キン準

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本来の表記は「靳準」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

靳準(きん じゅん、? - 318年)は、中国五胡十六国時代の武将。漢(後の前趙)の政治家。

匈奴屠各種の系統の有力者であり[1]、漢の皇帝・劉聡劉粲に仕え、娘の靳月光(上皇后)と靳月華(右皇后)を嫁がせるなどして権勢を誇り、皇太弟の劉乂や陳元達ら前趙の忠臣を次々と殺害させるなど、漢の内政を破綻させた。

318年7月、平陽で劉粲が即位すると、8月に反乱を起こして皇帝の劉粲と太子の劉元公らを殺害して自ら漢天王を自称した。さらに前趙の皇族を殺害して、劉淵・劉聡の墓をあばくなど、暴虐の限りをつくし、東晋に投降を申し入れた。

これに対し、劉曜石勒が挙兵して攻め込み、靳準は敗れた。そのために従弟の衛将軍の靳康は殺害された劉粲の武将王騰と部下の喬泰と組んで、靳準を殺害した。後継者として弟の靳明が擁立され、12月劉曜に降伏したが全員処刑された。この靳準の乱をきっかけとして、漢は劉曜の前趙・石勒の後趙に分裂した。

脚注[編集]

  1. ^ 晋書載記第2 劉聡載記