自力救済

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自力救済(じりょくきゅうさい、: self-help: Selbsthilfe)は、民事法の概念で、何らかの権利を侵害された者が、司法手続によらず実力をもって権利回復をはたすことをいう。刑事法自救行為(じきゅうこうい)、国際法自助復仇がこれに該当する。これを規定した条文はないが、現代の民事法では例外を除き禁止されている。マンションなど不動産の賃貸借において言及される例が多い。

概説

たとえば、自転車が盗まれて犯人と自転車の所在が分かっているとき、この自転車を奪い返す行為は自力救済にあたり罰せられる。こうした自力救済を容認すると、力が正義ということになり、実力行使を請け負う私的機関がはびこって社会秩序の維持が難しくなるためである。近代化にともない、権利のあるなしの判断や執行は裁判所によってなされるべきとされ、私人の介入を排した。

司法制度が不十分な近代以前には、侵害された権利を回復するために実力に訴えざるをえなかった(たとえば、古ゲルマン法フェーデ)。しかし自力救済は裁判所による煩雑な手続きよりも迅速に問題を解決させることができる側面も有している。そこで現代の法にあっては、例外規定を設けつつ自力救済を禁止する傾向が一般的である。その例外の広さはまちまちで、コモン・ロー[1]の民事法では自力救済の制限は緩やかで、国際法上は厳しく運用される。

日本法の歴史では、古代から自力救済が行われていたと考えられ、律令制において裁判制度が整備された後も一定の範疇で自力救済が行われていた(『雑令』では少額の債権に関する自力救済を認める規定もある)。更に律令法には判決に関する強制執行の規定がなく、国家権力に関する救済は十分でなかったと考えられている。中世に入ると、国家が社会の全ての集団や構成員を掌握している訳ではなく、その法を強制するだけの権力も無かった。そのため、紛争解決のために当事者に関わる血縁的・地縁的・職能的集団などの社会集団が武力を伴う実力行使によって権利の保全が行われる自力救済が社会的にも正当な行為とされた。勿論、武家法公家法による裁判による解決方法もあったが、判決を執行させるのは最終的には判決と言う法的裏付けによって保証された実力行使であった。近世社会の成立以前において、自力救済は武士以外の階級にも広範に認められていたと考えられている[2]が、戦国大名の分国法に多く見出される喧嘩両成敗法や裁判中の中間狼藉の禁止、故戦防戦法の導入、差押えに対する領主の許可制などはこのような私的刑罰権を制限していったと考えられている。もっとも、民間の自力救済には慣習法的な制約があり、在地裁判や中人(近隣からの仲裁)による話し合いによる解決策によって実力行使の回避が図られ、殺人犯などの引き渡しの作法や、自力救済を巡る合戦の際には一定のルールが定められるなど、実力行使による自力救済が限りない暴力と報復の連鎖を生みださない知恵も図られている。

豊臣政権及び続く江戸幕府は自力救済を抑制して公儀による裁判で解決させる方針を原則とした。武家法における仇討ちは自身の尊属および主人の敵を討つ場合にのみ認められ(公事方御定書により規定される)、仇討ちの際にはしかるべき届け出が必要とされた。また江戸時代の身分制社会では無礼討ち(幕末の生麦事件を参照)が存在し、1742年の公事方御定書においても成文として取り込まれている。これはむしろ近世以後に一般化し、18世紀以降不文律として定着していったようである。明治政府においては1868年の仮刑律では尊属を殺害した者に対する復讐は罰しないこととし、官に届け出さえすれば復讐は可能であった。しかし1873年には太政官布告により復讐は禁止させられ(この年の2月に「仇討禁止令」)、以後私的刑罰権は否定され、公刑主義が貫かれている。

規定・学説・判例

民法のなかで自力救済を規定した条文は存在しない。しかし通説・判例は原則禁止の姿勢をとっている。法律構成としては、占有訴権について定めた民法202条第2項を適用する。どのように入手されたものでも(盗んだものであっても)ひとたび占有された以上占有権が発生し、それを自力で奪い返すと占有権侵害となって不法行為により損害賠償請求権などが相手側に発生する。原則、これを取り戻すためには法的根拠と司法手続が必要となる。

例外規定についての条項もないが、学説では自力救済に関するドイツ民法[3]を参考に論じている。判例もこれを受け、1965年の最高裁判決では、当該事件そのものについては自力救済にあたるとして棄却したものの、一般論として「力の行使は原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能または著しく困難であると認められ緊急やむをえない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許される」と述べた[4]。しかし判決として自力救済を容認した例はほとんどない。

おもな判例

アパートの家主が賃料不払いを理由に玄関の鍵を交換したことが自力救済となって損害賠償を認められた例
東京地裁平成16年6月2日判決。アパートの家主は店子とその部下[5]が家賃を払わないことを理由に賃貸借契約を解除した。この解除は有効と認めた。しかし店子がそのアパートで行っていた事業に支障が生じ、損害を受けたとして賠償を請求し、それを認めた。いわく、部下は身柄を拘束されており、賃料不払いや契約の解除を知らず、そこで鍵を交換され、店子はアパート室内の書類などを持ち出す猶予も与えられなかった。これは占有権の侵害および自力救済にあたるとして、裁判所は家主に損害賠償を命じた。
自力救済の例外を認めた例
横浜地裁昭和63年2月4日判決。マンションの目の前に自動車が3ヶ月間停めっぱなしの状態にあり、ある住人が再三にわたり督促したものの名義人は意図的に車を移動させなかった。故意に置きっぱなしにしてあると判断し、しびれを切らした住人が車を処分したところ、その所有者が損害賠償請求の訴えをおこした。裁判所は「やむを得ない特別の事情」があるとして損害賠償請求を認めなかった。

国税滞納処分

国税の徴収には大量性・反復性があり、徴収のために煩雑な手続を要するとすれば、効率的な行政の執行を妨げるおそれがある。そのため、その徴収にあたっては国税徴収法により、私債権の実現には許されない自力執行権の手段として、滞納処分の手続きが認められている。

税務署長ほか国税徴収の事務に従事する公務員(徴収職員)、または国税の滞納処分の例による処分を許されている公租公課の徴収に従事する公務員(地方税法における徴税吏員など)は、滞納税について滞納者の財産を強制的に差し押さえ、換価することにより、にかかる債権を履行させる権限を有している。

脚注

  1. ^ イギリスアメリカなどの判例法重視の法体系。
  2. ^ むしろ、日本の戦国時代には戦乱による政府の権威低下と法そのものの不備により法的救済に対する信頼が失墜して、村落レベルから大名などの領主レベルまで実力行使による自力救済が法的救済に代わって行われていたとすら考えられている。
  3. ^ ドイツ民法229条および859条。
  4. ^ 後掲判例最判昭和40年12月7日。
  5. ^ 実際は部下がアパートを使用して業務にあたっており、店子は部下が身柄を拘束された等の事情を知らなかった。

参考文献

  • 『世界大百科事典 第2版』CD-ROM版、日外アソシエーツ、2004年。
  • 加藤雅信「新民法大系1 民法総則 第2版」有斐閣、2005年。 ISBN 4-641-13395-6
  • 判例:最判昭和40年12月7日昭和38(オ)1236号事件 判決PDF
  • 牧英正「自力救済」(『国史大辞典 7』(吉川弘文館、1986年) ISBN 978-4-642-00507-4
  • 酒井紀美「自力救済」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年)ISBN 978-4-095-23002-3

関連項目