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「スカイラブ4号」の版間の差分

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{{Use mdy dates|date=April 2012}}
{{Infobox Space mission|
{{refimprove|date=March 2010}}
mission_name = スカイラブ4号|
{{Infobox spaceflight
insignia = Skylab3-Patch.png|
| name = スカイラブ4号
sign = Skylab 4|
| image = Skylab and Earth Limb - GPN-2000-001055.jpg
crew_members = 3名 |
| image_caption = 帰還する4号の搭乗員が撮影した、地球を背景にするスカイラブの最後の姿
launch_pad = [[ケネディ宇宙センター]][[ケネディ宇宙センター第39複合発射施設|39番B発射台]] |
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launch = [[1973年]][[11月16日]]<br/>14:01:23([[世界協定時|UTC]])|
| insignia_caption = NASA上層部のミスにより、スカイラブの記章に記されている数字は実際の飛行番号とは異なるものとなった
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| mission_type =
mass = [[アポロ司令・機械船|CSM]]: 20,847 kg|
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| COSPAR_ID = 1973-090A
crew_caption = 左からカー、ギブソン、ポーグ|
| SATCAT = 6936
previous = [[Image:Skylab2-Patch.png|35px]] [[スカイラブ3号]]|
| mission_duration = 84日<br/>1時間15分30秒
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| orbits_completed = 1214
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distance = ~55,500,000 km
|}}
'''スカイラブ4号'''(Skylab 4、SL-4、SLM-3<ref>{{cite web | url = http://williampogue.com/skylab-numbering-mixup.html | title = Skylab Numbering Fiasco |accessdate=February 7, 2009 |year=2007 |work=Living in Space | publisher = William Pogue Official WebSite |archiveurl=http://www.webcitation.org/5eQBxNHqp |archivedate=February 7, 2009}}</ref>)は、[[スカイラブ計画]]の3回目で最後の有人ミッションであり、[[サターンIB]][[ロケット]]で打ち上げられ、3人の人間をステーションに運んだ。スカイラブ4号という名前は、このミッションに使われた打上げ機に対して使われる場合もある。スカイラブ4号のミッションでは、スカイラブ3号の人類の宇宙滞在日数の記録を塗り替えた。


| spacecraft = [[アポロ司令・機械船]]<br/>CSM-118
==乗組員==
| manufacturer = [[ロックウェル・インターナショナル]]
| launch_mass = 20,847キログラム
| landing_mass =
| launch_date = 1973年11月16日<br/>14:01:23 UTC
| launch_rocket = [[サターンIB|サターンIB型ロケット]] SA-208
| launch_site = [[ケネディ宇宙センター]]<br/>[[ケネディ宇宙センター第39複合発射施設|第39複合発射施設]]
| landing_date = 1974年2月8日<br/>15:16:53 UTC
| landing_site = {{coord|31|18|N|119|48|W|type:event}}
| recovery_by = USSニューオリンズ
| orbit_epoch = 1974年1月21日<ref name=satcat>{{cite web|last=McDowell|first=Jonathan|title=SATCAT|url=http://planet4589.org/space/log/satcat.txt|publisher=Jonathan's Space Pages|accessdate=March 23, 2014}}</ref>
| orbit_reference = [[地球周回軌道]]
| orbit_regime = [[低軌道]]
| orbit_periapsis = 422キロメートル
| orbit_apoapsis = 437キロメートル
| orbit_inclination = 50.0度
| orbit_period = 93.11分
| apsis = gee
| docking =
{{Infobox spaceflight/Dock
| docking_target = スカイラブ本体
| docking_type = ドッキング
| docking_port = 前方ドッキング口
| docking_date = 1973年11月16日<br/>21:55:00 UTC
| undocking_date = 1974年2月8日<br/>02:33:12 UTC
| time_docked = 83日<br/>4時間38分12秒
}}
| crew_size = 3名
| crew_members = ジェラルド・カー<br/>エドワード・ギブソン<br/>[[ウイリアム・ポーグ]]
| crew_EVAs =
| crew_EVA_time =
| crew_photo = Skylab4 crew.jpg
| crew_photo_caption = (左から右に) カー、ギブソン、ポーグ
| previous_mission = [[スカイラブ3号]]
| programme = [[スカイラブ計画]]<br/><small>有人宇宙飛行</small>
}}

'''スカイラブ4号''' ('''SL-4'''または'''SLM-3'''とも称される<ref name=numbering>{{cite web | url = http://williampogue.com/skylab-numbering-mixup.html | title = Skylab Numbering Fiasco |accessdate=February 7, 2009 |year=2007 |work=Living in Space | publisher = William Pogue Official WebSite |archiveurl=http://www.webcitation.org/5eQBxNHqp |deadurl=no |archivedate=February 7, 2009}}</ref>) は、[[アメリカ合衆国]]初の[[宇宙ステーション]]である[[スカイラブ計画|スカイラブ]]における、3番目で最後となる[[有人宇宙飛行]]である。

