スウェード (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スウェードから転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
スウェード
Suede in Thailand new.jpg
アルバム『カミング・アップ』発表時。1997年撮影。
基本情報
出身地 イギリスの旗 イギリス
ロンドン
ジャンル オルタナティヴ・ロック
ブリットポップ
インディー・ロック
グラムロック
活動期間 1989年 - 2003年2010年 -
レーベル Nude Records
コロムビア・レコード
Sony BMG
共同作業者 ザ・ティアーズ
メンバー ブレット・アンダーソン
リチャード・オークス
サイモン・ギルバート
マット・オズマン
ニール・コドリング
旧メンバー バーナード・バトラー
アレックス・リー
ジャスティーン・フリッシュマン

スウェード(Suede)は、イギリスロンドン出身のロックバンドである。

概要[編集]

1989年結成。

デビュー当時は、ボーカルのブレット・アンダーソンとギターのバーナード・バトラーを中心に、デヴィッド・ボウイザ・スミスらに影響を受けた耽美的な音楽性で、90年代のUKロックシーンに衝撃を与え、後のブリットポップのきっかけを作ったとも評価されている。メンバー間の不仲によりバーナードが脱退した後も、新メンバーの加入を経て90年代を通じて人気を維持した。

アメリカでは同名の女性シンガーから訴訟を起こされたため、The London Suedeと言う名義で活動していた。

2003年に活動休止を発表。メンバーはそれぞれソロ活動を行っていたが、2010年にアルバム『カミング・アップ』期のメンバーで行った一夜限りの再結成ライヴが成功したのを機に、本格的に活動を再開している。

2011年にはすべてのオリジナル・アルバムがリマスター盤として再発された。

メンバー[編集]

2011年現在のメンバー[編集]

元メンバー[編集]

来歴[編集]

バンド結成[編集]

1989年にイギリスの田舎町ヘイワーズ・ヒースからロンドンの大学に進学してきたブレット・アンダーソンとマット・オズマンは、当時ブレットのガールフレンドだったジャスティーン・フリッシュマンとともに、バンドを結成する。バンド名はジャスティーンの提案により「suede」と命名された。その後NMEに出したギタリスト募集の広告をきっかけに、バーナード・バトラーが加入。ドラムは当初ドラムマシーンで代用したり、元ザ・スミスのマイク・ジョイスや後にエラスティカのメンバーとなるジャスティン・ウェルチが一時参加するなど、なかなか定着しなかったが、1990年にようやくサイモン・ギルバートが加入。1991年にジャスティーンがバンドを脱退するも、その頃からライヴ活動で徐々にプレスから注目を浴び始めたスウェードは、1992年に無名のインディーレーベルだったヌード・レコーズと契約を結ぶ。

デビュー[編集]

1992年、デビューシングル「ザ・ドラウナーズ」のリリースを控えたバンドを、音楽誌メロディー・メイカーが「イギリス最高のニュー・バンド」と賞賛したことから、一躍注目を浴びる[1]。同年9月発表の2ndシングル「メタル・ミッキー」は全英トップ20入り、1993年2月発表の「アニマル・ナイトレイト」(アミル・ナイトレイトをもじったタイトル[1])は全英トップテン入りしたことから、インディーバンドとしては当時異例ながら、全英にテレビ中継されるブリット・アワーズに出演が決定。バンドは「アニマル・ナイトレイト」を演奏したが、ブレットはマイクのコードで自らのお尻を繰り返し叩くなど、刺激的なパフォーマンスを披露。それまでスウェードを知らなかった人々にも衝撃を与えた。

1993年3月、1stアルバム『スウェード』をリリース。発売一週目で10万枚を売り上げ、全英1位を獲得。当時のイギリスでのデビュー作最速売り上げを記録し、その年のマーキュリー・プライズのベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤーにも選出された[1]。ブレットの中性的な歌声とバーナードの唸るようなギターのコンビネーションは、ザ・スミスモリッシージョニー・マーの関係にも例えられた。また同性愛近親姦獣姦などを扱った刺激的な歌詞や、「大衆を墜落させたい」「僕は男性経験のないバイセクシャルだ」といったブレットの発言[1]、この発言を受けてサイモンが「僕は異性経験のないバイセクシャルだ」と、自らが本物のゲイであることをカミングアウトするなど、スウェード現象はマスコミの報道を通じてますます大きくなっていった。

バーナード脱退、新メンバーの加入[編集]

しかしバーナードは音楽以外の面でも話題になるバンドに対して、とりわけブレットに対して嫌気が差しつつあった。しかしそんな中にあってもセカンドアルバムのレコーディングは進められ、8分にも及ぶ大作シングル「ステイ・トゥゲザー」は、全英3位と最大のヒットになった。しかしセカンドアルバム完成直前に、メンバー間の不和は頂点に達し、1994年にバーナードがバンドを脱退することが発表された。

