでしょう。なお、当面掲載しておくにしても、現状では、およそ全ての棋戦・対局についてチェック柄のワンピースを着用していると読めてしまいますが、それを示す出典は示されていません。refで示された写真で分別有る大人であれば誰でも容易に認識できる範囲で記述するか、それを担保する文献を待つべきです。これについては「調整」の範疇ですので、お任せ致します。本当に常にワンピースなのでしょうか、ツーピースの目撃例はほとんどないのでしょうか・・・などについても、その辺りも直接それに言及した文献さえ入手なされれば、少々ご加筆頂いてよろしいと思いますよ。10行20行になるとさすがに「やりすぎ」と言われるかもしれませんが、10行20行も書けるだけの文献が集まるのであれば、それはそれで書いても良いのかもしれません。まあその時はその時で、また。--Hman 2012年2月10日 (金) 17:07 (UTC)


昨夜は、遅くまでHmanさん、Saishusengenさんにお付き合いを頂き、誠に恐れ入ります。最初にお詫びとお礼を申し上げます。 『現状では、およそ全ての棋戦・対局についてチェック柄のワンピースを着用していると読めてしまいますが、それを示す出典は示されていません。refで示された写真で分別有る大人であれば誰でも容易に認識できる範囲で記述するか』 私も、最初は「単なる偶然だろう」と思っていたのですが、現時点で、加藤が女流棋戦(マイナビ女子オープン、女流王座戦)に関わって姿を見せた際は、「ほぼ」全ての場面(対局、記者会見、タイトル戦前日の対局室検分や前夜祭、就位式)で、夏も冬も「チェックのワンピース」を着ております。現時点で、例外は1回のみです。

Hmanさんから

「なお、当面掲載しておくにしても、現状では、およそ全ての棋戦・対局についてチェック柄のワンピースを着用していると読めてしまいますが、それを示す出典は示されていません。refで示された写真で分別有る大人であれば誰でも容易に認識できる範囲で記述するか、それを担保する文献を待つべきです」

というご指摘がありましたが、下記のような書換案では如何でしょう。「チェックのワンピース」の部分のみに関してです。


<書換案 開始>

女流棋戦への参加時の服装
2012年現在、女流棋戦の対局、記者会見、前夜祭、就位式(女流王座、2012年2月9日)などでは、チェック柄のワンピースを着用している[注釈 1][注釈 2]

(注釈を可視化)

  1. ^ 加藤は2012年2月11日現在で、第1期女流王座戦と第5期マイナビ女子オープンの2つの女流棋戦に出場した。加藤が対局、記者会見、タイトル戦前夜祭、就位式など姿は、両棋戦の公式ブログ(マイナビ女子オープン公式ブログリコー杯女流王座戦中継ブログで詳細に画像で報じられた。延べ17日のうち、16日で「チェック柄のワンピース」[1]、1日で「黒系のスーツに青いブラウス」[2]をそれぞれ着用していた。
  2. ^ リコー女流王座戦五番勝負広報ポスター」では、加藤は「白いブラウスに紺のスカート」、清水は和服(振袖)をそれぞれ着用していた。ただし、現実の五番勝負では、両対局者とも、ポスターのような服装はしていない。

(出典を可視化)

  1. ^ 「チェック柄のワンピース」の着用は、第5期マイナビ女子オープンが3例、第1期女流王座戦が13例で計13例。<マイナビ>(1) 2011年7月16日の一斉予選、(2) 10月6日の本戦1回戦(対 島井咲緒里女流二段)、(3) 12月15日の本戦2回戦(対 里見香奈女流三冠)。<女流王座戦>(1) 2011年6月13日の二次予選(対 大庭美樹女流初段) (2) 7月13日の本戦1回戦(対 千葉涼子女流四段) (3) 8月18日の本戦準々決勝(対 岩根忍女流二段 (4) 9月21日の本戦準決勝=挑戦者決定戦(対 伊藤沙恵奨励会1級)同日の挑戦者決定記者会見、(5) 10月21日の五番勝負第1局前日対局室検分同日の第1局前夜祭、(6)10月22日の第1局 、(7) 11月2日の五番勝負第2局対局室検分同日の第2局前夜祭、(8) 11月3日の第2局、(9) 11月18日の五番勝負第3局対局室検分同日の第3局前夜祭、(10) 11月19日の第3局、(11) 12月6日の五番勝負第4局、(12) 12月12日の五番勝負第5局同日の初代女流王座奪取記者会見、(13) 2012年2月9日の初代女流王座就位式
  2. ^ 「黒系のスーツに青いブラウス」の着用例は1例。2011年5月21日の女流王座戦一次予選(対 渡辺弥生女流1級)