1973年11月16日、3名の宇宙飛行士が搭乗する[[サターンIB|サターンIB型ロケット]]が[[フロリダ州]]の[[ケネディ宇宙センター]]から発射され、84日1時間16分で飛行は終了した。6,051時間におよぶ総活動時間の中で、4号の飛行士らは医療、太陽観測、地球資源探査、[[コホーテク彗星 (C/1973 E1)|コホーテク彗星]]の観測その他の分野に関連する科学実験を行った。

スカイラブの有人飛行には公式には''スカイラブ2、3、4号''の名称が与えられていたが、上層部の連絡ミスにより記章には''スカイラブI、II、3''と記されることになった<ref name=numbering /><ref>{{cite web|url=http://www.collectspace.com/resources/naming_spacecraft.html|title=Naming Spacecraft: Confusion Reigns|last=Pogue|first=William|publisher=collectSPACE|accessdate=April 24, 2011}}</ref>。

==飛行士==
===本搭乗員===
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
! 地位 !! 飛行士
|-
|-
!
!
| ジェラルド・カー (Gerald P. Carr)<br/>唯一の飛行
!パイロット
!サイエンスパイロット
|-
|-
! 科学飛行士
|colsapn=1 align=center|[[ジェラルド・カー]], 1度目
| エドワード・ギブソン (Edward G. Gibson)<br/>唯一の飛行
|colsapn=1 align=center|[[ウィリアム・ポーグ]], 1度目
|colsapn=1 align=center|[[エドワード・ギブソン]], 1度目
|-
|-
! 飛行士
| [[ウイリアム・ポーグ]] (William R. Pogue)<br/>唯一の飛行
|}
|}


4号の飛行士は、全員が宇宙に行くのはこれが初めてだった。同様の事例はNASAの歴史でこれまでに5回あり、4号はその中で4番目のものである。他には[[ジェミニ4号]]、[[ジェミニ7号]]、[[ジェミニ8号]]、[[スペースシャトル]][[STS-2]]がある。
===交代要員===

===予備搭乗員===
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
! 地位 !! 飛行士
|-
|-
!
!
| ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand)
!パイロット
!サイエンスパイロット
|-
|-
! 科学飛行士
|colsapn=1 align=center|[[ヴァンス・ブランド]]
| ウィリアム・レノワー (William B. Lenoir)
|colsapn=1 align=center|[[ドン・リンド]]
|colsapn=1 align=center|[[ウィリアム・レノア]]
|-
|-
! 飛行士
| ドン・リンド (Don L. Lind)
|}
|}


===支援要員===
===支援飛行士===
*[[ロバート・クリッペン]]
*[[ロバート・クリッペン]] (Robert L. Crippen)
*[[リチャトゥルー]]
*[[ヘンリー・ツフィルド]] (Henry W. Hartsfield, Jr)
*[[ブルース・マッカンドレス2世]] (Bruce McCandless II)
*[[ヘンリー・ハーツフィールド]]
*ストーリー・マスグレイヴ (F. Story Musgrave)
*[[ウィリアム・ソーントン]]
*[[ラッセル・シュウェイカート]] (Russell L. Schweickart)
*ウィリアム・ソーントン (William E. Thornton)
*[[リチャード・トゥルーリー]] (Richard H. Truly)


==諸元==
==ミッションパラメータ==
*質量:20,847 kg
*'''[[質量]] :''' 20,847キログラム
*最大高度:440 km
*'''最大高度 :''' 440キロメートル
*距離:55,500,000 km
*'''飛行距離 :''' 55,500,000キロメートル
*打上げ機:サターンIB
*'''発射 :''' [[サターンIB|サターンIB型ロケット]]
*'''[[近点・遠点|近地点]] :''' 422キロメートル

*[[近点]]:422 km
*'''[[近点・遠点|遠地点]] :''' 437キロメートル
*'''[[軌道傾斜角]] :''' 50.04度
*[[遠点]]:437 km
*'''[[公転周期|地球周回時間]] :''' 93.11分
*[[軌道傾斜角]]:50.04°
*[[軌道周期]]:93.11分


===ドッキング===
===ドッキング===
*ドッキング:1973年11月16日215500秒(UTC)
*'''ドッキング開始 :''' 1973年11月16日21:55:00 UTC
*ドッキング解除:1974年2月8日023312秒(UTC)
*'''ドッキング終了 :''' 1974年2月8日02:33:12 UTC
*ドッキング間:83日4時間38分12秒
*'''ドッキング :''' 83日4時間38分12秒


===船外活動===
===船外活動===
*'''''ギブソンおよびポーグ''''' – 船外活動 (Extra Vehicular Activity, EVA) 1
* EVA 1(エドワード・ギブソン、ウィリアム・ポーグ)
* 開始時間:1973年11月22日1742分(UTC)
*'''EVA1 開始 :''' 1973年11月22日 17:42 UTC
* 終了時間:1973年11月23日0015分(UTC)
*'''EVA1 終了 :''' 11月23日 00:15 UTC
* 遊泳時間:6時間33分
*'''時間 :''' 6時間33分
*'''''カーおよびポーグ :''''' – EVA2
*'''EVA2 開始 :''' 1973年12月25日 16:00 UTC
*'''EVA2 終了 :''' 12月25日 23:01 UTC
*'''時間 :''' 1時間01分
*'''''カーおよびギブソン''''' – EVA3
*'''EVA3 開始 :''' 1973年12月29日 17:00 UTC
*'''EVA3 終了 :''' 12月29日 20:29 UTC
*'''時間 :''' 3時間29分
*'''''カーおよびギブソン''''' – EVA4
*'''EVA4 開始 :''' 1974年2月3日 15:19 UTC
*'''EVA4 終了 :''' 2月3日 20:38 UTC
*'''時間 :''' 5時間19分