残されたメンバーは活動続行を決意し、バンドは音楽雑誌に匿名で「名の知られたバンドがギタリストを探しています。コクトー・ツインズ、スウェード、ビートルズの影響を受けています」というメンバー募集広告を打ち、600通の応募の中から当時17歳のリチャード・オークスを加えて活動を再開。

1994年10月に発表された2ndアルバム『ドッグ・マン・スター』は、オーケストラの大々的な導入や退廃的な雰囲気を強めた内容が高く評価されたものの、当時はバーナード脱退騒動の影響もあって全英3位までしか上らず、チャートからはすぐに姿を消した。またその直後、オアシスブラーなどによるブリットポップ・ムーブメントが勃発し、プレスの関心はそういった新人バンド群に集中したことから、スウェードはこの時期「終わったバンド」として見られるようになった。

起死回生のヒット作『カミング・アップ』[編集]

1996年1月、キーボードにサイモンの従兄弟であるニール・コドリングが加入。この5人編成でレコーディングされた3rdアルバム『カミング・アップ』は、これまでよりも「明るくポップになった」とも評され、先行シングル「トラッシュ」の大ヒットもあって全英1位を獲得。デビューアルバムの倍近いセールスを挙げ、スウェード最大のヒット作となった。またアルバムからは「ビューティフル・ワンズ」や「サタデイ・ナイト」など計5曲がシングルカットされ、その全てがトップテン入りした。

1997年にシングルのB面曲を集めた『サイ・ファイ・ララバイズ』を発表(全英9位)。この時ロンドンのみでB面曲のみのスペシャル・ライブもファンクラブで披露された。

商業的不振[編集]

1999年、4thアルバム『ヘッド・ミュージック』を発表。ダンス・ミュージックの要素を取り入れるなどの新たな試みが見られたが、前作の爆発的なヒットには及ばず、アルバムの内容も賛否両論となった。『ヘッド・ミュージック』収録時の問題は、以前からのブレットの薬物中毒が悪化したことにあり、後にこの頃の薬物漬けの日々を後悔しているとメンバーはコメントしている。

2000年には5枚目のアルバムのレコーディングセッションがスタートしたが、2001年にはキーボードのニールが慢性疲労症候群という難病によりバンドを脱退することが発表され、後任に元ストレンジラヴのアレックス・リーが加入。またプロデューサーのトニー・ホッファーとのレコーディングも全てボツにして、新たにスティーヴン・ストリートを起用してレコーディングを再開。このようにアルバム制作が長引くにつれて費用がかさんだことも一因となってか、彼らがデビューから所属していたヌード・レコーズが倒産してしまう。

結局バンドは新たにソニーと契約を結び、2002年に5thアルバム『ニュー・モーニング』を発表。アルバムはそれまでの耽美的な雰囲気は消えて、アコースティック主体で歌詞も前向きなものが増えた。この方向転換は従来のファンから猛烈な反発を受け、全英24位とセールス面でも大きく失敗した。

解散[編集]

2003年ベストアルバム『シングルズ』を発表。これに合わせて、同年9月にこれまで発表した5枚のアルバムをまるごと1枚演奏していく、というユニークな企画での5夜連続のコンサートを行った。『スウェード』と『ドッグ・マン・スター』の日が特に人気で、チケットには数十万円のプラチナ価格も付いたと言われている。

同年11月、バンドの公式サイトを通じて「当分の間、スウェードの名の下においていかなるプロジェクトも行われることはないだろう」と、活動停止を発表した。同年12月、スウェード最後のライブでブレットは、1stアルバム収録曲をもじって「来世で会おう(See you in the next life)」と言い残して、スウェードの歴史はいったんここで幕を下ろした。

解散後の活動[編集]

スウェード活動休止すぐに、ボーカルのブレット・アンダーソンは、断絶状態といわれていたバーナード・バトラーとの復縁が伝えられ、2004年ザ・ティアーズを結成。2005年に1stアルバム『ヒア・カム・ザ・ティアーズ』を発表。その年の8月にはサマーソニックへの出演を果たしたが、アルバムの商業的不振により同年秋にはレーベルから解雇され、予定されていたツアーは全て中止。そしてブレットの自身のソロ活動を追求したいという意向により、ティアーズはスウェードと同じく活動休止となっている。

ザ・ティアーズのライブ(2005年

2007年、ブレットが初のソロアルバム『ブレット・アンダーソン』を発表(全英54位)。2008年には自主レーベルから『ウィルダネス』(全英161位)、2009年には『スロー・アタック』(全英174位)と、一年に一枚のハイペースでソロアルバムを発表したが商業的成功には恵まれなかった。

再結成[編集]

ブレットは2007年のインタビューで「バンドの再結成ってのは、かなり哀れだと俺は思うよ。ちょっと絶望的っていうかさ。でも、この台詞に俺自身がしっぺ返しをくらう可能性もあるかもね」[2]と、スウェードやザ・ティアーズの再結成を完全には否定しない発言をする一方で、今後しばらくはソロ活動を続けていく意思も表明していた。

