長島忠美
衆議院議員 長島 忠美 | |
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生年月日 | 1951年1月9日(73歳) |
出身地 | 新潟県古志郡山古志村(現長岡市) |
出身校 | 東洋大学経済学部 |
学位・資格 | 経済学士 |
前職 |
新潟県山古志村長 長岡市復興管理監 |
所属委員会 | 予算委員会 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例北陸信越ブロック |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 自由民主党(伊吹派) |
会館部屋番号 | 衆議院第2議員会館640号室 |
ウェブサイト | 長島忠美公式ホームページ |
長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)、国際ボランティア学生協会特別顧問、東洋大学理事長。
新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)を務めた。
概要
略歴
新潟県古志郡山古志村(現長岡市)生まれ。新潟県立長岡高等学校、東洋大学経済学部卒業。大学卒業後、東京都内で就職するが、後に家業である農業・畜産業を継ぐため、1973年に山古志村に帰郷する。
1990年、山古志村教育委員に就任。1993年に山古志村議会議員選挙に出馬し、初当選。2期目の任期途中で山古志村議を辞職し、2000年に山古志村長選挙に立候補し、当選。2004年の新潟県中越地震では山古志村が甚大な被害を受け、復興に奔走した。2005年、山古志村が長岡市に合併し、山古志村長を自動失職。長岡市復興管理監に就任した。
同年9月、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例北陸信越ブロック単独で出馬し、当選した。2009年4月、母校・東洋大学の第31代理事長に就任。同年の第45回衆議院議員総選挙で再選された。12月に東洋大学理事長に再任される。
新潟県中越地震
山古志村長在任中の2004年10月23日、新潟県中越地震が発生し、山古志村の村民は全員が村外への避難を余儀なくされる。村長の長島が対応に追われ、髭を生やしたまま防災服姿で奔走する姿がテレビでたびたび報じられ、話題になった。
震災後、山古志村民は長岡市内の仮設住宅に居住し、長島も仮設住宅に住んでいたが、2007年12月31日をもって退去し、山古志村へ戻った。長島は、村民の中で仮設住宅から村へ戻る最後の1人になると決めていたためだった。
その後は各地で開催される防災関連の行事や講演会、シンポジウムに参加し、中越地震の際の経験を語りながら、災害対策に関する提言を行っている。
人物
- 山古志村での家業は虫亀地区で代々続く農業で、牛を飼育し畜産業も営んでいるほか、民宿も経営している。
- スパーク3人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)が、中越地震の被災者に対し、自立支援を目的に田畑を利用して米を植える際、長島家が土地を提供した。
著書
- (石川拓治・長島忠美)「国会議員村長―私、山古志から来た長島です」 2007年11月 小学館 ISBN 4093877491
所属議員連盟
外部リンク
- 長島忠美公式ホームページ
- 長島忠美(自由民主党)
- 東洋大学
- 理事長メッセージ(2009年4月5日閲覧)