==主要な任務==
[[File:Sl3-113-1587.jpg|thumb|208x208px|スカイラブ3号の飛行士が置いていったダミー人形のうちの一体。4号の飛行士が撮影]]
[[Image:Skylab 4 trash.jpg|thumb|気密扉から廃棄物貯蔵タンクにゴミを投棄しようとしているポーグ (左) とカー|140 px]]
[[File:Skylab Solar flare.jpg|right|thumb|アポロ搭載望遠鏡で撮影された太陽プロミネンス。1973年12月19日]]
4号は、スカイラブ最後の飛行であった。

ステーションに到着すると、飛行士らは船内に誰か先客がいるのに気づいた。よく見るとそれは前の3号の[[アラン・ビーン]]、ジャック・ルーズマ、オーウェン・ギャリオットらが残していった船内服を着た3体の人形で、計画の記章や名札までちゃんと身につけていた<ref>{{Cite web|title = Photo-sl3-113-1587|url = http://spaceflight.nasa.gov/gallery/images/skylab/skylab3/html/sl3-113-1587.html|website = spaceflight.nasa.gov|accessdate = 2015-05-21}}</ref>。

飛行士らは全員が宇宙飛行をするのはこれが初めてであったため、作業室を起動する際、彼らの先輩たちと同じ水準の労働量で行うことは困難だった。任務はまず、彼らがポーグの[[宇宙酔い]]の初期症状を医師から隠蔽しようとしたことで、出だしからつまずいてしまった。この事実は管制官らが船内の音声の録音をダウンロードしたことで発覚した。飛行士らはまず始めに、これからの長期間の宇宙滞在で必要となる数千もの機材の積み下ろしや収納から始めなければならなかったが、この作業が膨大なものだった。またステーションの起動手順には、実行すべき多岐にわたる作業を伴う長い労働時間が必要とされ、彼らはすぐに自分たちが疲労しスケジュールに遅れていることを自覚した。

スカイラブの起動作業が進むにつれ、飛行士らはあまりにも過酷な労働を強いられることに不満を述べはじめた。一方で地上の管制官らはこれには同意せず、逆に彼らの労働は時間も量も不十分だと感じていた。任務が進むにつれ彼らの不満はつのり、ある無線会議で頂点に達し、怒りを爆発させることになった。このできごとの後、作業スケジュールは修正され、任務が終了するまでに飛行士らは発射前に予定されていたものよりも多くの作業を遂行することができた。飛行士と管制官の間で起こったこのできごとは、その後の有人宇宙飛行で作業スケジュールを設定する際の貴重な経験となった。


[[感謝祭]]の日に、ギブソンとポーグは6時間半に及ぶ船外活動を実行した。その前半は太陽観測装置のフィルムを交換することに費やされ、残りの時間で故障したアンテナを修理した。
* EVA 2(ジェラルド・カー、ウィリアム・ポーグ)
* 開始時間:1973年12月25日16時00分(UTC)
* 終了時間:1973年12月25日23時01分(UTC)
* 遊泳時間:7時間01分


食事に関しては飛行士らにそれほど不満はなかったが、味がやや薄く、できればもっと調味料を増やしてほしいと報告した。彼らが使用できる塩の量は医学的な観点から制限されており、消費される食事の量や種類は厳密な体調管理のもとで入念にコントロールされていた。
* EVA 3(ジェラルド・カー、エドワード・ギブソン)
* 開始時間:1973年12月29日17時00分(UTC)
* 終了時間:1973年12月29日20時29分(UTC)
* 遊泳時間:3時間29分


飛行7日目に [[姿勢制御]]装置の[[ジャイロスコープ]]に異常が発生し、任務が早期に終了してしまいかねなくなる危機に陥った。スカイラブには3基の大型のジャイロスコープが搭載されていた。機体の制御や操縦はそのうちのどれか2基が機能していれば望み通りのことができるようになっており、3基目は他の2基のうちのどれかが故障した際のバックアップとして作動していた。この故障は[[潤滑油]]が不足していたことによるもので、飛行の後期に二番目のジャイロにも同様の問題が発生したが、特別な温度管理を行い負荷を減らしたことで機能を保ったため、それ以上の問題は発生しなかった。
* EVA 4(ジェラルド・カー、エドワード・ギブソン)
* 開始時間:1974年2月3日15時19分(UTC)
* 終了時間:1974年2月3日20時38分(UTC)
* 遊泳時間:5時間19分


