片岡護

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片岡 護(かたおか まもる、 1948年9月15日[1] - )は、日本シェフレストラン経営者。息子の片岡宏之もシェフである[2]イタリア料理ブームの火付け役としても知られる[3][1][4][5]。一般社団法人全日本・食学会理事[6]

人物

東京都品川区に生まれる[1]。母が外交官金倉英一[7]の家で家政婦として務めていた縁で、中学生時代にイタリア料理と出会う[1]東京都立田園調布高等学校卒業[8]。高校時代は美術部に所属し[8]、工業デザイナーを目指していたという[1]。芸大を目指すも2浪する[1]ミラノ総領事として勤務することとなる金倉から総領事付コックになることを薦められ[7]、日本料理の「つきぢ田村」で3か月修行後、1968年イタリアミラノへ料理人として渡航[8][7]。総領事付コック時代ミラノのナヴィリオ地区にある魚介料理専門店「アルポルト」と出会い、のちにオープンすることとなるレストランの名前に使用することとなる[1]1973年に日本へ帰国、代官山「小川軒」、南麻布「リストランテ マリーエ」料理長を経て[7]1983年港区西麻布に「リストランテ アルポルト」をオープンする[1]。最初は、閑古鳥が鳴いていたが、女優有馬稲子のコラムによって有名になる[1]2009年には超人シェフ倶楽部を発足し、副会長に就任[9]。2021年、黄綬褒章受章[10]

テレビ出演

著書

出典

外部リンク