ヴィンチェンツォ・ニバリ

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ヴィンチェンツォ・ニバリ
Vincenzo Nibali
Cycling (road) pictogram.svg
Cambrai - Tour de France, étape 4, 7 juillet 2015, arrivée (B43) (cropped).JPG
個人情報
本名 Vincenzo Nibali
ヴィンチェンツォ・ニーバリ
愛称 海峡のサメ (lo squalo dello Stretto)
生年月日 (1984-11-14) 1984年11月14日(32歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 180cm
体重 64kg
チーム情報
所属 バーレーン・メリダ
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 オールラウンダー
プロ所属チーム
2005
2006–2012
2013–2016
2017-
ファッサ・ボルトロ
リクイガス
アスタナ
バーレーン・メリダ
主要レース勝利

ツール・ド・フランス

Jersey yellow.svg 総合優勝 2014
区間通算4勝

ジロ・デ・イタリア

Jersey pink.svg 総合優勝 2013, 2016
区間通算5勝

ブエルタ・ア・エスパーニャ

Jersey red.svg 総合優勝 2010
Jersey white.svg コンビネーション賞 2010
ティレーノ〜アドリアティコ 2012・2013
ジロ・ディ・ロンバルディア 2015
GP西フランス・プルエー 2006
ジロ・デル・トレンティーノ 2008・2013
最終更新日
2016年11月25日

ヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali、1984年11月14日- )は、イタリアメッシーナ出身の自転車競技選手。ニーバリとも表記される。史上6人目の全グランツール総合優勝達成者。愛称は『海峡のサメ (lo squalo dello Stretto)』。誕生日の11月14日はベルナール・イノーと同じ (イノーが30年早く生まれている)。弟のアントニオ・ニバリも自転車競技選手である。

経歴[編集]

2005年、ファッサ・ボルトロと契約を結んでプロ転向。

2006年、リクイガス(後の リクイガス・キャノンデール)に移籍。

2007年、初出場を果たしたジロ・デ・イタリアの第1ステージ・チームタイムトライアルにおいて、チームの区間優勝に貢献。総合19位に入る。

2008年、初出場のツール・ド・フランスでは総合20位に入った。

2009年、ツール・ド・フランスでは山岳ステージで健闘を見せ、総合7位。新人賞部門では2位に入った。

2010年、フランコ・ペッリツォッティのドーピング疑惑により急遽の出場となったジロ・デ・イタリアでは、第14ステージを勝利。また第4ステージから第6ステージまでマリア・ローザを着用し、総合3位に入った。

ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝[編集]

2010年、ジロ・デ・イタリアで総合3位を獲得後、ツール・ド・フランスには参加せず、ブエルタ・ア・エスパーニャに照準を定めることになった。第8ステージ終了時点で、総合首位のイゴル・アントンにわずか2秒差の総合3位に浮上。アンドラのバルノリュがゴールの第11ステージではアントンに完敗し45秒に差を広げられるが、総合2位へと浮上した。そして転機が第14ステージにやってくる。

同ステージ残り約6.5km地点でアントンが転倒。右肘骨折のため途中棄権となってしまった。ニバリは区間優勝のホアキン・ロドリゲスに20秒差の区間2位で入り、総合ではロドリゲスに4秒差ながらも首位に立った。その後、第16ステージでロドリゲスに総合首位の座を明け渡したが、第17ステージの個人タイムトライアルにおけるロドリゲスの大ブレーキにより、総合2位に浮上したエセキエル・モスケラに39秒差をつけ再び総合首位へ。最後のクライマックスとなった山岳コースの第20ステージでは、モスケラの再三のアタックを封じ、区間優勝をモスケラに譲ったものの、1秒差の区間2位でゴールし決着をつけた。結果、区間優勝は一度も経験できなかったが、ブエルタ初出場で総合優勝(コンビネーション賞も獲得)を成し遂げた。

2012年、ティレーノ〜アドリアティコ では第5ステージで勝利。第6ステージ終了時点で、総合首位のクリス・ホーナーに対し5秒差の同2位だったが、最終第7ステージの個人タイムトライアルでホーナーに20秒の差をつけ逆転し、劇的な総合優勝を果たした。また、ポイント賞も獲得。

ジロ・デ・イタリア総合優勝[編集]

