シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国
- シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国
- Schwarzburg-Rudolstadt
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(国旗) (紋章) - 国歌 :
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首都 ルードルシュタット 君主号 グラーフ(Graf)
1710年以降はフュルスト(Fürst)君主家 シュヴァルツブルク家 面積 940 km2(1905年) 人口 97,000人(1905年) 人口密度 103.2 /km² 成立 成立(1599年) 消滅 ドイツ革命による君主制廃止(1918年)
シュヴァルツブルク=ルードルシュタット自由州を経てヴァイマル共和国テューリンゲンへ連邦参議院での投票権数 1 ナンバープレート SR
シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国(独: Schwarzburg-Rudolstadt)は、ドイツ中部のテューリンゲン地方に存在した領邦国家である。
地理[編集]
ドイツ帝国のもとでテューリンゲン諸邦と総称された領邦群のうちのひとつである。首都はルードルシュタット (de:Rudolstadt) (現在はザールフェルト=ルドルシュタット郡に所属)にあった。
歴史[編集]
シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国は1599年に神聖ローマ帝国の領邦として成立した。この侯国の元首は1710年までは伯爵 (Graf) を名乗っていたが、以降は侯 (Fürst) になった。 その後、神聖ローマ帝国が解散すると、1807年にライン同盟、1815年にはドイツ連邦に加盟し、1871年にはドイツ帝国の一部となった。この侯国は1918年にドイツ革命の影響により君主制が廃止され、自由州となった。さらに1920年にはコーブルク自由州を除く他のテューリンゲン諸邦との合邦に参加し、テューリンゲン州の一部となった。
歴代領主[編集]
領主一覧[編集]
1697年までは伯、以後は侯[1]。
- 1583年 - 1605年 アルブレヒト7世
- 1605年 - 1630年 カール・ギュンター
- 1631年 - 1646年 ルートヴィヒ・ギュンター1世
- 1646年 - 1710年 アルブレヒト・アントン
- 1710年 - 1718年 ルートヴィヒ・フリードリヒ1世
- 1718年 - 1744年 フリードリヒ・アントン
- 1767年 - 1790年 ルートヴィヒ・ギュンター4世
- 1790年 - 1793年 フリードリヒ・カール
- 1793年 - 1807年 ルートヴィヒ・フリードリヒ2世
- 1807年 - 1867年 フリードリヒ・ギュンター
- 1867年 - 1869年 アルベルト
- 1869年 - 1890年 ゲオルク・アルベルト
- 1890年 - 1918年 ギュンター・ヴィクトル
系図[編集]
アルブレヒト7世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カール・ギュンター | ルートヴィヒ・ギュンター1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルブレヒト・アントン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ・フリードリヒ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ・アントン | ルートヴィヒ・ギュンター4世 | アンナ・ゾフィア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ・カール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ・フリードリヒ2世 | カール | ルイーゼ (ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ・ギュンター | アルベルト | アドルフ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジッツォ | ゲオルク・アルベルト | マリー | ギュンター・ヴィクトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注[編集]
- ^ 下津、p. 435
参考文献[編集]
- 下津清太郎 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1987年