郷目貞繁
郷目 貞繁(ごうのめ さだしげ、生没年不詳)は、戦国時代の武人画家。右京進または河内[1]と称する。
概要
寒河江氏の家臣で、物頭を務めたという。1520年(永正17年)6月に伊達稙宗が、最上領の出羽高擶城を攻めた際、捕虜の中に寒河江氏の家臣が7名おり、その内の一人として「郷目右京進」の名が見出だせるのが文献上の初例である(『稙宗記』)。その5年後釈放され、その後の消息はよくわからないが、絵の修業のため5,6年ほど京に上ったとも考えられる。寒河江氏の家臣の傍ら[2]、絵師となって作品を残した。
一般に武人画家は、水墨画の作品が多く画域も狭いのが一般的であるが、貞繁は人物・山水・花鳥・仏画など画題が豊富、写実的で着色画も描いている。作品からは、夏珪風の宋元画法や雪舟流など幅広い古典画学習の成果が窺われ、単なる地方画家ではなく、京に上って本格的に画技を身に付けた形跡が窺える。遺作は故郷の山形県を中心に、20数点残っている。
代表作
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 所有者 | 年代 | 落款 | 備考 |
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瀟湘八景図 | 紙本墨画淡彩 | 1巻 | 個人蔵 | 1529年(享禄2年) | 江目右京貞繁(花押) | 山形県指定文化財(絵画) |
釈迦出山之図 | 絹本著色 | 3幅対 | 個人蔵 | 1537年(天文6年) | 3幅各々に款記「大江末葉郷目貞繁」、印章「江目」壺形朱文印 | 山形県指定文化財(絵画) |
神馬図絵馬 | 板絵貼著色 | 2面 | 慈恩寺(寒河江市) | 1558年(永禄元年)4月5日 | □目右京進貞繁 | 寒河江市指定文化財 |
神馬図絵馬 | 板絵著色 | 1面 | 若松寺(天童市) | 1563年(永禄6年)9月13日 | 寒河江内郷目右京進貞繁(花押) | 重要文化財。絵馬左上の墨書から、貞繁自身が妻女の菩提を弔うため奉納した事が判明する。 |
羅漢図 | 紙本著色 | 2幅 | 法体寺(天童市) | 印章「江目」壺形朱文印 | 寒河江市の長泉寺にも同様の羅漢図が1幅あり(市文)、元は「十六羅漢図」16幅で一具を成していたと考えられる。 |
脚注
参考文献
- 展覧会図録
- 史料集
- 寒河江市市史編さん委員会 『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』、2001年
関連項目
- 雪村 - 同時代の東国で活躍した武家出身の画僧。貞繁と比較される事もあるが、両者に直接の繋がりは認められない。