比叡 (コルベット)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Dr jimmy (会話 | 投稿記録) による 2012年3月12日 (月) 01:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎参考文献)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

艦歴
発注
起工 1875年9月24日
進水 1877年6月11日
就役 1878年2月25日
除籍 1911年4月1日
その後 売却後に解体
性能諸元
排水量 常備:2,250t
満載:3,178t
全長 70.4m
全幅 12.5m
吃水 5.3m
機関 形式不明石炭専焼円缶6基
+横置式2気筒2段膨張レシプロ1基1軸推進
最大出力 2,270hp
燃料 石炭 280t(常備)、340t(満載)
最大速力 13.0ノット
兵員 308名
装甲 舷側:137mm
水線部:114mm
兵装 クルップ式24.3口径17cm単装砲3基3門
クルップ式25.4口径15cm単装砲6基6門
7.6cm単装砲2基2門
3.7cm単装砲4基4門
ノルデンフェルト式25mm4連装機砲4基
ノルデンフェルト式11mm5連装機銃2基
35.6cm水上魚雷発射管1門

比叡(ひえい)は、日本海軍軍艦。船体が鉄骨木皮の金剛型コルベット艦の2番艦である。のちに三等海防艦。艦名は、京都府にある比叡山にちなんで名づけられた。

艦歴

イギリスペンブロークのミルフォード・ヘヴン造船会社で起工された。設計は後に造船総監となるエドワード・ジェームズ・リードである。1878年、日本に回航され、5月22日に横浜到着。日清戦争日露戦争に従軍し、後に測量任務に就き、日本近海の水路測量を行った。1911年に除籍、翌年に売却され解体された。

年譜

艦長

  • 伊東祐亨 中佐:1879年8月19日 - 1881年7月7日
  • 伊東祐亨 中佐:1881年12月27日 - 1882年7月7日
  • 有地品之允 大佐:1882年7月7日 - 12月23日
  • 伊東祐亨 大佐:1883年12月15日 - 1884年2月8日
  • 三浦功:1889年4月17日 - 1889年7月1日
  • 森又七郎 大佐:1891年6月17日 - 1892年7月12日
  • (心得)桜井規矩之左右 少佐:1894年6月8日 - 12月7日
  • 桜井規矩之左右 大佐:1894年12月7日 - 1895年9月28日

同型艦

参考文献

関連項目