「恩林寺 (群馬県邑楽町)」の版間の差分
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2016年現在の本堂は方丈形式。本尊・[[薬師瑠璃光如来]]は、[[秘仏]]であり[[本堂]]の[[厨子]]に納められ安置されている。60年に一度開帳される<ref name="onrinji_1"/>。境内には、[[地蔵菩薩像]]<ref>[http://www.onrinji.net/2011_2012_HP_Onrinji/pictures/pictures_syosai/keidai/rokujizo_to_shuuhen.htm 公式サイト「[[六地蔵]]・恩林寺石碑と山門・篤洲和尚干支]</ref>、[[水子]]観音、[[臍の緒]]観音<ref>[http://www.onrinji.net/2011_2012_HP_Onrinji/pictures/pictures_syosai/keidai/mizuko_hesonoo.htm 水子供養塔とへその緒観音]</ref>がある。恩林寺の[[家紋#神紋・寺紋|寺紋]]は、[[三つ鱗]](北条鱗)。現住職は、恩林寺第二十二世である前田貴洲。 |
2016年現在の本堂は方丈形式。本尊・[[薬師瑠璃光如来]]は、[[秘仏]]であり[[本堂]]の[[厨子]]に納められ安置されている。60年に一度開帳される<ref name="onrinji_1"/>。境内には、[[地蔵菩薩像]]<ref>[http://www.onrinji.net/2011_2012_HP_Onrinji/pictures/pictures_syosai/keidai/rokujizo_to_shuuhen.htm 公式サイト「[[六地蔵]]・恩林寺石碑と山門・篤洲和尚干支]</ref>、[[水子]]観音、[[臍の緒]]観音<ref>[http://www.onrinji.net/2011_2012_HP_Onrinji/pictures/pictures_syosai/keidai/mizuko_hesonoo.htm 水子供養塔とへその緒観音]</ref>がある。恩林寺の[[家紋#神紋・寺紋|寺紋]]は、[[三つ鱗]](北条鱗)。現住職は、恩林寺第二十二世である前田貴洲。 |
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== 年間行事 == |
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春には「[[牡丹]]花祭り」が開催され、本堂にてイベントが開催される。秋には「禅僧[[墨蹟]]展<ref>禅僧墨蹟展 - 恩林寺所蔵の禅僧による墨蹟の展示</ref>」、「東北物産品展」が開催される |
*春には「[[牡丹]]花祭り」が開催され、本堂にてイベントが開催される。秋には「禅僧[[墨蹟]]展<ref>禅僧墨蹟展 - 恩林寺所蔵の禅僧による墨蹟の展示</ref>」、「東北物産品展」が開催される |
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*1月1日「[[歳旦]] [[祝聖]] <ref>一般参賀紗が集い、信念の挨拶をしながら引き続き[[梵鐘]]を撞く</ref>」、住職は新年の祈祷を本堂で行っている |
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*1月2日「 [[新年大般若祈祷会]]<ref>[[菩提寺]]の[[檀信徒]]は、一年間先祖がお世話になる為[[お年賀]]を[[奉納]]する。[[法縁]]の和尚様方が十名以上集まって[[大般若経]]を[[通読]]する</ref>」、年賀奉納者は年初の運試しの抽選があり特賞から三等まであり、外れでも粗品を受ける |
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*4月8日 「[[七福神]]祭<ref>邑楽町の七福神のうち[[弁財尊天]]の[[本尊]]が[[恩林寺]]に[[安置]]されている。[[七福神ポスト]]もあり投稿できるようになっている。主催者の詳細。「[[上州邑楽七福神を愛する会]]」 |
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(代表:鈴木隆行氏) |
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七福神の魅力や邑楽の郷土を楽しめるように、「七福神ポスト」を各寺社の境内に設置致しました。七福神や邑楽の郷土や文化などの魅力が込められた、[[俳句]]、[[川柳]]、[[短歌]]、[[詩]]、[[スケッチ]]、[[スナップ写真]] などの[[投稿]]を受付けるものです。会で発行する |
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「[[開運広場]]」に紹介されるそうです。差し支えのない場合は、住所、氏名 等を記入して欲しいそうです。是非投稿してみて下さい。 |
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[[比佐麻呂]]の[[七福神日記]] |
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上州邑楽(おうら)七福神 [[http://park1.wakwak.com/~hisamaro/index.html]] |
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*1.[[恵比須神]] [[長柄神社]] 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚2905-1 0276-88-2035 |
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*2.[[大黒天]] [[慶徳寺]] 群馬県邑楽郡邑楽町石打1055 0276-88-3767 |