しかし2010年には、チャリティ・コンサートのために『カミング・アップ』期のメンバーで一夜限りの再結成ライヴを行うことを発表。ちなみに、この再結成ライヴにはバーナードは誘われなかったため参加しなかった。それにもかかわらず、ライヴは成功し大好評となったことから、「一夜限り」というのはなかったことにされ、ヨーロッパの各フェスティバルや2万人収容のO2アリーナでライヴを行った。ブレットによると、2011年以降も活動は継続されるであろうとのことである[3]

2013年、約10年半ぶりにアルバム、『ブラッドスポーツ』を発表した。

ディスコグラフィー[編集]

*日付は英国での発売日を示す。「英」とはイギリスの "UK Albums(Singles) Chart" の、「米」はアメリカの "Top Heatseekers" 、「日」は日本のオリコンにおけるチャートの最高位を示す。

オリジナル・アルバム[編集]

アルバム ゴールド等認定(UK)
1 1993 スウェード Suede
  • 発売日:1993年3月29日
  • レーベル:Nude
1 14 28 ゴールド
2 1994 ドッグ・マン・スター Dog Man Star
  • 発売日:1994年10月10日
  • レーベル:Nude
3 35 39 ゴールド
3 1996 カミング・アップ Coming Up
  • 発売日:1996年9月2日
  • レーベル:Nude
1 17 27 プラチナム
4 1999 ヘッド・ミュージック Head Music
  • 発売日:1999年8月28日
  • レーベル:Nude
1 25 29 ゴールド
5 2002 ニュー・モーニング A New Morning 24 - 59
6 2013 ブラッドスポーツ Bloodsports
  • 発売日:2013年3月18日
  • レーベル:Suede Ltd
10 14 42
7 2016 夜の瞑想 Night Thoughts
  • 発売日:2016年1月22日
  • レーベル:Suede Ltd
6 10 34

コンピレーション[編集]

アルバム 補足
1 1997 サイ・ファイ・ララバイズ Sci-Fi Lullabies
  • 発売日:1997年10月6日
  • レーベル:Nude
9 - -
2 2003 シングルズ Singles
  • 発売日:2003年10月20日
  • レーベル:Nude / コロムビア
31 - 67

シングル[編集]

- 発売年 シングル 収録アルバム
1 1992 "The Drowners" 49 Suede
2 "Metal Mickey" 17
3 1993 "Animal Nitrale" 7
4 "So Young" 22
5 1994 "Stay Together" 3 -
6 "We are the Pigs" 18 Dog Man Star
7 "The Wild Ones" 18
8 1995 "New Generation" 21
9 1996 "Trash" 3 Coming Up
10 "Beautiful Ones" 8
11 1997 "Saturday Night" 6
12 "Lazy" 9
13 "Filmstar" 9
14 1999 "Electricity" 3 Head Music
15 "She's in Fashion" 13
16 "Everything Will Flow" 24
17 "Can't Get Enough" 23
18 2002 "Positivity" 16 A New Morning
19 "Obsessions" 29
20 2003 "Attitude" 14 Singles

来日公演[編集]

初来日(Suede Tour 1993)

  • 1993年6月30日 日本青年館(東京)
  • 1993年7月2日・3日 クラブ・チッタ川崎(神奈川)
  • 1993年7月5日 渋谷公会堂(東京)
  • 1993年7月6日 サンケイホール(大阪)
  • 1993年7月8日 名古屋クラブ・クアトロ(愛知)

2度目の来日(Dog Man Star Tour 1995)

3度目の来日(《BEAT UK '96》)

  • 1996年7月28日 POP-STOCK(東京)

4度目の来日(Coming Up Tour 1997)

  • 1997年2月25日 大阪IMPホール(大阪)
  • 1997年2月26日 ドラムロゴス(福岡)
  • 1997年2月27日 名古屋ダイアモンドホール(愛知)
  • 1997年3月1日・2日・3日 赤坂ブリッツ(東京)

5度目の来日(Head Music Tour 1999)

  • 1999年9月15日 ドラムロゴス(福岡)
  • 1999年9月16日 大阪IMPホール(大阪)
  • 1999年9月17日 名古屋ダイアモンドホール(愛知)
  • 1999年9月19日・20日・21日 赤坂ブリッツ(東京)

6度目の来日(A New Morning Tour 2002)

  • 2002年8月16日 J-Wave「Viva Access」(東京)
  • 2002年8月17日・18日 サマーソニック フェスティバル・ソニックステージ(東京・大阪)

7度目の来日(A New Morning Tour 2002)

  • 2003年1月27日 J-Wave「Viva Access」(東京)
  • 2003年1月28日 赤坂ブリッツ(東京)
  • 2003年1月29日 渋谷AX(東京)
  • 2003年1月30日 FM802(大阪)
  • 2003年1月30日 On Air大阪(大阪)

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]

外部リンク[編集]