「アーサー・コナン・ドイル」の版間の差分
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* [http://www13.ocn.ne.jp/~m-room/doyle-note.html ドイル年譜] |
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2012年4月18日 (水) 14:54時点における版
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle | |
---|---|
アーサー・コナン・ドイル | |
誕生 |
Arthur Ignatius Conan Doyle 1859年5月22日 スコットランド・エディンバラ |
死没 | 1930年7月7日(71歳没) |
職業 |
作家 眼科医 |
国籍 | イギリス |
活動期間 | 1884年 - 1930年 |
ジャンル |
推理小説 怪奇小説 |
主題 | 歴史小説 |
代表作 |
『緋色の研究』(1887年) 『四つの署名』(1890年) 『バスカヴィル家の犬』(1901年) 『失われた世界』(1912年) 『恐怖の谷』(1914年) |
デビュー作 | 『J・ハバクック・ジェフソンの証言』(1884年) |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
サー・アーサー・コナン・ドイル(Sir Arthur Conan Doyle、本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、1859年5月22日 - 1930年7月7日)はイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説・歴史小説・SFを多く著した。1902年8月9日にKnight Bachelorに叙せられた[1][2]。
概要
『シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られ、エドガー・アラン・ポーとともに現代の推理小説の生みの親とされている。
現実社会でもジョージ・エダルジ事件[3]、オスカー・スレイター事件[4]で被疑者の無実を主張し、冤罪を晴らすために力を尽くした。また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力した。
SF分野では『失われた世界』、『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『白衣の騎士団』、『勇将ジェラールの回想』などを著している。
年譜
1859年、スコットランドの首都・エディンバラで、イングランド生まれの役人の父とアイルランド人の母の間に生まれた。父方の祖父・ジョン(John Doyle)はダブリンで生まれロンドンに出て"H.B."の筆名で著名な風刺画家となり、伯父のリチャード・ドイル(Richard Doyle)はイラストレーターで、ドイル家はアイルランド系で芸術の職につくものが多かった。
イエズス会系のインデペンデント・スクールであるストーニーハースト・カレッジ(Stonyhurst College)に学んだが、学校を離れた1875年にキリスト教を拒絶して不可知論者となった。その後1876年から1881年にかけてエディンバラ大学で医学を学んだ。この時、アストン(Aston:現在はバーミンガムの一地域となっている)の町で外科医師の助手として働いている。この頃、古典文学の廉価版の古本やエミール・ガボリオ、エドガー・アラン・ポーの作品を愛読した[5]。父親がアルコール依存症により精神病院に入院したため、在学中に北氷洋行きの捕鯨船に船医として8箇月程乗り込み、弟妹の多い一家の家計を支えた。
級友より数箇月遅れて22歳で大学を卒業した後はアフリカ航路の荷物汽船の船医として3ヶ月程働く。山師の気を持つ級友とプリマスで診療所を共同経営したが喧嘩別れした。その後1882年にポーツマス市のサウスシー(Southsea)地区に眼科を専門とする診療所を開いた。診察所は振るわず、患者を待つ間に小説を書き三文雑誌へ送ったが、その度に返却され終いには切手代すらも怪しくなった。 なお「そのころ、現在フットボールリーグ・チャンピオンシップに属しているポーツマスFCの創設時に同チームに所属しており、初代ゴールキーパーを務めていた」と広く信じられているが、実際に所属していたのはポーツマスFCとは別のポーツマスAFCというクラブで、このクラブはポーツマスFCが結成される4年前に解散している。
