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'''ウイリアム・ポーグ'''(William Reid Pogue、[[1930年]][[1月23日]] - )は[[アメリカ合衆国]]の[[宇宙飛行士]]、[[評論家]]、[[作家]]である。1974年にジェラルド・カー、エド・ギブソンとともに[[スカイラブ計画|スカイラブ]]4号に84日間滞在した。


'''ウィリアム・ポーグ''' (William Reid Pogue, [[1930年]][[1月23日]] – [[2014年]][[3月3日]]) は[[アメリカ合衆国]]の[[宇宙飛行士]]であり、[[テストパイロット]]である。また[[教員|教師]]、[[演説]]家、[[作家]]としても活躍した。
[[オクラホマ州]]オケマに生まれた。米国南東部 のインディアン部族、[[チャクトー]]の血を引き、ポーグはネィティブ・アメリカンの最初の宇宙飛行士となった。1951年にオクラホマ・バプティスト大学を卒業した。1951年アメリカ空軍に召集され、朝鮮戦争の1953年から1954年の間は第5空軍に属し、戦闘爆撃任務についた。1955年から1957年の間は、空軍の曲技飛行チーム、[[サンダーバーズ]]のメンバーとなった。


==生い立ち==
1965年までの2年間、アメリカとイギリスの間の技術交換プログラムのため帝国テストパイロット学校で学び、イギリスでテスト・パイロットを務めた。1965年10月に空軍から[[ジョンソン宇宙センター]]に移籍した。
ポーグは1930年1月23日[[オクラホマ州]]オケマー (Okemah) で、同州サンドスプリングス (Sand Springs) に住むアレックス・W・ポーグ夫妻の息子として生まれた。ポーグ家は[[アメリカ州の先住民族|先住民族]]である[[チョクトー|チョクトー族]]の子孫であった<ref>[http://www.jsc.nasa.gov/history/oral_histories/PogueWR/WRP_Bio.pdf NASA Biographical Data Sheet]</ref>アレックス夫妻は三人の子を儲け、ウィリアム少年はランニングやパドルボール、[[ウォールハンドボール]]などのスポーツに励んだ。また[[本棚]]作りなども趣味にしていた。


===教育===
[[ファイル:Carr i Pogue..jpg|thumb|left|ウイリアム・ポーグ(上)とジェラルド・カー(下)]]
ポーグは初等教育・中等教育を地元のオクラホマで受け、[[1951年]]に[[中等教育]]での[[学士(理学)|理学学士号]]を[[オクラホマ・バプティスト大学]]で、[[1960年]]に[[数学]]の[[修士|修士号]]を[[オクラホマ州立大学]]で得た。また[[1974年]]にオクラホマ・バプティスト大学で[[名誉学位]]を授与された。
1966年にNASAの選抜した19人の宇宙飛行士の1人に選ばれ、アポロ7号、11号、14号のサポートメンバーを務め、実現しなかったアポロ19号の搭乗予定メンバーであった。スカイラブ4号のパイロットに選ばれ、1973年11月16日に打ち上げられ、1974年2月8日まで宇宙に滞在した。84日間と1時間15分の宇宙滞在は、当時のもっとも長い宇宙滞在記録であった。地球を1,214周、周回しスカイラブで56の科学実験などを行った。ポーグは13時間31分の[[宇宙遊泳]]を行った。


===飛行経験===
1975年9月1日に空軍を退役し、NASAを退いた後は航空コンサルトや宇宙旅行に関するTV番組のプロデューサーなどを務めた。一般むけの著書に、"How Do You Go to the Bathroom in Space?"(1991年)などを著した。
ポーグは1951年に[[アメリカ空軍|空軍]]の兵籍に入り、[[1952年]]に[[将校]]に任官した。[[朝鮮戦争]]では[[1953年]]から[[1954年]]まで[[第5空軍 (アメリカ軍)| 第5空軍]]に所属し、[[戦闘爆撃機]]による攻撃に従事した。[[1955年]]から[[1957年]]までは空軍の[[曲芸飛行|アクロバット]]チームである[[サンダーバーズ]]に所属し、単独飛行または「スロット・パイロット (slot pilot)」と呼ばれる第四番目の飛行士を務めた。


