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シャルル=アンジュ・レザン

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シャルル=アンジュ・レザン
Charles-Ange Laisant
生誕 (1841-11-01) 1841年11月1日
フランス, アンドル県
死没 1920年5月5日(1920-05-05)(78歳没)
研究分野 数学
主な業績 ナント代議院議員
四元数教科書
数学雑誌設立
逆関数積分
プロジェクト:人物伝
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シャルル=アンジュ・レザン: Charles-Ange Laisant (1841-11-01) 1841年11月1日 - 1920年5月5日(1920-05-05) )はフランスの政治家数学者アンドル県に生まれ、エコール・ポリテクニークで軍事工学者として学んだ[1]フリーメイソン自由社会主義者である[2]。Laisantはレイザン、レーザンとも[3][4][5]

政治

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アンドレ・ジルによる、レザンの風刺画(1879)。Les Hommes d'aujourd'huiの69号より。

パリ攻囲戦英語版イシー=レ=ムリノーの城塞を守った。また1873年、コルシカ島アルジェリアの軍に派遣された。1876年、共和党のナント代表の代議院議員になるため、軍を辞職した。1879年、新聞Le Petit Parisien英語版の編集者になった。エルネスト・クルトー・ド・シセ英語版への名誉棄損で重い罰金刑を課せられたこともあった[6]

代議院で、彼は主に軍事の問題を話し、軍の立法の検討委員会長になった(1887年、すべての種類の免除廃止の認可案の棄却が決定されたため退任した)。その後ジョルジュ・ブーランジェ修正主義政策の支持をして、愛国者同盟英語版に加入した。1887年、政治冊子として「Pourquoi et comment je suis Boulangiste」、「L'Anarchie bourgeoise」を出版した。1889年、パリ18区の愛国主義党議員に選ばれた[6]

数学

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1893年以降、レザンは再選を望まず、数学に力を注いだ[6]。1874年には、すでに双曲線関数の研究論文と、(レザンの双曲線の項を付け加えた)ジュスト・ベラディウス英語版同方向等長性英語版の主要論文の仏語翻訳版を出版している[7][8]幾何代数英語版の分野では、2つの論文「Introduction à la Méthode des Quaternions」 (1881)と「Théorie et applications des equipollences 」(1887)を出版している[9][10]。また1894年、エミール・ルモワーヌとともに雑誌L'Intermédiaire des mathématiciensを創設した。1888年にはフランス数学会長に就任していた[11]

四元数ジュール・ホウエル英語版の教科書の要約を書いた。同方向等長性に関する文では、ベラディウスの方法の拡張を示した。

彼はエコール・ポリテクニークの従業員で、1903年から1904年の間にはFrench Association for the Advancement of Scienceの代表を務めた[6]

他にも1899年にアンリ・フェール英語版と教育雑誌「L'Enseignement Mathématique英語版」を創設し、これは1909年に国際数学教育委員会英語版の正式な雑誌になった[12]

関連項目

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出典

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  1. ^ Registration of birth : cf. French page
  2. ^ Guengant, Jean-Yves (2010-07-13), “LAISANT Charles, Ange” (フランス語), Le Maitron (Paris: Maitron/Editions de l'Atelier), https://maitron.fr/spip.php?article82009 2022年3月18日閲覧。 
  3. ^ 石川三四郎西洋社会運動史』大鐙閣、1927年、301頁https://www.google.co.jp/books/edition/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8F%B2/xU3I2ofN28AC?hl=ja&gbpv=0 
  4. ^ Eugene Catalan 著、長沢亀之助 訳『幾何学定理及問題』国定教科書共同販売所、1914年、136頁。NDLJP:828526https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%B9%BE%E4%BD%95%E5%AD%A6%E5%AE%9A%E7%90%86%E5%8F%8A%E5%95%8F%E9%A1%8C/V8_HcVSp8cIC?hl=ja&gbpv=0 
  5. ^ Eugène Rouché,Charles de Comberousse 著、小倉金之助 訳『初等幾何学 第1巻 平面之部,Traité de géométrie. 7. éd山海堂書店、1913年、258頁。doi:10.11501/930885https://archive.org/details/traitdegomtriel02combgoog 
  6. ^ a b c d  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Laisant, Charles Anne". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. The Encyclopaedia Britannica article has the erroroneous "Anne" for the correct "Ange".
  7. ^ C.-A. Laisant (1874) "Essai sur les fonctions hyperboliques", link from Google Books
  8. ^ C.-A. Laisant (1874): French translation with additions of Bellavitis (1854) "Exposition de la méthode des equipollences", link from Google Books.
  9. ^ C.-A. Laisant (1881) Introduction a la Méthode des Quaternions, link from Google Books
  10. ^ C.-A. Laisant (1887) Theorie et Applications des Equipollence, Gauthier-Villars, link from University of Michigan Historical Math Collection
  11. ^ Anciens Présidents de la SMF — 1873–2006 Archived 2014-11-29 at the Wayback Machine..
  12. ^ One Hundred Years of "L'Enseignement Mathématique, Symposium of the EM-ICMI Symposium, 20-22 October 2000. Geneva: L'Enseignement Mathématique. (2003). http://www.unige.ch/math/EnsMath/EM-ICMI/ACTGE.pdf ,

外部リンク

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