賀陽宮恒憲王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。かももはし (会話 | 投稿記録) による 2011年10月21日 (金) 05:34個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

賀陽宮恒憲王
賀陽恒憲

身位 皇籍離脱
敬称 殿下→皇籍離脱
His Imperial Highness
出生 1900年1月27日
京都府京都市
死去 1978年1月3日
埋葬 豊島岡墓地
配偶者 九条敏子
子女 邦寿王
美智子女王
治憲王
章憲王
文憲王
宗憲王
健憲王
父親 賀陽宮邦憲王
母親 邦憲王妃好子
テンプレートを表示
賀陽宮恒憲王
賀陽宮恒憲王
生誕 1900年1月27日
死没 (1978-01-03) 1978年1月3日(77歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1920 - 1945
最終階級 陸軍中将
指揮 軍事参議官
由良要塞司令官
第43師団
近衛混成旅団長
騎兵第2旅団
騎兵第16連隊長
騎兵第10連隊長
戦闘 第二次世界大戦
除隊後 日清生命社友会会長など
テンプレートを表示

賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう、1900年明治33年)1月27日 - 1978年昭和53年)1月3日)は日本の元皇族陸軍軍人である。神宮祭主賀陽宮邦憲王第1王子。官位は陸軍大学校陸軍中将大勲位功三級に昇る。身長は180センチを超える偉丈夫であった。妃は九条道実公爵の五女敏子

概要

王は軍人として陸軍中将に昇り東京・名古屋の各部隊の師団長や、陸軍大学校長などを歴任し早くから大戦終結の聖断を昭和天皇に求めた。また、終戦が決まると皇族の臣籍降下も主張した。1947年(昭和22年)10月14日臣籍降下しその3日後には区役所にて住民手続きし賀陽恒憲となる。「平民的な宮様」として国民に慕われ、生活ぶりは質素であった。他方「野球の宮様」とも称され、1934年(昭和9年)にはアメリカニューヨークヤンキー・スタジアムで試合を観戦した。終戦後、御歌所長を務めた後日清生命社友会会長などの公職を歴任した。 王の邸宅はかつて閑院宮載仁親王久邇宮邦彦王が居住していたが、後に千鳥ヶ淵戦没者墓苑となった。

血縁

第3王子章憲王の子である賀陽正憲は民間企業勤務の後宮内庁に入庁、現在外務省に出向し駐デンマーク大使館一等書記官を務めた。今上天皇成婚時、テレビ出演をする。また、皇太子徳仁親王の同級生で御学友であった。

略年表

1900年(明治33年)1月27日 誕生
1920年(大正9年)1月 貴族院議員(皇族議員)
1920年(大正9年)5月 陸軍士官学校卒業(32期)
1920年(大正9年)12月 陸軍騎兵少尉・騎兵第10連隊付
1921年(大正10年)1月 騎兵第1連隊付
1921年(大正10年)5月3日 九条敏子と成婚
1923年(大正12年)7月29日 美智子女王誕生
1923年(大正12年)8月 陸軍騎兵中尉・騎兵第1連隊付
1926年(大正15年)7月 陸軍騎兵大尉
1926年(大正15年)7月3日 治憲王誕生
1926年(大正15年)12月 陸軍大学校卒業(38期)
1927年(昭和2年)3月 騎兵第3連隊中隊長
1928年(昭和3年)3月 参謀本部付勤務
1928年(昭和3年)8月 参謀本部部員
1929年(昭和4年)8月17日 章憲王誕生
1931年(昭和6年)7月12日 文憲王誕生
1931年(昭和6年)8月 陸軍騎兵少佐
1932年(昭和7年)11月 陸軍大学校教官
1934年(昭和9年)3月 欧米出張
1935年(昭和10年)3月 陸軍騎兵中佐
1935年(昭和10年)8月1日 騎兵第10連隊長
1935年(昭和10年)11月24日 宗憲王誕生
1936年(昭和11年)12月1日 騎兵第16連隊長
1937年(昭和12年)11月1日 陸軍大学校教官
1938年(昭和13年)3月1日 陸軍騎兵大佐
1938年(昭和13年)7月15日 中支那派遣軍参謀
1939年(昭和14年)6月15日 参謀本部員
1939年(昭和14年)7月5日 大本営参謀
1940年(昭和15年)12月2日 陸軍少将・騎兵第2旅団
1941年(昭和16年)7月1日 近衛混成旅団長
1942年(昭和17年)3月2日 陸軍戸山学校
1942年(昭和17年)8月5日 建憲王誕生
1943年(昭和18年)3月1日 陸軍中将・留守第3師団
1943年(昭和18年)6月10日 第43師団
1944年(昭和19年)4月6日 留守近衛第2師団長
1944年(昭和19年)7月18日 陸軍航空総監部
1945年(昭和20年)3月9日 陸軍大学校長
1945年(昭和20年)9月16日 軍事参議官
1945年(昭和20年)11月16日 待命
1945年(昭和20年)11月30日 予備役・掌典長御歌所
1946年(昭和21年)2月 免掌典長兼御歌所長
1946年(昭和21年)5月 免貴族院議員
1947年(昭和22年)10月14日 皇籍離脱
1978年(昭和53年)1月3日 死去

外部リンク