青山周平 (オートレース選手)

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青山 周平
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-12-05) 1984年12月5日(39歳)
千葉県市原市
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間2001年 - 2002年, 2004年, 2006年 - 2007年, 2009年
初レース2001年 パシフィックGP 125cc
最終レース2009年 オーストラリアGP 250cc
チームホンダ
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
39 0 1 1 0 228

青山 周平(あおやま しゅうへい、1984年12月5日 - )は、千葉県市原市出身のオートレース選手(元船橋オートレース場所属、2016年4月より伊勢崎オートレース場所属)。

オートレース転向前はロードレースライダーとして活躍し、2003年全日本ロードレース選手権GP125、2005年同GP250クラスでチャンピオンを獲得している。

青山博一は兄。

概要

3歳でポケバイ、10歳でミニバイクに乗り始める。11歳で桶川塾に入門。

2001年より全日本ロードレース選手権GP125に参戦。表彰台1回を含む活躍でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、年間ランキング8位となる。全日本デビュー3年目の2003年には6戦3勝をあげてタイトルを獲得した。

2004年よりGP250クラスへ転向、1勝でランキング2位となりルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する。2005年は有力ライダーの同クラス参戦が減ったことから、ライバル不在といわれるような状況であったとはいえ、7戦6勝2位1回で年間チャンピオンとなった。

2006年よりホンダレーシングスカラーシップ(全日本GP250クラスで、ホンダ車に乗りチャンピオン獲得等の活躍をした22歳以下の選手が対象。期間は2年間)の第3期生として、アルベルト・プーチが率いるレプソル・ホンダよりロードレース世界選手権(250ccクラス)に参戦する。第5戦フランスGPでは初の表彰台(3位)を獲得し、年間ランキング8位でデビューシーズンを終了する。この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

2007年は第15戦日本GPで同選手権初ポールポジションを記録。年間ランキング11位でシーズンを終えた。

2008年よりアルト・エボリューション・ホンダ・レーシングからスーパーバイク世界選手権に参戦したが、年間わずか5ポイントの、シリーズランキング30位という惨憺たる結果に終わった。

2009年シーズンはどのカテゴリのレギュラーシートも獲得することができず、さらに前年所属したチームから渡された契約金の小切手不渡りとなってしまい、周平は自宅の近所にあるラーメン屋「麺や紅丸」でアルバイトをすることになった[1]。そんな中でもレースへの参戦をあきらめず、スポンサー資金を集めてロードレース世界選手権第2戦もてぎ、250ccクラスへのワイルドカード参戦を果たした。古巣のハルクプロから、戦闘力に劣る2002年型のRS250Rでの参戦となったが、決勝では見事6位を獲得。周囲へ健在ぶりをアピールした。これが認められて後に、スペイン選手権のエクストリームクラスと、ロードレース世界選手権250ccクラスの後半4戦を掛け持ちする形で復帰を果たし、250ccクラスでは全戦でポイントを獲得する走りを見せた。

2010年シーズンに向けてMoto2・125ccクラスのチームと交渉し、世界選手権への復帰を模索していたがどのチームとも契約には至らず、2010年2月8日、自身のブログでロードレーサーとしての現役引退を発表し、今後はオートレース選手を目指すことを明かにした[2]6月4日発表の第31期選手候補生第2次試験に特例合格後、第3次試験を経て正式に合格し、9ヶ月間オートレース選手養成所で訓練を受け、2011年7月30日に船橋オートレース場で選手としてデビューした。

オートレース関係者の間ではデビュー前より「10年に1人の逸材」とも言われており、ファンからの注目度も高い。また、下記に示す通り、ルーキーオブザイヤー(最優秀新人選手賞)の獲得歴が多い。

略歴(バイク)