アメリカおよび[[イギリス]]の50機種以上の[[航空機]]の操縦に熟達し、民間航空機の指導教官の資格を得た。[[1960年]]から[[1963年]]までは[[コロラドスプリングス]]の[[空軍士官学校 (アメリカ合衆国)| 空軍士官学校]]で数学の[[准教授|助教授]]を務めた。[[1965年]]9月には[[英国]][[ハンプシャー州]]ファーンボロー (Farnborough) の[[帝国テストパイロット学校]]を卒業した後、アメリカ空軍と[[イギリス空軍]]の交換プログラムにより英国航空省で2年間テストパイロットを務めた。


1965年10月からは[[カリフォルニア州]][[エドワーズ空軍基地]]のテストパイロット養成学校で教官を勤め、その後[[大佐]]として[[ジョンソン宇宙センター]]に赴任した。
2014年3月3日に84歳で亡くなった<ref>{{cite news
| title = Skylab 4 Pilot William Pogue Dies
| url = http://www.nasa.gov/content/skylab-4-pilot-william-pogue-dies/index.html
| publisher = NASA | date = 2014-3-4 | accessdate = 2014-3-5}}</ref>。


飛行経験時間は7,200時間で、そのうち4,200時間は[[ジェット機]]の操縦時間、2,017時間は[[宇宙飛行]]の時間である。
== 脚注 ==

<references />
===NASAでの経験===
[[1966年]]4月、[[アポロ計画]]の19人の[[宇宙飛行士]]の中の一人に選ばれ、[[アポロ7号]]、[[アポロ11号|11号]]、[[アポロ14号|14号]]では支援搭乗員を務めた。19号では[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士を務めることになっていたが[[NASA]]がアポロ計画を[[アポロ17号|17号]]で中止したため、ポーグと19号のもう一人の飛行士ジェラルド・カー (Gerald Carr) はアメリカ初の[[宇宙ステーション]]である[[スカイラブ]]で飛行することになった。
[[File:Skylab 4 trash.jpg|thumb|left|スカイラブ4号で、ゴミ袋を投棄するポーグ (左) とカー]]
[[File:Seiko Automatic-Chronograph Cal. 6139 mit gelbem Zifferblatt, die sogenannte „Pogue Seiko“.jpg|thumb|アポロ4号でポーグが使用した、“セイコー・オートマチック・クロノグラフ Cal.6139”。いわゆる「ポーグの[[セイコー]]」と呼ばれているモデルで、宇宙で初めて使用された自動[[クロノグラフ]]である<ref>[http://historical.ha.com/itm/explorers/space-exploration/william-pogue-s-seiko-6139-watch-flown-on-board-the-skylab-4-mission-from-his-personal-collection/a/6007-41138.s ''William Pogue's Seiko 6139 Watch Flown on Board the Skylab 4 Mission, from his Personal Collection... The First Automatic Chronograph to be Worn in Space.'']</ref><ref>[http://www.horologii.com/2012/02/pogue-seiko/ ''The 'Pogue Seiko', horologii.com].</ref>]]

[[1973年]][[11月16日]]、ポーグは[[スカイラブ4号]]の飛行士として[[ケネディ宇宙センター]]から[[サターンIB]]型[[ロケット]]で打ち上げられ、[[1974年]][[2月8日]]に帰還した。4号はスカイラブ計画の3度目の飛行であり、同計画の最後を飾るものであった。この飛行での宇宙での滞在日数は84日と1時間15分となり、当時の世界最長記録を達成した。またポーグとカーおよびもう一人の飛行士である科学者のエドワード・ギブソン (Edward Gibson) は、3,450万[[マイル]] (5,554万5,000km) という飛行距離の記録も打ち立てた。[[地球]]を1,214周する間に、彼らは56の検証実験と26の実証実験、15の構造解析試験、13の子供たちから提案された実験などを行った。

