福田将吾
茨城ロボッツ AC | |
---|---|
役職 | アシスタントコーチ |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1984年1月14日(40歳) |
出身地 | 日本・佐賀県唐津市 |
キャリア情報 | |
出身 | セント・ジョーンズ大学大学院 |
福田 将吾(ふくだ しょうご、1984年1月14日 - )は、佐賀県出身のバスケットボール指導者である。
来歴
唐津市立浜玉中学校から唐津東高等学校に進学、2002年に卒業し、自宅浪人、予備校(河合塾)を経て2浪して2004年に東京理科大学理学部数学科に入学、大学時代にバスケットボール指導者、特にNCAAバスケットボールのコーチへの道を志すことを決めた[1]。このきっかけの1つは日本大学が主催したコーチングキャンプで、シアトルパシフィック大学SPU Falcon AthleticsのバスケットボールチームのコーチであるJeff Hironaka[2](現:コロラド・クリスチャン大学ヘッドコーチ)の指導で[3]、プリンストン大学が考案したプリンストン・オフェンスを学んだことである[3]。
東京理科大学在学中の2007年7月に渡米してNCAA一部アイビー・リーグの名門プリンストン大学Princeton Tigersを訪問して、同クラブでコーチングスタッフとして学ぶ事を志願した[1]。しかしプリンストン大学の学生ではないこと、アメリカでの実績がないこと、英語力の不足などの理由により、プリンストン大学でチームに携わることは叶わず9月に帰国した[1]。この期間にプリンストン・オフェンスの考案者のピート・キャリルと直接に話をする機会を得ている[3]。
その後、Jeff Hironakaの紹介でNCAA二部Great Northwest Athletic Conferenceのシアトル パシフィック大学 SPU Falcon Athleticsで学ぶ機会を得て再度10月に渡米した[1]。同チームにオブザーバーとして帯同してバスケットボールを学ぶ一方で、自分がバスケットボール指導者としてNCAAで職を得るためには、まず日本で実力、経験、実績を積む必要があると考え、2008年に鹿児島県の国立大学法人鹿屋体育大学大学院を受験して合格した[1]。入学後には同学のバスケットボール部の学生ヘッドコーチに就任して、選手指導に携わり、2009年の第84回天皇杯では、九州電力、福岡第一高を破り、九州予選を勝ち抜いた。本戦1回戦ではJBL2部の石川ブルースパークス破る金星を挙げた。2回戦では、後の日本代表ヘッドコーチの長谷川健志が率いる青山学院大学スクァレルズと対戦した。当時の青山学院大学には、その後にプロリーグで活躍する渡邉裕規、湊谷安玲久司朱、橋本竜馬、辻直人、荒尾岳、中川真雄、福田真生など錚々たるメンバーが揃っており[4]、大差で敗れている。2009年のインカレでは、長谷川智也、神津祥平らの関東4位 法政大学を破りベスト8入り[5]、準決勝では関東5位 東海大学に敗れた。この時の東海大学のメンバーにも多嶋朝飛、遥天翼、古川孝敏、大塚裕土、満原優樹など、トップリーグで活躍する選手が揃っていた[6]。順位決定戦では、長谷川智伸、長谷川技を擁する[7]関東10位 拓殖大学に敗れたが、小野龍猛キャプテンが率いる[8]関東6位 中央大学を破り、同学を7位に導いた[9]。同学指導者としての最後の大会となった2010年の天皇杯では九州予選を勝ち抜いたが、本戦ではタツタ電線に1回戦で敗れた[10]。
2010年に鹿屋体育大学大学院を修了してバスケットボール部ヘッドコーチを退任し、再度の海外挑戦に向け、まず福岡大学の科目履修生として英語を学び、終了後には福岡の語学学校でさらに英語を学んだ[3]。再度渡米し、今回はNCAA一部ワシントン州立大学Cougarsを訪問してコーチングスタッフに志願した。ワシントン州立大学の学生でないことなどを理由に、その希望は叶わなかったが、NAIA一部のウェストモント大学Warriorsヘッドコーチへの紹介を貰い、1週間ほど同校の練習を見学した上で、同チームのコーチングスタッフとして働くことを志願してボランティア アシスタントコーチとして入団の許可を得ることができた[3]。
ウェストモント大学では、午前中に語学学校、午後にチームの仕事に従事する生活で、2011-12の1シーズン目は、ゲーム分析ツールのゲームブレイカー、スポーツコード[11]を使っての映像分析、レポート製作が主たる仕事であった。現地に馴染むために、語学学校などの日本人コミュニティから距離をおいて仕事に集中し、プリンストン・オフェンスの中でそのシーズンのウェストモンド大学の選手にマッチするオフェンスを着想して、ヘッドコーチに提案して結果を残してゆき、ゾーンディフェンスのシステム提案などをチームに提案して成果をあげている。2012-13の2シーズン目は戦術面についてなど、コーチとしてより多くの役割を得ることができ、またチームも好調でNAIAランキング全米4位までランクアップした[3]。
また、2012-13シーズンは全日本代表男子(ハヤブサジャパン)コーチングスタッフとしての活動も行っており、鈴木貴美一ヘッドコーチの率いる日本代表男子にテクニカルサポートスタッフとして参加しており、2013年に開催されたアジアカップでは代表チームに帯同している[12]。
2013-14のシーズンは、さらに高みを目指して挑戦したいと考え、ウェストモント大学のヘッドコーチの紹介で、ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区にあるNCAA一部ビッグ・イースト・カンファレンスに所属するセント・ジョーンズ大学Red Stormの面接を受けた。NCAAのチームのコーチングスタッフとなるためにセント・ジョーンズ大学大学院を受験して合格し、大学院でスポーツマネージメントを学ぶ一方で、Video Coordinatorを担当する学生コーチとして同校のチームのコーチングスタッフに着任した[13]。