<書換案 終了>井戸端#出典のない記述の扱いについて」での、2012年2月13日 (月) 04:08(UTC) の Ks aka 98氏の指摘(差分)を反映して、「書換試案」を修正済。Pooh456 2012年2月13日 (月) 05:04 (UTC)


この記述でしたら、Hmanさんが示唆された Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 の「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」でカバーされるかと思います。--Pooh456 2012年2月11日 (土) 07:38 (UTC)

写真をずらずら並べて数え上げて調査してみて「ほらこの通り、ほとんどはチェック柄のワンピースを着用しています」とする事について、私は強い違和感を覚えます。どうも数え上げるのは二次資料の仕事のような・・・。とは言えWikipedia:独自研究は載せないに曰く所の「二次資料とは、他の情報源から取得した情報やデータの概括、分析、総合、解釈、評価を行うものです。」に明らかに抵触するとも見なせないので難しい所です。しかし今回は昨晩申し上げましたとおり、仮の記述なのですから、踏み込んだ記述については文献を待つべきでしょう。特記性が担保されていない事象については、せめて簡潔に行きましょう。また井戸端で皆さんに広くご意見を伺ってみるのも良いかもしれませんね。スナップ写真でここまでやろうと言う事例を私はちょっと見たことがありませんので、どうしたものか非常に困っておりまして、皆さんがどうお考えになられるのかについて、私も興味が有ります。--Hman 2012年2月11日 (土) 08:29 (UTC)

確認「親からメールが来た」は記載に値しないという複数の意見によって、合意形成されたとみてよろしいですね?これが重要との指摘はなく、合意を得られるものとも思えませんので(「多数決ではない」とごねるのはご遠慮ください)。--Wikied 2012年2月12日 (日) 12:52 (UTC)

「母が携帯中継を見ていたので、終局後に『おめでとう』のメールが来た」は、加藤の人柄を示す記述でもないので、除去して差し支えないでしょう。--Pooh456 2012年2月12日 (日) 13:24 (UTC)

報告当該部分を削除しました。--Wikied 2012年2月12日 (日) 14:16 (UTC)

コメント 個人的にはコネタ (ゴミネタ、カスネタと言われてしまうこともあるようですが)は好きです。しかしながら、

  • 「初代女流王座を獲得した2011年12月12日の記者会見」という部分に関しては、極論すればリンクを貼れば十分ということになりますが、羅列でなく文章としてまとめるとか本文に埋め込むとかすれば、なんとかキープできるかもしれません。検討してみてください。
  • 「女流王座が下座に座る」というのは興味深いのですが、この部分は写真を見て利用者が解説しているだけなので、独立した二次資料により特筆性が確認できていない以上、速攻で削除されるべきだと考えます。
  • 「女流棋戦への参加時の服装」という部分は写真を見て利用者が解説しているだけなので、もしも「その服装を着ると勝つというジンクスがある」(たとえばですよ)みたいな具体的な記述があれば、特筆性があると判断される場合もあるでしょうが、現時点では速攻で削除されるべきだと考えます。

Takabeg 2012年2月13日 (月) 02:59 (UTC)

  1. Takabeg氏は「『特筆性』がない記述は速攻で削除されるべき」とお考えのようですが、そのようなWikipediaのルールが存在しないことは、この「ノート:加藤桃子#瑣末な記述」において、Pooh456が「2012年2月10日 (金) 14:46 (UTC)」と「2012年2月10日 (金) 15:18 (UTC)」に摘示していますのでご確認下さい。その上で異議があればよろしくお願いします。
  2. 「女流王座が下座に座る」記述については、「Wikipedia:信頼できる情報源」の基準を満たす「LPSA公式サイト 『第5期マイナビ女子オープン』」に「入室時、加藤女流王座が下座について座っていたが、里見女流三冠が上座にうながす場面も見られた。」という記述があり、Takabeg氏が言うように「写真を見て利用者が解説している」ものではありません(「写真を見て利用者が解説している」のであっても、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 の「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」を満たしていれば独自研究に当たらず、「写真を見て利用者が解説している」ことをわざわざ指摘する実益がありませんが)。当該記述について示されている出典はオンラインで確認可能ですので、確認の手間を省かないで下さい。
  3. 「女流棋戦への参加時の服装」についてのTakabeg氏のコメントは、ここまでの議論を全く読まずに為されたように見えますが?少なくとも「ノート:加藤桃子#瑣末な記述」は全て読んでから議論に参加して頂けますでしょうか。--Pooh456 2012年2月13日 (月) 03:53 (UTC)