またスカイラブの探査カメラやセンサー郡を用いて地球[[資源]]の調査をし、さらにスカイラブ望遠鏡を使用して[[太陽]]の活動に関する338時間に及ぶ広範囲な観測を行った。また2回の[[宇宙遊泳|船外活動]]を行い、活動時間は13時間31分に達した。

[[1975年]][[9月1日]]、NASAと空軍から引退した後は[[航空宇宙産業]]におけるフリーの[[コンサルタント]]となり、また[[宇宙開発]]を民間に広報するためのビデオ制作なども行った。
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空軍開拓者クラブ協会 (Air Force Association Explorers Club)、アメリカ宇宙飛行士協会、[[宇宙探検家協会]]の会員であった。

===作家としての経歴===
[[1991年]]、「宇宙ではどうやって風呂に入るのか? (How Do You Go to the Bathroom in Space?)」を上梓し、一般からの270の質問に答えた。[[1992年]]には[[ベン・ボーヴァ]] (Ben Bova) と、[[サイエンス・フィクション|空想科学小説]]「トライコンの詐欺 (The Trikon Deception)」を共著した。

[[2003年]]、アポジー・ブックス (Apogee Books) 社から「宇宙の雑学 (Space Trivia)」を出版し、[[マーキュリー計画]]時代から[[スペースシャトル]]および[[国際宇宙ステーション]]時代に至るまでの宇宙開発に関する様々な質問に答えた。[[2011年]]には[[自伝]]「だがそれは、天の恵みのために—ある飛行家であり、宇宙飛行士である者の自伝 (But for the Grace of God: An Autobiography of an Aviator and Astronaut)」をソアー・ウィズ・イーグルス社 (Soar with Eagles) 社から著した。

==死去==
[[2014年]][[3月3日]]、[[フロリダ州]][[ココアビーチ]]の自宅で逝去した。享年84<ref>http://www.floridatoday.com/article/20140305/SPACE/303050043/NASA-astronaut-William-Pogue-84-dies?nclick_check=1</ref><ref>[http://www.tulsaworld.com/communities/sand-springs-native-skylab-astronaut-bill-pogue-dies-at/article_f0380572-a403-11e3-98d4-0017a43b2370.html Sand Springs native, Skylab astronaut Bill Pogue dies at 84]</ref>。最後を看取ったのは三番目の妻であるティナ (Tina) であった。最初の妻との間には3人、二番目の妻との間には4人の子を儲けた<ref>{{cite web|last=Pearlman|first=Robert|title=Skylab astronaut William Pogue dies at 84|url=http://collectspace.com/news/news-030414a-astronaut-william-pogue-obituary.html|publisher=collectSPACE|accessdate=5 March 2014}}</ref>。

==表彰==
*NASA功労賞 (1974年)、JSC特別功労賞 (1970年)
*[[エア・メダル]]、空軍[[勲章]]、国防勲章。また空軍特別賞 (サンダーバードの隊員時代に受賞)
*空軍特別功労勲章および宇宙飛行士[[階級章]] (1974年)
*[[シカゴ市]]金メダル (1974年)
*1973年度ロバート・J・コリアー (Robert J. Collier) 賞 (1974年)
*[[ニューヨーク市]]金メダル (1974年)
*1975年度[[ロバート・ゴダード]]博士賞 (1975年)
*1974年度[[国際航空連盟]][[アンリ・デラボー]] (De la Vaulx) 勲章 (1975年)
*1974年度[[トーマス・D・ホワイト]]空軍大将賞 (1975年)
*オクラホマ州立大学芸術科学学会会員 (1975年)
*1974年度AIAA宇宙飛行賞 (1975年)
*1975年アメリカ宇宙飛行協会飛行功労賞 (1976年)
*1975年度アメリカ先住5部族栄誉殿堂
*1980年度オクラホマ航空宇宙栄誉殿堂
*1997年度アメリカ宇宙飛行士栄誉殿堂
*1989年度クラレンス・ペイジ (Clarence E. Page) 記念賞 (オクラホマ航空宇宙博物館)
オクラホマ州サンドスプリングの[[空港]]は、ポーグを記念して「ウィリアム・R・ポーグ地方空港」と命名された。

