イヴァンゴロド

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座標: 北緯59度22分 東経28度13分 / 北緯59.367度 東経28.217度 / 59.367; 28.217

イヴァンゴロドの紋章

イヴァンゴロドロシア語: Ивангородラテン文字表記の例: Ivangorodエストニア語: Jaanilinnヤーニリン)はロシア北西部、レニングラード州の西端にある都市。人口は11,206人(2002年国勢調査)。

地理[編集]

イヴァンゴロドはロシアとエストニアの国境を流れるナルヴァ川の右岸(東側)にある町で、イヴァンゴロド城塞が名高い。川の対岸にはエストニアの都市ナルヴァがある。

タリンとサンクトペテルブルクを結ぶ鉄道、および高速道路M11が国境を越える場所でもある。

サンクトペテルブルクからは西へ159キロメートル。

歴史[編集]

右はイヴァンゴロドの城塞クレムリ)。中央はナルヴァ川で、左奥はエストニアナルヴァのヘルマン城

イヴァンゴロドの城塞クレムリ)は1492年イヴァン3世の治世にモスクワ大公国が建てた。城塞の名および都市の名もイヴァン3世にちなんでいる。この一帯はロシアとスウェーデンバルト帝国)の争奪の対象となり、リヴォニア戦争により1581年から1590年まで、イングリア戦争英語版により1612年から1704年までスウェーデン領であった。1649年まではスウェーデン王からロシア人による自治や特権が認められた都市であったが、同年、対岸のナルヴァに併合されその郊外となり自治は終了し、以後1945年までイヴァンゴロド(ヤーニリン)はナルヴァ市の一部となっていた。大北方戦争によりイヴァンゴロド(ヤーニリン)も含むナルヴァはロシア領となった。

ロシア帝国革命により崩壊すると、その後の混乱の中でエストニア共和国が独立し、1919年1月にヤーニリンも含むナルヴァ全体を管理下におさめた。ボリシェヴィキ政府とエストニア政府が結んだ1920年タルトゥ条約では、ナルヴァ川の東岸の帯状の地域がエストニア領として確認された。第二次世界大戦中の1940年ソビエト連邦バルト諸国占領を行いエストニアをソ連に併合した。1944年にはナルヴァの戦い赤軍がドイツ軍からナルヴァを奪い、ナルヴァ市のうち川の東岸のヤーニリン(イヴァンゴロド)地区を行政的に分離させた。さらに1945年1月、ソ連政府はナルヴァ側東岸一帯をエストニア・ソビエト社会主義共和国からロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に併合している。イヴァンゴロドは1954年に市として認められた。

1991年にエストニアがソ連から独立すると、エストニア政府は、1920年に両国政府が調印したタルトゥ条約による国境線のほうが、1945年にソビエト政権が引いた連邦構成共和国間の境界よりも合法的であるとしてナルヴァ側東岸の領有権を主張したが、ロシア側は現在も有効なのは1945年の決定のほうであるとしてイヴァンゴロドも含むナルヴァ側東岸を統治し続けている。

外部リンク[編集]