ノート:クロスオーバーSUV

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


クロスオーバーSUVの定義について[編集]

クロスオーバーSUVというものはオンロード専用のSUVといった見方でよろしいのでしょうか。だとするとワゴンの車高を上げたようなものはどのように呼べばよいのでしょうか?203.136.155.108 2006年1月27日 (金) 04:46 (UTC)[返信]

英語版だとニュアンスがちょっと違うようです。苦肉の策というよりも利点があるということを強調しているようです。それに日本語版が例としてあげているのは乗用車の車高を上げたものもはいっていますが、英語版ですと乗用車ベースではあるが、外見もSUVであるもの、ホンダ・CR-Vトヨタ・RAV4、外国車ですとボルボ・XC90等です。どちらが正しいのかはわかりませんが。--Qura 2006年2月17日 (金) 18:01 (UTC)[返信]

クロスオーバーSUVというカテゴリーが普及する歴史を順を追って記述しました。詳細を追記願います。[編集]

かなり新しい車の分類となるクロスオーバーSUVという用語が普及する過程を記述したく思い記述いたしました。既存の内容を生かしたつもりですが、特に2000年以前の車種についてのSUVという記述はRVやオフロード車で書き換えました。SUVのほうもそうですが、自動車メーカーが、新しいカテゴリー名を採用すると、ドミノ倒しのように過去のカテゴリー名もすべて現在のカテゴリー名としてしまっているため、なんというのでしょう、「歴史の書き換え」みたいなことが生じているので、現在の視点から過去をはじめて見る人には、どこがどうちがうのかわからなくなってしまうことがあります。できるだけ、それをなくそうという思いで記述しましたが、個人では限界があります。識者の方のさらなる記述、変更をおねがいいたします。また、最後の一覧ですが、別記事で「クロスオーバーSUV一覧」を作りた方が今後のためにはいいかもと思いましたが、現状ではそのままにしています。--Pararinpooh 2006年11月15日 (水) 06:03 (UTC)[返信]

220.209.29.126さん、追記、ありがとうございます。時間の推移を表せるようにパラグラフの最後に移動しつないでみました。--Pararinpooh 2006年11月18日 (土) 01:28 (UTC)[返信]
必要以上に特定メーカーを賞賛し、伴って必要以上に他社を批判的に記述している部分がありました。少し加筆させていただきました。『人のフリ見て我がフリ直せ』--220.216.45.91 2007年5月22日 (火) 18:27 (UTC)[返信]
220.216.45.91さん、加筆ありがとうございました。
『1997年、トヨタがカムリをベースとして、快適性や運動性に優れる高級クロスオーバーSUVである、トヨタ・ハリアー を日本に投入した。』の部分は、2007年3月7日 (水) 12:16の天然ガスさんの加筆による部分ですが、わたしも『快適性や運動性に優れる』という部分は比較の表現であり、比較元などが示されていないために単なる宣伝的記述になっていると思います。[1]
しかしながら、一方で、『(上の段落において志が低いと切って捨てられたフォレスターを焼き直し、「高級」という要素を付加しただけ、というきらいが強いものではあるが)』という加筆は、私にはまた別の疑問があります。
志が低い』という記述は同じ天然ガスさんの同じタイミングでの編集でのよるものですから執筆者が同じ視点で記述し関連性があるとは思えます。これは出典元の提示がないのでかなり中立的でない表現になっています。(ネガティブな表現を記述してはいけないわけではないですが、Wikipediaは自身が発言しているのではなく、信頼ある第三者がすでに発表している内容をまとめた事典ですから、特にネガティブな(議論を生じると思われる)表現を用いる際にはその表現をおこなった引用元、出典の提示が求められます。)その意味でこの記述は事典的記述ではないと思います。しかし、一方の220.216.45.91さんの記述も、事典的記述ではないと思えます。修正するのであれば『その考え方はRAV4よりも志が低い。』をそのままに、その表記に呼応する表現をさらに追記するのではなく、『その考え方はRAV4よりも志が低い。』という表現を書き換えることのほうが事典にはふさわしいと思いますよ。さらに、その前にこの『その考え方はRAV4よりも志が低い。』が正しい情報なのか、つまり(真偽ではなく)信頼ある情報に基づいているのかというのが前提ですね。そうでなければ記述自体削除の対象で、『志が低い。』ことはないことになります。もしそうだったらこの文章をベースに追記された220.216.45.91さんの文章も対象がないことになります。その意味で、天然ガスさんにこの出典元などを伺ってみることにしましょう。--Pararinpooh 2007年5月23日 (水) 01:08 (UTC)[返信]
利用者‐会話:天然ガス#クロスオーバーSUVでの記述で質問がありますでお声がけしておきました。--Pararinpooh 2007年5月23日 (水) 01:16 (UTC)[返信]

(インデント戻し)天然ガスさんが「「CUVの要件は「カッコよくて目立つ」こと。」の「要出典」をはずされ「CUVの要件は「カッコよくて目立つ」こと。クルマとしての機能(走りや安全性など)がおざなりになっているわけでは決して無いが、各社の商品企画コンセプトや、実際の宣伝・広告では、機能や実用面より、新見があり、見栄えが良く、高級であることが優先されている。」に書き換えました。

これらの記述は、「旬の自動車」にはすべからくいえることだと思います。それに限らず「旬の商品」、または、どんな時代でも既存の製品に対して新しいものを売り込みたい商売人は、自分の商品が既存の商品と比べて「かっこよくて目立つ」ことを訴えるのは基本でしょう。そのために、見栄えがいいこと、信頼性があること、お金をだしても損をしないことなどを訴求するでしょう。つまり、それらはCUVだけに固有の要件ではないのです。--Pararinpooh 2007年5月24日 (木) 05:39 (UTC)[返信]

