コンテンツにスキップ

東南アジア条約機構

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。F-mikanBot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月25日 (金) 20:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ロボットによる: 良質な記事へのリンク en:Southeast Asia Treaty Organization)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

1966年10月にフィリピンマニラで行われたSEATO会議に出席した南ベトナム首相、オーストラリアのホルト首相、韓国大統領、フィリピンのマルコス大統領、ニュージーランドのホロヨーク首相、南ベトナムのチュー大将、タイ王国のキティカチョーン首相、アメリカのジョンソン大統領(左から)

東南アジア条約機構(とうなんアジアじょうやくきこう、The Southeast Asia Treaty Organization, SEATO)は、オーストラリアフランスイギリスニュージーランドパキスタンフィリピンタイおよびアメリカ合衆国の8ヵ国によって1954年9月8日に組織された反共軍事同盟。

なお、略称の「SEATO」は、日本では「シアトー」と読むが、英語圏では主に「シートー」、希に「シーエートー」、「セートー」などと読む。

概要

マニラで開催されたSEATO首脳会議


仏領インドシナからのフランス撤退後、SEATOは冷戦下における東南アジアでの共産主義の拡大に対するために作られた。

条約は、アジア太平洋の民族の平等と自立への権利を肯定し、加盟国間の経済、社会、文化的協力のゴールを述べた太平洋憲章で補われた。条約下で設立された機構の本部は、タイ王国バンコクに設置された。また、共同演習は毎年行われた。

機構の意思決定は加盟国満場一致によっており、フランスおよびフィリピンの反対のために、ラオスまたはベトナムにおける戦乱に直接干渉できなかった。

ベトナム戦争からアメリカが撤退した1973年までに存在に疑問が生じ、このため1973年にパキスタンが、翌1974年にフランスが脱退している。機構自体も1977年6月30日に解散した。

関連項目

Template:Link GA