軍配
軍配(ぐんばい)とは、かつて武将が戦の指揮に用いたうちわ形の道具。現在では相撲の行司が力士の立ち合いや勝負の判定を指示するのに用いる道具として知られている。
軍配団扇(ぐんばいうちわ)の略であり、本来「軍配」とは、戦に際して方角を見極め、天文を読んで軍陣を適切に配置する意。軍配を行う者を軍配者という。
概要
室町末期以降、合戦の指揮官(大将)が采配を振る際に捧持する光景が見られるようになる。古くから軍兵の指揮を執るときは、総(ふさ)に柄(え)を付けた「采配」という道具が用いられたが、早くから実用性は薄く、もっぱら威儀を整えるために使用されるのみであった。室町期に入り集団戦術の隆盛に伴って、団扇に方位・方角や十二支、陰陽・天文・八卦、二十八宿、梵字などを箔押しした軍配団扇が好んで用いられるようになり、武将や軍師の肖像にも多く描かれたものが残っている。当時の軍配者にとって、合戦の勝敗は本人のみならず一族の盛衰にもかかわる重大事であり、出陣の日取りや方角で吉凶を占い、天文を観察して未来を予測することは軍配者の大きな役割であった。団扇は古くから悪鬼を払い、霊威を呼び寄せるという意味合いで、神事などにも用いられてきたものである。
その形状は、円形、瓢箪(ひょうたん)形、楕円形などの板に柄(え)を付けたもので、羽に相当する板は漆(うるし)塗りの革や木、鉄製で、柄は鉄製の物が多く見られる。江戸時代以降は兵法軍学の隆興とともに流派ごとの形式化が進み、もっぱら儀容を繕うための装具として重みを増していったが、江戸末期の西洋軍学流入によって実用に供されることはなくなった。
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銀覆輪軍配(新庄藩戸沢家伝来)
相撲の軍配
現在、軍配といえば相撲の行司が使用することで広く知られている。立合いの際には、まず軍配で両者を割り、立ち上がる瞬間にこれを上げる。また勝敗が決するときに勝者の側へ向けて軍配を上げる。相撲に軍配が使われるようになった所以は、戦国時代、武士たちが陣中で相撲を取るときに、行司役の武将が勝敗を裁定する道具として使ったからであるという説がある。江戸時代、勧進相撲が始まった初期は扇子や唐団扇などが用いられていたが、元禄期に入って、それらのかわりに軍配が使われるようになった。相撲の軍配は樫、ケヤキなどで作られ、枠に金属を嵌め、柄は鉄製や木製などが使われた。
なお、勝負が決まったときに軍配を上げることから、一般にも勝利することを「軍配が上がる」、あるいは勝者と認めることを「軍配を上げる」というようになった。
流用
生物学の分野では、軍配団扇のような、左右に広がっていて、先端部が丸みを帯び、先端部の中央がくぼんでんでいる形状を、軍配形と呼ぶことがある。以下はそれに拠って命名された種の例である。
家紋
軍配団扇・唐団扇(ぐんばいうちわ・とううちわ〈からうちわ〉)は日本の家紋「団扇紋」の一種である。
死者をよみがえらせる神通力を持つとされる鍾離権(しょう りけん・道教の八仙の一人)の持ち物であり、軍神として信仰されていた摩利支天の持ち物であることから家紋に使用された。初見は『源平盛衰記』の児玉党が使用した旗指物の記述である。