[[File:Kohoutek-uv.jpg|thumb|alt=Kohoutek-uv|船外活動の際に遠紫外線電子カメラで撮影されたコホーテク彗星の[[画像編集|加工画像]]。1973年12月25日]]
== ミッションハイライト ==
飛行士らは地球の調査研究に多くの時間を割いた。カーとポーグは交代で配置につき、観測装置を操作して地球表面の特徴から抽出されたものを計測し写真撮影した。また太陽の観測も行い、[[X線]]、遠[[紫外線]]、可視光線などによる約7万5000枚の太陽の写真を望遠鏡で新たに撮影した。
[[Image:Skylab 4 trash.jpg|thumb|スカイラブ宇宙ステーション内のクルー|140 px]]
[[File:Skylab Solar flare.jpg|right|thumb|スカイラブに搭載された望遠鏡(ATM:Apollo Telescope Mount)による太陽フレアの写真]]
クルーがスカイラブ宇宙ステーションに到着すると、そこには3人の仲間が居た。よく見てみるとそれは飛行服を来た3体の人形で、スカイラブ3号のクルーであるアラン・ビーン、ジャック・ルーズマ、オーウェン・ギャリオットが置いていったものであった。


ギブソンは任務終了が近づいても太陽表面の観測を続けていた。1974年1月21日、太陽表面の活動領域に輝点が形成され、急激に明るさを増し成長していった。ギブソンは直ちにこの輝点が吹き上がっていく過程の撮影を始めた。この映像は[[太陽フレア]]の発生を宇宙から記録した初めてのものとなった。
クルーは3人とも今回が初飛行の新人で、今までの飛行士のレベルに追いつくのに苦労をする事になった。ミッションはクルーの一人が[[宇宙酔い]]になったのを医療班に黙っていたのが後にばれるという幸先悪いスタートを切った。クルーの最初の任務は長期滞在中に行われる多数の実験の機材をコマンドモジュールから宇宙ステーションに移動させる事から始まったが、滞在中の任務があまりに多過ぎた為、クルーはすぐに疲労し予定が遅れ始めた。


12月13日、飛行士らは太陽観測装置と携帯カメラの照準を合わせ、[[コホーテク彗星 (C/1973 E1)|コホーテク彗星]]の観測を始めた。撮影は彗星が太陽に接近するまで続けられ、遠紫外線カメラでスペクトルが収集された<ref>{{cite web|title=SP-404 Skylab's Astronomy and Space Sciences|url=http://history.nasa.gov/SP-404/ch4.htm|accessdate=May 14, 2013|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041113100704/http://history.nasa.gov/SP-404/ch4.htm|archivedate=November 13, 2004}}</ref>。12月30日、カーとギブソンは船外活動をしている際に、彗星が太陽の背後に隠れたことを確認した。
クルーは管制センターから任務を急かされる事に不満を述べたが、管制センターのスタッフは「クルーの努力が足りないからだ」と彼らの要求を退けた。ミッションが進むにつれクルーの不満は頂点に達した為、ついにスケジュールが見直され、クルーは最終的には当初の予定以上の成果を上げる事が出来た。
クルーと管制センターの間に生じたこれらの問題は、後の計画のスケジューリングに生かされる事になった。


飛行士らはまた、軌道上からの地球の撮影も継続した。このとき彼らは、指示では禁止されていたにもかかわらず (おそらくは偶然に) [[エリア51]]を撮影してしまった。この秘密施設の写真を公開するべきか否かについては、関係諸機関の間で若干の議論が巻き起こった。最終的には他のすべてのスカイラブに関するNASAの記録写真とともに発表されたが、数年の間この件について気づかれることはなかった<ref>[http://www.thespacereview.com/article/1010/1 The Space Review: Secret Apollo] published November 26, 2007</ref>。
[[感謝祭]]の日にはギブソンとポーグが6時間の船外活動を行い、スカイラブに搭載された望遠鏡(ATM:Apollo Telescope Mount)のフィルムを交換し、故障したアンテナを修理した。


4号の飛行士らは地球を1,214周し、四回にわたる船外活動の総時間は22時間13分に達した。また84日1時間16分で、5,550万キロメートルを飛行した。
[[Image:Skylab and Earth Limb - GPN-2000-001055.jpg|thumb|ミッション終了後に離脱するスカイラブ4号から見たスカイラブ宇宙ステーション]]


飛行士らは3人とも1960年代半ばに[[アポロ計画]]の飛行士としてNASAに採用され、ポーグとカーは飛行が中止になったアポロ19号の乗員候補だった。4号の乗員らはこの後の[[アポロ・ソユーズテスト計画]]の飛行士には選ばれず、また[[スペースシャトル]]初号機が発射される前にNASAを退官したため、結局誰も再度宇宙に行くことはなかった。科学者の宇宙飛行士として訓練を積んだギブソンは、カリフォルニア州ロサンゼルスのエアロスペース社 (Aerospace Corp.) の主任研究員の科学者としてスカイラブで得られた[[宇宙空間物理学]]のデータを解析するため、1974年12月にNASAを退官した。
クルーは「宇宙食は美味しいが若干味が薄い」と報告した。彼らはもう少し味が濃い方が良かったのだが、ミッション中に行う医学的実験の為、使用する食塩の量が抑えられ、食事の量も種類も厳密に管理されていた。


