碧城郡

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碧城郡
位置
各種表記
ハングル 벽성군
漢字 碧城郡
発音 ピョクソン=グン
ローマ字転写 Pyŏksŏng-gun
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碧城郡(ピョクソンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国黄海南道に属する郡。

地理

黄海に面する。東に海州市、東北に新院郡、北に信川郡、西に苔灘郡、西南に甕津郡、南にと境を接する。

歴史

もともと海州を中心とする一帯を海州郡と称したが、1938年に海州邑が府に昇格して郡から離脱すると、周辺地域は碧城郡と改称した。

1952年、北朝鮮の行政区画再編により、広大な郡が細分化されて青丹郡新院郡苔灘郡などに分けられ、ほぼ現在の郡域がつくられた。

なお、現在韓国側の仁川広域市甕津郡に所属する大延坪島・小延坪島はかつて碧城郡の所属であったが、日本の敗戦で朝鮮が分割占領された際、38度線以南に位置していたため米軍の占領下に入り、京畿道甕津郡に編入され、朝鮮戦争後も韓国の統治下にとどまり現在に至っている。

年表

  • 1895年 - 海州府海州郡(二十三府制)。
  • 1896年 - 黄海道海州郡(21面)。
  • 1931年4月1日 - 海州面が海州邑に昇格(1邑20面)。
  • 1938年10月1日 - 海州邑が海州府に昇格し、海州郡を碧城郡に改称(20面)。
  • 1943年10月1日 - 西席面の一部が海州府に編入(20面)。
  • 1945年8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。ただし、来城面・日新面・青龍面・東江面・松林面・海南面および泳泉面・秋花面の各一部は米軍管理下に置かれる。(8面)
  • 1945年11月4日 - 米軍管理下の泳泉面・秋花面・来城面・日新面・青龍面が京畿道延白郡に、東江面・松林面・海南面が京畿道甕津郡に編入。米軍管理下の碧城郡は消滅。
  • 1952年 - 青丹郡・新院郡・苔灘郡が設置され、一部の地域に分離された。

下位行政区画

1邑21里からなる。

外部リンク