エリアス・リョンロート

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エリアス・リョンロート
Elias Lönnrot
Elias Lönrot Cabinet Portrait-2 crop.jpg
誕生 Elias Lönnrot
エリアス・リョンロート
1802年4月9日
 フィンランド・Sammatti
死没 (1884-03-19) 1884年3月19日(81歳没)
職業 医師
植物学者
著作家
文学者
言語学者
翻訳家
言語 フィンランド語
スウェーデン語
国籍  フィンランド
教育 哲学博士(Akademie zu Turku・1827年
最終学歴 トゥルク・アカデミー(Akademie zu Turku、ヘルシンキ大学
活動期間 1835年 - 1884年
ジャンル 編纂
神話
伝承
民話

叙事詩
主題 自然哲学
自然科学
宗教
民族
言語
代表作 1835年カレワラ(古カレワラ)』
1849年カレワラ
デビュー作 不明
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エリアス・リョンロートElias Lönnrot [ˈɛlias ˈlœnruːt]、1802年4月9日 - 1884年3月19日)は、フィンランド著作家医師植物学者文学者言語学者フィンランド語学者であり、フィンランドの民間説話の収集家である。

人物[編集]

トゥルク・アカデミー(Akademie zu Turku、ヘルシンキ大学の前身)で学び、1872年、『古代フィンランドの神について』と題された論文で哲学博士号を取得。

リョンロートは1831年に設立されたフィンランド文学協会の援助を受け、フィンランド東部での口承民話の収集を行い、これを1835年カレワラ(古カレワラ)として出版した。その後さらに調査範囲を広げて新たな資料を加え、1849年2月28日にカレワラ小泉保訳、岩波文庫上下)を発刊した。このカレワラの出版は、ロシアに支配されていたフィンランド人ナショナリズムを刺激し、1917年に独立を達成する原動力の一つとなった。

また、フィンランド語スウェーデン語辞典の編纂でも知られ、その後のフィンランド語の発展に大きな影響を与えた。ユーロ導入まで用いられていた500フィンランド・マルッカ紙幣に肖像が描かれている。

1853年から1862年にかけて、ヘルシンキ大学教授としてフィンランド語を研究し、教育者としてもフィンランド語の普及に貢献した。

1863年、賛美歌委員会に加わり、フィンランドの賛美歌の詩の改革にも携わった。自ら多くの作詞を行ったが、さらに1986年には、自身が賛美歌を作曲。その後も作品を作り続けた。

Lönnrotは、植物の学名命名者を示す場合にエリアス・リョンロートを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)

邦訳文献[編集]

  • リョンロット(エリアス・リョンロート)編纂、『カレワラ上―フィンランド叙事詩』、小泉保訳、1976年岩波文庫
  • リョンロット(エリアス・リョンロート)編纂、『カレワラ下―フィンランド叙事詩』、小泉保訳、1976年、岩波文庫

関連項目[編集]

脚注[編集]