2014-15シーズンにはチームのNCAAトーナメント進出に貢献している。このシーズンには当時アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのテクニカルスタッフだった尺野将太(後に横浜ビー・コルセアーズ、広島ドラゴンフライズのヘッドコーチを務めた)が、セントジョーンズ大学のコーチ陣と情報交換を行った際に、福田が紹介と通訳を務めたことで、尺野との交流を持っている。同シーズンの終了後には、福田の大学院修了と、セントジョーンズ大学のバスケットチームのスタッフ入れ替えなどにより継続してコーチ職に就くのが難しくなったため、2015年7月に一旦帰国して、郷里の佐賀を拠点に、家業を手伝いながらアメリカの大学コーチ職の求職活動を行った。カリフォルニア大学ロサンゼルス校、ノースウェスタン大学、イリノイ大学などのコーチ職に応募して面接を受け、一部は最終面接までこぎ着けたが、アメリカの大学での職は得られなかった[3]。一方で2016年から日本国内のプロバスケットリーグBリーグが発足されたため、日本のプロバスケットボールチームのコーチングスタッフとして活躍の場を求めた。
2016年6月29日に、Bリーグ1部(B1)の仙台89ERSのアソシエイトヘッドコーチに就任した[14]。2016-17シーズンの仙台は14勝46敗、B1東地区6位で残留プレーオフ出場となり、1回戦で富山グラウジーズに0勝2敗で敗退して、チームはB2に降格した。
2017年6月23日に、仙台と入れ替わりでB1に昇格した島根スサノオマジックと複数年契約を結び、アシスタントコーチに就任した[15]。2017-18シーズンの島根は11勝49敗、B1西地区6位で残留プレーオフ出場となり、1回戦で富山グラウジーズに1勝2敗で敗退して、チームはB2に降格した。2018-19シーズンの島根は43勝17敗、B2西地区2位でB2プレーオフに進出。プレーオフ準決勝は信州ブレイブウォリアーズに連敗したが、3位決定戦で熊本ヴォルターズに連勝したことで昇格枠に入り、B1に昇格した。また、この年のシーズンオフに一般女性と入籍している[16]。
2019年7月8日に、B1中地区 横浜ビー・コルセアーズのアシスタントコーチに就任した[17]。2020年1月15日の新潟アルビレックスBB戦、22日の川崎ブレイブサンダース戦、および25・26日の琉球ゴールデンキングス戦では、トーマス・ウィスマン ヘッドコーチが不在となったため、ヘッドコーチ代理としてBリーグの試合指揮をとった[18][19][20]。2月1日には、ウィスマンHCとの契約解除が発表され[21]、福田が後任のヘッドコーチに就任した[22]。
2020年5月に横浜を退団した[23]。
2020年5月に2020-21シーズンからの3年契約で新潟アルビレックスBBのヘッドコーチに就任した[24]。
2021年1月31日の名古屋戦を体調不良で欠場し[25]、以降はシーズン終了までチーム活動から離れた。その間は青木勇人アソシエイトコーチがヘッドコーチ代行として指揮を執った。 福田は、4月28日に記者会見を開き、この時の欠場の理由が球団社長兼GMから長時間の侮辱、人格否定、どう喝を受けて、過呼吸での失神状態に陥った事を公表し、改めてチームへの復帰意思を表明した[26]。もう一人の当事者である球団社長兼GMについては、この時の行為がBリーグの調査によりパワーハラスメントと認定され、2021年4月からの無期限の謹慎処分が発表された[27]。1ヵ月後の2021年5月に謹慎が解かれチームに復帰。社長およびGMを辞任した上で強化本部長に職務変更となった[28]。福田の処遇についてシーズン終了後に再度、球団と職務復帰について協議を行ったが、新潟アルビレックスBBのプレスリリースによると、福田将吾から球団に対して辞意の申し入れがあったとのことで、6月23日に双方合意の上での契約解除が発表された[29]。
2021年7月15日に茨城ロボッツのアシスタントコーチに就任した[30]。
人物
趣味・嗜好
- 好きなことは、映画鑑賞、スポーツ、スポーツ観戦、音楽鑑賞、料理、語学、マンガ、テレビ、インターネット、ペット[31]。
- モットーは「今に生きる」事を大切に。1番大切なモノは家族と愛する人、2番目にバスケットバスケットボール[31]。
- 好きなスポーツは、バスケット、サッカー。好きな映画は、海猿、コーチ・カーター、グローリー・ロード[31]。
エピソード
- 東京理科大学時代、プリンストン大学の練習を見学するために、SNSのmixiで、短期ホームステイをさせてもらえるプリンストン在住の日本人を募集した[1]。
- セントジョーンズ大学大学院修了時の成績はGPA 3.64と非常に優秀な学業成績であった[32]。[注 1]
年表
- 鹿屋体育大学(九州1部) ヘッドコーチ(2008年 - 2010年)
- Westmont College(NAIA Div.1) アシスタントコーチ(2011年 - 2013年)
- St. John's University(NCAA Div.1) Video Coordinator/学生アシスタントコーチ(2013年9月1日 - 2015年5月15日)
- 仙台89ERS アソシエイト・ヘッドコーチ(2016年7月 - 2017年6月)
- 島根スサノオマジック アシスタントコーチ (2017年7月1日 - 2019年6月)
- 横浜ビー・コルセアーズ アシスタントコーチ (2019年 - 2020年1月)
- 横浜ビー・コルセアーズ ヘッドコーチ(2020年2月 - 2020年5月)
