郡山町 (鹿児島県)
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(郡山村から転送)
こおりやまちょう 郡山町 | |||||
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廃止日 | 2004年11月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 喜入町、吉田町、桜島町、松元町、郡山町 → 鹿児島市 | ||||
現在の自治体 | 鹿児島市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
郡 | 日置郡 | ||||
市町村コード | 46365-5 | ||||
面積 | 57.75 km2 | ||||
総人口 |
8,307人 (推計人口、2004年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 鹿児島市、薩摩川内市、日置郡東市来町、伊集院町、鹿児島郡吉田町、姶良郡蒲生町 | ||||
町の木 | イヌマキ | ||||
町の花 | カンナ | ||||
郡山町役場 | |||||
所在地 |
〒891-1192 鹿児島県日置郡郡山町郡山141番地 | ||||
外部リンク | 鹿児島市 | ||||
座標 | 北緯31度40分51秒 東経130度28分43秒 / 北緯31.68086度 東経130.47869度座標: 北緯31度40分51秒 東経130度28分43秒 / 北緯31.68086度 東経130.47869度 | ||||
特記事項 | 町役場のデータは鹿児島市役所郡山支所のもの | ||||
ウィキプロジェクト |
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い郡山郷(外城)の区域を以て郡山村として発足[1]。1956年9月30日に下伊集院村大字有屋田及び大字嶽を編入し[2]、同時に町制施行[3][4]。2004年11月1日、鹿児島市に編入され、自治体としては消滅した[5]。
地理
[編集]薩摩半島の中部に位置しており、町の中央部を北部にある甲突池を源流とする甲突川、西部を神之川、東部を川田川(甲突川支流)が流れ、流域に集落をそれぞれ形成している。
また北部は山岳地帯となっており、八重山をはじめとする500m級の山々が連なっている[6]。
大字
[編集]郡山町は2004年の鹿児島市編入の際には郡山、西俣、東俣、川田、油須木、厚地、有屋田、嶽の8大字から構成されていた。そのうち有屋田及び嶽の区域は1956年に下伊集院村の一部から分割された区域にあたる。
これらは現在の鹿児島市郡山町・西俣町・東俣町・川田町・油須木町・花尾町(旧大字厚地)・有屋田町・郡山岳町(旧大字嶽)にあたる。
→「鹿児島市の町丁 § 平成の大合併による5町編入」も参照
歴史
[編集]→「鹿児島市の行政区域の変遷」も参照
- 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、日置郡郡山村・西俣村・東俣村・川田村・油須木村・厚地村の区域より郡山村として成立[1]。
- 1954年3月14日 - 「市町村合併に関する賛否投票」で、有効投票の87%が鹿児島市との合併に賛成[7]。
- 1954年3月15日 - 臨時村議会に於いて満場一致で鹿児島市への編入を議決[7]。
- 1954年3月16日 - 村長及び正副議長、正副市合併特別委員長が、鹿児島市長及び同市議会議長に編入申し入れ[7]。
- 1956年9月30日 - 下伊集院村の一部(有屋田・嶽)を編入し、町制施行し、郡山町となる[4]。
- 2002年12月11日 - 町議会に於いて鹿児島地区合併協議会設置議案を全会一致で可決。
- 2003年1月24日 - 鹿児島地区合併協議会設置[8]。
- 2004年11月1日 - 鹿児島郡吉田町・桜島町、日置郡松元町、揖宿郡喜入町と共に鹿児島市に編入され廃止[5]。
学校
[編集]高等学校
[編集]-
鹿児島県立甲陵高等学校
中学校
[編集]小学校
[編集]太字の学校は標準服がある。
交通
[編集]道路
[編集]- 国道
- 主要地方道
- 一般県道
路線バス
[編集]名所・旧跡
[編集]- 花尾神社
- 川田堂園供養塔群
- 八重山公園
- 八重山甲突池
- 郡山温泉郷
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 郡山郷土史編纂委員会『郡山郷土誌』鹿児島市教育委員会、2006年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。