ヴィンチェンツォ・ニバリ

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ヴィンチェンツォ・ニバリ
Vincenzo Nibali
Cycling (road) pictogram.svg
Vincenzo Nibali TOC 2009.jpg
個人情報
本名 Vincenzo Nibali
ヴィンチェンツォ・ニーバリ
生年月日 1984年11月14日(32歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 180cm
体重 64kg
チーム情報
所属 バーレーン・メリダ
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 オールラウンダー
プロ所属チーム
2005
2006–2012
2013–2016
2017-
ファッサ・ボルトロ
リクイガス
アスタナ
バーレーン・メリダ
主要レース勝利

ツール・ド・フランス

Jersey yellow.svg 総合優勝 2014
区間通算4勝

ジロ・デ・イタリア

Jersey pink.svg 総合優勝 2013, 2016
区間通算4勝

ブエルタ・ア・エスパーニャ

Jersey red.svg 総合優勝 2010
Jersey white.svg コンビネーション賞 2010
ティレーノ〜アドリアティコ 2012・2013
ジロ・ディ・ロンバルディア 2015
GP西フランス・プルエー 2006
ジロ・デル・トレンティーノ 2008・2013
最終更新日
2016年11月25日

ヴィンチェンツォ・ニバリ(Vincenzo Nibali、1984年11月14日- )は、イタリアメッシーナ出身の自転車競技選手。ニーバリとも表記される。愛称は『海峡のサメ (lo squalo dello Stretto)』。誕生日の11月14日はベルナール・イノーと同じ (イノーが30年早く生まれている)。

経歴[編集]

2005年、ファッサ・ボルトロと契約を結んでプロ転向。

2006年、リクイガス(後の リクイガス・キャノンデール)に移籍。

2007年、初出場を果たしたジロ・デ・イタリアの第1ステージ・チームタイムトライアルにおいて、チームの区間優勝に貢献。総合19位に入る。

2008年、初出場のツール・ド・フランスでは総合20位に入った。

2009年、ツール・ド・フランスでは山岳ステージで健闘を見せ、総合7位。新人賞部門では2位に入った。

2010年、フランコ・ペッリツォッティのドーピング疑惑により急遽の出場となったジロ・デ・イタリアでは、第14ステージを勝利。また第4ステージから第6ステージまでマリア・ローザを着用し、総合3位に入った。

ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝[編集]

2010年、ジロ・デ・イタリアで総合3位を獲得後、ツール・ド・フランスには参加せず、ブエルタ・ア・エスパーニャに照準を定めることになった。第8ステージ終了時点で、総合首位のイゴル・アントンにわずか2秒差の総合3位に浮上。アンドラのバルノリュがゴールの第11ステージではアントンに完敗し45秒に差を広げられるが、総合2位へと浮上した。そして転機が第14ステージにやってくる。

同ステージ残り約6.5km地点でアントンが転倒。右肘骨折のため途中棄権となってしまった。ニバリは区間優勝のホアキン・ロドリゲスに20秒差の区間2位で入り、総合ではロドリゲスに4秒差ながらも首位に立った。その後、第16ステージでロドリゲスに総合首位の座を明け渡したが、第17ステージの個人タイムトライアルにおけるロドリゲスの大ブレーキにより、総合2位に浮上したエセキエル・モスケラに39秒差をつけ再び総合首位へ。最後のクライマックスとなった山岳コースの第20ステージでは、モスケラの再三のアタックを封じ、区間優勝をモスケラに譲ったものの、1秒差の区間2位でゴールし決着をつけた。結果、区間優勝は一度も経験できなかったが、ブエルタ初出場で総合優勝(コンビネーション賞も獲得)を成し遂げた。

2012年、ティレーノ〜アドリアティコ では第5ステージで勝利。第6ステージ終了時点で、総合首位のクリス・ホーナーに対し5秒差の同2位だったが、最終第7ステージの個人タイムトライアルでホーナーに20秒の差をつけ逆転し、劇的な総合優勝を果たした。また、ポイント賞も獲得。

ジロ・デ・イタリア総合優勝[編集]

2013年、アスタナへ移籍。ティレーノ〜アドリアティコで総合優勝。2連覇となった。 ジロ・デ・イタリアでは個人タイムトライアルの第8ステージで区間4位の好走を示し総合首位に立つと、山岳タイムトライアルの第18ステージで優勝。さらに頂上ゴール山岳ステージの第20ステージでは雪の降る最後の峠でライバル達を引き離して優勝。総合優勝を果たした。

ツール・ド・フランス総合優勝[編集]

2014年、ツール・ド・フランスでは9つの峠を持つ中級山岳第2ステージで2位以下に2秒の差を付けステージ優勝してマイヨ・ジョーヌを獲得。第9ステージのみトニー・ギャロパンにマイヨ・ジョーヌを譲ったが、その他のステージではマイヨ・ジョーヌをキープ。第10・13・18ステージでもステージ優勝を果たし、2位のジャンクリストフ・ペローに7分37秒という大差を付けて総合優勝。史上6人目となるグランツール完全制覇を果たした。

2度目のジロ総合優勝[編集]

2016年、ジロ・デ・イタリアでは序盤〜中盤にかけて不調に喘いでいたが、終盤となるチマ・コッピを越え頂上ゴール第19ステージで優勝すると、次の山岳第20ステージでようやく総合首位に立ち、2度目の総合優勝を達成。

2017年、新チームバーレーン・メリダのエースとして移籍[1]

主な戦績[編集]

2002年[編集]

2004年[編集]

2006年[編集]

2007年[編集]

2008年[編集]

2009年[編集]

2010年[編集]

2011年[編集]

2012年[編集]

2013年[編集]

2014年[編集]

2015年[編集]

2016年[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ヴィンチェンツォ・ニーバリ移籍
  2. ^ アルベルト・コンタドールのドーピング違反による繰り上がり

外部リンク[編集]