アビヤム

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アビヤムは、ユダ王国の第2代の王。『歴代誌下』12章16節ではアビヤと呼ばれている。

レハブアムの子で、母がソロモンの異母兄アブサロムの孫娘マアカ(ミカヤ)であるため、アブサロムの曾孫でもある。紀元前913年に即位し、紀元前910年までエルサレムで統治した。

上記の出自と北イスラエルの王ヤロブアムと紛争が絶えなかったという点を除き、列王記と歴代誌で大きく評価が異なる王である[1]

列王記(上巻15章)では、アビヤムは父が犯したすべての罪の中を歩み、父[2]ダビデの心と違い主に忠実ではなかったが、そのダビデに免じて国を滅ばされることだけはなく、その後彼はダビデの町に葬られ、息子のアサが王位を継いだとされている。

一方歴代誌(下巻13章)では、むしろ主に忠実な人間とされ、エフライム山中において戦闘の直前にヤブロアムの「離反・金の子牛の製造・レヴィ人の追放」を批難し、ユダ軍40万人、北イスラエル軍80万人という状況下で、なおかつ北イスラエル軍の伏兵に背後に回られるという危機の中、神が味方に付いてヤラベアムと北イスラエルの人々をアビヤとユダの前で打った[3]、そのまま北イスラエル軍は敗走し、勢いに乗ったユダ軍はベテル・エシャナ・エフロンの3つの大都市とその近隣を制圧し、ヤブロアムは最後まで勢力を回復できないまま主に打たれて死んだ[4]ったのに対し、彼には14人の妻ができ、22人の息子と16人の娘が生まれるなど栄えたとされている。

参考文献[編集]

  1. ^ ユダ王では他にマナセも列王記と歴代誌で評価が大きく異なる。
  2. ^ 前述の「父」と違い、こちらは「先祖」の意味。 ヘブライ語では尊属全般を父親・母親と同じ呼称で呼ぶことがある。
  3. ^ 具体的にどういったことが起きたのかは書かれていない。
  4. ^ 急死を意味する表現。列王記ではヤロブアムの死について特にこの表現はされていない。