鵲森宮

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鵲森宮

社殿正面
所在地 大阪府大阪市中央区森之宮中央一丁目14-4
位置 北緯34度40分50.8秒 東経135度31分59.9秒 / 北緯34.680778度 東経135.533306度 / 34.680778; 135.533306 (鵲森宮)座標: 北緯34度40分50.8秒 東経135度31分59.9秒 / 北緯34.680778度 東経135.533306度 / 34.680778; 135.533306 (鵲森宮)
主祭神 用明天皇
穴穂部間人皇后
聖徳太子
社格 式内社(小)
府社
創建 崇峻天皇2年(589年
別名 森之宮神社(通称)
地図
鵲森宮の位置(大阪府内)
鵲森宮
鵲森宮
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鵲森宮(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社式内社で、旧社格府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。

祭神

主祭神
奧社

歴史

聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。1098年の難波古地図に天王寺跡や鵲森宮など記載されており四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。

日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという記述がある。その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、ついには当社の社名となったと伝える(「難波の杜」は、他に生國魂神社なども比定地となっている)。

境内社

  • 五幸稲荷社

現地情報

所在地
交通アクセス

外部リンク