==画像==
ミッション7日目にはスカイラブ宇宙ステーションの姿勢コントロール装置([[ジャイロ]])の問題が発生し、ミッションの打ち切りが懸念される事態になった。姿勢コントロールの為にジャイロは2つ必要で、予備のジャイロが1つ搭載されていたが、予備のジャイロが故障した上にメインのジャイロの1つも故障してしまった(ジャイロの潤滑油不足が原因であった)。このためジャイロの温度管理と運用手順を変更し負荷を軽減させ、ジャイロの機能を復活させる事に成功した。
<center>
<gallery>
File:S74-17305.jpg|船外活動用飛行装置の試作機で船内を飛行する、ジェラルド・カー船長
File:Carr i Pogue..jpg|[[無重量状態]]を実証するため、ビル・ポーグを「指で支える」カー
File:SL4-150-5074.jpg|ステーションとアポロ司令船をつなぐ複合ドッキングアダプターのハッチから這い出すエド・ギブソン
File:Skylab looking down.jpg|船内の端にあるゴミ投機用気密ハッチの付近から顔を出すカーとギブソン
File:SL4-150-5075.jpg|無重力の状態を実演するため、両手を伸ばして船内を漂うカー
File:Seiko Automatic-Chronograph Cal. 6139 mit gelbem Zifferblatt, die sogenannte „Pogue Seiko“.jpg|「ポーグの[[セイコーホールディングス|セイコー]]」と呼ばれる、セイコー・オートマチック・クロノグラフCal. 6139。ビル・ポーグが使った、宇宙で初めて使用された自動巻腕時計<ref>[http://historical.ha.com/itm/explorers/space-exploration/william-pogue-s-seiko-6139-watch-flown-on-board-the-skylab-4-mission-from-his-personal-collection/a/6007-41138.s ''William Pogue's Seiko 6139 Watch Flown on Board the Skylab 4 Mission, from his Personal Collection... The First Automatic Chronograph to be Worn in Space.'']</ref><ref>[http://blog.dreamchrono.com/2013/11/seiko-6139-pogue/ ''The “Colonel Pogue” Seiko 6139''], dreamchrono.com.</ref>
File:Gibson przy ATM.jpg|アポロ搭載望遠鏡の操縦装置にいるギブソン
File:Skylab4 - February 1974 astronaut Edward Gibson.jpg|船外活動をするギブソン
</gallery>
</center>


==宇宙船の現在の状態==
クルーの作業の大半は地球を調査する事であった。カーとポーグは交代で地球の表面を観測・撮影する装置を操作し、太陽の観測も行った。撮影した太陽の写真はX線、紫外線、可視光線のスペクトラム分析など75,000枚に上った。
[[File:Skylab4CommandModule.JPG|thumb|right|スミソニアン科学博物館に展示されている4号の司令船]]
4号の司令船は、現在は[[ワシントンD.C.]]の[[国立航空宇宙博物館]]に展示されている。


==飛行の記章==
ギブソンはミッション終了まで太陽の観測を続け、1974年1月21日には世界で初めて宇宙空間から太陽フレアの映像を撮影する事に成功した。
三角形の記章は大きな数字の「3」と、飛行士らが遂行した三つの分野の研究を囲む虹が特徴となっている。飛行中、搭乗員らは記章について以下のような説明をした :


「記章の中にある絵は、任務中に行われた研究の三つの主要な分野を表している。木は人間の自然環境の象徴であり、地球の資源についての研究を発展させる目的のことである。水素原子は万物の基本的な元素であり、人類の自然界への探求、知識の応用、技術の発展を象徴している。また太陽は主として水素から構成されていることから、水素原子の絵は任務の目的である太陽物理学のことでもある。人間の影は人類と、自然環境への敬意によって鍛えられた英知で技術を管理する人間の能力の象徴である。またスカイラブで行われた、人類それ自体についての医療研究のことでもある。聖書の大洪水の物語から採用された虹は、人類に課せられた約束の象徴である。この虹は人物と、そこから広がって木と水素原子までをも囲み、我々の科学的な知識を人文学的に応用することで技術と自然を調和させるという、人類の重要な役割を強調している。」記章の他のバージョンの中には、任務中に行われたコホーテク彗星の研究を表わすため、上部の曲線の中に彗星を描いているものもある。
1973年12月13日には太陽観測装置を[[コホーテク彗星 (C/1973 E1)|コホーテク彗星]]に向け、彗星が太陽に近付く様子を撮影した。


{{Clear}}
クルーは特別の指示が無かったものの地球も撮影したが、この時不意に[[エリア51]]を撮影してしまった為、複数の政府機関で「この様な機密事項を含む写真を公開して良いのか」という論争が起こった。結局、他のスカイラブの写真と共に公開されたが、長年注目される事は無かった。<ref>[http://www.thespacereview.com/article/1010/1 The Space Review: Secret Apollo] published November 26th, 2007</ref>


==参照==
スカイラブ4号は84日間と1時間16分で地球を1,214周(55,500,000km)、22時間13分の船外活動を行った。
{{Portal|宇宙開発}}
* [[宇宙遊泳|船外活動]]
* {{仮リンク|船外活動のリスト|en|List of spacewalks}}
* {{仮リンク|着水|en|Splashdown}}
{{Clear}}