Pooh456 が、2012年2月11日 (土) 07:38 (UTC)に示した「書換試案」についてですが、「井戸端#出典のない記述の扱いについて」での、2012年2月13日 (月) 04:08(UTC) の Ks aka 98氏の指摘(差分)を反映して、「書換試案」を修正しましたのでお断りします。--Pooh456 2012年2月13日 (月) 05:04 (UTC)

他の利用者の示した意見や提示した方針・ガイドラインなどもチェックしております。ただし、私なりの意見を述べているだけですから、少なくとも他の利用者の示した意見に拘束される必要はないはずです。もちろん、他の利用者の意見が集まってコンセンサスが形成されればそれに従いますよ。「入室時、加藤女流王座が下座について座っていたが、里見女流三冠が上座にうながす場面も見られた。」というのは見落としたようですね。これも、箇条書きでなく、本文中に埋め込むなど工夫していただければ生きてくると思います。ところで、果たして「Wikipediaのルールが存在しない」のでしょうか? 失礼になるかもしれませんが、Pooh456さんは、この記事に限らず(コメント依頼などでも)、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用の"法律家ごっこ"をしているように感じています。「説得されないぞー」という態度で瑣末な情報を記事に押し込むためにエネルギーを注ぐよりも、より重要な情報を抑えて記事に盛り込むほうが有益であると考えています。抑えるべき情報が主で、瑣末な情報は従であるはずなんです。しかし、その主と従が逆転しているケースが多すぎます。私は瑣末な情報であっても、一定の要件が整えば削除されなくていいと考えています。しかし、要件が整っていないのに整っていると強弁を使って主張してまで、無理に掲載するべきではないと考えています。Takabeg 2012年2月13日 (月) 05:06 (UTC)


Takabeg氏から、Pooh456が「『Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用』の"法律家ごっこ"をしているように感じています」という指摘を受けましたので釈明します。


Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用」では、「ルールの悪用の代表例として、法律家ごっこがあります。方針の精神を無視して方針の表面上の字面だけを厳密に追っていき、自分勝手な議論や解釈をすることを意味します。」と定義されております。前期の定義文で「方針の精神」が「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」にリンクされていることから、Wikipediaのルールで「無効」とされる「法律家ごっこ」とは、「WikipediaのルールでAと規定されているから、それに従わねばならない」と、「方針の表面上の字面だけを厳密に追っていき、自分勝手な議論や解釈をすること(定義文から引用)」を行い、結果として、「Wikipediaにおける実益を損なう結果になる」行為を指していると解釈します。


ならば、私が申し上げているのは「Takabeg氏は「『特筆性』がない記述は速攻で削除されるべき」とお考えのようですが、そのようなWikipediaのルールが存在しないことは・・・(既に)摘示しています」と「Takabeg氏が、存在しないWikipediaのルールが、あたかも存在するかのような前提で、発言・行動する」ことに異議を唱えている訳ですので、少なくとも、「『Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用』の"法律家ごっこ"をしている」と批判されるには当たらないと考えます。


ところで、Takabeg氏は「入室時、加藤女流王座が下座について座っていたが、里見女流三冠が上座にうながす場面も見られた。」というのは見落としたようですね。これも、箇条書きでなく、本文中に埋め込むなど工夫していただければ生きてくると思います。と発言しておられますが、箇条書きを排し、本文中に埋め込むことを主張なさる意味が分りません。差し支えなければ「このように本文中に埋め込めば生きてくる」という「書換例」を具体的に示して頂けると有り難いですが、如何でしょうか。--Pooh456 2012年2月13日 (月) 05:38 (UTC) (修正)--Pooh456 2012年2月13日 (月) 14:42 (UTC)

「チェック柄」の記述の除去について

「チェック柄」に関する記述については、Wikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについてでかなり詳細な議論が行われました。その議論においては、記述を残すことを主張してるのはPooh4565さんだけで、他の方は記述は除去すべきというご意見でしたし、Pooh456さん自身も2月16日以降は議論継続の意思を見せておられないため、私としては「記述を削除」で合意成立と考えておりました。

ところが、本日「Wikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについてでの議論に基づき「些末な記述」and/or「独自研究」を除去」したところ[4]、Pooh456さんから「ノート:加藤桃子#瑣末な記述での議論を無視した強行編集は無効です」ということで差戻しを受けてしまいました。

上に述べたとおり、私としては「記述を削除」で充分に合意が成立していると思っているのですが、これは間違った認識でしょうか?Pooh456さん以外にも、まだ議論を継続すべきだとお考えの方がいらっしゃいますか?--Dwy 2012年2月26日 (日) 04:32 (UTC)