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*3.[[毘沙門天]] [[高源寺]] 群馬県邑楽郡邑楽町狸塚377-2 0276-88-0791 |
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*4.[[弁財天]] [[恩林寺浮島]] 群馬県邑楽郡邑楽町鶉新田 |
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(多々良沼公園) 0276-88-3564 |
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*5.[[布袋尊]] [[大信寺]] 群馬県邑楽郡邑楽町篠塚3999-2 0276-88-2062 |
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*6.[[寿老人]] [[永明寺]] 群馬県邑楽郡邑楽町中野2933 0276-88-0209 |
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*7.[[福禄寿]] [[明王院]] 群馬県邑楽郡邑楽町赤堀464-1 0276-88-3080 |
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「上州邑楽七福神を愛する会」でパンフレットを作成しました、 |
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上記七福神巡り寺社(恩林寺にもあります)に置いてあります。 |
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ご案内のパンフレットは無料です、お持ちになって迷うことなく、 |
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楽しくお巡り下さい。記念のお守りであります、[[キーホルダー]]は¥300円で |
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お売りしておりますので「恩林寺」へお立ち寄りの際はお声をおかけ下さい。 |
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「恩林寺」にご神体が安置して御座いますので、先ずお出で下さってスタンプを |
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捺して、[[浮島弁才天]]にお参りするコースをお勧めいたします。 |
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リポーター番号93 篠木百合子さん(館林市)のページ21 |
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上州七福神めぐりスタンプ</ref>」、「[[多々良沼]]([[鶉古城]]が存在した場所)に突き出した[[弁材尊天神社]]([[神社]]の[[管理]]は[[鶉新田]]を[[恩林寺]][[七福神弁財尊天]]の紹介 |
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*5月5日 「[[春季浮島弁財尊天祭]]<ref>([[一般参加]]含む)[[浮島弁財尊天]]の[[由来]] |
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[[鎌倉幕府没落]](1333年)のとき、執権[[北条高時]]の弟[[四郎慧性]]が[[尊崇]]する |
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[[江ノ島弁財天]]が[[夢枕]]に立ち、「[[上毛の郷]]に[[霊地]]あり、そこへ逃れて居住し、 |
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[[北条家の再興を図るべし]]」、との[[お告げ]]を受けた。 |
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そのお告げに従って、弟[[荒間五郎友春]]と[[重臣]]三名を伴って多々良沼にたどり |
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着き、[[恩林寺]]を建て、[[東林雄丘和尚]]を[[開山]]([[開祖]])として(1353年に)[[北条家]]の |
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[[菩提寺]]とした。[[東林和尚]]に[[懇情]]して[[北条家]]の[[護り神]]である[[江ノ島弁財天]]を |
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[[勧請]]し、[[鎮守]]として建てた、と「[[恩林寺縁起]]」にあります。 |
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この頃のものと思われる[[宝篋印塔]]([[供養塔]])の笠の部分が三個、 |
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1978(昭和53)年に多々良沼から[[出土]]しています。 |
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一方、[[邑楽町中野]]で[[祀られ]]ていた[[一つ橋弁天様]]が、大雨による洪水のとき、 |
