アモリア朝

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アモリア朝は、ミカエル2世が創設した東ローマ帝国王朝820年 - 867年)。

ミカエル2世の出身地域の名からフリギア朝とも言われる。

概要[編集]

王朝名はミカエル2世の出身地であったアナトリアアモリオンから来ている。

ミカエル2世は即位後すぐに、スラブ人トマスとの戦いに勝利した。

アモリア朝の皇帝はカリフとの戦いに悩まされ、838年にはアラブ軍がアモリオンを征服、破壊した。 

一方、ブルガリアとの国境においては、およそ平和が保たれた。

国内においては、ミカエル2世とテオフィロスイコノクラスムを継承したが、ミカエル3世の時代にはイコノクラスム論争が終了し、イコン崇拝が復活した。

アモリア朝皇帝一覧[編集]

代数 名前 在位
ミカエル2世 820年 - 829年
テオフィロス 829年 - 842年
ミカエル3世 842年 - 867年

ユスティニアヌス王朝との関係[編集]

テクラ[編集]

ミカエル2世の最初の妻でテオフィロスの母であるテクラを通じて、アモリア朝はユスティニアヌス王朝と血縁・縁戚関係にあると考えられている。テクラは父方と母方の双方からユスティニアヌス王朝の血を引いていたと推測されるからである。

血縁・縁戚関係[編集]

具体的には、ユスティニアヌス王朝最後の皇帝マウリキウスの妹テオクティスタ(542年 - 582年以降)が母方の先祖、その妹ゴルディア(550年頃 - 602年以降)が父方の先祖である。

テオクティスタ-ゴルディア(560年 - 597年以降)-テオクティスタ-男子-男子-男子-男子-男子-男子-ドムニカ(760年 - 813年以降。テクラの母)

ゴルディア-娘-バルダネス-ニケフォロス-男子-男子-バルダネス-コンスタンティノス-バルダネス(755年 - 813年以降。テクラの父)

系図[編集]

 
ミカエル2世
 
エウフロシュネ
コンスタンティノス6世娘)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
テオフィロス
 
テオドラ
摂政
 
バルダス
摂政
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミカエル3世
 

脚注[編集]

[脚注の使い方]

参考文献[編集]

  • Leslie Brubaker, John F. Haldon: Byzantium in the Iconoclast era. c. 680–850. A History. Cambridge University Press, Cambridge u. a. 2011, ISBN 978-0-521-43093-7.
  • Ralph-Johannes Lilie: Byzanz – Das zweite Rom. Siedler, Berlin 2003, ISBN 3-88680-693-6.
  • Warren Treadgold: The Byzantine Revival, 780–842. Stanford University Press, Stanford 1988.

関連項目[編集]

先代:
ニケフォロス王朝
東ローマ帝国
アモリア王朝
次代:
マケドニア王朝