==参照==
{{Reflist}}

==外部リンク==
{{Portal|Biography|United States Air Force|Spaceflight}}
{{Commons category}}
*[http://www.williampogue.com William Pogue's official Web site]
*{{IMDb name|0999048}}
*[http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/pogue-wr.html Official NASA biography]
*[http://www.astronautix.com/astros/pogue.htm Astronautix biography of William R. Pogue]
*[http://www.spacefacts.de/english/bio_ast.htm Spacefacts biography of William R. Pogue]
*[http://voicesofoklahoma.com/william_pogue.html Voices of Oklahoma interview with William Pogue.] First person interview conducted with William Pogue on August 8, 2012. Original audio and transcript archived with [http://voicesofoklahoma.com/index.html Voices of Oklahoma oral history project.]

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| NAME = Pogue, William R.
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| SHORT DESCRIPTION = American astronaut
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2014年8月10日 (日) 22:23時点における版

ウィリアム・ポーグ

ウィリアム・ポーグ (William Reid Pogue, 1930年1月23日2014年3月3日) はアメリカ合衆国宇宙飛行士であり、テストパイロットである。また教師演説家、作家としても活躍した。

生い立ち

ポーグは1930年1月23日オクラホマ州オケマー (Okemah) で、同州サンドスプリングス (Sand Springs) に住むアレックス・W・ポーグ夫妻の息子として生まれた。ポーグ家は先住民族であるチョクトー族の子孫であった[1]アレックス夫妻は三人の子を儲け、ウィリアム少年はランニングやパドルボール、ウォールハンドボールなどのスポーツに励んだ。また本棚作りなども趣味にしていた。

教育

ポーグは初等教育・中等教育を地元のオクラホマで受け、1951年中等教育での理学学士号オクラホマ・バプティスト大学で、1960年数学修士号オクラホマ州立大学で得た。また1974年にオクラホマ・バプティスト大学で名誉学位を授与された。

飛行経験

ポーグは1951年に空軍の兵籍に入り、1952年将校に任官した。朝鮮戦争では1953年から1954年まで 第5空軍に所属し、戦闘爆撃機による攻撃に従事した。1955年から1957年までは空軍のアクロバットチームであるサンダーバーズに所属し、単独飛行または「スロット・パイロット (slot pilot)」と呼ばれる第四番目の飛行士を務めた。

アメリカおよびイギリスの50機種以上の航空機の操縦に熟達し、民間航空機の指導教官の資格を得た。1960年から1963年まではコロラドスプリングス 空軍士官学校で数学の助教授を務めた。1965年9月には英国ハンプシャー州ファーンボロー (Farnborough) の帝国テストパイロット学校を卒業した後、アメリカ空軍とイギリス空軍の交換プログラムにより英国航空省で2年間テストパイロットを務めた。

1965年10月からはカリフォルニア州エドワーズ空軍基地のテストパイロット養成学校で教官を勤め、その後大佐としてジョンソン宇宙センターに赴任した。

飛行経験時間は7,200時間で、そのうち4,200時間はジェット機の操縦時間、2,017時間は宇宙飛行の時間である。

NASAでの経験

1966年4月、アポロ計画の19人の宇宙飛行士の中の一人に選ばれ、アポロ7号11号14号では支援搭乗員を務めた。19号では司令船操縦士を務めることになっていたがNASAがアポロ計画を17号で中止したため、ポーグと19号のもう一人の飛行士ジェラルド・カー (Gerald Carr) はアメリカ初の宇宙ステーションであるスカイラブで飛行することになった。

スカイラブ4号で、ゴミ袋を投棄するポーグ (左) とカー
アポロ4号でポーグが使用した、“セイコー・オートマチック・クロノグラフ Cal.6139”。いわゆる「ポーグのセイコー」と呼ばれているモデルで、宇宙で初めて使用された自動クロノグラフである[2][3]