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[[浮島]]([[弁天島]])に流れついた、という伝説もあります。 |
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[[応永年間]](1394~1427年)に[[多々良四郎忠敬]]が[[鶉小城]]に[[居城]]という |
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[[記録]]があります。(なお後に[[鶉北部]]に[[城跡]]が発見され、[[鶉新田]]の城を[[鶉古城]]と |
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称する[[慣わし]]となります。 |
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600年余にわたり、[[沼中]]に[[孤堂]]を護り続けられたのは、多くの[[信徒]]による |
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[[道普請]]や[[護岸工事]]をはじめとする[[尊信]]の行為があったからです。 |
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春(五月五日)、秋(十一月第一週)の祭礼には遠方からの[[参詣人]]も多く訪れますが、 |
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最近では、周囲の[[多々良沼公園]]の[[整備]]が進み、季節を問わず賑わいを見せるようになっています。</ref>」、「[[春季浮島弁財尊天]]祭が年間に定期敵に、[[行政区]]「[[鶉新田]]の[[檀信徒]]により、数組の[[隣組]]により[[輪番制]]により実施されている([[参拝者]]は一般参加含む) |
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*5月(桜・牡丹の咲く頃)<ref>([[臨済宗建長寺派]] [[東光山恩林寺]] [[妙音の夕べ]]が[[アーティスト]]を呼んで本堂にて120名ほどの参加で演奏会が開催される(視聴者は一般参加含む)。</ref>」、「[[恩林寺住職]]は[[寺院]]を[[若者]]に[[気楽]]に参加してもらうことを[[趣旨]]として、[[親しみ易い寺院]] |
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を目指している |
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*7月・8月中旬 <ref>[[夏休み親子坐禅会]](一般参加の親子を対象)学校の[[夏休み開始]]または[[終盤]]</ref>、「[[臨済宗建長寺派]] [[東光山恩林寺]]では、[[小学校]]、 |
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[[中学校]]の生徒を対象に、[[坐禅]]の[[体験]]を通じて、[[思い出作り]]、[[親子の繋がり]]を[[趣旨]]として、午前と午後、二回行っている |
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*7月中旬 <ref>[[奉賛会]] [[恩林寺]] [[責任役員]] [[総代役員]] 役員会]] PM 1:00から1時間くらい</ref>、「[[恩林寺役員会]]は年2回[[新年祈祷会]] [[お盆]]の[[大施餓鬼会]]前に[[一般情報交換]]、7月は[[大施餓鬼会]]への参加、[[段取り紹介]]の[[意思統一]]として行われる |
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*8月14日<ref>[[臨済宗建長寺派]] [[東光山恩林寺]] [[大施餓鬼会]]の開催「[[施餓鬼会]]は[http://www.onrinji.net/2015_2016_HP_Onrinji/pictures/pictures_syosai/150814_onrinji_daisegakie/150801_onrinji_daisegakie_movies.htm]の動画</ref> |
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[[法話]] [[大施餓鬼会]] [[新盆家]]・[[役員焼香]] [[住職]]・[[和尚様方退堂]]の順に行われる |
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[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 本堂。境内.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺の秋]] |
[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 本堂。境内.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺の秋]] |
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[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺の桜の開花状態.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 春咲く桜の古木(彼岸花の周辺)]] |
[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺の桜の開花状態.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 春咲く桜の古木(彼岸花の周辺)]] |