コメントHelp:ノートページ#記事ページ」に「各記事ページに用意されているノートページは、主ページの記事についての対話の場であり、百科事典『ウィキペディア』の記事を改善・充実するために使用されます。具体的には、記事内容への質問や感想の投稿、加筆や修正についての提案・議論、記事文案の提示、編集意図についての補足説明(「編集内容の要約」の補足)、スタイルに関する記事固有のルールについての相談などを行います。」と明示されています。
Wikipedia:井戸端」、はそのようなことを行う場ではありません。
Dwy氏は、「 『Wikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについて』 を見て『私としては「記述を削除」で合意成立と考えておりました」とのことですが、Dwy氏には、Wikipediaのルールを再確認なさることをお勧めします。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 04:52 (UTC)
コメントWikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについて」で意見を募った当人です。「法律家ごっこ」との指摘も受けているユーザーのことですから、井戸端での議論はノートとは別という自論が出ることは予想していました。当方は、Dwy氏のおっしゃるように、井戸端でのご意見はコミュニティの総意として認められるものと考えています。井戸端での意見の状況が、一ユーザーの独自解釈の前に無効であるのかどうか意見を募り、当該記事に反映できるよう努めたいと思います。もっと速やかに当方が動いていれば、Dwy氏にお手数をかけずにすんだかもしれません。申し訳ないです。--Wikied 2012年2月26日 (日) 05:58 (UTC)


コメントDwy氏とWikied氏が示す「 『Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。』の議論の中で、Wikipediaのルールに通暁しておられるHmanさんが「井戸端の議論には拘束性が全く無く」と明言しておられます(差分)。ご参考まで。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 08:00 (UTC) 修正--Pooh456 2012年2月26日 (日) 09:20 (UTC)