Pararinpoohさんにお声掛けいただきました、天然ガスと申します。皆様、よろしくお願いいたします。返答が遅くなり、申し訳ありませんでした。まず、『カッコ良くて目立つ』の件ですが、CUVでのそれらは、見栄えの良いことと、ほかのクルマとは異なるルックスであることの優先順位が、それはもう特別に高いことを言いたかったのです。一般のSUVでは、安全性、環境性能、実用性の項目を優先しなければならず、建前として、見栄えを最上位にすることはなかなかできません。また、生産台数がそれほど多くなく、利幅が大きいことで、普通のSUV以上の開発費を生かし、一部のFRシャーシベースのCUVでは、非常に高い運動性能を持つものが見られることも特徴です。『かっこよくて目立つ』のくだりは、より良い表現への置き換えをお願いします。 もうひとつ、『志が低い』の件です。初代RAV4では、高エネルギー時と不整地でのタイヤの接地性改善のために、新しいリアサスペンションを開発しています。これはBMW Z1のZリンク ( Z Axle )にヒントを得たものという説もありますが、これは、ダブルウィッシュボーンのアームを単独のリンクに分け、ハブ側の取り付け位置を変えただけ(マルチリンクのうちの、2本を1本で兼用したかたち)の単純な構成ながら、ホイールコントロール効果が大きく、非常に良く考えられたものです。さらにトルセンデフの設定もあるなど、かなりまじめなつくりでした。一方、初代ハリアーは、登場時期がそれより後で、高額であるにもかかわらず、そこまで手が入れられない点を『志が低い』と表現しました。デュアルパーパスカーとしての妥協点を高める努力の度合いの差を表したかったのですが、これも不適切でした。 実際のハリアーは、タイヤサイズの拡大が出来なかったことも響き、4気筒のFFではまずまずのバランスですが、4WD、V6と、それぞれ90kgずつ重量が増えますので、車両価格に反比例するように、ブレーキング、ハンドリング、コーナリングなどが苦しくなっていきます。同じメーカーの製品でも、客層や仕向け地によって機械としての出来に差が生じていることを、ユーザーをなめていると取るのか、必要のない機能を省いて価格を下げる、あるいは見栄えなど、他に金を掛けることこそ、ユーザーの利益になるのでありがたい、と取るのかは概して難しい問題ですが、少なくとも、機械としての進歩のないものは、後に高い評価を得られるかどうかは疑問です。それとは別に、クルマの評価の中でも、スタイリングにまつわることは、文化の範疇にも足を踏み入れることになり、(高額ではなく)高級などの定義と同様、難しいことでしょう。上記2点の出展は、ということになると、どちらも新型車解説書などです。最後に、私の拙文の、より中立的な観点への改変を含めた編集を皆様にお願いします。それでは。--天然ガス 2007年5月27日 (日) 08:01 (UTC)[返信]
天然ガスさん、コメントありがとうございます。天然ガスさんのコメントを拝見しますと、詳細をよくご存知であることがわかります。そうしますと、今回の記述はそれらを総括した結果としてのものであることと思います。信頼ある記述に基づいているとは思いますが総括した言葉をバックアップする個別の記述がないことから、結果的に総括されて記述されたものは「志が低い」という独自研究のように見える表現になってみえていたというだけだと思います。たぶん天然ガスさんのもたれている知識は、見出し『クロスオーバーSUVの技術』(もしくは単なる技術)あるいは『個別車両の開発ポイント』などとして、「ある特定の車両で実装されたクロスオーバーSUVとして特筆すべき技術」や「ある特定車両の技術の長所短所」などとして『開発におけるコストとメリットとの狭間での取捨選択の結果』が記述できる場所があれば、事実(信頼ある記述に裏付けられた)の個別の積み重ねが記述でき、他で総括した表現をしたとしてもおなじ記事中で個別の内容が参照できるような記事にできるような気がします。場所とすれば「代表的な車種一覧」の前あたりでしょうか。このような記述は記述内容にばらつきが出そうで場合によっては編集合戦もあるかと想像はしますが、その辺はWikipediaであり事典として昇華させていけるのではないかと楽観しています。トライしていただけるとありがたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。--Pararinpooh 2007年5月31日 (木) 06:36 (UTC)[返信]

代表車種一覧の削除について[編集]

センターメータードアミラーウインカー同様、挙げてもきりがないので削除を提案します。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月24日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

(反対)クロスオーバーSUVの自動車を探そうとする手がかりになります。あなたはどこで探しますか? 車種一覧なるものをメーカー別に作っているのと同じでしょう。メーカー別車種一覧なるものもすべて削除されたいというのであれば、論理は一貫しているとおもいますが、センターメータードアミラーウインカーと同じ部品レベルでと比較するのはおかしいと思いますよ。--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 14:05 (UTC) --Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
コメント 一覧記事と一般記事は別物でしょう。百科事典の項目に例をだらだらと長ったらしく書く必要はありません。それにここはクロスオーバーSUVを探す場所ではありません。あくまでも「百科事典」です。お手持ちの百科事典に○○の一例としてそれが羅列されているようなものはありますでしょうか? あるいはもしそういったものが作りたければカテゴリでも作ればよろしいかと思います。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月24日 (水) 14:12 (UTC)[返信]

なら、どうして、あなたは、一覧記事として分離させることなく、単に削除してしまおうとするのでしょうか?あなただけの百科事典ではありません。いままで、ここにあったのは意味があったからとは考えられませんか。一覧として分離するのであれば、まだ理解できますが、分離させる努力をせず削除するというのはいままで築き上げた他の人の努力を無に帰する行為です。もっとも、ここにあるのは分離するまでもないと考えられていたからでしょう。一覧記事は、記事内でも独立記事でも記事を補完するものとしてウィキペディアでの存在が認められています。独自の定義の百科事典を主張するのは独自見解になりますよ。--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 14:24 (UTC)[返信]