==脚注==
3人のクルーは1960年代中ごろに[[アポロ計画]]に加わったが、スペースシャトル計画が始まる前にNASAを退職した為、彼らは2度と宇宙飛行をする事はなかった(ポーグとカーはアポロ19号のクルーになる予定だったがキャンセルされた)。
{{reflist|2}}


==参考書籍==
==ミッションの徽章==
* Gilles Clement, ''Fundamentals of Space Medicine,'' Microcosm Press, 2003. pp.&nbsp;212.
スカイラブ4号の徽章は大きな数字の3と虹で3つ円を構成している。
* Lattimer, Dick (1985). ''All We Did was Fly to the Moon''. Whispering Eagle Press. ISBN 0-9611228-0-3.
円の中には彼らのミッションの目的が記されている。すなわち「木」は地球環境と資源に関する調査、「水素原子」は宇宙と太陽に関する調査(水素は宇宙の物質の最小単位であり、太陽を構成する主な物質は水素)、そして「人類」である。
虹は聖書の洪水の話から引用され、「科学的な知識によってテクノロジーと自然を共存させる」という人類が果たすべき重要な役割を強調している。


==外部リンク==
==司令船の展示==
{{commons|Skylab 4}}
[[ファイル:SKYLAB 3 SL-4 National Air & Space Museum, Washington DC.JPG|right|thumb|235px|国立航空宇宙博物館に展示されているスカイラブ4号]]
* [http://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19720067844_1972067844.pdf Skylab: Command service module systems handbook, CSM 116 – 119 (PDF) April 1972]
彼らがステーションを訪れた司令船は、[[ワシントンD.C.]]の[[国立航空宇宙博物館]]に展示されている。
* [http://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19740021163_1974021163.pdf Skylab Saturn 1B flight manual (PDF) September 1972]
* [http://history.nasa.gov/SP-4011/contents.htm NASA Skylab Chronology]
* [http://history.nasa.gov/SP-4011/app2.htm Marshall Space Flight Center Skylab Summary]
* [http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table2.51.htm Skylab 4 Characteristics SP-4012 NASA HISTORICAL DATA BOOK]
* [http://www.thespacereview.com/article/531/1 Astronauts and Area 51: the Skylab Incident]
* [http://history.nasa.gov/SP-400/ch9.htm Skylab, "The Third Manned Period"], NASA History ([http://history.nasa.gov History.nasa.gov ])
*[http://voicesofoklahoma.com/william_pogue.html Voices of Oklahoma interview with William Pogue.] First person interview conducted with William Pogue on August 8, 2012. Original audio and transcript archived with [http://voicesofoklahoma.com/index.html Voices of Oklahoma oral history project.]


==出典==
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2016年6月17日 (金) 06:25時点における版

スカイラブ4号
帰還する4号の搭乗員が撮影した、地球を背景にするスカイラブの最後の姿
運用者NASA
COSPAR ID1973-090A
SATCAT №6936
任務期間84日
1時間15分30秒
飛行距離55,500,000キロメートル
周回数1214
特性
宇宙機アポロ司令・機械船
CSM-118
製造者ロックウェル・インターナショナル
打ち上げ時重量20,847キログラム
乗員
乗員数3名
乗員ジェラルド・カー
エドワード・ギブソン
ウイリアム・ポーグ
任務開始
打ち上げ日1973年11月16日
14:01:23 UTC
ロケットサターンIB型ロケット SA-208
打上げ場所ケネディ宇宙センター
第39複合発射施設
任務終了
回収担当USSニューオリンズ
着陸日1974年2月8日
15:16:53 UTC
着陸地点北緯31度18分 西経119度48分 / 北緯31.300度 西経119.800度 / 31.300; -119.800
軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制低軌道
近点高度422キロメートル
遠点高度437キロメートル
傾斜角50.0度
軌道周期93.11分
元期1974年1月21日[1]
スカイラブ本体のドッキング(捕捉)
ドッキング 前方ドッキング口
ドッキング(捕捉)日 1973年11月16日
21:55:00 UTC
分離日 1974年2月8日
02:33:12 UTC
ドッキング時間 83日
4時間38分12秒

NASA上層部のミスにより、スカイラブの記章に記されている数字は実際の飛行番号とは異なるものとなった

(左から右に) カー、ギブソン、ポーグ
スカイラブ計画
有人宇宙飛行

スカイラブ4号 (SL-4またはSLM-3とも称される[2]) は、アメリカ合衆国初の宇宙ステーションであるスカイラブにおける、3番目で最後となる有人宇宙飛行である。

1973年11月16日、3名の宇宙飛行士が搭乗するサターンIB型ロケットフロリダ州ケネディ宇宙センターから発射され、84日1時間16分で飛行は終了した。6,051時間におよぶ総活動時間の中で、4号の飛行士らは医療、太陽観測、地球資源探査、コホーテク彗星の観測その他の分野に関連する科学実験を行った。

スカイラブの有人飛行には公式にはスカイラブ2、3、4号の名称が与えられていたが、上層部の連絡ミスにより記章にはスカイラブI、II、3と記されることになった[2][3]