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[[File:町指定天然記念樹木 「大イチョウ」 (群馬県邑楽郡邑楽町).jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 町指定天然記念樹木 「大イチョウ」 樹齢300年以上]] |
[[File:町指定天然記念樹木 「大イチョウ」 (群馬県邑楽郡邑楽町).jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 町指定天然記念樹木 「大イチョウ」 樹齢300年以上]] |
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[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 開祖「雄久和尚」より歴代(20世)までの墓.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 開祖「雄久和尚」より歴代(20世)までの墓 開山塔から20世までの石碑あり]] |
[[File:臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 開祖「雄久和尚」より歴代(20世)までの墓.jpg|thumb|臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 開祖「雄久和尚」より歴代(20世)までの墓 開山塔から20世までの石碑あり]] |
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== 文化財 == |
== 文化財 == |
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; [[邑楽町]]指定[[天然記念物]] |
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2016年2月29日 (月) 08:30時点における版
恩林寺 | |
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![]() 山門 | |
所在地 | 群馬県邑楽郡邑楽町鶉299 |
位置 | 北緯36度16分21.62秒 東経139度29分23.26秒 / 北緯36.2726722度 東経139.4897944度座標: 北緯36度16分21.62秒 東経139度29分23.26秒 / 北緯36.2726722度 東経139.4897944度 |
山号 | 東光山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 建長寺派 |
本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
創建年 | 文和2年(1353年) |
開基 | 東林雄丘[1][2] |
中興年 | 応永2年(1395年) |
中興 | 正胤 |
札所等 | 上州邑楽七福神めぐり(弁財天) |
文化財 |
邑楽町指定天然記念物[3] 「恩林寺のケヤキ」 「恩林寺のイチョウ」 |
公式サイト | 臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 |
法人番号 | 9070005006267 |
恩林寺(おんりんじ)は、群馬県邑楽郡邑楽町にある臨済宗建長寺派の寺院。建長寺を本山と仰ぐ。山号は東光山。本尊は薬師瑠璃光如来[4]。
概要
開基と再興については、『群馬県邑楽郡誌』によって確認できる。1917年(大正6年)12月に刊行された同書には、「文和二年三月[5]東林雄丘和尚の開基にして、後中絶、應永二年[6]に至り僧正胤之を再興す。[1]」と記されている。
2016年現在の本堂は方丈形式。本尊・薬師瑠璃光如来は、秘仏であり本堂の厨子に納められ安置されている。60年に一度開帳される[4]。境内には、地蔵菩薩像[7]、水子観音、臍の緒観音[8]がある。恩林寺の寺紋は、三つ鱗(北条鱗)。現住職は、恩林寺第二十二世である前田貴洲。
年間行事
を目指している
中学校の生徒を対象に、坐禅の体験を通じて、思い出作り、親子の繋がりを趣旨として、午前と午後、二回行っている
- 8月14日[17]
法話 大施餓鬼会 新盆家・役員焼香 住職・和尚様方退堂の順に行われる
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b4/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA_%E6%9C%AC%E5%A0%82%E3%80%82%E5%A2%83%E5%86%85.jpg/220px-%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA_%E6%9C%AC%E5%A0%82%E3%80%82%E5%A2%83%E5%86%85.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9d/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A1%9C%E3%81%AE%E9%96%8B%E8%8A%B1%E7%8A%B6%E6%85%8B.jpg/220px-%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%A1%9C%E3%81%AE%E9%96%8B%E8%8A%B1%E7%8A%B6%E6%85%8B.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f1/%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA_%E8%A3%8F%E5%BA%AD%E3%81%AB%E5%92%B2%E3%81%8F.jpg/220px-%E8%87%A8%E6%B8%88%E5%AE%97%E5%BB%BA%E9%95%B7%E5%AF%BA%E6%B4%BE_%E6%9D%B1%E5%85%89%E5%B1%B1%E6%81%A9%E6%9E%97%E5%AF%BA_%E8%A3%8F%E5%BA%AD%E3%81%AB%E5%92%B2%E3%81%8F.jpg)