たとえば「クロスオーバーSUVの一覧」として分離したとして、それは「一覧」ですからすべてことごとく入れなくてはなりません。たとえばマイナーな中国車の中にも当然クロスオーバーSUVというものがあります。逆に「日産自動車の車種一覧」には日産車がことごとく入っています。また、ガイドラインしてWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるがあります。今回の場合は箇条書きではなく表ですが、「代表的」という定義がいかなるものなのかの提示がないのならばそれは雑多な内容となってしかるべきでしょう。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月24日 (水) 14:32 (UTC)[返信]
完璧な記事などないことはお分かりと思います。「日産自動車の車種一覧」には日産車がすべては入っていませんよ。もしかして一覧記事ではなくて、その紹介文にご不満があるのでしょうか。クロスオーバーSUVという定義がきまっている一覧ですから雑多な内容では決してないでしょう。「代表的」が適していないと思うのであれば「代表的」を別の表現に変更したりするほうが、建設的だとおもいますよ。あなたの指摘したガイドラインWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける#実際の手引きでは「このような節を安易に除去してはいけません。それぞれの内容を系統立てて本文に織り込んでいきましょう。」とされていますね。ここでの「避ける」とは消去するということではありません。--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
「それぞれの内容を系統立てて本文に織り込んでいきましょう」という記述がありますが、それはたとえば書かれているものが何かトリビアルなエピソードなんかの場合に有効な手段なのではないでしょうか。例をどうやって本文に組み込めというのでしょうか。そもそもこの本文、歴史的な部分もきっちりと書かれており、具体的な車種名を交えての記事となっているので例など必要ないのではと思います。また、たとえ他の人の努力を無にすると言っても、百科事典をよりよいものとするためには無に帰す努力もあるでしょう。私は車の写真投稿をしているのでよく分かりますが、角度がだめだ、純正のホイールを履いていない、光の映りこみが激しい、などの理由で自分の撮った写真よりも勝る画像がある場合は積極的に差し替えて自分の写真を削除してもらっています。このように、やはりWikipediaを良くするためには無駄になる努力というものも覚悟の上で編集すべきだと思います。
また、逆に聞きますが、なぜ百科事典のこの記事に例を入れる必要があるのでしょうか。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月24日 (水) 14:54 (UTC)[返信]

ウィキペディアをよくするためにわたしもいっているのです。それでは水掛論です。一覧や年表は、資料としての意味を持つのです。ここはクロスオーバーSUVの一覧です。決して雑多な内容ではありません。なぜそれほど削除にこだわるのでしょう?--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

もしかして一覧を誤解されていますか?ウィキペディアの「一覧」ですが、これは英語のListの訳として始まっています。すべてをいれるという意味はこれにはなく、文章でパラグラフとしてかかれていないList形式のもの、つまり*アスタリスクで列挙されているものを「一覧」といいます。本文記事中にある*で列挙されたものは小さなものもすべて含めてこれを「List(一覧)」といいます。これが独立した記事となったものが一覧記事です。そして、日本語では(ドイツ語でも見ますが)罫線で作られた表がつかわれることもしばしばあります。ここでのものは表形式ですね。--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 15:09 (UTC) --Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 15:11 (UTC)--Pararinpooh 2009年6月24日 (水) 15:13 (UTC)[返信]

「一覧」という訳が誤解を呼びかねないとは思いますが、そのタイトルである以上は可能な限りすべてを載せるべきではないのかという考えがあります。ただ、この場合分割するとしたら「クロスオーバーSUVの例」というタイトルの方が適当ですが、そうするとやはり例を挙げるだけのものでは記事としての存在価値はないのではないかと思います。
なぜ、削除を提案するのか、というと
  1. 「代表的」である以上、その定義を明白にしない限りは不特定多数のユーザーが些末な当該クラス該当車、たとえばヒュンダイ・サンタフェやGM大宇・ウインストームのような車をどんどん追加し、無駄に記事を膨れ上がらせたとしても、現状挙がっているモデルが「代表的」車種であるという明確な証明がない以上は、それをカットすることはできません。同じようなことが声優などの「代表作」に言えます。
  2. また、前にも述べましたが、この記事がクロスオーバーSUVの歴史的関与車について具体例を挙げて述べている以上、それ以上の例の羅列は不要ではないかと考えます。
  3. 加えて、やはり例を挙げるというのは誰にも編集できるWikipediaには(自分の好きな車を例に組み込みたい人もいる中で)適さないでしょう。
そういった理由から、削除を提案いたします。また、クロスオーバーSUVの一覧を作りたいのであれば、私はカテゴリ[[Category:クロスオーバーSUV]]の作成が最善の方法ではないかと思います。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月25日 (木) 07:10 (UTC)[返信]

3年以上の存在を「(整理)」の履歴コメントのみで即時白紙化

この記事の車種リストは、あなたが削除をする直前に書き込まれたものではありません。もし、最初に書き込まれた直後に、反対の意思表明をするのであれば、即座の削除も、まだ、ありえるかもしれません。一度白紙にして議論するのもありかもしれません。

しかし、この記事の車種リストは 2006年1月26日の記事の作成以来、3年以上ここにあるのです。その間に何人もの編集がされてきました。その間、このリストを拡張しようとする人はいましたが削除しようとする人はいませんでした。あなたが、これを削除したいと意見を表明した初めての人です。しかも、実際に意見を表明したのは、(整理)という履歴コメント一つで全部を削除し、しかし、リバートされて、しかも、削除した理由ではなく、削除をリバートした理由をノートに書けとまで言った、その後になって初めてです。3年以上の編集の重みを、自分の判断一つ、頭の中で思って削除しました。一度も意思表明せずに。あなたが関わっている記事でそういう行為がされたときにあなたはどう思いますか。

これはあなたの写真の話とは違います。あなたの写真の話は等価あるいは等価以上のクオリティのもので置き換えられたものです。あなたはその等価以上のクオリティに納得したのでしたわけです。しかしここでのあなたの削除行為が、等価以上のもので置き換えたとあなたは思っているのですか?なぜそのような話ができるのでしょうね。置き換えたのではなくないもの、ゼロにしたのです。

他国語でもほぼ同様にリストが存在

他の言語を見てみれば、クロスオーバーSUVで車種リストがあるところが多いことがわかるでしょう。他国語でも一般的なのくらい見てから言っているとは思いますけど。他国語でもやりますか?


