御影 (神戸市)

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神戸市立御影公会堂正面
2007年6月9日撮影)

御影(みかげ)は、神戸市東灘区にある地名の一つ。

兵庫県武庫郡御影町の一帯を指す。

山手側は阪神間屈指の高級住宅街の一つとして著名であり、阪神・淡路大震災の被害を免れた豪邸が点在している。

花崗岩の別名「御影石」の語源となった場所でもある。海岸側は江戸時代以降栄えた酒どころ「灘五郷」の一つ「御影郷」であり、白鶴菊正宗剣菱などの造り酒屋、工場が現在も操業している。

歴史的に有名なものとしては、澤之井という泉があり、神功皇后がその水面に御姿を映し出したことが「御影」の名の起こりとされている。

1933年昭和8年)に建設された神戸市立御影公会堂が建築当時と変わらない状態でいる。映画やテレビドラマ化された『火垂るの墓』の舞台である。


旧御影町について[編集]

現在、神戸市東灘区内で地名に「御影」と名の付く全域が、ほぼそのまま、1950年(昭和25年)3月31日までは御影町であった(ただし御影浜町は、神戸市に編入後、埋め立てによって誕生した陸地である)。御影町にあった字は神戸市に編入後2008年平成20年)11月1日までに「御影」を冠する丁目表示に改められた。

神戸大空襲で町内は被災、酒蔵と邸宅とともに発展した御影町とは言え、町内の戦災復興をまかなうには財政上大きな課題があった。時を同じくして神戸市から合併の申し入れがあり、1950年(昭和25年)4月1日付で御影町は全域が神戸市に編入、東灘区が誕生した。空襲で被弾し、形状はとどめたものの大きな被害を受けた御影町公会堂は、町民の避難所として機能したのち、神戸市によって修復され1953年(昭和28年)に神戸市立御影公会堂となった。

なお、戦後直後のこの時期、学制改革・男女共学化・小学区制導入に伴い、御影町内にあった兵庫県立第三神戸高等女学校は兵庫県立御影高等学校になり、御影町内の中学生が進学する高校となった(その後、小学区制はやや広域の方向に見直され、現在の神戸第一・芦屋学区となった)。御影高校誕生当時において、その通学圏、そして御影町自体がまもなく消滅することもあり、御影高校の校章は、御影町の町章に「高」の字を組み合わせた意匠とされ、現在にいたる。

現在の地名「御影」について[編集]

旧御影町のすべては現在も地名に「御影」の文字が入っているが、本節では、地名に「御影」以外の文字を含まない地域すなわち現在の御影一丁目から御影三丁目までについて述べる。

東灘区の平地部の中で最後まで住居表示を実施していなかったのがここと東隣の御影町郡家であったが2008年(平成20年)11月1日に漸く住居表示が実施された[1]。「御影○丁目」という町名に変更されたのは同日以前の御影町御影字榎本・上之山・岸本・城之前・篠坪・滝ヶ鼻・平野、御影町石屋字八色岡(やくさのおか)・朝后、御影町西平野字大原・一ノ坪・伊賀塚・ゲシメ(下志免)・平野・東松本・西松本の3大字を合わせて、山手幹線以南が一丁目、以北の旧・御影町御影部分が東北の二丁目、旧西平野部分が西北の三丁目として成立した。北は阪急神戸線を境として御影山手、東は神戸市道弓場線天神川を境に御影郡家、南は西側の旧・大字御影が御影中町、東側の旧・大字石屋が御影石町、西は灘区弓木町(山手幹線以南)・高徳町楠丘町


脚注[編集]

  1. ^ 神戸市東灘区:お知らせ トピックス 御影町の町名が変わります”. 神戸市. 2009年7月17日閲覧。


関連項目[編集]