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文化財
所在地・交通アクセス
周辺
多々良沼に突き出した公園に弁財天を祀る社があり、宮守は邑楽郡邑楽町鶉新田の人物が班交替で行っている。平時は、弁財天の神体は恩林寺に安置されている。5月5日と11月の第1日曜日に恩林寺の役員が弁財天の神体を運びいれ出開帳される[20]。住職による祈祷も行われる。
脚注
- ^ a b 『群馬県邑楽郡誌』P.1263 - 1264 「第二十章 中野村 第七節 社寺 二 寺院 三、東光山 恩林寺(禪宗臨濟派)本尊 藥師如來 本寺は鶉村字西耕地にあり。文和二年三月東林雄丘和尚の開基にして、後中絶、應永二年に至り僧正胤之を再興す。 本堂 間口 八間半 奥行 五間半 境内 八百二十六坪 檀家 百六十戸」(「国立国会図書館デジタルコレクション」〈インターネット公開(保護期間満了)〉より全文引用。)
- ^ 東光山恩林寺 > 弁財天
- ^ a b c 群馬県邑楽町 > 町の文化財について「町にある指定文化財」
- ^ a b 東光山恩林寺 > 恩林寺とは
- ^ 文和二年三月は、1353年4月5日〜5月3日。
- ^ 應永二年は、1395年1月22日〜1396年2月9日。
- ^ 公式サイト「六地蔵・恩林寺石碑と山門・篤洲和尚干支
- ^ 水子供養塔とへその緒観音
- ^ 禅僧墨蹟展 - 恩林寺所蔵の禅僧による墨蹟の展示
- ^ 一般参賀紗が集い、信念の挨拶をしながら引き続き梵鐘を撞く
- ^ 菩提寺の檀信徒は、一年間先祖がお世話になる為お年賀を奉納する。法縁の和尚様方が十名以上集まって大般若経を通読する
- ^ 邑楽町の七福神のうち弁財尊天の本尊が恩林寺に安置されている。七福神ポストもあり投稿できるようになっている。主催者の詳細。「上州邑楽七福神を愛する会」 (代表:鈴木隆行氏) 七福神の魅力や邑楽の郷土を楽しめるように、「七福神ポスト」を各寺社の境内に設置致しました。七福神や邑楽の郷土や文化などの魅力が込められた、俳句、川柳、短歌、詩、スケッチ、スナップ写真 などの投稿を受付けるものです。会で発行する 「開運広場」に紹介されるそうです。差し支えのない場合は、住所、氏名 等を記入して欲しいそうです。是非投稿してみて下さい。 比佐麻呂の七福神日記 上州邑楽(おうら)七福神 [[1]] (多々良沼公園) 0276-88-3564 「上州邑楽七福神を愛する会」でパンフレットを作成しました、 上記七福神巡り寺社(恩林寺にもあります)に置いてあります。 ご案内のパンフレットは無料です、お持ちになって迷うことなく、 楽しくお巡り下さい。記念のお守りであります、キーホルダーは¥300円で お売りしておりますので「恩林寺」へお立ち寄りの際はお声をおかけ下さい。 「恩林寺」にご神体が安置して御座いますので、先ずお出で下さってスタンプを 捺して、浮島弁才天にお参りするコースをお勧めいたします。 リポーター番号93 篠木百合子さん(館林市)のページ21 上州七福神めぐりスタンプ
- ^ (一般参加含む)浮島弁財尊天の由来 鎌倉幕府没落(1333年)のとき、執権北条高時の弟四郎慧性が尊崇する 江ノ島弁財天が夢枕に立ち、「上毛の郷に霊地あり、そこへ逃れて居住し、 北条家の再興を図るべし」、とのお告げを受けた。 そのお告げに従って、弟荒間五郎友春と重臣三名を伴って多々良沼にたどり 着き、恩林寺を建て、東林雄丘和尚を開山(開祖)として(1353年に)北条家の 菩提寺とした。東林和尚に懇情して北条家の護り神である江ノ島弁財天を 勧請し、鎮守として建てた、と「恩林寺縁起」にあります。 この頃のものと思われる宝篋印塔(供養塔)の笠の部分が三個、 1978(昭和53)年に多々良沼から出土しています。 一方、邑楽町中野で祀られていた一つ橋弁天様が、大雨による洪水のとき、 浮島(弁天島)に流れついた、という伝説もあります。 応永年間(1394~1427年)に多々良四郎忠敬が鶉小城に居城という 記録があります。(なお後に鶉北部に城跡が発見され、鶉新田の城を鶉古城と 称する慣わしとなります。 600年余にわたり、沼中に孤堂を護り続けられたのは、多くの信徒による 道普請や護岸工事をはじめとする尊信の行為があったからです。 春(五月五日)、秋(十一月第一週)の祭礼には遠方からの参詣人も多く訪れますが、 最近では、周囲の多々良沼公園の整備が進み、季節を問わず賑わいを見せるようになっています。
- ^ (臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 妙音の夕べがアーティストを呼んで本堂にて120名ほどの参加で演奏会が開催される(視聴者は一般参加含む)。
- ^ 夏休み親子坐禅会(一般参加の親子を対象)学校の夏休み開始または終盤
- ^ 奉賛会 恩林寺 責任役員 総代役員 役員会]] PM 1:00から1時間くらい
- ^ 臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 大施餓鬼会の開催「施餓鬼会は[2]の動画
- ^ 邑楽町指定天然記念物「大ケヤキ」
- ^ 山門と邑楽町天然記念物指定「大銀杏」
- ^ 臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 浮島 弁財尊天 例大祭 2015年5月5日
参考文献
外部リンク
- 臨済宗建長寺派 東光山恩林寺 - 公式サイト
- 恩林寺とは > あゆみ - 公式サイトの寺伝