リスト(一覧)の役割を理解していない

百科事典は文章でパラグラフとして書かれるものです。その意味では、あなたの考えはあっています。しかし、リスト(一覧)は百科事典の記事を補完する資料として大切な役割があります。

まず、ウィキペディアでは記事中一覧、独立記事一覧とは区別されません。記事中にあろうが、独立していようが一覧は一覧で百科事典の記事本体とは別物とされています。あくまで百科事典の資料ということですから、記事に応じて独立させるか記事中に含むかが変わります。複数記事から参照されるものであれば独立していたほうが扱いやすいなどあります。

リストが何の目的のためにあるか

リストの主要な目的は3つ

  • 1)通常の情報としての有益さ
  • 2)目次機能
  • 3)事典の充実度管理発展用途


「1)通常の情報としての有益さ」は、特に構造化された一覧は貴重な情報源だということ。たとえば、年代順に構成された一覧、テーマ別の一覧、注記が付加された一覧など。ここの一覧は年代順に構成され注記が付加された一覧。

「2)目次機能」は、 「探したいことはあるのだけれども、なんていう言葉で探したらいいかわからないときには、今見ている記事の下にある「関連項目」の一覧を利用する」。「関連項目」も一覧です。クロスオーバーSUVを探したいがどんな車種かわからないときにこの車種リストは有効だということ。

「3)事典の充実度管理発展用途」は、 記事の一覧は、執筆中の記事の「事典度」を示してくれる。どれが執筆されていてどれが執筆されていないかがわかる。 リスト中の赤文字の車種は、そういう自動車があるが、まだウィキペディアに記事がないんだなとわかる。 そのため、赤文字の記事を書いてあげようかなという編集者がいる、もしくは、書かなきゃと記事をみるたびいつも思うということも促せる。つまり「一覧はウィキペディアの充実目的にも有益だ」


リストとカテゴリは補完しあうものとして理解していない

さて、リストとカテゴリは補完しあうもの。

「リンク先の更新状況」機能を使って掲載された記事の変更をトラッキングすることができるのは一覧とカテゴリが同じところ。しかし一覧とカテゴリーが異なる点は、「一覧はリンクされた先の記事削除がわかること(赤字にになるから)」。および一般記事なので「履歴が残ること」。(それよりも前に、一番違うのは、カテゴリは記事がなければ現れない、リストは記事がなくてもいい。だからこそ赤リンクが作れる。誰か孫引用するかもしれないかなと思って漏れを補充)

そして、カテゴリは順番を任意に決められないが、リストはできる。ここのリストは年代順になっている。クロスオーバーSUVがどういった流れで登場してきたのかなど一覧で目で追える。

こういった資料価値を等価以上で置き換えることなく、削除によりゼロにしたのです。あなたの意見と振る舞いは、問題があると思います。--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 12:39 (UTC) --Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 12:44 (UTC)(修正)--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 14:44 (UTC)(漏れ補充)[返信]

まず、私がはじめてその一覧を削除しようとしたとして、それが今まで誰も削除せんとしなかったとしても、それがその記事に必要であることの証明とはならないでしょう。たとえそれが3年だろうがです。もっと言いますと、その長い期間のうちに120回足らずの編集回数であったということは、その問題点に気付きうる執筆者がいなかったのもわかっていただけると思います。
私がこの記事中からクロスオーバーSUVの例を削除したい理由は、前にも書きましたが、それが「代表的である」という根拠がないからです。例として挙げた声優記事では代表作の記述がたとえ有用であったとしても、それが主観によってしまう以上、ソースなしでの記述は禁止されています。
そしてもう1つ、歴史的にクロスオーバーの進歩を説明するのであれば、それは本文に組み込むことがいくらでもできるでしょうし、本文に組み入れることのできないような些末なモデルは、わざわざ列挙して知らしめる必要はないのではないかと思います。クロスオーバーSUVの定義さえあれば、それでその車が何なのかを理解することができるはずです。
あと、他国語版についてですが、私は英語しかできない上、英語にも自信がなく、英語版でも記事は1つくらいしか(実は2つなんですが1つは削除依頼中)書いたことがありません。なのであまりそっちでは議論をしたくないですし、私はあくまでここでの記事作成を最優先しています。それに自動車関連記事は結構充実しているドイツ語版にも一覧記事はありません。ただ、外国語版がいかであれ、日本語版をなりうる最善の状態へとしておくのが私の理想ですし、外国語版にとらわれずに執筆を行うのがいいと考えます(もちろんいいところは吸収すべきですが)。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月25日 (木) 13:30 (UTC)[返信]

代表的をはずせばいいのではないですか?でも些末なモデルかそうでないのかはだれがどうやって判断するんですか?日本で知られていないものを排除していいのでしょうか。知られていないものこそ書く意味があるかもしれません。中国製でも中国で代表的なものならあっていいでしょう。中国で最初のものならなおさらあっていいでしょう。入れたいものを入れてみればいいじゃないですか。それがクロスオーバーSUVなら、これもそうだったのかと気づかさせてくれる機会になります。あなたのいっていることは代表的をはずせば解決するのではないですか。なぜ全削除までいたるのですか。はじめに代表的を削除して、その上で時間を置いて様子をみてもいいのではないですか?なぜ一気に削除にいくのですか?その振る舞いは独断に思えます。

本文と資料は違うといっているでしょう。本文でリンクが書かれていても関連情報にリンクがある意味がわかりませんか?どれも基本的なことです。「私の理想」実現のためにウィキペディアがあるのではないのです。--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 13:49 (UTC)--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 13:50 (UTC)[返信]

