シルヴェスタ・シュミット
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基本情報 | ||||
本名 | Sylwester Szmyd | |||
生年月日 | 1978年3月2日(46歳) | |||
国籍 | ポーランド | |||
身長 | 179cm | |||
体重 | 60kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | CCC | |||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ経歴 | ||||
2002 2003 2004 2005-2008 2009-2012 2013-2014 2015- |
タッコーニ・スポルト メルカトーネ・ウノ サエコ ランプレ・フォンディタル リクイガス モビスター・チーム CCC | |||
主要レース勝利 | ||||
ドーフィネ・リベレ 区間1勝(モン・ヴァントゥ) | ||||
最終更新日 2015年5月9日 |
シルヴェスタ・シュミット(シルヴェステル・シュミット、Sylwester Szmyd 発音例、1978年3月12日 - )は、ポーランド、ブィドゴシュチュ出身の自転車競技(ロードレース)選手。山岳スペシャリストとしてこれまでにダミアーノ・クネゴやイヴァン・バッソ、ジルベルト・シモーニをアシスト。
山岳で自分がアシストとしてエースを引いている際に絶対言われたく無い言葉は「もっとスピードを落とせ」であると語ったとされる[1]。
経歴
[編集]2001年にプロとなる。
2004年のジャパンカップサイクルロードレースではサエコに所属して出場し、山岳賞を獲得。翌年ランプレに移籍し、クネゴやシモーニのアシスト役を務めた。
2009年にはリクイガスに移籍。ドーフィネ・リベレでは、モン・ヴァントゥがゴールの第5ステージを制している。なお、ステージ優勝を目前で一気にペースダウンするも、何とか持ち堪えてペースを取り戻し、最後はアレハンドロ・バルベルデにステージ優勝を譲られる形でゴールした。ゴール後のインタビューで「ゴールが近づくと、緊張で止まってしまった。吐きそうになって、文字通り脚が止まったんだ」と語っている。同年のブエルタ・ア・エスパーニャの第19ステージではサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)のアタックを全て封じ込める強力な牽引をエースのバッソの為に行い、山岳アシストとしての存在感を示した。
2010年のジロ・デ・イタリアでは第11ステージで大きく総合順位を下げたリクイガスのエース、バッソおよびセカンドエースのヴィンチェンツォ・ニバリを山岳ステージでアシスト。14ステージ、15ステージ、19ステージの勝負所となる峠でバッソとニバリの2名を最後に送り出す役割を果たし、両名のステージ優勝やバッソの総合優勝に大きく貢献した。
- 2012年
- ジロ・デル・トレンティーノ 総合3位
- ツール・ド・ロマンディ 総合7位
2016年シーズンを以て現役を引退した。
2019年よりボーラ・ハンスグローエのアシスタント・スポーツディレクターを務める。
グランツール戦績
[編集]ツール・ド・フランス
[編集]- 2008 : 26位
ジロ・デ・イタリア
[編集]ブエルタ・ア・エスパーニャ
[編集]注
[編集]- ^ Jスポーツによる2010年のジロ・デ・イタリア中継、第14ステージでゲスト解説を務めた中野喜文のコメントによる
外部リンク
[編集]- シルヴェスタ・シュミット - サイクリングアーカイヴス