- 新潟アルビレックスBB ヘッドコーチ(2020年5月 -2021年6月)
〔代表チーム〕
- ハヤブサジャパン 平成25年度バスケットボール男子日本代表チーム テクニカルスタッフ(2013年)
注釈
- ^ GPA(Grade Point Average)は米国の大学や高校ので標準的に使われる各科目の成績から特定の方式によって算出された学生の成績評価値の事。0~4の5段階であり、3.64は博士課程に進めるレベルのトップクラスである。
参照
- ^ a b c d e f “NCAAのコーチを目指している福田です”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “JEFF HIRONAKA”. 1/19/2020閲覧。
- ^ a b c d e f g “福田 将吾氏(仙台89ERS アソシエイトヘッドコーチ)インタビュー”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “青山学院大学”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “関東4位_法政大学”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “関東5位東海大学”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “関東10位 拓殖大学”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “関東6位 中央大学”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “第61回全日本大学バスケットボール選手権大会”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “オールジャパン2010”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “ゲームブレーカープラス”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “日本代表チーム紹介|第4回FIBA ASIAカップ”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “SHOGO FUKUDA”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “2016-17シーズン チームスタッフ体制決定!!”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “福田 将吾アシスタントコーチ契約締結のお知らせ”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “仙台にやってきました!”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “2019-20シーズン チームスタッフ体制のお知らせ”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “1月15日(水)新潟戦、ウィスマンHC不在のお知らせ” (2020年1月15日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “1月22日(水)川崎戦、ウィスマンHC不在のお知らせ” (2020年1月15日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “1月25日(土)、1月26日(日)琉球戦、ウィスマンHC不在のお知らせ” (2020年1月15日). 2020年1月15日閲覧。
- ^ “トーマス・ウィスマン ヘッドコーチ との契約解除のお知らせ” (2020年2月1日). 2020年2月1日閲覧。
- ^ “福田将吾氏ヘッドコーチ就任およびスタッフ体制変更のお知らせ” (2020年2月1日). 2020年2月1日閲覧。
- ^ “福田将吾ヘッドコーチ 退団のお知らせ”. (2020年5月19日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ “[2020.05.19 福田将吾氏 ヘッドコーチ契約合意のお知らせ”]. (2020年5月19日) 2020年5月19日閲覧。
- ^ “新潟粘るも5連敗 福田監督は体調不良でベンチ外”. (2021年1月31日) 2021年1月31日閲覧。
- ^ “パワハラ被害は自分、でも現場戻りたい バスケHC告白”. (2021年4月28日) 2021年4月28日閲覧。
- ^ “B1新潟がパワハラ謝罪、社長が欠席し会長らお詫び”. (2021年4月5日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ “B1新潟小菅社長が辞任 福田監督へのパワハラで4月に制裁”. (2021年5月9日) 2021年5月28日閲覧。
- ^ “[2021.06.23 福田将吾ヘッドコーチ 契約合意解除のお知らせ”]. (2021年6月23日) 2021年6月23日閲覧。
- ^ “福⽥将吾⽒ アシスタントコーチ就任のご報告”. (2021年7月15日) 2021年7月15日閲覧。
- ^ a b c “cOACHI SHO”. 1/19/2020閲覧。
- ^ “Shogo Fukuda assistant Basketball Coach at Shimane Susanoo Migic(Professional Basketball Team)”. 1/19/2020閲覧。