入れたいだけ入れるのならばそれがどんなに小規模なマーケットで販売されている車であってもそれが羅列されてしまう、せっかく歴史とかがしっかり書かれている記事なのに(出典の少なさは気になりますが)、それを台無しにしてしまうでしょう。たとえば中国の自動車メーカーは百社以上あります。たとえば今から年代順のセダンの一覧をセダンに加筆したらどうなるか、想像できるでしょう。クロスオーバーの誕生からそれほど時間のたっていない「今」だから羅列できますが、今後歴史が重なり、数が増え、それをいちいち追加していくのはWikipediaのデータベース化以外の何物でもありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読んでいただければ分かると思いますが…。
私の理想、と言うと語弊がありましたが、それでも私は記事をより良くするために削除を提案しました。対してあなたはというと、なんだかんだいってWikipediaをデータベース化しようとしているようにしか見えないんですよ。私には。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月25日 (木) 14:07 (UTC)[返信]
勝手に決め付けないでください。私は、この記事を事典として拡張するのに十分貢献していると思っています。当然本文記事部分です。百科事典として適切となるよう体系的に整理し、文章による解説を書き込みました。その上でだからこそ、、つまり、本文を保管補完する資料としての価値が十分にあり、また、必要だと思っているからこそ、あなたの傍若無人な削除に対して即座に対応したのです。この記事のどこがデータベース化なんですか?「統計資料や周辺の施設のみで構成される記事」では要りませんね。本文を保管補完する関連資料部分です。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんを自分の都合よく解釈する。それこそ独自の判断でしょう。
数が増えてきたら分割するというのがウィキペディアの方針です。記事内一覧が大きくなってきたら、独立記事の一覧とする。独立記事の一覧が大きくなってきたら、たとえば、時代別で独立する。なんら問題ありません。今現在問題となっていない事象を自分の想像だけで膨らませて心配することは不要です。実際に問題となってから対応すればいいのです。実際に問題とならないかもしれないからです。あなたの心配は実際には問題となっていないことを頭の中で膨らませているところに起因しています。だから、あなたの頭の中にある問題が共有されないのではないですか。だから、独善になってしまうのではないですか?。だから、私の理想と表現されているのではないですか。本当に問題となってから対応すればいいのです。--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 14:23 (UTC)--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 14:24 (UTC)--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 14:26 (UTC)[返信]
ウィキペディアは何ではないかより抜粋
リストの記録所ではありません。もちろん、もしそれらが、記事のトピックに極めて強く関連していたり、大きな功績があったりする場合には、全く問題ありません。
極めて強く、とかなり強調されていますよね。これがどういったことを表すかは明らかでしょう。ということはクロスオーバーSUVを語る上で必要不可欠な車種「のみ」を書くべきという解釈に当然なるでしょう。そしてそういった車種は本文中に十分すぎるほど記述されており(これ書くの3度目なんですが)、改めてリストを作る必要性が感じられません。
また、代表的でない車をどんどん追加して、それがデータベース的内容以外の何者だというのでしょうか。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月25日 (木) 14:32 (UTC)[返信]

あなたの論は極端ですね。日産の車種ですべてを入れる理由がないといっているわけです。日産の車種で代表的でない車はいれるべきではないと。クロスオーバーSUVやセダンではだめで日産の車種でいい理由を聞かせてもらえますか?わたしにはあなたは自身の都合で使い分けをしているとしか思えませんけれども。--Pararinpooh 2009年6月25日 (木) 14:50 (UTC)[返信]

私は聞かれていることについてはできる限り回答しているつもりです。たとえばsmartの記事には全車の歴史が記述されています。それは今現在の状態であり、いずれは分割されて自動車単体の記事ができるかもしれません。何が言いたいかというと、その場合、自動車のモデルの記事は自動車メーカーの記事から分割されたという事実があるのです。もちろん、自動車モデル単体の記事ができるのが当たり前であるという状況ですから、製造ブランドの記事からモデルが分割されるというケースはほとんどありません。ですが、自動車記事もブランド記事から分割されたものだと考えても問題はないのではないのか、そして分割された記事については当然分割もとからのリンクがあるべきではないのか、ということです。別の例があります。キヤノンのカメラ製品一覧はあたかもキヤノンの記事から分割されたかのような名称をしていながら、初版から全く別の記事なんです。以上のことを踏まえると以下のことがお分かりいただけると思います。日産で売られるモデルが、日産の記事からリンクされるのは当然だと、そして日産の記事から分割された車種一覧に日産のモデルすべてを書くのは当然であると。
対してクロスオーバーSUVについて考えてみますと、たとえばデジタルカメラの項目をクロスオーバーSUVのたとえとして用いますと、そこには参入しているメーカーは書かれていますが、各モデルについては書かれていません。加えてそこにEOSなどといったブランドを書き加えるのは許容範囲かと思いますが、たとえばキヤノン EOS 10Dといったような具体的な機種名をリストとする必要性は全く感じられず、やはりそういったものが許容されるとデータベース化へとつながるでしょう。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月26日 (金) 07:49 (UTC)[返信]

TTTNIS氏の引用>何が言いたいかというと、その場合、自動車のモデルの記事は自動車メーカーの記事から分割されたという事実があるのです。

TTTNIS氏の引用>ですが、自動車記事もブランド記事から分割されたものだと考えても問題はないのではないのか、そして分割された記事については当然分割もとからのリンクがあるべきではないのか、ということです。

一覧の分割の話はしましたが、あなたの話は記事の分割の話になってしまっています。しかも、記事が分割してもしなくてもどうでもいいが、記事からのリンクについては、あなたの論では、リスト(一覧)ではなく、本文中にリンクがあることで十分なはずだった。分割されたものだとしてもそうではなくても、「なぜあなたが日産の車種では一覧を認めてクロスオーバーSUVでは認めないのか」と聞いていたのだが答えはない。

自動車の一モデルの記事が分割で作られるかそうでないのかは、場合によるわけで、なんら主従関係はなし。しかし一覧や年表というものにはそれが従う記事がなければ、存在してはならないということ。一覧が分割でつくられなくとも、ね。一覧の分割、記事の分割、さらには独立記事同士を混同している。前回は一覧を誤解していたことが発覚したが、今回は独立した記事が存在できるための記事の特筆性(Wikipedia:特筆性)も、同様に誤解している。

あなたはクロスオーバーSUVのこの記事のことを考えていっていると先に記述しているが、とてもそう思えない。誤解した理解に基づく独自の判断で、(普通の編集者なら長期の対話によって判断する)削除を、自身で即決ということです。その理由を問うと、あなたの論に一つ一つに納得どころか、あなたの指摘の間違いをこちらがいちいち筋道を示さないといけない状態です。

たとえも納得できない。デジタルカメラのたとえは、自動車でいえば、蒸気自動車がガソリン自動車になった、もしくは、ガソリン自動車がハイブリッドカー燃料電池車になった、そういうレベルの話じゃないの。ただし、それはカテゴリが違えば、さらには記事が違えば、それぞれ判断クライテリアは異なるはず。それを一緒に論じてしまうところが、クロスオーバーSUVのこの記事のことを考えていっているのではないということがわかる。

ひとつひとつ指摘してお付き合いしている暇はありません。これ以上、対話する必要はないですね。もういいかげんにしてくれませんかねえ?--Pararinpooh 2009年6月26日 (金) 12:00 (UTC)[返信]

