灘五郷

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御影郷の一つ灘泉、入り口に丸い酒林が見える

灘五郷(なだごごう)は、「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地。

概説

兵庫県神戸市東灘区灘区と同県西宮市大阪湾沿岸の地域を指す。酒造りに適した上質の米(山田錦)と上質のミネラル水(宮水)が取れ、製品の水上輸送に便利な港があったことから、日本酒の名産地として栄えた。

かつては伊丹池田摂津の代表的な酒どころであった。しかし幕府江戸に移って以降、当時の技術で品質を落とさずに江戸まで酒を輸送するのには困難がつきまとった。そこで、伊丹・池田よりも輸送所要日数にして2・3日は短縮可能な灘地区が、江戸時代中期以降の上方酒の主流となっていった。

明治期以降、豊かな醸造家は阪神間モダニズム文化の牽引役となった。

灘五郷を本拠地とする酒造メーカーのほか、各地の酒造メーカーの進出も多く、京都の松竹梅、滋賀の道灌なども灘五郷にも工場を置いている。かつては、京都の月桂冠伊丹市白雪、和歌山の世界一統なども工場を置いていた。また、忠勇富貴、富久娘、福徳長など非関西資本の傘下に入ったところもある。

阪神・淡路大震災では、白壁土蔵造りの酒蔵、赤煉瓦の酒蔵など伝統的な景観が大いに損なわれた。震災後、中小蔵元の廃業も見られた。

とはいえ、多くの有名メーカーが軒を連ね、日本一の酒造業地帯であることに変わりはない。仕込みの時期には新酒の香りも漂い、それが環境省かおり風景100選にも選ばれた。

江戸前期までの灘目三郷

江戸時代の灘五郷

  • 今津郷:現在の西宮市今津周辺
  • 東郷(魚崎郷):現在の神戸市東灘区魚崎本庄地区
  • 中郷(御影郷):現在の神戸市東灘区御影地区
  • 西郷:現在の神戸市灘区西郷地区
  • 下灘郷:現在の神戸市中央区ならびに兵庫区

明治中期以降の灘五郷

括弧で区切ったものは廃業した蔵である。

灘五郷にある日本酒をテーマとする施設・博物館

関連項目

外部リンク