井戸端の議論には拘束性が全く無い、というのは、方針やガイドラインとして成立させるだけの合意を得ているわけではなく、また不慣れな利用者でも容易に探し出せる場所にはないため、あらかじめすべての利用者が知っているという前提にはできないということであって、一定程度の合意があるならば、井戸端における問題設定や議論の時期、井戸端に参加していた顔ぶれなどを勘案するとしても、無視してよいというものではありません。--Ks aka 98 2012年2月26日 (日) 08:26 (UTC)
「Wikipediaという、コミュニティの総意」は拘束力を有するのが当然です。「Wikipedia:方針とガイドライン」で具体的に示されています。なお、「Wikipedia:方針とガイドライン」では「Wikipedia:井戸端」については全く言及されておりません。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 09:20 (UTC)
  • コメント 大方、Ks aka 98さんの仰る通りです。方針やガイドラインについて「数年前の井戸端の過去ログにより、○○であると合意されています」は通用しないと言う(と申しますか、強い合意があるなら最低限探しやすい所に結論を明らかに書いておくべきと言う)事を申し上げているに過ぎず、また、拘束力は無いが重々参考にするべきことを否定している訳ではありません。単に本件の記述の是非については、議場がどこであろうが、参加の顔ぶれも勘案し、合意は成立していると見るべきでしょう(どうしてもと仰るなら一連のやりとりを本ノートに転記すればよいでしょう)。大体、私の言葉は方針文書ではありません。以上で誤解が解けましたら幸いです。また、私も掲載すべき情報であるとは全く思っておらず、本来除去されるべき情報と考えている点を、念のため繰り返させて頂きますね。--Hman 2012年2月26日 (日) 12:15 (UTC)
Hmanさん、コメント有難うございます。もちろん、Hmanさんの言葉が方針文書でないことは自明です。
さて、「単に本件の記述の是非については、議場がどこであろうが、参加の顔ぶれも勘案し、合意は成立していると見るべきでしょう」と仰ることには、Hmanさんの仰る「方針文書」の裏付けが「全く」ないようですが?「『Wikipedia:井戸端』での合意に、拘束力は無い」という事実と、「単に本件の記述の是非については、議場がWikipedia:井戸端であろうが、参加の顔ぶれも勘案し、合意は成立していると見るべきでしょう」は整合しないと考えます。
言葉を換えれば、「なぜ、『Wikipedia:井戸端』での合意が(成立しているとして)、『拘束力がない』のが明らかであるのに、個別の記事、本ノートでの議論では「加藤桃子」の編集を拘束するのですか?」ということです。
表現を換えれば、「拘束力がないことが自明である『Wikipedia:井戸端』での議論が、記事「加藤桃子」を拘束し、同記事内の特定の記述を削除する根拠になる訳がない」ということです。
「どうしてもと仰るなら一連のやりとりを本ノートに転記すればよいでしょう」とのHmanさんのご提案ですが、Wikipedia:井戸端という、本ノートとは全く別の場所での「拘束力のない」一連のやり取りを、本ノートに転記する意味と効果が分りかねます。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 13:19 (UTC)
転記を行なえば、後からこの記事をご覧になった人が「探しやすく」なります。即ち、私の主張によれば(またはKs aka 98さんのご指摘によれば)、転記により、ある程度の拘束力を持たせることが可能となります。とは言え、実際問題としては転記では可読性を損ないます為、サブページへリンクして合意と結論としておくと言うことで良いでしょう。このノートページで同じ顔ぶれで仕切り直しても、結論は変わりませんからね。--Hman 2012年2月26日 (日) 13:57 (UTC)
  • コメント そもそも何故方針などの運用についての私の言及を、この記事の特定記述の是非の合意に適用しようとお考えであるのかがよくわかりませんが、1週間程度待ってみて他に「掲載すべきだ」という強いご意見がみられないのであれば、除去と言うことよろしいかと思います。--Hman 2012年2月26日 (日) 14:01 (UTC) 追伸。議論場所が拡散しておりました点を鑑み、Wikipedia:カンバスに従って、これまでチェック柄の洋服の件でノートにご参加頂いておりました方々に、議論の告知を行ないました。IP利用者の方についてはIPが可変のものである様で、残念ながらお誘いはできませんでした。--Hman 2012年2月26日 (日) 15:11 (UTC)
確かに記事の議論はその記事のノートで行われるべきです。しかし、他の場所での議論を参考にすることは問題のないことですし、その議論自体を転記することも出来ます。ですから、単に議論の場所が不適切だということだけでは有意義な反論になりえないと思います。--有足魚 2012年2月26日 (日) 15:39 (UTC)
◆以前に婉曲に申し上げたことの繰り返しになりますが、私の意見は「服装が注目されたという事実がないのだから、書くべきでない」です。「(読者が)『それがどうした?なぜこんなことが書いてある?』という感想を持つ」(このノート、202.174.205.56 さん、2011年12月19日 (月) 12:13)「ミスリードを生む孤立情報」(井戸端 Babi Hijau さん、2012年2月19日 (日) 15:21)という意見に完全に同意します。◆こんなしょーもないことでノートが埋め尽くされて、加藤さんに申し訳なくなりますな。彼女のことであれば、お父様のことなどは重要だろう、と思うのですが、それこそ微妙な内容なので、筆力のない私には書けません。--白駒 2012年2月26日 (日) 16:27 (UTC)
報告有足魚さん、白駒さん、お忙しい中コメントを頂きまして大変ありがとうございます。このほかにもWikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについてにてJgbさんに、以下の様な(原則掲載すべきと考えるが強く訴えるものではないとの)ご意見を頂戴することができました点を、ご報告致します[5]。私は将棋ファン・将棋指しと言う立場から超個人的には書いて書いて盛り上げていきたいのですが(まあ各ジャンルの各執筆者は大抵そんなもんです)、ウィキペディアの根本方針、更には井戸端での皆様のご指摘は厳しい者があり、現在は既に、そう遠くない将来に確たる資料があがってくるまで不掲載はやむなしと考えています。案外来月辺りにも誰の目にも明らかに適切な資料があがってくるかもしれませんし。--Hman 2012年2月26日 (日) 16:38 (UTC)
整理させて頂きますと、
1) 記事「加藤桃子」の「チェックのワンピース」の記載については、本ノート「ノート:加藤桃子#瑣末な記述」において、「Takabegさん 2012年2月13日 (月) 05:06 (UTC)の発言」があり、これに対して「Pooh456 2012年2月13日 (月) 05:38 (UTC)の発言」があり、その後は2週間以上、発言がない状態であった。なお、「Wikipedia:合意形成#合意形成」では「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間=約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」とありますので、2週間経っても返答をしなかったTakabegさんは、本ノートでの議論から離脱したものと看做すべきでしょう。
2) その前に、「・・・本文に関しては現状維持するのが望ましいかと思います。--Saishusengenさん 2012年2月10日 (金) 15:42 (UTC)」という発言があり、「何年か後に文献で言及された事実を示して特記性が担保されればそのまま又は加筆でよし、何年か後にやっぱり文献が何もないとなれば特記性は無かったと見なして除去、とこういう感じでいくのかな、が現在の印象です。これについてはSaishusengenさんにもご同意頂けると思います。ただしコメント依頼はまだ続いていますし、ふらりと新たな編集者が現れることもあります。完全な結論を出すこともないとも思っています。--Hmanさん 2012年2月10日 (金) 15:58 (UTC)」と言う発言があり、それに同意するという「Pooh456 2012年2月10日 (金) 16:16 (UTC)」の発言があり、という状況であった。
3)上記が、本ノート「ノート:加藤桃子#瑣末な記述」の、「 2012年2月26日 (日) 02:57の、Dwyさんによる強行編集」の状況です。(2)のように、本ノートで、2012年2月13日 (月)に概ね合意が成立し、それに対して有効な反論がなく(Takabegさんは議論から離脱)13日が経過したことは、「Wikipedia:合意形成」に照らし、十分に尊重されるべきと考えます。
4) 「1週間程度待ってみて他に「掲載すべきだ」という強いご意見がみられないのであれば、除去と言うことよろしいかと思います。--Hmanさん 2012年2月26日 (日) 14:01 (UTC)」というご意見は、「現状では、除去すべきと言う人が多数。1週間経ってもその状況が変らなければ除去」ということと解しますが、それは、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは多数決主義ではありません」に真っ向から抵触しますので、同意できません。
5) そもそも、例えば、Wikipediaで、「出典のない記述」が除去されるのは、「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」に、「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。」「信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。」と明示されているからです。「Wikipedia:方針とガイドライン」で「大部分の方針やガイドラインは、このように個々の利用者が編集したり、議論したりするときに実施されます。」とある通りです。
6) なお、記事「加藤桃子」における『チェック柄のワンピースに関する記述』が、「Wikipedia:独自研究は載せない」に抵触しないことは、本ノートの「ノート:加藤桃子#コメントアウトについてで合意が成立しております。
7)「『チェック柄のワンピースに関する記述』の除去を希望する編集者」は、その根拠を、「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」のような、「Wikipedia:方針とガイドライン」に沿って明示する責任があると考えます。よろしくお願いします。--Pooh456 2012年2月27日 (月) 03:00 (UTC)