分割云々はあくまで説明のための例です。「日産」というものの中にある車のモデルであるからして日産の車種一覧に書くということが言いたかっただけです。一覧以前は日産自動車の記事の中に「車種」がありました。そのさいに日産車の記事が作られ、それが日産の記事の中になければ誰かが加えるのは当然でしょう。逆にこちらの場合、現状「一例」に過ぎないのでそれをすべて記述することはない。ですから付け加えたい人だけが付け加える、だからそれは明らかに「主観的」記述となってしまい、偏りが出てしまう(実際2007年以降のモデルは書かれていませんし)。そして逆に「代表的」という部分をカットした場合、それは真の意味での「一覧」と同義となりどんなクロスオーバーSUVも書かれてしまう、それが雑多以外の何物でもなくなってしまう。私としては記事をよくするために妥協をするつもりはありませんので、残念ながらいい加減にすることはなりません。代わりと言ってはなんですが、コメント依頼を提出いたしましたので、議論の活性化が図れれば、と思います。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月26日 (金) 12:54 (UTC)[返信]

あなたの思い込みには付き合えないですが、コメントがつけばお付き合いいたしましょう。その方々のために、まとめておきます。ここはクロスオーバーSUVの記事であり、クロスオーバーSUVの車種が一覧に書かれることは決して雑多なものを記述していることではない。現時点での問題があるとの指摘はない。将来起こるか起こらないかわからないことを想像して、その想像に基づいての判断で、短絡的に削除して無にしようとしている。確認した理屈もとても納得からは程遠い。説得する以前の話で、話が一貫しない。あなたの独りよがりだとしか思えない。「私は記事をよくしようとしているのだ、それにあなたは賛同しようとしない。」という主旨を繰り返す。わたしが記事をよくしようとしていることについては受け入れないのにね。それでは、賢明な第三者のコメントを待ちましょう。--61.210.200.200 2009年6月26日 (金) 13:22 (UTC)以上--Pararinpooh 2009年6月26日 (金) 13:24 (UTC)[返信]

では私も一応私なりの考えを記しておきます。

全部記述するのはセダンでは到底無理なのと同じく論外として、例を挙げることに論点を絞ってみると、「例」としては主観客観どうであれ、「代表的」であるべきで、現時点でもそうなっており、批判すべき場所ではない(当然主観的となるのは問題ではあるが)。しかし、その「代表的」である定義をどうすべきかとした場合に、私としてはやはり、クロスオーバーSUVの歴史に何らかの変革をもたらしたモデルであるべきという考えがあり、そしてそういったモデルは記事中に具体例として書かれており(エスクードやRAV4に至っては単独節もある程)、あらためてそれを再記述する必要性はないのではないのか。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月26日 (金) 13:37 (UTC)[返信]

もう一点書いておかないといけないかな。

TTTNIS氏の引用>私としては記事をよくするために妥協をするつもりはありませんので、残念ながらいい加減にすることはなりません。

これは、はじめから対話ではなく、自己の主張を通すといっているわけです。同じことを私が書いたらあなたはどうします。書いてみたいところです。でも、その姿勢は水掛論だといっているでしょう。彼が引用するウィキペディアのガイドも、タイトルだけを引用して、自己の方向に曲げている。そのガイドの実際の内容は実際には違っている。対話以前の話なのです。まあ他の人の評価があるまでは意見はこのくらいにしておきます。

参考にしなければいけない基本的なところをあげておきましょう。彼以外の皆さんには釈迦に説法だと思いますが。

Wikipedia:完璧な記事 「そのトピックに対して複数のアプローチがあることを深く認識し、そのことを追求します。 」

「 完璧である必要はありません」しかし、上記をすべて満たすような記事は……存在しません。決して、これらの様々な基準を全て満たすように頑張らなければならないと考えているわけではありません。完璧な記事は、観念的な理想であり、人間には書けません。完璧にはほど遠い記事であっても、ウィキペディアに投稿することは非常に重要です。しかし、様々な方法で完璧でない記事を改善することができるということも忘れてはいけません。


もし雑多な内容だったとしても、 Wikipedia:素晴らしい記事を書くには# 雑多な内容は整理するでは 「リストを階層化したり、段落構造を導入するなどして、内容を整理してください。」であって、「削除しなさい」ではない。決してクロスオーバーSUVの車種一覧は雑多ではない。しかも階層化されている。どこが雑多?極論?

そして一番の基本だけれど、このあたりに問題あるのでは・・・ Wikipedia:編集方針

  • 完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。
  • 多様な参加姿勢が受け入れられます
  • 他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください
  • 議論の場ではありません

冒頭に引用させてもらったTTTNIS氏の姿勢で編集を続けた場合はブロックにもなりかねませんよ。

--Pararinpooh 2009年6月26日 (金) 13:58 (UTC)[返信]

他のボディタイプのページでも同様に車種の一覧の記述が見られます。議論の活性化、他のボディタイプのページでの代表車種を載せることの是非を問うためにもPJ:乗用車に投げた方がいいと思いますが、どうでしょう。--Su2365 ( 会話|投稿記録 ) 2009年6月28日 (日) 00:21 (UTC)[返信]
私もそう思って調べてみたんですが、他の記事では単に「例」・「代表車種」となっているものが少なく、無限に加筆される恐れはないかと思い、かつ他の記事は記述が少ないものも多く、現行車種・あるいは現行の日本販売車種(定義は明確だが、現代POV・JPOV。しかし例ならば許容範囲か)などを少数例示するのはむしろ理解の補助となりうると思い、よってこちらが特殊な事例であると考えますので、私としてはこちらでの議論をまず終結させた方が良いかと思います。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月28日 (日) 01:09 (UTC)[返信]

Su2365さん、コメントありがとう。また、TTTNIS氏も。TTTNIS氏のコメントで新情報がでて、私とあなたの2人の意見が合わない点が見えてきましたよ。

まず、「この記事が特別」なのはスタブ状態を完全に脱している立派な事典記述として乗用車プロジェクトが自慢していい記事だということじゃないですか?決して、異常状態にあるわけではないでしょう。充実していない記述に、充実している記述があわせられて、短く切り刻まれてしまうということがあるようだけれども、アクティブなTTTNIS氏であるだけに「バランス」の不適切な適用とならないようにお願いしますよ。事典記述は充実すれば長いものになることはガイドでも指摘されていることですし。

さて、

TTTNIS氏の引用>現行車種・あるいは現行の日本販売車種(定義は明確だが、現代POV・JPOV。しかし例ならば許容範囲か)などを少数例示するのはむしろ理解の補助となりうると思い(後略)