飛行士

本搭乗員

地位 飛行士
船長 ジェラルド・カー (Gerald P. Carr)
唯一の飛行
科学飛行士 エドワード・ギブソン (Edward G. Gibson)
唯一の飛行
飛行士 ウイリアム・ポーグ (William R. Pogue)
唯一の飛行

4号の飛行士は、全員が宇宙に行くのはこれが初めてだった。同様の事例はNASAの歴史でこれまでに5回あり、4号はその中で4番目のものである。他にはジェミニ4号ジェミニ7号ジェミニ8号スペースシャトルSTS-2がある。

予備搭乗員

地位 飛行士
船長 ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand)
科学飛行士 ウィリアム・レノワー (William B. Lenoir)
飛行士 ドン・リンド (Don L. Lind)

支援飛行士

諸元

ドッキング

  • ドッキング開始 : 1973年11月16日 – 21:55:00 UTC
  • ドッキング終了 : 1974年2月8日 – 02:33:12 UTC
  • ドッキング期間 : 83日4時間38分12秒

船外活動

  • ギブソンおよびポーグ – 船外活動 (Extra Vehicular Activity, EVA) 1
  • EVA1 開始 : 1973年11月22日 17:42 UTC
  • EVA1 終了 : 11月23日 00:15 UTC
  • 時間 : 6時間33分
  • カーおよびポーグ : – EVA2
  • EVA2 開始 : 1973年12月25日 16:00 UTC
  • EVA2 終了 : 12月25日 23:01 UTC
  • 時間 : 1時間01分
  • カーおよびギブソン – EVA3
  • EVA3 開始 : 1973年12月29日 17:00 UTC
  • EVA3 終了 : 12月29日 20:29 UTC
  • 時間 : 3時間29分
  • カーおよびギブソン – EVA4
  • EVA4 開始 : 1974年2月3日 15:19 UTC
  • EVA4 終了 : 2月3日 20:38 UTC
  • 時間 : 5時間19分

主要な任務

スカイラブ3号の飛行士が置いていったダミー人形のうちの一体。4号の飛行士が撮影
気密扉から廃棄物貯蔵タンクにゴミを投棄しようとしているポーグ (左) とカー
アポロ搭載望遠鏡で撮影された太陽プロミネンス。1973年12月19日

4号は、スカイラブ最後の飛行であった。

ステーションに到着すると、飛行士らは船内に誰か先客がいるのに気づいた。よく見るとそれは前の3号のアラン・ビーン、ジャック・ルーズマ、オーウェン・ギャリオットらが残していった船内服を着た3体の人形で、計画の記章や名札までちゃんと身につけていた[4]

飛行士らは全員が宇宙飛行をするのはこれが初めてであったため、作業室を起動する際、彼らの先輩たちと同じ水準の労働量で行うことは困難だった。任務はまず、彼らがポーグの宇宙酔いの初期症状を医師から隠蔽しようとしたことで、出だしからつまずいてしまった。この事実は管制官らが船内の音声の録音をダウンロードしたことで発覚した。飛行士らはまず始めに、これからの長期間の宇宙滞在で必要となる数千もの機材の積み下ろしや収納から始めなければならなかったが、この作業が膨大なものだった。またステーションの起動手順には、実行すべき多岐にわたる作業を伴う長い労働時間が必要とされ、彼らはすぐに自分たちが疲労しスケジュールに遅れていることを自覚した。

スカイラブの起動作業が進むにつれ、飛行士らはあまりにも過酷な労働を強いられることに不満を述べはじめた。一方で地上の管制官らはこれには同意せず、逆に彼らの労働は時間も量も不十分だと感じていた。任務が進むにつれ彼らの不満はつのり、ある無線会議で頂点に達し、怒りを爆発させることになった。このできごとの後、作業スケジュールは修正され、任務が終了するまでに飛行士らは発射前に予定されていたものよりも多くの作業を遂行することができた。飛行士と管制官の間で起こったこのできごとは、その後の有人宇宙飛行で作業スケジュールを設定する際の貴重な経験となった。

感謝祭の日に、ギブソンとポーグは6時間半に及ぶ船外活動を実行した。その前半は太陽観測装置のフィルムを交換することに費やされ、残りの時間で故障したアンテナを修理した。

食事に関しては飛行士らにそれほど不満はなかったが、味がやや薄く、できればもっと調味料を増やしてほしいと報告した。彼らが使用できる塩の量は医学的な観点から制限されており、消費される食事の量や種類は厳密な体調管理のもとで入念にコントロールされていた。

飛行7日目に 姿勢制御装置のジャイロスコープに異常が発生し、任務が早期に終了してしまいかねなくなる危機に陥った。スカイラブには3基の大型のジャイロスコープが搭載されていた。機体の制御や操縦はそのうちのどれか2基が機能していれば望み通りのことができるようになっており、3基目は他の2基のうちのどれかが故障した際のバックアップとして作動していた。この故障は潤滑油が不足していたことによるもので、飛行の後期に二番目のジャイロにも同様の問題が発生したが、特別な温度管理を行い負荷を減らしたことで機能を保ったため、それ以上の問題は発生しなかった。

