第15即応機動連隊

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第15普通科連隊
第2中隊
創設 1954年(昭和29年)9月
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位 連隊
兵科 普通科
人員 約650名
所在地 香川県 善通寺市
編成地 善通寺
標語 今に即応し、将来に備えた部隊たれ
補充担任 中部方面混成団
上級単位 第14旅団
担当地域 香川県および徳島県の一部
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第15普通科連隊(だいじゅうごふつうかれんたい、JGSDF 15th Infantry Regiment(Light))は、香川県善通寺市善通寺駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第14旅団隷下の普通科連隊(軽)である。主に訓練は国分台演習場や饗庭野演習場および日本原演習場で実施する。部隊符号は15iR

現在、即応機動連隊への改編が決定している部隊の一つである。

沿革

  • 1954年昭和29年)9月:第3管区隊隷下部隊として、第9連隊第2大隊を基幹に善通寺で編成完結。善通寺所在であった第9連隊は、旭川に移駐[1]
  • 1962年(昭和37年)1月18日第13師団編成に伴い、その隷下で再編
  • 1981年昭和56年)3月25日:第2混成団の創設とともに同混成団隷下に移管[2]
  • 2005年平成17年)3月:第50普通科連隊準備隊を設置
  • 2006年(平成18年)3月27日:第14旅団編成に伴い、その隷下となる。第4中隊を廃止。重迫撃砲中隊を重迫撃砲小隊へ縮小し本管中隷下へ移行。準備隊を元に、第50普通科連隊を分離・新編。
  • 2016年 (平成28年) 3月:連隊本部に即応機動連隊準備隊を設置予定。
LIC訓練を行う隊員(2007年)

部隊編成

主要幹部

第15普通科連隊旗
官職名 階級 氏名 補職発令日 前職
第15普通科連隊長 1等陸佐 新田幸司 2015年08月01日 陸上自衛隊幹部学校
歴代の第15普通科連隊長
(1等陸佐)
氏名 在職期間 前職 後職
01 三好鹿雄 1954年09月10日 - 1955年11月15日 第4管区総監部付
02 肱岡直 1955年11月16日 - 1961年02月28日 自衛隊鹿児島地方連絡部
03 花見侃 1961年03月01日 - 1963年07月31日 陸上幕僚監部第1部総括班長 第6師団司令部幕僚長
04 服部実 1963年08月01日 - 1965年07月15日 陸上幕僚監部付 防衛研修所所員
05 大元重夫 1965年07月16日 - 1967年07月16日 陸上幕僚監部付 第1師団司令部幕僚長
06 森肇雄 1967年07月17日 - 1969年03月16日 陸上幕僚監部第4部後方計画班長 陸上自衛隊幹部学校学校教官
07 松田弘 1969年03月17日 - 1971年03月15日 第2教育団本部訓練科長 陸上自衛隊幹部学校学校教官
08 細見茂 1971年03月16日 - 1973年07月15日 第10師団司令部第2部長 中部方面総監部総務課長
09 萱島一正 1973年07月16日 - 1975年07月15日 第7師団司令部第3部長 陸上自衛隊幹部学校学校教官
10 白籏道弘 1975年07月16日 - 1978年03月15日 統合幕僚学校学校教官 東部方面総監部勤務
11 品川和信 1978年03月16日 - 1979年07月31日 陸上自衛隊少年工科学校総務部長 陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長
12 川口潔 1979年08月01日 - 1982年03月15日 日本原駐とん地業務隊 自衛隊島根地方連絡部
13 重松純一 1982年03月16日 - 1984年03月15日 北部方面総監部人事部人事課長 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長
14 稲井淳一 1984年03月16日 - 1986年07月31日 対馬警備隊
対馬駐屯地司令
陸上自衛隊少年工科学校生徒隊長
15 久野幸則 1986年08月01日 - 1989年07月31日 東部方面総監部防衛部防衛課長 西部方面総監部調査部長
16 作道光男 1989年08月01日 - 1991年06月30日 第7師団司令部第3部長 陸上幕僚監部監理部総務課
広報室長
17 坪井英三 1991年07月01日 - 1994年07月31日 中部方面総監部人事部人事課長 富士教導団副団長
18 村山文彦 1994年08月01日 - 1997年07月31日 第8師団司令部第3部長 自衛隊山口地方連絡部
19 大野康則 1997年08月01日 - 2000年07月31日 第7師団司令部第3部長 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部
主任研究開発官
20 上野恵 2000年08月01日 - 2003年03月31日 陸上自衛隊富士学校普通科部
主任教官
第13旅団司令部幕僚長
21 桑添次男 2003年04月01日 - 2006年03月26日 陸上自衛隊補給統制本部総務部
人事課長
陸上自衛隊関西補給処総務部長
22 廣塚雅史 2006年03月27日 - 2007年12月02日 第7師団司令部第4部長 統合幕僚学校教育課教育管理班長
23 井手正 2007年12月03日 - 2010年03月31日 統合幕僚学校教育課教育管理班長 防衛大学校教授
24 中村信也 2010年04月01日 - 2012年03月31日 陸上自衛隊幹部学校勤務 統合幕僚監部指揮通信システム部
指揮通信システム運用課
コンピュータ・システム
共通運用基盤管理室長
25 上田寛孝 2012年04月01日 - 2013年11月30日 東部方面総監部総務部広報室長 自衛隊体育学校総務課長
26 菅野武彦 2013年12月01日 - 2015年07月31日 情報本部勤務 北関東防衛局防衛補佐官
27 新田幸司 2015年08月01日 - 陸上自衛隊幹部学校付

主要装備

特記事項

混成団から旅団に移行する直前においては、全国の部隊から四国出身者を呼び戻して所属していた影響で各中隊の所属人員が中隊規模を遥かに上回る最大250名程度まで増大していた(10名の小銃班を4個隷下に持つ4個小銃小隊、迫撃砲小隊は8個分隊編成等という事実上のフル化編成)

即応機動連隊への改編

模擬戦の為に第2中隊に一時的に配備された96WAPC

中期防により第14旅団の機動旅団化に合わせて、連隊本部にWAPC2両が配備された。これは正式なものではなく、各中隊の慣熟訓練のため、旅団内の第14戦車中隊および第14後方支援隊から一時的に管理替えした車両で、重機関銃装備のB型である[3][4]。平成28年度より導入されるWAPCは、他の普通科連隊同様に40mm自動てき弾を装備するA型が納入される予定である[5]

本管中隊重迫小隊が廃止され、1個特科中隊(重迫)と2個火力支援中隊(MCV)が増設されるとともに、第14戦車中隊は廃止される予定となっている。

脚注

  1. ^ 陸上自衛隊の60年史(3) 佐野顕 スピアヘッド 第10号 P88-93 アルゴノート社 2011年
  2. ^ 14旅団15普連HP沿革より
  3. ^ 証拠に部隊名注記欄がマグネットによる仮である事が容易に確認出来る。正式に管理替えを受けているならば、所属中隊まで注記する事から確認できる。
  4. ^ 駐屯地創立記念での模擬戦では担任中隊である2中隊での運用がなされているが、管理替え先は15普連連隊本部であり、現状は重装輪車両の操縦訓練を行う関係での配備である為に、特定の中隊による管理はされていない
  5. ^ 原則としてA型は普通科職種、B型は特科や機甲科・後方支援に運用が限定されている

出典

防衛省人事発令”. 2015年8月1日閲覧。

外部リンク