この許容範囲とは『事典記述の許容範囲』ということ。『資料の許容範囲』ではない。おなじ『車種リスト』を見ながらも、わたしとTTTNIS氏は別物として見ているということがはっきりわかった。一覧の解説をしたけど、下手だったかもしれない。そして理解が違うなら意見が合わないわけだ。話し合えないといったのは悪かった。申し訳ない。もう少し話あわないといけない。

この車種リストを『事典記述(事典としての説明)の延長としての代表的車種の例示』としてみるなら、TTTNIS氏が「本文中にすでに出ているので2重の記述だ。だから削除。」とする理屈は通る。しかし、これは『資料』であって『事典記述(事典としての説明)の延長』ではない。たぶん、TTTNIS氏には『資料』の車種リスト=『事典記述(事典としての説明)の延長』と見えているはず。

こういう前提に経つTTTNIS氏だからこそこの車種リストを削除した。しかも「現在のリストを削除する」ではなく、「現在のリストは代表車種リストとしては冗長」で「本来のあるべき姿は、もっと短い(少ない)もの」と考え、そして、「TTTNIS氏の頭の中で考えた短い代表車種リスト」と「本文記事中の記述」を比較し、「同じだ」と。そのため(TTTNIS氏の頭の中で考えた)車種リストは不要であると。現在の車種リストを削除すべきだと。

一応、TTTNIS氏がした削除アクションの理由はこれで私にも論理としては通る。その思いの根本原因は、このリストを「資料」と見るか「記事本文の延長と見るか」の違いにあると思えば、TTTNIS氏の気持ちはひとまず理解できる、とは思った。

しかしやはりこれは正しくない。

  • 「現在のリスト(代表的車種一覧)」ではなく、TTTNIS氏の理想の代表的車種一覧リストを仮定して、その仮定のリストと事典記述を比較して、時点記述のみで充分と判断。その結果、「理想のリスト」はいらないと判断。「理想のリスト」に作り変えることを想定していたため、「現在のリストを削除」した。⇒これは傲慢な振る舞いで、編集態度の問題。細かくは3点問題がある。
    • 見るべきはまずは「現在のリストそのもの」。その意味付けに疑問を持ったら、その旨を聞く。ノートはそのためにある。
    • 一気に削除はまずい:全体をばっさりといきなりに削除しちゃ、そのアクションはたとえ考え方が正しかったとしても、それはマナーとしては全削除は性急だった。それでも全削除をしたいというなら、意味不明な(整理)ではなく、削除理由を明示的にコメントすることが必要だっただろう。
    • 比較対照が公開されていない:そのよって経つ考え方も現実のリストではなく頭の中のリストなのだから削除した理由を推測しようにも誰もわからない。頭の中のリストを一度、公開してから、比較するのが順当な作業のながれだ。これを(整理)の一言だけきいて正しく理解できる他人はいない。正しいことをしていると自身があるなら、その基準を明確に公開たほうがいい。本当に正しければ、この方が他の編集者にとって参考になる。あなただけの仕事ではなく、他の編集者との共同作業ができるようになり手広く対応できるだろう。
  • しかし、もっとも根本原因は、比較対照とした現在のリストは、TTTNIS氏の考える理想の事典記述にあるべき車種と比較されるべきものではなかった。資料なのだから。「資料」は「記事本文(事典記述)ではないし、事典記述の不足を補うものでもない」。資料は資料。⇒この比較対象の誤認は、知らなかったことから生じたもの。


資料として現在存在するリストは、「個別のモデルにどんなものがあって、それが何の乗用車プラットフォームをベースに作られたかが年代順にわかる一覧」であり、クロスオーバーSUVは乗用車プラットフォームをベースに作られたSUVだから、「プラットフォームと関連付けて、年代順にどんな流れで具体的な車両が世の中にでてきたのかがわかる一覧」。有益な資料。雑多な内容など事実誤認もはなはだしい。ここには事典記述にあるようなレベルでの代表的なものでは意味がない。資料とはそういうもの。TTTNIS氏が事典記述には仔細なものと思うようなものでもいれていい。ちなみに私はなにが仔細なものかの判断は一覧にはありえないという立場だ。

私がこの現在の車種リストにとるべきと考えるアクションは「意味のない「代表的」をはずしてしまえばいい」ということ。場合によっては独立記事分離もありえるが、まだそこまでの必要はないということ。

以前から、代表的であるかないかで議論沸騰しているような場面を通り過ぎたことがあるが、車種リストでそれを議論しているくらいならいれておくほうが賢明。



次にSu2365さんのコメントにコメントです:「ボディタイプのページでの代表車種を載せることの是非」という問いかけでまとめられていますが、これも、上記のように事典記述と資料記述を混同しています。資料ですからリストはありえる。しかも、一般に考えて、載せられるだけ載せてなにも問題ないはずのものです。モデルに優劣はないですし、見方によっては必要性の重みは変わるものです。一覧は一覧。「車名」のリストで、「このモデルは雑多、あのモデルは雑多ではない」などという取捨選択はありえないでしょう。もしそうなら、車名に一つの記事が立てられること自体を否定することになるでしょう? PJで話合うなら、この点をはっきりさせるべきだと私は思いますがいかがでしょうね。

ご両人とも、疑問点あればコメントください。--Pararinpooh 2009年6月28日 (日) 17:35 (UTC)[返信]

では1つ質問なのですが、年代別に一例となる車種のプラットフォームがわかって何か「クロスオーバーSUV」の理解の助けになるのでしょうか? また仮にその資料から見出せる何か法則的な進化があったとしてもそれを読者自身に「悟れ」というのでしょうか?--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月29日 (月) 09:32 (UTC)[返信]

まず、TTTNIS氏はこういった質問をいちばん最初に投げかけるべきだったのです。ここまで具体的な質問ではないかもしれません。でもそういうことがあるかもしれないと、「なにか意味ありますか?」という探りの問いかけをなぜ最初にしなかったのでしょうか。その点はわたしが一番指摘したいことです。投げかけられるだけの視点を持っていなかったのであれば、そういう編集者が、(なにか意味があるかもしれないと他の編集者の意見をうかがうための)「猶予期間」も設けずに、(ウィキペディアでのさまざまなアクションとしては一番最後に選択されるべき)「削除」を短絡的におこなったことが、今回の発端だということです。今回のことだけに限らず、この編集姿勢はさまざまなところで議論を起こすはずです。

「TTTNIS氏自身が事典記述としてはすでに充分な記述がある」と、すでにある程度のカタチに構成されている記事だと認識している記事で、この記事内容を削除するということは、そうであればあるほど、そこに至った編集者の努力が後ろにあるわけです。その人たちがいままでそこに積極的でも消極的でもそれを削除せずに存在させてきた、そういう内容を「ゼロ」にする「削除」をおこなう前には、今回のようなことをしっかり「聞くこと」、こういう姿勢が編集者として望まれるのは当然でしょう?