コメント 「いつまでも納得しない」態度はおやめ下さい。先日もその様なことを仰っていましたが、昨年合意を行なったから、改めて多くの人にご参加頂いた新しい合意は却下ですとはなんともはや。いい加減に周囲を疲弊させている事をご自覚頂きたいのですが・・・。記述されるべきでない記述は除去されるのが、自然な流れでしょう。でなければ、記述されるべきでない記述が記述されっぱなしでは、意味不明です。まあ、昨日申し上げました通り、今暫く、掲載すべき情報であるや否や、他の皆様のご意見を伺ってみましょう。--Hman 2012年2月27日 (月) 03:23 (UTC)

  • コメント Pooh456様におかれましては、ひたすら合意形成を拒否することに時間を費やされるのではなく、掲載を皆が認める様な、確たる文献の調査にご尽力ください。二次資料であれば問題は無いでしょう。ルールの重箱の隅つつきは問題ではないのです。他の方のご意見を、どうか尊重してください。方針文書が実情に合っていないのであれば、改訂が検討されるべきでしょう。--Hman 2012年2月27日 (月) 03:35 (UTC)

コメント 井戸端の議論を拝見していましたが、チェック柄に関する記述は除去ということでまとまったように思っていました。私も除去を支持します。もちろん井戸端の議論は一般論が建前であり、各記事への拘束性はありません。しかし、だからといって井戸端の議論の内容を尊重しなくてよいわけではありません。しかも、Pooh456さんは当該井戸端の議論に参加しているのですから、議論の結果をすすんで受け止めるべき立場にあります。議論が自分の見解とは異なる結果になったときにどう行動するか、一歩引くのかそれともあくまで自説にしがみつくのか、ウィキペディアの利用者として他者と協調できるかどうかが試されているとお考えください。方針やガイドラインは、自分の意見を押し通すために都合のいいところだけ引用するものではありません。Wikipedia:エチケットに、「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」とあることに留意願います。--みっち 2012年2月27日 (月) 10:38 (UTC)

