いか八朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いか はちろう
いか 八朗
本名 近藤 角悟
生年月日 (1934-04-12) 1934年4月12日
没年月日 (2018-05-28) 2018年5月28日(84歳没)
出生地 日本の旗 日本高知県
身長 144cm
事務所 Eja9(最終所属)
 
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞

2009年ディア・ドクター
テンプレートを表示

いか 八朗(いか はちろう、本名:近藤 角悟(こんどう かくご)、1934年4月12日 - 2018年5月28日[1])は、日本のタレント、作曲家、俳優、リポーター。

人物[編集]

高知県出身。浅草松竹演芸場でリーダーフランケン卓山(本名・多田昇、享年63)を師と仰ぎ、フランケン卓山率いるコント東京ギャラントメン(当時人気の伝助劇場の前座を任され活躍した)のメンバーとして劇場で活躍。1957年、作曲家として日本マーキュリーレコード入社。その後俳優に転身後、お笑い芸人・漫談家に転身。1974年に俳優に戻り、多数の作品に出演していた。最終所属はEja9。 1975年8月に明石家さんまが名古屋・大須演芸場出演時に「本日も客なし」と書いた楽屋落書きのすぐ上に、1985年10月「天下を取るぞ」と書いたものがさんまの落書きと同時に残されている[2][3]

2018年5月28日 10時3分、老衰のため死去[1]。84歳没。遺作は自主映画「やどかり珈琲モルモット」となった。

主な出演作品[編集]

舞台[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

CM[編集]

ラジオ[編集]

  • いか八朗トークイン

主な作曲作品[編集]

  • ボインちゃん
  • タマランロック
  • その名は亜希子

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b タレント・いか八朗さん死去 84歳 「テルマエ・ロマエ」で銭湯の老人役”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2018年5月30日). 2022年12月15日閲覧。
  2. ^ 雷門 2012, pp. 33–39.
  3. ^ 岩尾真宏 (2020年5月13日). “たけし、さんまも立った名古屋の演芸場 コロナでピンチ”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2022年12月15日閲覧。

参考文献[編集]

  • 雷門獅篭『ご勝手名人録 寄席を仰天させた12人の破天荒者たち』ぶんか社、2012年12月、33-40頁。ISBN 978-4-8211-4348-1 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]