1884年、『J・ハバクック・ジェフソンの証言』(J.Habakuk Jephson's Statement)という1872年のメアリー・セレスト号(Mary Celeste)乗組員失踪事件に基づいたフィクションであるマリー・セレスト号(Marie Celeste)事件についての短編小説が『コーンヒル・マガジン』(Corn-hill Magazine)1月号に匿名で投稿掲載され評判になる(この小説のためメアリー・セレスト号失踪事件がマリー・セレスト号と誤った名称のまま有名となる)。
1885年、患者の姉であったルイーズ・ホーキンズと結婚した。彼女は結核のために1906年に死去した。ドイルはその後1897年の出会いのときに一目ぼれをしたものの、妻を気遣って精神的なかかわりをもち続けていたジーン・リッキーと1907年に再婚した。
1887年のクリスマス、最初のシャーロック・ホームズシリーズである『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』に発表された。あちこちの出版社から断られ続けた挙句ワード・ロック社と25ポンドで著作権買取という条件にて世に出た作品である。発表後はしばらく売れずドイルはもうホームズ物は書くまいと考えていたが、アメリカの雑誌リピンコット・マガジンからの依頼を受けて書いた『四つの署名』がリピンコット・マガジン1890年2月号に掲載されるとホームズは莫大な人気を博した。だが、ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、シャーロック・ホームズシリーズを快くは思っていなかった。『白衣の騎士団』のような中世の騎士道を描きたかったといわれる。
1890年、ドイルはウィーンで眼球の研究をし、翌1891年にロンドンへ移り、眼科専門医として診療所を開いたが、患者が訪れない暇を執筆時間に充てた。ドイルは医者を止めて作家として暮らしを立てていくことを決心したが、作者が望む以上のホームズ人気の高まりに、同年11月の母親への手紙で「僕はホームズの殺害を考えている……そして彼を永久に消してしまいたい。ホームズは僕の心をよりよいものから取り払ってしまった」と書いた。1893年に「悪の組織の首魁」として登場させたモリアーティ教授と共に『最後の事件』でスイスのライヘンバッハの滝壷へとホームズを突き落としてしまった。しかし読者はホームズの復活を声高に要求した。「ホームズの死」を悼んでこれ見よがしに喪章を着けて外出する熱狂的読者もいたという。これに押された作者ドイルはホームズが日本の「バリツ」という武術を用いてモリアーティを滝壷へ突き落とし、自身はモリアーティの手先から逃れるために身を隠し、辛くも助かったことにして復活させた(『空家の冒険』冒頭部)。モリアーティは母親メアリのスペルをもじったもので、ドイルが母親のことを快く思っていなかったことの表れとも言われている。
シャーロック・ホームズは結局、56の短編と4つの長編に登場した。最終作『最後の挨拶』で引退した事になっている。ドイルを最も有名たらしめたホームズシリーズではあるが、その甚大な人気のゆえに実際の事件がドイルのもとへ持ち込まれたり、時にはドイル自身が名探偵と思い込まれることもあり、随分閉口させられたようである。またある日、ビリヤードにドイルが遊びに行った際、謎の客からキューを贈られ、それを使用しているうちにキューが壊れ、中空になっていたキューの中から「アルセーヌ・ルパンからシャーロック・ホームズへ」と書いた紙が出てくるという手の込んだイタズラがあったという。なお、ホームズシリーズには多くの矛盾が存在することも知られ、大部分はストランド・マガジン誌上で発表されているが、ドイルはそれらに気付いていながらも敢えて書き直しをすることはせずに、読者にその穴を探させたりするという方針を採っていた。
19世紀と20世紀の世紀転換点の時期に南アフリカで起こり、世界中からイギリスによる露骨な帝国主義的行動に非難が集中したボーア戦争に従軍し、『南アでの戦争:原因と行為』と題された小冊子を執筆した。この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなった。この冊子の功績により、1902年にイングランド南部のサリー副知事に任命され、また同年Knight Bachelorに叙せられた。したがって「サー」の称号はホームズシリーズの功績とは無関係である。20世紀初頭に、彼はエディンバラとボーダー・バラズの議員にそれぞれ立候補した。かなりの票を得たが、いずれも落選した。
1903年、『勇将ジェラールの冒険』(Adventures of Gerard)を執筆。1912年、『失われた世界』(The Lost World)というチャレンジャー教授、ロクストン卿、マローン記者らが猿人、恐竜と遭遇する小説を執筆。後に同一登場人物シリーズで『毒ガス帯』、『霧の国』を出版。
晩年は、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあってか、心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、「心霊主義の聖パウロ」の異名を取った。そして、コティングリー妖精事件において大失態を演じてしまった。
