デーモン・コア
デーモン・コア(Demon core)とは約14ポンド(6.2kg)の未臨界量のプルトニウムの塊である。アメリカのロスアラモス研究所で各種の実験に使われた。後に原子爆弾に組み込まれてクロスロード作戦に使用された。不注意な取り扱いのために1945年と1946年にそれぞれ臨界状態に達してしまう事故を起こし、二人の科学者の命を奪ったことから「デーモン・コア(悪魔のコア)」のあだ名がつけられた。
最初の臨界事故[編集]
1945年8月21日、ロスアラモス研究所で働いていた物理学者のハリー・ダリアンは、プルトニウムの塊を用いて中性子反射体の働きを見る実験を行っていた。プルトニウムの塊の周囲に中性子反射体である炭化タングステンのブロックを積み重ねることで徐々に臨界に近づける、という要旨の実験であった。ブロックをコアに近づけ過ぎると即座に臨界状態に達して核分裂が始まり、大量の中性子線が放たれるため危険である。しかしダリアンは手が滑り、ブロックを誤ってプルトニウムの塊の上に落下させてしまった。プルトニウムの塊は即座に核分裂を起こし、そこから放たれた中性子線はダリアンを直撃した。ダリアンはあわててブロックをプルトニウムの塊の上からどかせたものの、彼はすでに致死量の放射線(推定5.1シーベルト)を浴びていた。ダリアンは25日後に急性放射線障害のために死亡した。
第二の臨界事故[編集]
1946年5月21日、カナダ出身の物理学者ルイス・スローティンと同僚らはロスアラモス研究所にて、未臨界の核分裂性物質に中性子反射体をどの程度近づければ臨界状態に達するか、の正確な距離を調べる実験を行っていた。今回使われた中性子反射体はベリリウム、臨界前の核分裂性物質として使われたのは前年ダリアンの命を奪ったデーモン・コアである。スローティンらは球体状にしたベリリウムを分割して二つの半球状にしたものを用意し、その中央にデーモン・コアを組み込んだ。そして、ベリリウムの半球の上半分と下半分との間にマイナスドライバーを挟み込み、手に持ったマイナスドライバーをぐらぐらさせて上半分の半球をコアに近づけたり離したりしながらシンチレーション検出器で相対的な比放射能を測る、という実験を行った。挟みこんだドライバーが外れて二つの半球を完全にくっつけてしまうと、デーモン・コアは即座に臨界に達し、大量の中性子線が放たれるため危険である。この実験は、たった一つの小さなミスも許されない危険性からロスアラモス研究所のスタッフの中でも人望高い研究者リチャード・ファインマンが「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」("tickling the dragon's tail")と批判し、他のほとんどの研究者は実験への参加を拒否したほど悪名高いものであった。しかし、功名心の強い若き科学者であったスローティンは皆の先頭に立って何度かこの手の実験に参加しており、ロスアラモスのノーベル賞物理学者エンリコ・フェルミも「そんな調子では年内に死ぬぞ」と忠告していたと言われる。
そしてついにこの日、スローティンの手が滑り、挟みこんだドライバーが外れて二つの半球が完全にくっついてしまった。即座にデーモン・コアから青い光が放たれ、スローティンの体を熱波が貫いた。コアが臨界状態に達して大量の中性子線が放出されたことに気づいたスローティンは、あわてて半球の上半分を叩きのけ連鎖反応をストップさせ他の研究者たちの命を守ろうとした。彼は文字通り皆の先頭に立って実験を行っていたため、他の研究者たちへの放射線をさえぎる形で大量の放射線をもろに浴びてしまった。彼はわずか1秒の間に致死量(21シーベルト)の中性子線とガンマ線を浴び、放射線障害のために9日後に死亡した。
スローティンの間近にいた同僚のアルバン・グレイブスも中性子線の直撃を受けたが、彼はスローティンの肩越しにデーモン・コアを見ていたため、中性子線がいくらかスローティンの体によってさえぎられ、数週間の入院の後に無事退院できた。とはいえその吸収線量は少ないとはいえず、慢性の神経障害と視覚障害の後遺症が残り、放射線障害に生涯苦しみぬいた末に20年後に心臓発作で死亡した。
その他の研究者たちは臨界を起こしたデーモン・コアからの距離が十分離れていたため、幸い身体的な影響は出ずに無事であった[1][2]。
クロスロード作戦[編集]
1946年7月1日、デーモン・コアがその中に組み込まれた核爆弾エイブル(Able)がクロスロード作戦にて使用され、ビキニ環礁に投下された。デーモン・コアは臨界状態に達し、核爆弾の威力を増すことに尽力したダリアンやスローティンの期待通りの威力を示して爆発した[3]。
この作戦において、デーモン・コアは完全に消失したが、これ以降にデーモン・コアを再製造する計画はない。
その他[編集]
- プルトニウムとベリリウムはともに猛毒であり、決して素手で触ってはならないこと、とされている[4]。しかしプルトニウムの毒性は化学毒性よりは放射線被曝毒性のほうが顕著であり、その被曝毒性にしても比放射能の点や体内への集積性の違いなどから、放射性のヨウ素やストロンチウムなどのほうが毒性が高い。当時のロスアラモスの研究者の多くが癌で早世しているとされるが、実際に手で触ったファインマンは癌を再発しながらも69歳まで存命していた。(プルトニウムは酸化防止のために表面を薄い銀でメッキされていたと思われる。)
- グレイブスは視覚と生殖機能をデーモン・コアに奪われた後も米軍の核実験の責任者として長く核開発にかかわり続けた。
- マンハッタン計画の終了後すぐに下野したファインマンが、著書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』にてロスアラモスの中性子反射実験と「考えることを停止した」研究者たちについて記している。なお、デーモン・コアを素手で触ったファインマンによると、崩壊熱による、曰く「放射能の暖かみ」があるとのこと。
- SF作家のチャールズ・ストロスが、代表作の『残虐行為記録保管所』においてダリアンの事象について言及している。
- 1989年の映画『Fat Man and Little Boy』(邦題『シャドー・メーカーズ』)に、ダリアンとスローティンをモデルにした人物が登場する。
脚注[編集]
- ^ Trinity Atomic Website, retrieved February 2009
- ^ Alsop, Stewart; Robert E. Lapp (1954年3月6日). “The Strange Death of Louis Slotin”. Saturday Evening Post: pp. 25ff
- ^ Miller, Richard L (1991). Under the Cloud: The Decades of Nuclear Testing. The Woodlands, Texas: Two Sixty Press. pp. 69, 77. ISBN 0029216206.
- ^ 『元素111の新知識 第2版』講談社ブルーバックス 編:桜井弘 ISBN 978-4-06-257627-7 45項 および 387項
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- McLaughlin et al. "A Review of Criticality Accidents" by Los Alamos National Laboratory (Report LA-13638), May 2000.