さて、質問ですが、ご自身で考えをめぐらせられるTTTNIS氏ですから、単に質問を投げかけるのではなく、「この質問の意味するところ」を明記することも必要です。もしかしたら、TTTNIS氏が「この問いかけ」に含んでいる意味が、文字からとった私(など他の編集者)とは違うかもしれないじゃないですか。いままでのやり取りから、そういうことが充分ありえると私は思っているからです。

たとえば、写真の置き換えの例のように、等価をゼロにしたのに、等価のもので置き換えたものを理由とするようなことで、論理の筋道がとおっていないことであるのに、理由にしたりしているわけです。TTTNIS氏の頭の中でだけの論理で、TTTNIS氏自身が出した答えが、「正しい」とは思えません。「独自の理論」で「勝手に話を進めてしまう」「恐れ」が多分にあることがわかりました。

しかし、そういう編集者であったとしても、「厳格性」に重きをおくのではなく、「多面性」に重きをおいているのであれば、他者の考え方を排除することなく、ウィキペディア的文化で進んでいくことと思います。しかし、反対に、そういう思考法をする編集者が「厳格性」に重きを置いてしまえば、論争が起きるでしょう。

あなたの考えがすべて間違っているとはいいません。的確にウィキペディア的な部分をもっているところもあります。一部については私もすでに認めています。しかし、かけているのは「多面性」「多様性」を認めることです。

TTTNIS氏の引用>私としては記事をよくするために妥協をするつもりはありませんので、残念ながらいい加減にすることはなりません。

が、これを端的に示しています。

今回の質問の前提条件などで、わたしの思いもよらないなにかがあるかもしれない。TTTNIS氏の中にすでにあるものをだしてもらわないと、その後のやり取りが錯綜して、初めにもどらないと絡まった糸がほどけなくなるかもしれない。絡まる前に、わかっていることを明記してください。なにもないならその旨を。その反対にすでにこの問いかけにTTTNIS氏が答えを出しているのであれば、答えに至る過程を含め、それを最初に記述して、「こう思っているが、どうですか?」と書くことができるでしょう。自らの中ではすでに解決した論理でも、明示して確認することが、合議を得るためには大切なのではないですか? 今回の質問に対してまずは、その点を確認してからと思います。

ただし、それ以前に、頭の中で削除を決めたあなたのアクションの意味は、他の編集者に的確な理由も示せていないのだから、もう自ら切り上げるべきじゃないのかな。ウィキペディアは初心者に優しく!ですが、でも、どうして、「記事をより良くするために妥協をするつもりはない」と宣言しているやつに、しかも、あげてくる理由ひとつひとつが、論理が通っていないそういう編集者に対して、どうして「親切に手取り足取り、一覧の意味から、なにから教えてあげる」ことが必要なのでしょうね。おかしいと思いませんか。妥協するつもりがないほどすべてをご存知であるのだから、自らがこちらに対して一から解説して、きちんと導いてくれるくらい手ほどきができないといけないでしょう。そう思いませんか。

それでも質問をしたいということであれば、こちらが質問にこたえるなどというやり取りをすること事態、「頭の中で結論をだせるような」すべてがわかっている人のすることではないでしょう。質問だけではなく、まずは、あなたの頭の中にある「理想の結論と流れを」記述すればいいことです。質問に至る筋道をすべて記述して、質問の答えとして考えられるものを列挙して、その答えに至る考えの違いを解説して、その上で、ウィキペディアには、この答えがふさわしいのですよと啓蒙する。「記事をより良くするために妥協をするつもりはない」編集者にはまずこの姿勢を期待します。「記事をより良くするために妥協をするつもりはない」ということでないのであれば、そうとは限りませんが。

--Pararinpooh 2009年6月29日 (月) 23:52 (UTC)--Pararinpooh 2009年6月30日 (火) 00:00 (UTC)[返信]

たとえば私が写真の例を挙げたのは、その労力を無にする例を挙げるため。仮に記述がなくなったとしても、それがなくなったことで逆に記事がより良くなることだってあるでしょう。たとえば私が、記事をよくするために妥協をするつもりはないといったのは、我が論を突き通すのではなく、読んだ通り、記事を「よく」することを最優先とし、そのためならばいかなる議論も妥協せずに行っているということを示すためで、もしあなたの論理が私にもそれが正しいと思うような理由があるのならば、当然記事に例を挙げるのも反対するつもりはありません。
結局のところ、私はあなたに私の編集の問題点を提示していただきたいのではなく、前述「年代別に一例となる車種のプラットフォームがわかって何か『クロスオーバーSUV』の理解の助けになるのか? 、仮にその資料から見出せる何か法則的な進化があったとしてそれを読者自身に『悟れ』というのか」という質問に対する回答すなわち例(代表車)が必要な理由を明示して、私を説得してほしいのです。もちろん私はそれが記事に必要ない理由を書いてきました。しかしあなたの記述を見る限りでは、それが必要である理由が見えてこないんです。それほどまでにその記述の存在にこだわるのでしたら、それが存在すべき十分な理由があるはずです。それを示していただきたい、それがただ私の思いです。--TTTNIS (会話 | 投稿記録-Commons-) 2009年6月30日 (火) 11:50 (UTC)[返信]

「代表車種一覧」の削除でなく別項目への移動を提案します 記事が充実してきていることから、代表車種については、記事中の車種で十分だと考えます。逆に一覧としての情報価値を鑑みた場合、別項目として保存するのが妥当だと考えます。余談ですが、車関係では「~の一覧」「~の代表車種」として車名列記が目に余るように感じます。--海和尚 2010年3月4日 (木) 05:32 (UTC)[返信]