1948年、短編の遺稿が発表された。
エピソード
- 上記の通り、ホームズシリーズの高すぎる人気とホームズを実在する人物のように扱われることにうんざりしていたという。
- あまり知られていないが世界最初のボディビル・コンテストに、審査員の一人として参加した。
- 出身地であるエディンバラには、「コナンドイル」という店名のパブがある。
- 2006年5月22日には彼の誕生日を記念し、一日限定で検索サイト『google』のロゴになった。ロゴには彼の有名作品「シャーロック・ホームズ」シリーズに登場する架空の探偵、シャーロック・ホームズのシルエットや足跡、街灯があしらわれたものであった。
著作
- 『緋色の研究』(別題:緋色の探求、緋色の習作)
- 『四つの署名』(別題:四人の署名、四人のサイン)
- 『バスカヴィル家の犬』
- 『恐怖の谷』
- 『シャーロック・ホームズの冒険』
- 『シャーロック・ホームズの思い出』(別題:回想のシャーロック・ホームズ)
- 『シャーロック・ホームズの帰還』(別題:シャーロック・ホームズの生還)
- 『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』
- 『シャーロック・ホームズの事件簿』
- 『失われた世界』
- 『マラコット深海』
- 『毒ガス地帯』
- 『ジェラール准将の冒険』
- 『ジェラール准将の回想』
- 『白衣の騎士団』
- 『ナイジェル卿の冒険』
- 『霧の国』
- 『コナン・ドイルの心霊学』
- 『シャーロック・ホームズの読書談義』
- 原題:Through the Magic Door (魔法の扉をくぐれば)
脚注
- ^ 「コナン・ドイル」川村幹夫著、講談社現代新書、1991年
- ^ ドイルは、ボーア戦争における功績により Knight Bachelor に叙せられ、Sir Arthur Conan Doyle または Sir Arthur と呼ばれる資格を得た。日本語の文献で「アーサー・コナン・ドイル卿」という表記がされることがあるが、『卿 Lord 』 は貴族(男爵 Baron 以上、慣例として準男爵 Baronet 以上)に用いられる敬称であるので、「サー・アーサー・コナン・ドイル」の表記が正しい。「敬称#英語の敬称」の Sir の項を参照。
- ^ The George Edalji Case
- ^ The Oscar Slater Case
- ^ 新潮文庫 シャーロック・ホームズの冒険(訳者 延原謙)
参考文献
- ジョン・ディクスン・カー『コナン・ドイル』大久保康雄訳、早川書房〈ハヤカワ・ミステリ〉、1993年8月。ISBN 4-15-000460-9。
- 河村幹夫『コナン・ドイル――ホームズ・SF・心霊主義』講談社〈講談社現代新書〉、1991年7月。ISBN 4-06-149061-3。
- 小林司、東山あかね『シャーロック・ホームズの醜聞』晶文社、1999年7月。ISBN 4-7949-6405-6。
- ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』深町真理子訳、東京創元社、1984年3月。
- ジュリアン・シモンズ『コナン・ドイル』深町真理子訳、東京創元社〈創元推理文庫〉、1991年5月。ISBN 4-488-10006-6。
- ダニエル・スタシャワー『コナン・ドイル伝』東洋書林、2010年1月。ISBN 978-4-88721-760-7。
- コナン・ドイル『わが思い出と冒険――コナン・ドイル自伝』延原謙訳、新潮社〈新潮文庫〉、1994年3月(原著1965年)。ISBN 4-10-213414-X。
- コナン・ドイル『スターク・マンローからの手紙』田中喜芳訳、河出書房新社、2006年1月。ISBN 4-309-20454-6。
- コナン・ドイル『コナン・ドイルの心霊学』近藤千雄訳、新潮社〈新潮選書〉、1992年2月。ISBN 4-10-600415-1。
- コナン・ドイル『コナン・ドイルの心霊学』近藤千雄訳(新装版)、潮文社、2002年11月。ISBN 4-8063-1364-5。
- コナン・ドイル『コナン・ドイルの心霊学』近藤千雄訳(新装版)、潮文社、2007年12月。ISBN 978-4-8063-1425-7。
- ロナルド・ピアソール『シャーロック・ホームズの生れた家』小林司・島弘之訳、新潮社〈新潮選書〉、1983年1月。
- ロナルド・ピアソール『シャーロック・ホームズの生れた家』小林司・島弘之訳、河出書房新社〈河出文庫〉、1990年8月。ISBN 4-309-46076-3。
- 水野雅士『手塚治虫とコナン・ドイル』青弓社、2002年8月。ISBN 4-7872-9159-9。