Kohoutek-uv
船外活動の際に遠紫外線電子カメラで撮影されたコホーテク彗星の加工画像。1973年12月25日

飛行士らは地球の調査研究に多くの時間を割いた。カーとポーグは交代で配置につき、観測装置を操作して地球表面の特徴から抽出されたものを計測し写真撮影した。また太陽の観測も行い、X線、遠紫外線、可視光線などによる約7万5000枚の太陽の写真を望遠鏡で新たに撮影した。

ギブソンは任務終了が近づいても太陽表面の観測を続けていた。1974年1月21日、太陽表面の活動領域に輝点が形成され、急激に明るさを増し成長していった。ギブソンは直ちにこの輝点が吹き上がっていく過程の撮影を始めた。この映像は太陽フレアの発生を宇宙から記録した初めてのものとなった。

12月13日、飛行士らは太陽観測装置と携帯カメラの照準を合わせ、コホーテク彗星の観測を始めた。撮影は彗星が太陽に接近するまで続けられ、遠紫外線カメラでスペクトルが収集された[5]。12月30日、カーとギブソンは船外活動をしている際に、彗星が太陽の背後に隠れたことを確認した。

飛行士らはまた、軌道上からの地球の撮影も継続した。このとき彼らは、指示では禁止されていたにもかかわらず (おそらくは偶然に) エリア51を撮影してしまった。この秘密施設の写真を公開するべきか否かについては、関係諸機関の間で若干の議論が巻き起こった。最終的には他のすべてのスカイラブに関するNASAの記録写真とともに発表されたが、数年の間この件について気づかれることはなかった[6]

4号の飛行士らは地球を1,214周し、四回にわたる船外活動の総時間は22時間13分に達した。また84日1時間16分で、5,550万キロメートルを飛行した。

飛行士らは3人とも1960年代半ばにアポロ計画の飛行士としてNASAに採用され、ポーグとカーは飛行が中止になったアポロ19号の乗員候補だった。4号の乗員らはこの後のアポロ・ソユーズテスト計画の飛行士には選ばれず、またスペースシャトル初号機が発射される前にNASAを退官したため、結局誰も再度宇宙に行くことはなかった。科学者の宇宙飛行士として訓練を積んだギブソンは、カリフォルニア州ロサンゼルスのエアロスペース社 (Aerospace Corp.) の主任研究員の科学者としてスカイラブで得られた宇宙空間物理学のデータを解析するため、1974年12月にNASAを退官した。

画像

宇宙船の現在の状態

スミソニアン科学博物館に展示されている4号の司令船

4号の司令船は、現在はワシントンD.C.国立航空宇宙博物館に展示されている。

飛行の記章

三角形の記章は大きな数字の「3」と、飛行士らが遂行した三つの分野の研究を囲む虹が特徴となっている。飛行中、搭乗員らは記章について以下のような説明をした :

「記章の中にある絵は、任務中に行われた研究の三つの主要な分野を表している。木は人間の自然環境の象徴であり、地球の資源についての研究を発展させる目的のことである。水素原子は万物の基本的な元素であり、人類の自然界への探求、知識の応用、技術の発展を象徴している。また太陽は主として水素から構成されていることから、水素原子の絵は任務の目的である太陽物理学のことでもある。人間の影は人類と、自然環境への敬意によって鍛えられた英知で技術を管理する人間の能力の象徴である。またスカイラブで行われた、人類それ自体についての医療研究のことでもある。聖書の大洪水の物語から採用された虹は、人類に課せられた約束の象徴である。この虹は人物と、そこから広がって木と水素原子までをも囲み、我々の科学的な知識を人文学的に応用することで技術と自然を調和させるという、人類の重要な役割を強調している。」記章の他のバージョンの中には、任務中に行われたコホーテク彗星の研究を表わすため、上部の曲線の中に彗星を描いているものもある。

参照

脚注

  1. ^ McDowell, Jonathan. “SATCAT”. Jonathan's Space Pages. 2014年3月23日閲覧。
  2. ^ a b Skylab Numbering Fiasco”. Living in Space. William Pogue Official WebSite (2007年). 2009年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月7日閲覧。
  3. ^ Pogue, William. “Naming Spacecraft: Confusion Reigns”. collectSPACE. 2011年4月24日閲覧。
  4. ^ Photo-sl3-113-1587”. spaceflight.nasa.gov. 2015年5月21日閲覧。
  5. ^ SP-404 Skylab's Astronomy and Space Sciences”. 2004年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月14日閲覧。
  6. ^ The Space Review: Secret Apollo published November 26, 2007
  7. ^ William Pogue's Seiko 6139 Watch Flown on Board the Skylab 4 Mission, from his Personal Collection... The First Automatic Chronograph to be Worn in Space.
  8. ^ The “Colonel Pogue” Seiko 6139, dreamchrono.com.

参考書籍

  • Gilles Clement, Fundamentals of Space Medicine, Microcosm Press, 2003. pp. 212.
  • Lattimer, Dick (1985). All We Did was Fly to the Moon. Whispering Eagle Press. ISBN 0-9611228-0-3.

外部リンク