2013年、アスタナへ移籍。ティレーノ〜アドリアティコで総合優勝。2連覇となった。 ジロ・デ・イタリアでは個人タイムトライアルの第8ステージで区間4位の好走を示し総合首位に立つと、山岳タイムトライアルの第18ステージで優勝。さらに頂上ゴール山岳ステージの第20ステージでは雪の降る最後の峠でライバル達を引き離して優勝。総合優勝を果たした。

ツール・ド・フランス総合優勝[編集]

2014年、ツール・ド・フランスでは9つの峠を持つ中級山岳第2ステージで2位以下に2秒の差を付けステージ優勝してマイヨ・ジョーヌを獲得。第9ステージのみトニー・ギャロパンにマイヨ・ジョーヌを譲ったが、その他のステージではマイヨ・ジョーヌをキープ。当時2強と目されていたクリス・フルームアルベルト・コンタドール両名のリタイアもあり、圧倒的な力を見せて第10・13・18ステージでもステージ優勝を果たし、2位のジャンクリストフ・ペローに7分37秒という大差を付けて総合優勝。史上6人目となるグランツール完全制覇を果たした。

ブエルタでの失格[編集]

2015年、イタリア国内選手権を連覇し、こちらも連覇の懸かるツール・ド・フランスに出場。しかし第2ステージでティンコフ・サクソが仕掛けた横風分断作戦に嵌ってしまい、更にパンクと出遅れてしまう。大会最初の本格山岳ステージとなった第10ステージではステージ優勝したクリス・フルームから7分以上ものタイムを失ってしまう。第19ステージでは途中メカトラブルが起きたフルームに対して紳士協定を無視してアタックを仕掛ける。そのまま先頭を走っていたピエール・ローランと合流、協調して集団を引き離す。その後ローランを置き去りにし、逃げ切り勝利を収めた。翌第20ステージではパンクで遅れてしまい、連覇は逃したものの総合4位と区間1勝という成績を残した。 続くブエルタ・ア・エスパーニャでは第2ステージで落車し、集団復帰する際にチームカーに掴まって引き上げられたことを理由に失格となった。 ジロ・ディ・ロンバルディアでは最終盤の下りで鋭いアタックを仕掛けて独走勝利。シーズン5勝目を上げた。[1]

2度目のジロ総合優勝[編集]

2016年、ジロ・デ・イタリアでは序盤〜中盤にかけて不調に喘いでいたが、チマ・コッピを越える頂上ゴールの第19ステージにおいて、当初総合で2位以下に3分以上の差をつけて独走していたステーフェン・クラウスヴァイクが落車し肋骨を骨折。これにより総合争いは一気に混沌化し、ニバリはこのステージを制して2位に浮上すると、次の山岳第20ステージでもアタックを成功させ総合首位に立ち、2度目の総合優勝を達成した。

2017年、新チームバーレーン・メリダのエースとして移籍[2]。連覇を懸けて臨んだジロ・デ・イタリアではクイーンステージである第16ステージでミケル・ランダとのマッチスプリントを制してステージ優勝。このステージで総合首位だったトム・デュムランが雉撃ちによる大ブレーキを余儀なくされ、デュムランとのタイム差2分を一気に縮めることに成功。第19ステージのピアンカヴァッロの登りでデュムランが遅れたため総合首位ナイロ・キンタナに移動。キンタナとのタイム差を最小限に保ちつつ第21ステージの個人タイムトライアルを迎える。キンタナとのタイム差は39秒で、二バリの実力ならば逆転可能なのだが、デュムランに対するキンタナのリードは1分もなかった。デュムランはステージ優勝したヨス・ファン・エムデンに続くステージ2位でフィニッシュし、キンタナと二バリはデュムランに押し出される形でそれぞれ1つずつ順位を下げた。

主な戦績[編集]

2002年[編集]

2004年[編集]

2006年[編集]

2007年[編集]

2008年[編集]

2009年[編集]

2010年[編集]

2011年[編集]

2012年[編集]

2013年[編集]

2014年[編集]

2015年[編集]

2016年[編集]

2017年[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 現在グランツール完全制覇とモニュメント優勝を果たしているのは、ジャック・アンクティルフェリーチェ・ジモンディエディ・メルクスベルナール・イノー、二バリの5名のみ。
  2. ^ ヴィンチェンツォ・ニーバリ移籍
  3. ^ アルベルト・コンタドールのドーピング違反による繰り上がり

外部リンク[編集]