1973年11月16日、ポーグはスカイラブ4号の飛行士としてケネディ宇宙センターからサターンIBロケットで打ち上げられ、1974年2月8日に帰還した。4号はスカイラブ計画の3度目の飛行であり、同計画の最後を飾るものであった。この飛行での宇宙での滞在日数は84日と1時間15分となり、当時の世界最長記録を達成した。またポーグとカーおよびもう一人の飛行士である科学者のエドワード・ギブソン (Edward Gibson) は、3,450万マイル (5,554万5,000km) という飛行距離の記録も打ち立てた。地球を1,214周する間に、彼らは56の検証実験と26の実証実験、15の構造解析試験、13の子供たちから提案された実験などを行った。

またスカイラブの探査カメラやセンサー郡を用いて地球資源の調査をし、さらにスカイラブ望遠鏡を使用して太陽の活動に関する338時間に及ぶ広範囲な観測を行った。また2回の船外活動を行い、活動時間は13時間31分に達した。

1975年9月1日、NASAと空軍から引退した後は航空宇宙産業におけるフリーのコンサルタントとなり、また宇宙開発を民間に広報するためのビデオ制作なども行った。 空軍開拓者クラブ協会 (Air Force Association Explorers Club)、アメリカ宇宙飛行士協会、宇宙探検家協会の会員であった。

作家としての経歴

1991年、「宇宙ではどうやって風呂に入るのか? (How Do You Go to the Bathroom in Space?)」を上梓し、一般からの270の質問に答えた。1992年にはベン・ボーヴァ (Ben Bova) と、空想科学小説「トライコンの詐欺 (The Trikon Deception)」を共著した。

2003年、アポジー・ブックス (Apogee Books) 社から「宇宙の雑学 (Space Trivia)」を出版し、マーキュリー計画時代からスペースシャトルおよび国際宇宙ステーション時代に至るまでの宇宙開発に関する様々な質問に答えた。2011年には自伝「だがそれは、天の恵みのために—ある飛行家であり、宇宙飛行士である者の自伝 (But for the Grace of God: An Autobiography of an Aviator and Astronaut)」をソアー・ウィズ・イーグルス社 (Soar with Eagles) 社から著した。

死去

2014年3月3日フロリダ州ココアビーチの自宅で逝去した。享年84[4][5]。最後を看取ったのは三番目の妻であるティナ (Tina) であった。最初の妻との間には3人、二番目の妻との間には4人の子を儲けた[6]

表彰

  • NASA功労賞 (1974年)、JSC特別功労賞 (1970年)
  • エア・メダル、空軍勲章、国防勲章。また空軍特別賞 (サンダーバードの隊員時代に受賞)
  • 空軍特別功労勲章および宇宙飛行士階級章 (1974年)
  • シカゴ市金メダル (1974年)
  • 1973年度ロバート・J・コリアー (Robert J. Collier) 賞 (1974年)
  • ニューヨーク市金メダル (1974年)
  • 1975年度ロバート・ゴダード博士賞 (1975年)
  • 1974年度国際航空連盟アンリ・デラボー (De la Vaulx) 勲章 (1975年)
  • 1974年度トーマス・D・ホワイト空軍大将賞 (1975年)
  • オクラホマ州立大学芸術科学学会会員 (1975年)
  • 1974年度AIAA宇宙飛行賞 (1975年)
  • 1975年アメリカ宇宙飛行協会飛行功労賞 (1976年)
  • 1975年度アメリカ先住5部族栄誉殿堂
  • 1980年度オクラホマ航空宇宙栄誉殿堂
  • 1997年度アメリカ宇宙飛行士栄誉殿堂
  • 1989年度クラレンス・ペイジ (Clarence E. Page) 記念賞 (オクラホマ航空宇宙博物館)

オクラホマ州サンドスプリングの空港は、ポーグを記念して「ウィリアム・R・ポーグ地方空港」と命名された。

参照

外部リンク