コメント同じく井戸端からウィッチしていましたが…… 当該記述については「情報の合成という種類の独自研究」あるいは「内容的な特筆性が伴わない」記述のどちらかに当たるという見解が圧倒的です。しかるに、Pooh456さんはどちらの意見についても一つたりともまともな反論はできていないし、2012年2月27日 (月) 03:00 (UTC)の抗弁は明らかにルールの曲解あるいは事実の誤認(それにしても「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」をこんな形で持ち出す人がいるとはね)。内容的な特筆性が伴わない記述の除去が推奨されていることはすで井戸端でも指摘したとおりです。また、WP:CONにも「ある場所のある時点における限られた編集者グループでの合意は、より大きな規模のコミュニティの合意を無効にすることはできません。方針とガイドラインに関する場合、他のページ以上に関与と合意に高い基準が期待されます。」とありますから、Pooh456さんのいう「合意の成立」はオーバーライドされたと判断して差し支えないところでしょう。合意成立とは最後の一人に至るまで全員一致ということではないはずで、もはや問題の記述除去がコンセンサスであり合意事項であることは明白だと思いますね。もう十分すぎる時間をかけているので、すぐに編集フェーズに移行することを主張します。当該記述はめちゃくちゃ変ですから、いつまでも放置しておくべきではありません。--Kojidoi 2012年2月27日 (月) 16:28 (UTC)

  • コメント 緊急案件と言う訳でもありませんが、Kojidoiさんのご提案は全くごもっともであり、さし当たっての編集除去に賛同します(私は立場上作業を行えるものではありませんので、申し訳ございませんが除去作業は他の方にお願いさせて頂きます)。--Hman 2012年2月28日 (火) 07:49 (UTC)

コメント一番最初にこの記事のノートページで当該議論を提起した者です。なんでおまえはその後一度記載に合意しているのにこの議論に入っているんだ、と後の議論に参加した方々は思われるはずですので、まず一連の私の行動について説明します。

私は昨年12月17日に当該記述(現在のものとは違いますが)をコメントアウトしました。この後議論のもつれもありましたが、私は再度意見を述べ、それに対して202.174.205.56さんの意見とともにPooh456さんが返信をしています。ところが、私はこのPooh456さんの記述に気付くことが遅れ(当日中に自分のページを編集しているのが恥ずかしい・・)、気付いた後も多忙のため記述ができないまま一週間が経過してしまいました。そして、12月26日にPooh456さんが議論終了として記述を修正して復帰させました。これに気がついた私は、不満はあるもののいつまでも対立を続けては埒が明かないし、自分のミスもあり、この記事に一度も触れていなかった自分より今までこの記事に貢献してきたPooh456さんをとりあえず信用しよう、と考え消極的ながらも容認したわけです。その後の議論には曲がりなりにも合意に参加した者が入るのはどうかと思い、今まで静観していました。しかし、Hmanさんからお招きをいただいたので、これまでの経緯もはっきりさせた上で、改めて意見を述べた方がよいのではと考え、参加することにしました。

今思えば自分のミスはあったにせよ、ここまで議論が長引き、またWP:BLPSTYLEに”他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。”と書かれていたのを見た後は、玉虫色で決着するよりコメント依頼を早期に行った方がよかったと反省しています。

それでは、現状の当該記述について私の意見を改めて述べたいと思います。私の上から二つ目の意見にもありますが、WP:WELLKNOWNを厳密に適用すると、この記述でも問題があると思います。写真で確認できるからこれ位いいじゃないかというのはもっともで、その考えが消極的容認に至った理由の一つでもあるのですが、「文書」としてある以上厳密にはやはり難しいのではないでしょうか(キャプションに書かれていたり、服のアップ写真(要するに服装が従でなく主である場合)でもあれば別かもしれませんが)。WP:BLPSTYLEも踏まえると、記述は信頼できる文書の登場まで待つべきだと考えます(まあこれらの方針は正直言って、もしトラブルが発生して本人から苦情が来たときにwikipediaが責任を回避するために作られたと解釈していますし、これを守っていない記事が数多くあるというのも理解していますが)。また、就位式にも着用していた(他の女流タイトルホルダーは着物などフォーマルな服装が多い)というのは個人的に興味深いのですが、今のところ、閲覧頻度が高いものの責任の所在があいまいなwikipediaが率先して取り上げるよりも、他メディアに記載した方が望ましいと思います。--Swdyk11 2012年2月28日 (火) 05:33 (UTC)

コメント議論経過についてひとつ。Pooh456さんは、自身の2月13日の発言後「2週間経っても返答をしなかったTakabegさんは、本ノートでの議論から離脱したものと看做すべきでしょう」と仰る点ですが、Takabegさんは2月18日にWikipedia:コメント依頼/Pooh456において、「Pooh456さんは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「いつまでも「納得」しない」を再読し、遵守する声明を出す」べきとのコメントをしています。このコメントからするに、Takabegさんがこのノートで新たな発言をしなかった理由は、Pooh456さんの見解に同意して議論を離れたためではなく、Pooh456さんがいつまでも納得していないだけなので新たな発言の必要が無いと判断したためではないかと思われます。--Snlf1 (会話) 2012年3月1日 (木) 03:23 (UTC)


