鹿島御児神社
鹿島御児神社 | |
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所在地 | 宮城県石巻市日和が丘2-1-10 |
位置 | 北緯38度25分26.3秒 東経141度18分29.2秒 / 北緯38.423972度 東経141.308111度 |
主祭神 |
武甕槌命 鹿島天足別命 |
社格等 | 県社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 三間社入母屋造 |
例祭 | 5月15日 |
鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)は、宮城県石巻市に鎮座する神社である。 旧社格は県社。延喜式内社の陸奥国百座のうちの一座である。
祭神
- 武甕槌命、鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと:武甕槌命の御子神)の親子二神を祀る。
由緒
創建については不詳。鹿島御児神社は『三代実録』に記載されている「鹿島大神苗裔を祀る陸奥国の三十八の神社のうちの一社」であり、延喜式神名帳にもその名が記載されている。
祭神の武甕槌命と鹿島天足別命は親子神であり、武甕槌命は香取神宮の祭神である経津主神とともに、鹽竈神社の祭神である塩土老翁神の先導のもと、東北地方の平定を行ったとされている。御子神の鹿島天足別命は、経津主神の御子神である阿佐比古命と共に東夷征伐と辺土開拓の命令を受けて、海路を下向して奥州へとやってきたという。天足別命と阿佐比古命の乗った船が現在の石巻の沿岸へ到着し停泊した時、錨が石を巻き上げたことから「石巻」とこの地を呼ぶようになったという伝承が残されている。
天足別命を祀る神社は、宮城県から福島県の沿岸部にかけて数社鎮座している。福島県南相馬市鹿島区に鎮座する延喜式内社の鹿島御子神社には天足別命と第六天魔王に関する言い伝えがあり、同じく延喜式内社である宮城県亘理郡亘理町の鹿島天足和気神社や黒川郡富谷町の鹿島天足別神社は、天足別命は祭神ではないものの神社名に「天足別(和気)神」という名前が入っており、いずれの神社も上記の『三代実録』に「陸奥国に鎮座する鹿島大神苗裔を祀る三十八社」として記録されている。なお、石巻市折浜地区には、香取伊豆乃御子神(阿佐比古命)を祀る延喜式内社の香取伊豆乃御子神社が鎮座している。
鹿島天足別命は奥州における大和民族の開拓事業の先駆者・地方開発の祖神として崇敬されており、古くから鹿島御児神社は仙台藩主などの権力者から社領・宝物の寄進や社殿の修築が行われてきた。明治7年(1874年)には村社に列し、大正10年(1921年)には郷社、昭和10年(1935年)には県社に列した。
鹿島御児神社は武神である武甕槌命と天足別命を祀るため、勝利の神として職業繁栄・悪疫除け・鬼門除け・安産の神・海上安全・交通安全祈願の守護神として信仰されている。
境内
- 鳥居・参道
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鹿島御児神社鳥居
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鹿島御児神社参道
- 社殿(拝殿・幣殿・三間社入母屋造の本殿)
- 拝殿は昭和45年に増改築された鉄骨コンクリート製・銅板板葺き入母屋造のもの。木造三間社入母屋造の本殿は東北地方太平洋沖地震により基礎部分や瑞垣に甚大な被害を受けており、2013年中に解体されるという。本殿内陣に納められていた神体や御帳台は、2013年5月現在、幣殿部分に遷座されている。新しい本殿は造営される予定ではあるが、氏子の多くが被災しているため、浄財寄付の協力を呼びかけている。[1]
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鹿島御児神社拝殿
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震災後の鹿島御児神社本殿
土台や瑞垣が地震の被害を受けている -
鹿島御児神社本殿内部
内陣には神体を納めた御帳台があったという
- 境内社
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愛宕神社(左)と八幡神社・稲荷神社(右)
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日和山天満宮
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善海田稲荷神社
- その他に社務所や参集殿、鳥居付近には太平洋や北上川河口・日和大橋を望むことができる展望台などがある。
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鹿島御児神社の展望台からの眺め(2012年1月)
出典
- ^ “本殿御造営の支援金お願いについて”. 鹿島御児神社. 2013年5月8日閲覧。
参考文献
- 『鹿島御児神社由緒記』(鹿島御児神社社務所)