第7代総選挙 (大韓民国)

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第7代総選
Seoul Metropolitan Council1.JPG
1975年まで国会議事堂庁舎として使用されていた建物(1935年京城府民館として建設された)。現在はソウル特別市議会の議会庁舎として使用。
各種表記
ハングル 제7대 총선
漢字 第七代總選
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第7代総選挙(だい7だいそうせんきょ)は、大韓民国国会の議員を選出するため1967年6月に行なわれた、第三共和国時代の韓国における国政選挙である。韓国では「第○回」ではなく「第○代」と選挙回数を数える。また、名称も「総選挙」(총선거)ではなく、「総選」(총선)と呼ぶのが一般的である。

基礎データ[編集]

地域区(小選挙区制):131議席
全国区(比例代表制):44議席
  • 議員任期:4年
  • 選挙制度小選挙区比例代表並立制。有権者は地域区の候補者にのみ投票(記号式)、全国区は地域区で獲得した得票率に応じて各党に配分(詳細は第6代総選挙に書いているので、本稿では省略する)。無所属候補の立候補は禁止。
  • 選挙人数:14,717,354名

選挙結果[編集]

投票者数:11,202,317名
有効票数:10,856,008票

出典:韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より引用

党派別得票数と議席数
政党名 得票数 地域区 全国区 合計
民主共和党(민주공화당 5,494,922 50.6 102 27 129 73.7
新民党신민당 3,554,224 32.7 28 17 45 25.7
大衆党대중당 249,561 2.3 1 0 1 0.6
その他の政党 1,557,301 14.4 0 0 0 0.0
合計 10,856,008 131 44 175
出典:金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳(三一書房)238頁“(表8-4)第6・7・8代国会議員総選挙”。得票数はアジア経済研究所『「アジア動向年報」1972年版』と大韓民国国会ホームページの「政党別議席数及び得票現況」から。なお議席を獲得出来なかった政党(自由党・民主党・韓国独立党など8党)の得票については「その他の政党」として合算して掲載。
市道別地域区選挙結果
市・道 定数 共和 新民 大衆
合計 131 102 28 1
ソウル特別市 14 1 13 0
釜山直轄市 7 2 5 0
京畿道 13 10 3 0
江原道 9 8 1 0
忠清北道 8 8 0 0
忠清南道 13 12 1 0
全羅北道 11 11 0 0
全羅南道 19 16 2 1
慶尚北道 20 18 2 0
慶尚南道 15 14 1 0
済州道 2 2 0 0
出典:『「アジア動向年報」1972年版』58頁 参考資料5「国会議員選挙結果」(1)地域区結果

解説[編集]

11政党の候補が立候補したが、第3党の当選者は大衆党の1名のみで、民主共和党(共和党)と新民党の二大政党が殆どの議席を占める結果となった。この選挙で共和党は、憲法改正[1]を単独で実施するために必要な3分の2議席を確保するために、事前不正票や票の売買・脅迫投票などの不正行為[2]を行ない3分の2を優に上回る議席を得た。対する野党・新民党は都市部では優位に立ったが、農山村部では軒並み共和党に敗北する結果となった。この不正選挙に対し学生達が抗議するデモを行なうと、朴正熙は共和党の議席を一つ新民党に引き渡すことを指示し、6名の共和党議員に不正選挙の責任をとらせ、党が除名する措置をとった[3]。また新民党は再選挙を求め、国会への登院を拒否する事態となった。そのため、与党共和党は単独国会開催を決め、7月10日に国会を召集した。そして、単独国会を合法化するために共和党内の国会議員13名を理由をつけて離党させ、無所属の院内交渉団体を結成することで御用野党をつくったが、10月5日に院内交渉団体として登録されたことから「10・5倶楽部」(십오구락부)との名称がつけられた。

その後、11月6日に与野党全権代表者会談を開催し、(1)朴大統領の鎮海発言[4]によって不正選挙の事実を認め、謝罪したものとみなす、(2)不正選挙区の再選挙や関係者の引責問題は特別委員会で審議する、(3)単独国会は既成事実として、その国会で処理された案件は特別国政監査を持って追認、(4)選挙不正の再発防止のための保障立法を行なうこと等で合意し、11月29日に新民党所属の国会議員は国会に登院した。

女性当選者3人(地域区1人/全国区2人)[5]
党派 合計 地域区 全国区
民主共和党 1 0 1
新民党 2 1 1
合計 3 1 2
女性議員比率1.7%

脚注[編集]

  1. ^ 当時の大韓民国憲法では大統領の再選は1回のみ認められており(3選禁止)、朴正熙は任期が切れる1971年には、大統領の座を去らねばならなかったが、それを避けるために、3選が可能なように改憲をしようとしていた(三選改憲)。
  2. ^ 史上最悪의不正選擧 野黨6・8總選을糾弾彈(史上最悪の不正選挙 野党6・8総選を糾弾)東亜日報1967年6月9日付1面 (PDF)난장판 無法・・・暴力에짓밟힌公明選擧(乱場 無法・・・暴力に踏みにじられた公明選挙)前掲3面 (PDF) 、不正選挙について糾弾する記事が掲載されている。
  3. ^ 金容権編著『朝鮮韓国近現代史』日本評論社、439頁“6・8総選挙(第7代総選挙)”の解説より
  4. ^ 1967年8月1日、休養先の鎮海で記者会見を行なった朴大統領が六・八総選挙の不正について「その原因がどこにあるにせよ、遺憾に思う」と発言した。
  5. ^ 春木育美『現代韓国と女性』新幹社、158頁“表5-1「歴代女性国会議員数」”、166頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 新聞記事
第七代国会議員当選者一覧①(東亜日報1967年6月10日付4面)
第七代国会議員当選者一覧②(東亜日報1967年6月10日付5面)