Hmanさんの 2012年2月27日 (月) 03:35 (UTC)の示唆を見まして、『将棋世界』の、女流王座戦五番勝負に関する号をチェックしました。マイナビでの対里見戦についても写真入りで大きく取り上げられておりました。その結果

「『将棋世界』では、加藤の服装に関する記述は一切ない」

ことが確認できました。なお、もう一つの将棋メディアである『週刊将棋』は確認できておりません。『将棋世界』2011年12月号には、五番勝負を前にしての加藤の4頁のインタビュー記事がありますが、「勝負服」といったことは書かれておりません。

「現時点で、将棋界で『加藤の服装』が話題にされている形跡がない」という事実を認めざるを得ませんので、本件については、「当該記述をコメントアウトして不可視化する」という形で、当面、決着させたいと考えます。その線で各位のご了解を頂けますでしょうか。とりあえず、自分でそのように編集しておきます。--Pooh456 (会話) 2012年3月2日 (金) 01:26 (UTC)

基本的には中立の閲覧者に見えなくしておけば良いレベルとは思いますが、コメントとして残しておくほどでもないとも言えます(ノートでこれほど派手に言及しているのですから)。まあその辺りは細かいことですから、仮に誰かの手により除去が行われたとしてもいきり立って復旧する様なものではないでしょう。Pooh456様におかれましてはこれほどまで多数の苦言が寄せられているのですから、本件を加藤桃子固有の事象と見なすのではなく、ウィキペディアの方針上事実についての誰の目にも明らかな典拠とは何であるか、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの精神、すなわちコミュニティ各位のご意見の尊重等につきまして、ご一考頂き、この様な事を繰り返さない様にくれぐれもお気を付け下さい。私も確たる出典が示されない中「取り敢えず維持しておけば?」と一端妥結したことを深く悔いております。不確定情報はやはり掲載すべきではありませんでした。最後になりますが、大変お忙しい中、本ノートおよびWikipedia:井戸端/subj/出典のない記述の扱いについてでコメントを頂きました方々に、深く御礼申し上げます。井戸端でも申し上げましたが将棋棋士記事には出典の無い記事がまだまだ多く(まあどのジャンルにも言えることですが)、将来的にお力添えをお願いする局面も発生するかもしれません。今後ともよろしくご指導ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。--Hman (会話) 2012年3月2日 (金) 02:22 (UTC)

提案 改めて検討してみたのですが、加藤桃子#エピソードはやはり不要ではありませんか?内容が非常にありがちで、特記すべきエピソードであるとは見なせませんで、ただの語録としか申し上げようがございません。検証可能で必要な情報を適切な範囲でと言う基本方針上そぐわないものではないかと。「女流王座が下座に座る」についても、「羽生善治」の様に話題になった訳でもないのでしょうから、やはり不要でしょう(上座・下座問題自体は非常に有り触れています)。また、人柄を示すために発言の一部を引用することはいわゆる「報道、批評、研究その他の目的」に合致するものとは存じますが(偉大な人物の「名言録」は、分量が適切であれば必要とされるものでしょう)、この様相は引用として許される正常な範囲を逸脱している虞があります。版の秘匿については皆様のご意見を伺ってからとなりますが、少なくとも除去されるべき程度ではありそうです。これに関しては類似案件としてWikipedia:削除依頼/西本智実と言うものがございました(ただしその案件で除去されたものは約20KBでした。今回の除去は4-5KB程度になりそうです)。--Hman会話2012年10月8日 (月) 17:10 (UTC)

  • その後資料を再読し検討してみたのですが、やはり残しておくのは不適切である疑いが強くお見受け致しますので、著作権侵害が疑われる部分を除去し、「Wikipedia:削除依頼/加藤桃子」を提出致しました。お時間がございましたらあちらの方でもコメントを頂けましたらと思います。--Hman会話2012年10月12日 (金) 03:36 (UTC)

「VS」について

「(将棋の勉強で、VSや研究会にたくさん参加されているそうですね)」 「VSは永瀬拓矢先生に教えて頂いています」 とありますが、唐突に出てくる「VS」とはなんのことでしょうか。「個人対局指導」的な意味でしたら、そう書いてもらいたいと思いました。そうでない専門用語なら、注釈が必要だと思います。

「VS」というのは、「一対一で行う研究会」のことを指すようです。「研究会」との違いは、VSは一対一、研究会は三人以上で行う、ということのようです。「田丸昇八段のブログ記事」で起源について言及されています。
とりあえず「VSとは一対一で行う研究会である」旨、加筆をしました。--Pooh456会話2012年4月18日 (水) 04:29 (UTC)