オムリ

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オムリは、北イスラエル王国[1]第6代の王で、オムリ王朝の創始者である。旧約聖書以外の文献に登場する最初のヘブライ人の王でもある。オムリはヘブライ語で「主の礼拝者」という意味である。

生涯[編集]

『列王記』におけるオムリ本人の記述は上巻(第1巻)の第16章第16~28行のごくわずかな事だけである。

バシャの子エラが北イスラエル王国の王になって2年目(ユダ王国のアサ王の在位27年目)に、将軍の1人であるジムリにクーデターを起こされ殺害された[2]

この時、ペリシテと北イスラエルの間に戦いがあり、軍隊はギベトンに対して陣を布いており、人々はティルツァでエラがジムリの謀反で謀殺されたという話を聞くと軍の総司令官オムリをその日のうちに王として宣言[3]し、ギベトンから攻め上り、ティルツァを包囲し、ジムリは勝てないと悟って自害した。[4]

クーデター鎮圧後、北イスラエルの人々は2派に分かれ、片方はそのままオムリを王として支持し、もう一方はギテナの子ティブニを王として支持して争った。最終的(約4年後)にオムリ派が勝利してティブニは死に、こうしてアサの在位31年目にオムリは北イスラエルの王になり12年間収めた後で彼は死に、サマリアに葬られた。[5]

即位後、オムリが行ったとされることは以下の通りである。

  • 6年間は今までの王と同じくティルツァを都としていたが、銀2タレントでセメルという人から山を買って街を築き、この町を前の持ち主の名からサマリヤと名付けて遷都した。(『列王記』上16:24)
  • 主の目の前にこれまでの王よりも悪い事[6]をした。(『列王記』上16:25-26)
  • アラムには敗れて領土を喪失し、サマリアに彼らの市場を作られたことがあるらしい[7]。(『列王記』上20:34)
  • モアブ地方の制圧には成功して、子羊10万匹と雄羊10万匹の羊毛を貢物に納めさせていた。(『列王記』下3:4、およびメシャ碑文より)

なお、在位期間が7日間と短すぎるジムリ以外では、オムリは統一時代を含むイスラエルとユダの王のうちで唯一父親の名が不詳の王である[8]。これについてロンドン大学アッシリア学名誉教授のドナルド・ワイズマンはオムリが卑賎もしくは領土を持たない出自であったが、ジムリ(戦車隊の司令官)より上位の階級(最高司令官)になった人物だろうとしている。[9]ただし、その当時彼本人の名前が知られてなかったわけではなく、アッシリアやアラムなどからは「北イスラエルの開祖の王」と見られており、北イスラエル王国を指すのに「オムリの家」という表現が見られる[10]

子孫[編集]

前述の通り、息子にアハブがおり、孫にアハズヤヨラムアタルヤ[11]がいるが、孫2人は子を残さなかった。アタルヤはヨラムの妻となり、ユダ王国の王アハズヤ(オムリから見て曾孫)の母となった。なお、アタルヤは子アハズヤの死後、ユダ王族の殆どを殺害し、王国の王位を簒奪して、7年間女王として君臨したが、エホヤダ(妻はアハズヤの姉妹であるエホシェバであり、アハズヤの義兄弟)が自身の義理の甥であるユダ王国の王ヨアシュ(アハズヤの息子でアタルヤの孫、オムリから見て玄孫)を擁立し、それに抵抗した事で殺害された。

ユダ王国の王ヨアシュの子であるアマツヤは来孫、ウジヤは昆孫、ヨタムは仍孫、アハズは雲孫に当たる。以降のユダ王国の王も、オムリの血を引いている。

参考文献[編集]

  • 『新聖書辞典』いのちのことば社、1985年


脚注[編集]

  1. ^ なお、以下の記述で「北イスラエル」と表記してある部位は、原文ではすべて「イスラエル」表記である。
  2. ^ 列王記上16:8-10
  3. ^ この宣言はあくまで支持者たちのもので、列王記の筆者はこの時点ではオムリを王とみなしていない。
  4. ^ 『列王記』上16:15-18
  5. ^ 『列王記』上16:21-23、28
  6. ^ この「悪」は「ヤハウェに対して忠実ではない(=異教の神への信仰も行ったり、ヤハウェに対してでも偶像崇拝的な行為など)」の意味で列王記に何度か登場する表現である。
  7. ^ 原文はアハブに対し「貴方の父」という記述でオムリの名前は出てこない。このため「父」はオムリではなく「以前のイスラエル王」の意味で、バシャがアラムの王ベン・ハダトに敗れたことを指しているという説をドナルド・ワイズマン教授は上げている(ドナルド・J・ワイズマン『ティンデル聖書注解 列王記』吉本牧人訳、いのちのことば社、2009年、P210)。
  8. ^ 先王の息子など出自が分かっている王は省かれている者もいるが、新王朝を築いた王は彼以外「キシュにはサウルという名の子があった」「ダビデは(中略)エッサイという名の人の子」「ネバトの子ヤロブアム」などと父の名前が明記されている。
  9. ^ ドナルド・J・ワイズマン『ティンデル聖書注解 列王記』吉本牧人訳、いのちのことば社、2009年、P187
  10. ^ テル・ダン石碑黒色オベリスクなど。「○○の家」とはこの時代のこの地域で用いられていた慣用句で、○○が人名であれば国家や王朝(通常は開祖の王の名前が○○となる)を意味し、神名であれば神殿を表す慣用句となる。
  11. ^ 列王記下8:26ではアタルヤを「オムリの娘」と書いてあるが、歴代誌下22:3では「オムリの孫」とあり、ヘブライ語では直系卑属の女性を「娘」と表現することもあるので、現在でいう「孫」説が有力とされる。