  • 3歳 - ポケバイを始める
  • 10歳 - ミニバイクを始める
  • 2001年 - 全日本ロードレース選手権GP125ランキング8位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(昭和電機RTwithハルクプロ/ホンダRS125R)
  • 2002年 - 全日本ロードレース選手権GP125ラランキング4位(昭和電機RTwithハルクプロ/ホンダRS125R)
ロードレース世界選手権オランダGP25位、イギリスGP10位
  • 2003年 - 全日本ロードレース選手権GP125チャンピオン(3勝:筑波鈴鹿もてぎ/チームハルクプロ/RS125R)
  • 2004年 - 全日本ロードレース選手権ランキング2位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(1勝:SUGO/チームハルクプロ/RS250R)
ロードレース世界選手権GP250 日本グランプリ8位
  • 2005年 - 全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン(6勝:筑波、AP、SUGO、鈴鹿、岡山、もてぎ/プレクサス&ハルクプロ/RS250R)
  • 2006年 - ロードレース世界選手権ランキング8位、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(レプソルホンダ250cc/RS250RW)
  • 2007年 - ロードレース世界選手権ランキング11位(レプソルホンダ250cc/RS250RW)
  • 2008年 - スーパーバイク世界選手権ランキング30位(アルト・エボリューション・ホンダ/CBR1000RR
  • 2009年 - ロードレース世界選手権GP250クラス第2戦・第14-17戦出場 ランキング19位(ハルクプロ→レーシングチームジャーマニー/ホンダ・RS250)
スペイン選手権第4-7戦出場(ブルセンス・BQR/ホンダ)

選手データ(オートレース)

  • 戦歴
    • 通算優勝回数:26回
    • グレードレース(SG,GI,GII,GIII)優勝回数:11回
    • SG優勝回数:1回
    • GI優勝回数:7回
    • GII優勝回数:3回
    • 賞金王:1回
    • 年間最多優勝選手:1回
    • 全国競走成績第1位:1回
  • 受賞歴
    • 優秀選手賞:3回
    • 最優秀新人選手賞:2回
    • 特別賞:1回
    • 第31期選手養成所 最優秀賞
    • 日刊三賞・殊勲賞:1回
    • 日刊三賞・敢闘賞:3回
    • 日本プロスポーツ大賞・新人賞:1回

略歴(オートレース)

  • 2011年 - 7月30日船橋オートレース場でデビューし、初勝利を挙げた[3]。8月には新記録となる「デビュー9連勝」をマーク[4]。9月2日に連勝を「12」まで更新し[5]「デビュー35日目で優勝(史上最速)」「デビュー全勝優勝(史上初)」を果たす。
  • 2012年 - 1月13日、2011年オートレース最優秀新人選手賞を獲得[6]

        12月11日、31期新人王決定戦優勝。

  • 2013年
    • GI第54回スピード王決定戦(浜松オートレース場)優勝。デビュー1年8ヶ月でのGI制覇は最短記録。
    • GIIダブルチャンピオンシップ(飯塚オートレース場)完全優勝。
    • GI第36回黒潮杯(船橋オートレース場)優勝。
    • GI第55回スピード王決定戦(浜松オートレース場)優勝。同タイトル連覇達成。
    • GII第1回ウィナーズカップ(浜松オートレース場)優勝。
  • 2014年
  • 2015年
    • スポーツ報知杯GIIチャレンジカップ(船橋オートレース場)優勝。
    • ラ・ピスタ新橋カップSG第30回スーパースター王座決定戦(川口オートレース場)において、11回目の優出にして念願のSG初優勝を果たす。3枠から0.02の好スタートを決めると、永井大介中村雅人浦田信輔らの追撃を完全に封じ、10周回を危なげなく逃げ切っている。この優勝により賞金3000万円を獲得、2015年の賞金王(8223万1150円)にも輝いた。
  • 2016年

脚注

  1. ^ http://ameblo.jp/shuheiaoyama/archive1-200902.html
  2. ^ http://ameblo.jp/shuheiaoyama/entry-10453415617.html
  3. ^ レース結果 - オートレースネットスタジアム
  4. ^ 青山周平が新記録!デビュー9連勝/船橋 - 日刊スポーツ、2011年8月21日
  5. ^ 13連勝がかかった優勝戦の1度目のスタートがフライングとなったため、連勝記録はこの時点で途絶えた
  6. ^ 最優秀選手賞に浦田 2度目の受賞 - スポニチアネックス2012年1月13日付

関連項目

外部リンク