キース・ヘインズ

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キース・ランドール・ヘインズ英語: Keith Randall Haines, 1963年6月1日 - 2018年10月17日[1][2])は、アメリカ合衆国キーボード奏者音楽プロデューサー歌手[1]

生涯[編集]

1963年6月1日オハイオ州アクロンに生まれる[2]。幼少期から音楽に興味を持ち[2]、少年期にはボーカルグループである「キース・アンド・ザ・ジュニアテンプス」を結成した[2]。青年期は地元のバンドである「フリック・アンド・スナップ」のメンバーになった[2]

1993年東京六本木にあるライブハウス「ピックフォード」のハウスバンドのメンバー[1]として公演を行うために訪日。日本の文化と生活様式が気に入ったキースは日本に定住する決意をして[2]2000年代から日本に活動の本拠を移した[1]。日本でのキースは「サイエンス・バンド」を率いて、「ピックフォード」で定期的に公演を行った[2]

1996年ダズ・バンドに加わり、アルバム「Here We Go Again」とライブアルバム「Double Exposure」の収録に参加した。東京でファンを獲得したキースは、FayrayDOUBLEBoAmihimaru GT石井竜也EXILE ATSUSHIといった日本の有名アーティストと共同でレコーディングを行った[1][2]。また、キースはドリフターズアシャンティチャカ・カーンらのツアーに加わった[1][2]。チャカ・カーンの日本ツアーではキーボード演奏を担当した[1]。また、メロディー・セクストンとの共同レコーディングも行った[1]

キースは仕事に妥協を許さない完璧主義者としても知られ[2]グルーヴ感に富んだ緻密な打ち込みは高い評価を受けた[1]。キーボードだけでなく、情感のこもったボーカルやコーラスにも定評があり[1]、アメリカや日本以外でも多くのファンを獲得した[2]

2018年10月17日の午前1時30分頃、神奈川県横須賀市の病院で心臓発作のため55歳で死去[1]。3日後にヤマハ銀座スタジオで開催予定だった「プレ・ハロウィーン・パーティー」を控えた矢先の死であった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 吉岡正晴 (2018年10月19日). “●キース・ヘインズ急死~10月20日のライヴは延期へ | 吉岡正晴のソウル・サーチン”. 2022年10月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k Keith Randall Haines | Calhoun Funeral Home & Cremation Service”. Calhoun Funeral Home & Cremation Service (2018年10月19日). 2022年10月23日閲覧。