金玉仙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。そらみみ (会話 | 投稿記録) による 2022年11月7日 (月) 02:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (女性であるため、カテゴリ移動)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

金 玉仙(キム・オクソン、朝鮮語: 김옥선1934年4月2日 - )は、韓国の女性政治家教育家社会活動家キリスト教指導者[1]。第7・9・12代国会議員。異石(イソク、이석)。本貫光山金氏キリスト教徒[2]

経歴

日本統治時代の忠清南道舒川郡出身。1男3女の末っ子だが、兄は朝鮮人徴用で亡くなった後、息子想いの母親に男装を着用させて育てられたため、普段はワイシャツネクタイなどの男装を着用している[1]貞信女子高校中央大学校政治学科卒、同大学院政治学博士課程、延世大学校経営大学院最高経営者課程修了。東京大学客員研究員東京聖書学院1年修了。セント・チャールズ大学法学博士[2]

19歳の時に社会運動を始め、故郷にエベン・エゼル母子園を設立し、朝鮮戦争未亡人孤児の救済を行った。1955年には故郷の長項で正義女中を、1959年には正義女高をそれぞれ設立し、教育事業にも参入した。特に離島忠清南道保寧市元山島にも中学校を設立した[1]

第7代総選挙補選で政界入りした[2]1973年第9代総選挙で国会復帰後に国会農水産委員、新民党の政務委員・党紀委員長を務めたが、1975年の対政府質問で大統領朴正煕を「独裁者の朴」と呼び、維新体制を「生まれてはならない政権」と呼んだため、一部の発言は速記録から削除された上、国会議員職のみならず公民権も10年間剥奪された(金玉仙波動[1]1984年に解禁され、翌年の第12代総選挙で3回目の当選を果たした後、新韓民主党の宣伝分科委員長・副総裁政務委員を務めた。1992年の大統領選挙1995年ソウル特別市長選挙では無所属で立候補したがいずれも落選した後、2002年の大統領選挙で立候補を表明したものの、諦めて政界を引退した[1]

他には社団法人忠・孝・礼常任顧問、キリスト教世界信徒連盟総裁、社団法人韓国身体障害者福祉会常任顧問、国家経営研究院理事長、大韓民国憲政会顧問、松竹学園(正義女中・高の運営団体)理事長、ウリギョレ党(仮称)の創立準備委員長などを務めた[3][2]

脚注

  1. ^ a b c d e 어떻게 지내십니까 남장 여성정치인 김옥선 前의원” (朝鮮語). 서울신문 (2007年10月19日). 2022年8月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年8月7日閲覧。
  3. ^ 정의여고 폐교되나?” (朝鮮語). 뉴스서천 (2003年2月13日). 2022年8月7日閲覧。